七月の伯爵日乘&更新履歴

MMVII


伯爵日乘

●七月一日(日)・・・殆ど寝てないが、昼前には起きる。すぐに身支度を整えて、車で出発。西宮北口のオペラハウスへ。今日はここの大ホールでマイミクの指揮者じゃたろう君のコンサートなのだ。
 一時半には到着、奈良女子高等師範学校の晶子ちゃん、「銀聲」の編集委員近藤女史、マイミクのにゃかむら女史、マイミクのきーちゃんとそのお友達、「銀聲」のc編集長、まむこ、みきてぃ、紀ノ川氏、フレディ女史と合流して、会場に入る。前半は新作曲とモーツァルトの戴冠ミサ曲、後半はこれまた現代合唱曲と第九の三楽章、四楽章といういささか変則的なプログラム。じゃたろう君も少しだけ指揮をして、メインは彼の氏である山本郁夫氏。ソリストにイルクーツク歌劇場及びボリショイ劇場のトップが来ていたので独唱陣は素晴らしかったが、コーラスはちょっと迫力不足であった。オケは若手プロの集まり、フィルハルモニア神戸&東京である。
 終演後、Tzangと母上とお友達とも合流。その三人プラスにゃかむらさん、紀ノ川氏、ミキティ、フレディ女史、僕、まむこで近所の「ばーみやん」に入る。餃子が安いので沢山食べてしまった。
 そのあとフレディ女史、紀ノ川氏、まむこを車に乗せて、甲陽園の「津曲」までドライブ。二階の喫茶室で美味しいケーキを堪能した。
 更に全員で甲麓庵に向かい、車をガレージにとめて、そのまま家には入らずに駅から特急に乗って梅田に出た。大阪駅まで紀ノ川氏とフレディ女史を見送り、マムコとヨドバシカメラの木和製作所というところでアクセサリーの材料など見る。群馬から帰ってきたヒロポンと合流し、三人でヨドバシ一階のヴィ・ドゥ・フランスでお茶。

●七月二日(月)・・・夕方まで在宅。
 五時過ぎに出発、快速急行で梅田に出て、梅田新道でTzangとミキティに合流、そのまま歩いて西天満の秋田弁護士の事務所へ。ミキティに長年にわたってセクハラ行為を働いていたH教育大学教授K.F.について話し合った。
 二時間かかった会議のあと、桜橋交叉点で解散して、僕は「ムジカ」へ。マムコと合流して、九時過ぎまでお茶。
 ダイエーに寄ってから帰宅。

●七月三日(火)・・・ひねもす在宅。夜、浜田温泉へ湯治に行ったのみ。

●七月四日(水)・・・外出は「ムジカ」へ行ったのみ。

●七月五日(木)・・・夕方まで在宅。時折激しく雨が降る。
 六時過ぎに家を出て、特急で梅田へ。そのまま地下鉄四つ橋線で一駅、肥後橋で下車。今日は日本テレマン協会のマンスリーコンサートなので、大阪倶楽部へ行くのだ。
 開演直前に会場に駆け込んだら、いきなり「よぉ」と声をかけられ、誰かと思って振り向いたら延原御大であった。母が先に来ていたので、その横に座る。演奏はいつもどおり素晴らしい。今日はチェンバロとフォルテピアノのデュオを中心としたプログラムであったが、前半と後半の冒頭に、ヴィヴァルディの四台のヴァイオリンのための協奏曲が演奏された。この二曲、有名だがソリストが四名も必要なのでそう滅多に生で聴く機会はない。テレマンのマンスリーでは、2005年の5月以来だろう。
 終演後、中野氏や杉山夫妻に挨拶して、母と「ムジカ」へ向かうが、「ムジカ」前に着いたのがもう九時半だったので行き先を変更、「いなば播七」に行った。いつもどおり、絶品のおはぎをお茶を楽しむ。
 母と阪神電車に乗って、甲子園で解散。母はそのまま西宮まで乗って帰宅である。

