08/31
弟が「ナンバーワンよりオンリーワン」と言ったので両目を潰した。そして今僕は弟の世話をしている。目の見えない弟の代わりに手となり足となってあげている。僕が彼の目を潰したのだからこれは当然の行為だ。責任を放棄する人間にはなりたくない。それは幼少の頃からの望みだった。生まれて初めて喋った言葉も「無責任な大人にはなりたくない」である。(ちなみにそれを聞いた母親は思うところがあったのか自殺してしまい、幼くして母親に育児を放棄された僕はこの想いをより強化させることとなった) だから僕が無責任さ故に弟の目を潰したのだとは決して思わないでもらいたい。僕が相手の両目を潰すときは相手の人生を背負う覚悟で両目を潰す。それだけは、知っていてほしい。
07/18
試験中だというのにドラクエ5を再開しキラーマシンを仲間にするのに躍起になっている。しかしこれは現実逃避などではない。何故ならドラクエこそが僕の現実なのだから。故に現実逃避とはキラーマシンを仲間にすることを諦めて試験勉強に専念することである。確かに逃げることは容易い。だが一度ここで逃げてしまえば僕はこれからも障害から逃げ続けてしまうようになる。そしてそのあとに待ち受けるのは負け犬の如き人生だろう。僕は、僕を信じてくれた人達をそんな形で裏切りたくはない。だからこそ今現実から目を背けるわけにはいかないんだ。家族のためにも、明日のためにも。
06/21
ギャルゲーの主人公の顔には目が付いていないことが多いがこれは言うまでもなく彼らに目が無いからである。目盲どころか目無しの主人公はしかしまるで目が見えるかのように振る舞い、目が見えなくとも強く生きていく姿を伝えようとする。だがプレイヤーはそれに気付かず平面上の美少女に息を荒げるだけだ。情けない。親の心子知らずとはこのことだ。しかし、親は子の心を知っているのだろうか。子は目無しの主人公の生き様を見たいのではない、次元を超えた先に居る美少女を見たいのだ。彼らのそういった願いを無視しているのではないだろうか。親が子を想う心を否定するわけではない。しかしながら往々にして親と子の心はすれ違う。それは自らの願望を相手に押し付けすぎるからだ。少しでも相手の身になって考えれば自ずとどう相手を想えば良いのかが見えてくる筈である。互いを本当に思い遣れる間柄、それが真の親子関係だと思うから。
03/08
「39人のメール友達がたまたま全員学校のクラスメイトだった」という設定の小説を考えました。考えただけで書いてはいません。皆さんが妊婦の腹を蹴りたいと思っても実際には行動に移さないのと同じことです。しかし中には妊婦の腹を容赦葛藤なく蹴ることのできる人もいます。そういう人は同様に小説を書ける人でもあります。つまり小説家とは妊婦の腹を蹴る人だと言わざるをえません。腹を蹴られたくない妊婦は小説家になるべく近寄らないようにした方がいいでしょう(僕からの忠告)。
03/03
お前は社交性が無いと言われたので社交的になろうと思った。本来社交性などはアイデンティティに携わる問題で易々と解決できる筈もない。しかしながら幸いにも僕は魔法の言葉を知っている。「マジすか!」 これこそあらゆる話題に追従でき社交性を得られる魔法の言葉。これを使用することで僕はたちまちに社交的な人物と思われるようになるだろう。僕と言えば社会性、社会性と言えば僕。そんな存在になるのは時間の問題となる。効用を試すために僕はコンビニエンスストアに入ってみた。「いらっしゃいませー」 マジすか! そう魔法の呪文を唱えると店員は早くも僕の社交性に驚愕して唖然とした顔付きで僕の方を見た。
……
そうして僕はレジの前でも女店員の言うこと凡てに魔法の言葉で返した。効果の程は語るまでもない。今日この日、僕は社交性を獲得、した。