●七月六日(金)・・・夕方まで在宅。今日は昨日に続いてわりと涼しい。
 六時に出発、特急で梅田に出て、ついつい西梅田から地下鉄四つ橋線に乗ってしまった。今日のルートだと、東梅田から地下鉄谷町線に乗る方がよかったのだが(^_^;)
 仕方なく大国町で地下鉄御堂筋線に乗り換えて、更に動物園前で地下鉄堺筋線に乗り換える。終点の終点の天下茶屋で降りて、「インサイド」というお店を探す。ヤフオクで落札した「土足嚴禁」と書かれた古い琺瑯看板を受け取りに来たのだ。行ってみたらお洒落な服屋さんで、骨董店でも雑貨屋でもないのが面白かった。
 そのまま歩いて天神ノ森の鍼灸整骨院に行き、いつもどおり一時間ほど施術してもらった。
 終わったらもう九時近かったので、「ムジカ」に行くことは断念、そのまま歩いて北上。お腹がすいたので何か食べようと思ったのだが、風情のある下町のわりに今一つ美味しそうな食堂がない。でも天下茶屋駅の東側の商店街は無茶苦茶いい雰囲気だった。
 更に北上し、釜ヶ崎エリアに入ってしまった。いうまでもなく、日本最大のドヤ街だが、最近は若いバックパッカーなども多く、女性や外国人も泊まりにきている。ただ、歩いていて目に付いたのは、シャッターの閉まっているドヤである。かといって廃墟ではなく、電気は煌々と灯り、大勢人のいる気配がする。つまり、ドヤを廃業して、アパートになっているところが少なくないのだ。表には「福祉の方」などと張り紙がしてある。生活保護を受給するには住所が必要なので、そういう人に住居を提供し、生活保護費で安定的に家賃収入を得ようということなのだろう。
 このエリア、面白い屋台はたくさんあるのだが、三つ揃えスーツにネクタイ、懐中時計までぶら下げたスタイルで入るに適し他店は全くなかったので、食事は諦めて新今宮から環状線に乗った。
 環状線は普通に動いていたのだが、大阪駅に着いたら東海道本線が人身事故とかで大混乱していた。本当に国鉄のダイヤはよく乱れる。
 阪神梅田から特急に乗って戻る。ダイエーによってから帰宅。

●七月七日(土)・・・新暦の七夕である。結構早くに目が覚めた。雨は降っていないが、曇り。外出は夜、「ムジカ」に行ったのみ。
★今日の国家権力

参院事務局、「議員宿舎建設」反対住民の情報を横流し
7月7日10時50分配信 読売新聞

 「参議院新清水谷議員宿舎」(東京都千代田区)の建設計画に苦情などを寄せた住民らの個人情報を含むリストを、施主である参院の事務局が、本人に無断で計画に賛成する地元町会幹部らに提供していたことが分かった。
 参院は「軽率だった」としてリストを回収、職員の処分を検討している。衆参両院には行政機関個人情報保護法などが適用されず、内部規定もない。
 同じように同法の対象外となっている裁判所では、最高裁が個人情報保護の通達を出しており、衆参両院の内規の不備も浮かんだ。
 計画では、千代田区紀尾井町の国有地(約4500平方メートル)に地下2階、地上16階建て(高さ約56メートル)を建設。国土交通省が既に工事を発注しており、当初の予定では2009年に完成することになっている。

 ここ二日、不当な逆転有罪判決が立て続けに二件出ている。この国は、行政だけでなく司法も立法も全部腐っている。

●七月八日(日)・・・ヒロポン、その弟子、信貴山縁起と麓鳴館。心斎橋そごう。

●七月九日(月)・・・夜、車を出して神戸へ。レンジャー君の工場でバッテリーを変えてもらった。

●七月十日(火)・・・夜、一人で「ムジカ」。
★今日の「馬鹿」
森元首相発言に不快感    京都新聞
嘉田滋賀県知事 「政治家として残念」
 森喜朗元首相が富山市内で行った講演で、栗東市の新幹線新駅の建設凍結を掲げている滋賀県の嘉田由紀子知事について「ああ女の人だなあ。やっぱり視野が狭いなあ」と発言していたことが10日、明らかになった。嘉田知事はこの日の定例記者会見で「公共事業を決めるのに男、女は無関係」と不快感を示した。

 森元首相は9日の講演で、整備中の北陸新幹線を米原に接続する場合の問題について説明し、「『駅をつくるのはもったいない』と言って当選した知事がいる」と、新駅をめぐる嘉田知事の姿勢に言及した。
 そのうえで、「日本列島が全部新幹線でつながる時、滋賀県で新幹線の恩恵に浴するのは米原しかなくなる。そこまで考えて施策は練らなければならない」と語った。
 これに対して嘉田知事は「発言の全体像が分からない」としながらも、「新駅問題の本質は、動き出した公共事業を有権者の思いが止めたという、民主主義や地方自治の在り方にある。森元首相にそうした認識がないなら、同じ政治家として残念だ」と述べた。

 「死ななきゃ治らない」とはこういうやつのことを言うのだろう。

●七月十一日(水)・・・「銀聲」のC編集長と生駒時計店にぺて吉さんを訪ね、僕のウォルサムの銀無垢のハンターケースの分解掃除をお願いする。そのあと「ムジカ」に行き、うさぷー女史と合流、三人でお茶。

●七月十二日(木)・・・夕方まで明日からの東下りの準備。
 それから出発し、阪神、阪急を乗り継いで京都へ。久しぶりのくれぴとのデートである。四條油小路角の散髪屋さんを訪ねた。ヤフオクで知り合ったのだ。四條傘鉾の世話人でいらっしゃるが、面白くて親切な方で、懐中時計が好きな者同士大いに話が弾んだ。
 四條烏丸角の旧三和銀行京都支店ビルがいよいよ死の商人岩崎男爵の手下によって破壊される様相。また富小路四條上ルの「大三元」も破壊されていた。京都の景観もますます末期的様相である。
 くれぴの買い物に付き合って、ファミレスで食事して、解散。とても楽しい一日であった。

●七月十三日(金)・・・正午直前、くれぴからの電話で目が覚めた。吃驚!! 
 既に準備は済ませてあったので、大慌てで身支度を整えて家を出て、急行、直通特急を乗り継いで三宮で下車、ポートライナーに乗り換えて神戸空港についたのが十三時十分であった。
 スカイマークのカウンターに駆け込んで、十三時二十分の羽田行きにまだ乗れるか聞いたら乗れるというので、ぎりぎりセーフで飛び乗った。飛行機に「駆け込み乗車」は初めてである(笑)。ともあれ、九州に台風が接近しているが、こちらはまだ普通の雨なので、飛行機は定刻通り普通に飛んでいる。
 二時半には羽田空港に到着、モノレールと山手線を乗り継いで上野へ。上野ではまずコインロッカーに大荷物を預けて、御徒町方面へ歩く。国鉄高架の東側は宝石店街でなかなか面白い。下品で派手な看板が多いのに、売っているのは高価な宝飾品なので関西なら物凄く違和感があるところだが、東京という街の品性にはむしろこういう雰囲気がマッチしている。有名な骨董店「コットンテール」など覗きながら、高架をくぐって松坂屋上野店へ。改造されてしまったがインジケータや籠はそのままの古式エレベータに乗って、時計売り場など見る。ウォルサムの懐中時計の品揃えがよかった。
 大理石の大階段のベンチで待つうち、セーノが登場。一緒に老舗甘味処の「みはし」へ。そこでカキ氷、蕨餅など食する間にマイミクの車掌さんも登場。六時過ぎまでのんびりする。
 上野駅前でセーノと一旦別れ、車掌さんと東京文化会館に入ったら、いつも通り既に長い行列ができている。日本テレマン協会第177回定期演奏会なのだ。受付で中野さんに会って、会場に入って待つうち、照翁の会で申し込んだ人々がやってくる。今日は「玲瓏」の歌人城山さんと中西女史、しょぴ、龍丸君、その姉上、リュミ女史、セーノとその友人の音大生アサクラ君、マイミク車掌さん、高校の後輩のジロックスと梅若夫人、そしてドイツ在住のヴァイオリニストまっちゃん女史とそのご両親が照翁扱いであった。
 今日のプログラムは「日本テレマン協会定期演奏会」でありながら出演者は中野振一郎さんと高田君のみ。チェンバロとフォルテピアノのデュオで、とても充実した演奏であった。
 終了後、前回同様まずは楽屋口でインタビュー収録。そして前回同様上野駅公園口二階の「ぶんか亭」にて会食。そこにミクシィの「パイプオルガン友の会」コミュのみんちょ女史もやってきて、とても楽しい晩餐となった。
 十時過ぎには解散。更に残ったメンバーで「みはし」に向かうが、さすがに閉まっていた(T_T)。結局ガード下の「プロント」が空いていたので、そこで閉店まで二次会。駅にて解散し、僕とセーノは新宿へ向かった。

●七月十四日(土)・・・昨夜は映画「キャバレー」を見ていたのだが、最後まで見れずに寝てしまった。よく寝たはずなのに起きたらやたら眠い。セーノに映画「マルタイの女」を見せられたが、とても面白かった。
 だらだらしたので出発が三時を過ぎてしまう。結構雨脚が激しい。山手線で五反田に向かい、駅前のエクセルシオールでリュミ女史を待つが、原美術館は八時までではなく護持までと判明、ヘンリー・ターガー展には間に合いそうもない(>_<)。
 リュミ女史と合流して、代々木に戻り、駅前のカラオケに入ったが、「大懐メロ大会」になってしまった(笑)。
 セーノと一旦別れ、リュミ女史と代々木から山手線に乗って、原宿で下車。龍丸君と合流して、地下鉄に乗り換え、表参道へ。ほんの一駅だが、とにかく雨が激しいのだ。表参道ではリュミ女史の買い物に付き合って、コム・デ・ギャルソンのはしご。滅茶苦茶時間がかかった(-_-;)
 八時過ぎ、緒表参道駅から地下鉄を乗り継ぎ、大江戸線の都庁前で下車。新宿三井ビルの中にあるアメリカっぽいバイキング形式のレストラン、「シズラー」へ。そこでセーノとその友人の毒女史と合流。五人で会食。ここはメインディッシュだけ選べば、あとはバイキング形式で食べ放題なのだ。ついつい食べ過ぎて、僕としたことがデザートを残してしまった。
 なんと、雨がほぼ上がったので、みなで歩いてセーノ宅へ。そこで預かってもらってた大鞄を持って、セーノと別れ、リュミ女史、龍丸君と新宿駅から埼京線に乗って武蔵浦和へ。駅から五分ほどの龍丸宅に着くと、里子に行った三号「みいあ」と久しぶりに再会、とても可愛い♪
★今日の「伝統の破壊」
民事裁判官のかつら廃止へ…約350年の伝統に終止符

2006年10月、ロンドンで、かつらを着用して式典に参加した裁判官(AP、クリックで拡大)
2006年10月、ロンドンで、かつらを着用して式典に参加した裁判官(AP、クリックで拡大)

 英イングランドとウェールズの両地方を管轄する司法当局は14日までに、約350年にわたり裁判官らが法廷で着けてきた伝統の白いかつらの着用を、来年一月一日から民事裁判で廃止すると発表した。経費削減に加え、市民と司法の距離を近づける狙いもある。
 刑事事件の公判では、法廷の威厳を保つ必要性とともに、被告人からの裁判官の人物特定が容易になることへの懸念もあり、着用廃止は見送られた。

 これまでの司法当局による意識調査では、64%が裁判官の法衣などの「近代化が必要」と回答。中には「時代錯誤」という厳しい意見もあったという。
 かつらは馬の毛でできており、裁判官が主に着用する短髪のものは約800ポンド(約20万円)。裁判官の法衣も簡素化され、全体で年間30万ポンド(約7400万円)の経費削減が見込まれている。
 英国では17世紀ごろから、上流社会でかつら着用が普通となったことに伴い、法廷にも慣習が持ち込まれた。(共同)ZAKZAK 2007/07/14
 死ぬほど残念である。大英帝国ぐらいはこういうものを固守して欲しいものだ。

●七月十五日(日)・・・いよいよ台風が近づいてきたが、今日は甲麓庵歌會第六回関東例会である。従って皆、頑張って十時前には起きて、詠草を印刷し、出かける準備を。しかし紙がなくなって買いに行ったりで、時間を消費してしまった。
 ということで、ちょっと遅刻しそうな様相で慌てて三人で出発、武蔵浦和駅から埼京線に乗って新宿に出て、そこから京王電車に乗り換えて八幡山駅で下車。二十分ほど遅れてしまったので、既に改札前に「玲瓏」の城山達郎さんと塚本邦雄先生の愛弟子である初参加の笹原玉子女史、「潮音」のMEG女史、221系氏、初参加の新津康氏、「中部短歌」のマダムチュウ女史、そしてセーノが集まっていた。台風がいよいよ接近しているが、今のところ雨は大したことはない。
 とはいえ、歩いて十分強はかかる距離なので、タクシー分乗で会場である蘆花恒春園に向かう。同志社大学の大先輩である文豪徳富蘆花の旧邸である。ところが、着いたら物凄い雨脚になってきた。土砂降りである。
 ということで、足場が無茶苦茶悪い園内を必死で歩いて、会場入りすることになってしまった(T_T)
 それにしても、この天候の中をよく集まったもので、遅刻してきたしょぴも入れて11人となった。しかも初参加が三人で、そのうち二人は歌人、もう一人も詩人である。いつもながら個性溢れる詠草を、みなで真摯に活発に議論することができた。見学参加だったセーノが物凄く毒を吐いて面白いww。彼も次回からは詠草を出すとのこと。
 四時前には終了。なんと、もう雨はほぼ上がっているではないか。台風は房総半島の先を掠める程度で去っていったらしい。
 電話でタクシーを呼び、みなでまた八幡山駅へ戻る。MEG女史とはそこでお別れし、残る十人で駅前の「ばーみやん」に入って楽しい打ち上げ。切腹やら自殺未遂やら経験者がいるので、普通なら退くような話題で和気藹々と盛り上がる。さすがは甲麓庵歌會であるww。
 七時過ぎまで盛り上がり、京王電車で新宿に戻って解散。更に有志で新宿西口の「カラオケ館」へ。関西では滅多にカラオケに行かない僕なのに、二日連続になってしまった。
 最後はリュミ女史、龍丸君と国鉄埼京線で武蔵浦和へ。今日も龍丸邸に宿泊である。

●七月十六日(月)・・・僕の金無垢懐中時計が気に入った龍丸君と、明け方までヤフオクを覗いてしまったので、起きるのがつらい。それでも何とか三人で、11時過ぎには出発できた。
 今日はミカンの花女史と会うので、武蔵浦和駅から埼京線に乗って渋谷で下車。そこから東急電車東横線の特急で自由ヶ丘まで行った。
 正面改札でミカン女史と合流、まずは食事をということになって、駅前の古風な雑居ビル「自由が丘デパート」の三階にあるハンガリー料理店「カントリーキッチン」へ。なかなかいい雰囲気のお店で、駅前広場を見下ろしながら楽しい会食。ご飯が美味しかった。
 食後、柴田仮面女史と合流、総勢五人で自由が丘散策に出発である。まずは自由が丘デパート一階から延々と連なる昭和戦後レトロなビル内市場を歩く。これが結構面白い。途中、「ふじのや」という甘味処に入り、骨董機械で作るかき氷を食べた。とても美味しい。1960年頃の駅前の写真が飾ってあったが、今とは全く違うので吃驚。なんとも長閑である。
 それから更にその市場を散策、18k台座のトルコ石のピアスを買ったりする。そして自由通りを駒沢方面へ随分と歩き、「ヴィヴァーチェ」というミカン女史行きつけの珈琲豆屋さんへ。僕は珈琲は全然判らないのだが、ここは各種揃った豆をその場で好みの状態に焙煎し、挽いてくれると言う本格的なお店で、しかも随行全員に珈琲と珈琲ゼリーを振舞ってくれた。とても感じがいい。ゼリーも美味しかった。
 お店を出ると、自由が丘方面に戻りつつ、途中目黒通りの古風な煙草屋など見て回る。この辺り、阪神間同様昭和初期に開かれた「郊外住宅地」なのだが、ところどころ農家の造りの民家があるのには驚いた。また、洋館なども点在している。
 みかん邸にちらと寄ってから、今度は駅近く、「レピドール」というケーキ屋さんがやってる夏季限定アイスクリームショップ、「ラ・リーシェ」へ。僕はラム・レザンとキャラメル・サレを食したが、特に塩キャラメルが大変に美味であった。
 そして自由が丘駅から全員で東横線急行に乗って渋谷で解散。僕はリュミ女史と新宿に行って、小田急電車新宿駅西改札で甲麓庵メンバーワカメ女史、そしてマイミクのおおはら准教授及びそのお友達のウェンディ氏と合流、新宿NSビル一階のイングリッシュパブ、「薔薇と王冠」へ入る。遅れて花女女史、龍丸君も合流して、五人で晩餐である。みんなで切り分ける大きなローストビーフが圧巻であった。
 十時過ぎに店を出て、解散。僕とリュミ女史と龍丸君は今日も埼京線で武蔵浦和へ戻る。僕は浦和に戻ってからくれぴと長電話。

●七月十七日(火)・・・朝一番に起きて、必死で身支度して、大荷物を持って一人で出発、まずは埼京線で渋谷へ。更に地下鉄銀座線に一駅だけ乗って表参道で下車。ミクシィで声をかけてくださった出版社のG社長と顔合わせ。一時間ほどお話しする。
 そのあと大慌てで歩いて宮益坂上へ。今度はマイミクのうーちゃんと、現在進行中の企画について打ち合わせ。昨日は丸々オフだったのに、今日は朝から仕事がぎっしり詰まってしまった。
 うーちゃんと別れたあと、渋谷駅まで歩いて山手線で新宿に行き、大荷物をロッカーに入れる。そして小田急百貨店の地下で近江八幡「たねや」のお菓子を買ってから、歩いてホテルセンチュリーハイアットへ。地下鉄で一駅あるので、結構時間がかかってしまったが、一時ジャストにはロビーに到着、マイミクのこまち坊さんと合流した。
 そしてホテルの地下の大宴会場で、詳述は避けるがなんとも香ばしいイベントを見学(^_^;)、まぁある種「見もの」であったことは間違いない。
 終了後こまち女史とタクシーで「新宿中村屋」へ移動。名物のカレーを食べてから、電通のI氏をご紹介頂く。龍丸君もやってきて、みなで会食となった。
 解散後、龍丸君と新宿二丁目に行き、例のお菓子を持って尾辻かな子女史の選挙事務所に寄る。陣中見舞いである。
 新宿三丁目駅で解散。地下鉄新宿線、浅草線を乗り継いで、羽田空港に着いてみたらまた神戸行きの出発が三十分ほど遅れていたので、結構時間が余ってしまった。
 神戸に着いたらもう十時前なので、どこにも寄らずまっすぐに帰宅。さすがに疲れた。

●七月十八日(水)・・・さすがに疲れてて、昼まで寝てしまった。夜、久しぶりの「ムジカ」でヒロポンと水曜茶会。
★今日の訃報

<訃報>日本共産党元名誉議長の宮本顕治氏死去、98歳
(毎日新聞 - 07月18日 15:51)
宮本顕治・共産党元名誉議長 
宮本顕治・共産党元名誉議長 
 日本共産党元名誉議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。
 1958年に書記長に就任し党の実権を掌握。(1)国会で多数派を形成し政権を目指す平和革命(2)外国の共産党の影響を受けない自主独立路線−−に代表される「宮本路線」(綱領路線)を推し進め、現在の共産党の基礎を築いた。1997年を境に党の活動の一線から退いた。その後、党指導部は綱領見直しなど柔軟路線を進める一方で、宮本氏が敷いた基本路線を維持している。戦前、戦後を通して日本の左翼運動の一翼を担ったカリスマだった。
 宮本氏は08年、山口県光井村(現在の光市)の肥料米穀商の長男として生まれ、旧制松山高校から東大経済学部に進んだ。東大在学中の29年に芥川龍之介を批判した「敗北の文学」で雑誌「改造」の懸賞文芸評論1等になり、以降プロレタリア文学運動の理論的担い手になった。
 共産党入党は31年。翌年、党員文学者の故宮本(旧姓中条)百合子さんと結婚、間もなく地下に潜った。33年に中央委員となったが、同年暮れにいわゆる「スパイ査問事件」で逮捕され、治安維持法違反などで終戦直後の45年10月まで、網走刑務所などで12年近い獄中生活を送った。この間、非転向を貫いた。
 戦後45年12月の第4回党大会で、再び中央委員に。徳田球一書記長(当時)らと対立し一時反主流派に身を置いたが、党再建を図る58年の第7回党大会で書記長に選出され、70年に幹部会委員長、82年に議長に就任。この間不破氏らを要職につけ、最高実力者の地位を確立した。77年から、参院議員を2期。94年6月に一過性脳虚血発作で入院してから体力の衰えが目立ち、97年9月の第21回党大会で名誉議長となり、一線を退いた。同大会直後の10月の常任幹部会に出席した後、公の場に姿を見せておらず、2000年11月の第22回党大会ではほかの名誉職と横並びの「名誉役員」となった。
 対外的には旧ソ連、中国の両共産党と距離を置く「自主独立」路線を確立。特に中国共産党とは66年、ベトナム侵略に反対する国際的な統一行動にソ連を入れるべきでないと主張する毛沢東主席(当時)に対し、訪中した宮本氏が強く反発して会談が決裂。その後、関係断絶に至ったが、不破氏が98年7月に訪中、江沢民総書記と首脳会談を行い、32年ぶりに関係を正常化した。
 国内的には、議会重視の平和革命路線をとり、民主主義に対立する「プロレタリアート独裁」の用語を党綱領から削除、「マルクス・レーニン主義」も「科学的社会主義」に置き換えた。ソ連・東欧の共産主義政権崩壊の際は「ソ連型社会主義の敗北で、日本共産党は違う」と強調、党員の動揺を抑えた。

 明治生まれのカリスマがまた一人消えた。
★今日の入会
http://www.geocities.jp/afi_651/このサイトのhttp://www.geocities.jp/afi_651/otonano11.htmlここに載せてもらった。
★今日のやらせ

「段ボール肉まん」はやらせ、中国TVが謝罪
(読売新聞 - 07月18日 23:32)

 【北京=佐伯聡士】豚肉の代わりに使用済み段ボール紙を詰めた肉まんが北京市内の露店で違法に販売されていたと北京テレビが報道し、市公安局が調査した結果、テレビ局の“やらせ報道”であることがわかったと、市政府系のインターネット・ニュースが18日伝えた。
 これを受けて、北京テレビは「管理が行き届かず虚偽の報道をしたことで社会に良くない影響を与えた」と謝罪したという。
 同ニュースによると、市公安局の調べでは、6月中旬、北京テレビの番組「透明度」の臨時職員が自ら持参した肉や段ボール紙などを出稼ぎ労働者ら4人に渡した上で、水に浸した段ボール紙を肉に混ぜて肉まんを作らせた。その過程を自分で撮影し、編集、放映し、国内外で大きな反響を呼んでいた。

 東京旅行中もすごく話題になってたのに、実につまらない。

●七月十九日(木)・・・明け方、ゴミを出してから寝る。東京から帰ってから疲れているはずなのにあまり眠れない。
 夕方、神戸へ向かう。既に特急が停まる時間帯だったので、そのまま特急に乗って三宮へ。
 北野坂を歩いて登ると、さすがに暑い。今日は真夏日にならなかったはずだが、それでもスーツにオッドベストという服装では神戸の坂はきついのだ。ちょっと探したが、六時半には「ノアアンティーク」に到着した。ヤフオクで素敵な細工の黄銅製懐中時計鎖を落札したので、郵送してもらわず直接受け取りにいったのだ。オーナーはロマンスグレーの紳士だった。時計がご専門なだけに話が弾んだが、なんと上海ご出身とのこと。僕と共通点が多いのには驚いた。
 七時過ぎには辞去し、今度はハンター坂を下る。そのまま元町の「ムジカ」に行ってもよかったのだがお腹がすいたので、地下にありながらとても古風な昭和レトロ市場であるセンタープラザ西館の三宮市場に入ってみて、定食屋で紫蘇チーズチキンカツ定食を食べた。
 それから「ムジカ」に入ったのが八時過ぎ。閉店の十時まで優雅なティータイムを過ごす。
 十一時前には帰宅。気がつけば、くれぴと付き合いだして丸三年である。

●七月二十日(金)・・・午後、くれぴが帰省してくるので、車を出して西宮北口駅まで迎えにいき、まっすぐ帰宅。外出はそれと、そのあとダイエーに行ったのみ。

●七月二十一日(土)・・・夕方まで家で待ったり過ごす。
 六時半、くれぴと一緒に出発、特急で梅田へ。そこで「銀聲」のC編集長と合流、まずは食事と第三ビルへ向かうが、「はがくれ」が閉まっていたので代わりに「うどん棒」といううどん屋に入ってみた。味は悪くない。そして大盛りにしたら物凄い量だった。
 その後そのまま三人で「ムジカ」へ。みな満腹のはずなのに、三人ともケーキセットを頼んでしまった。閉店まで優雅にお茶。
 みなで阪神特急で帰宅し、そのまま車を出してC君を送り、帰りがけちょっとドライブしてから、夙川の「バーミヤン」へ。くれぴが冷麺を食べたいといったのだ。すごい食欲である。
 一時頃帰宅。

●七月二十二日(日)・・・夕方からくれぴと外出。梅田に出て、更に地下鉄谷町線に乗って天六へ。かつてはふきよせうどんが名物だった古い古い食堂を改装した骨董カフェ「和み屋」でヒロポンとその弟子と合流した。僕らはハヤシライスを食す。
 その後ゲイタウン堂山を通って梅田まで歩き、ヨドバシカメラへ。電化製品、そして服を見る。僕はスーツカンパニーで麻の襟付きオッドベストを購入。懐中時計を提げるのに丁度いい。
 新梅田食堂街の洋食屋「マルマン」で食事をして、ヒロポンたちと解散。そして僕は阪急梅田の改札までくれぴを見送ってから帰宅。

●七月二十三日(月)・・・夕方出発、地下鉄四つ橋線で岸里まで行き、鍼灸院へ。
 帰りは天下茶屋までまっすぐ北上、駅前で饂飩を食べてからぎざぎざと北西へ向かい、芦原橋駅から環状線に乗って帰宅。芦原橋駅周辺、同和対策事業のやりすぎで単なる高層アパート群となってしまい、景観として味気なく殺風景なことこの上ない。こんなひどい街づくりが「改善」のはずはないのだがなぁ。

●七月二十四日(火)・・・実にだらけた一日になってしまった。夜、「ムジカ」にいった。
★今日の支持政党
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/07saninsen/votematch/

 毎日新聞のサイトで、21の質問に答えたら自分の立場と参院選に候補を出している政党との一致度が判る、という「毎日ボートマッチ」というのがあったのでやってみたら、
共産党 73%
社民党 66%
新党日本60%
民主党 50%
国民新党46%
第二与党45%
第一与党34%

という結果であった。糞民主党なんかと五割も合致したのは甚だ不本意かつ不愉快である。

●七月二十五日(水)・・・今日は昨日と違って仕事はしたが、夕方まで在宅。歯医者の予約に行って、ダイエーに行って、それから「ムジカ」へ。昨日梅雨が明けたのだが、とても蒸し暑い一日であった。

●七月二十六日(木)・・・夕方まで書斎で仕事。
 六時半に出発して、梅田から地下鉄四つ橋線に乗って四ツ橋で下車。アメリカ村のクラブ「ユニオン」へ。今日は藤田部会の解散パーティーなのである。懐かしい面々と再会し、十時前まで楽しんだ。マイムマイムを踊るなんて久しぶりである(笑)。
 終了後、哲子さんが話を聞いて欲しいといっていたので二次会に行かずに梅田に戻ったのに、結局延期に。そのまま帰宅。暑い。

●七月二十七日(金)・・・虫歯が悪化したので、午後歯医者へ。久しぶりである。そのあと「ムジカ」へ。
★今日の駅弁大学

山形大学長に前文科次官=「天下り」と学内から批判も
(時事通信社 - 07月26日 21:10)

 山形大学は26日、仙道富士郎学長(69)の任期満了に伴う次期学長として、文部科学省の前事務次官結城章夫氏(58)を選出したと発表した。選考過程をめぐり、他の候補者からは「天下りだ」との批判が出ている。
 新学長は、学内意向聴取と呼ばれる教職員による投票で3人に絞られた後、学長選考会議で選出された。任期は2007年9月1日から11年8月31日まで。
 

 ヒロポンの毒舌が楽しみであるww
●七月二十八日(土)・・・昼過ぎには起きる。ものすごく暑い。
 二時過ぎに出かける。特急で御影に行き、そこから渦森台行きの市バスに乗るが、発車までエンジンがかかっていないのに窓も開いていないので、サウナ状態であった(>_<)。
 ようやく発車して、白鶴美術館前で下車。子供の頃はボンネットバスだった路線である。バス停からすぐ近くの「旧乾邸」に入る。今日はこの豪邸の一般公開日なのだ。そこで新マイミクのヨーコ女史と偶然に会って、同じく新マイミクのニュートン氏に案内して頂く。滅茶苦茶暑い日なのに、このお屋敷は風通しがよくて涼しい。
 四時過ぎには公開終了。ヨーコ女史と小寺邸、武田長兵衛邸、蘇洲園と住吉山手の豪邸を見つつ阪急御影駅まで下り、阪急電車に乗って三宮で下車、元町の「ムジカ」へ。
 ゆっくり二時間余もお茶して、解散。更に僕は新しく開店したばかりの阪神百貨店三宮店など見て、そのビルの塔蓄音機店にてヴィヴァルディのCDを買って帰宅。
★今日の不思議にゃんこ

米国:最期をみとる?ネコ ロードアイランド州

不思議な能力を持つネコ「オスカー」=AP
 【ワシントン大治朋子】米東部ロードアイランド州プロビデンスで、看護・リハビリセンターのネコが患者の最期をみとるような不思議な行動を繰り返し、全米の注目を集めている。オスカーと呼ばれる雄ネコ(2歳)の「特別な能力」は、世界的な医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」(7月26日発行)のコラムでも紹介された。
 コラムを書いた老人病専門医のデビッド・ドーザ・ブラウン大准教授によると、オスカーは野良猫で、生まれて間もなく同センターの職員に拾われた。認知症やパーキンソン病の患者が入所するこの施設には、多くの末期患者がいる。
 オスカーは3階の認知症患者の病棟で暮らし、1年半前ごろから患者の病室を毎日くまなく歩き回るようになった。日ごろは人に近づかないのに、時折、ベッドに飛び乗り、患者の臭いをかいでのどを鳴らすことがあった。その3〜4時間後に患者が亡くなるケースが相次ぎ、「オスカーが患者の最期を伝えている」と職員の間で話題になったという。
 ドーザ氏は毎日新聞の取材に対し「オスカーはこれまでに25回、こうした特異な行動で職員にメッセージを伝えた。職員は家族に連絡を取り、多くの家族が患者の最期を見届けることができた。オスカー自身も患者の最期をみとろうとしているようだ」と話している。
 同氏によると、医学的な根拠などは不明。家族が遠方に住んでいたり、見舞いのない患者の場合、職員とオスカーだけで最期をみとることも多いが、駆け付けられた家族の多くはオスカーに感謝しているという。
 オスカーは昨年3月、地元のホスピス協会から「多くの患者の最期をみとった」などとして、施設に贈られる賞を受賞した。しかし、授与されたのは表彰状だけで、食べ物などのごほうびはなかったという。毎日新聞 2007年7月29日 21時44分 (最終更新時間 7月29日 21時52分)

 とても可愛い。

●七月二十九日(日)・・・ひねもすくれぴとまったり過ごす。八時前、寝ているくれぴをする番に上院選挙の投票に行った。
 深夜というかもはや早朝というべき四時過ぎ、土砂降りの雷雨の中をくれぴと車で出発、京都へ向かう。寮まで送ってあげるのだ。丁度雷雲と一緒に移動することになってしまい(笑)、ずっと土砂降りの中、西国街道171号線を高槻まで走り、枚方大橋を渡って一号線に入った。八幡市辺りでようやく雨が上がり、「やよい軒」があったのでそこで二人で食事。ラジオではずっと選挙速報をやっているが、与党の歴史的大敗で実に気持ちがいい。しかし「セクシュアルマイノリティは票にならない」ことも立証されてしまい、これについてはちょっと複雑。ヒロポンからは「すがすがしい朝」というメールが届いたww。それにしても、改めて東郷健先生の偉大さを知るのであった。
★今日の訃報
<訃報>ベルイマンさん死去 スウェーデンの世界的映画監督
(毎日新聞 - 07月30日 20:42)
 「野いちご」「ファニーとアレクサンデル」などで知られる、スウェーデンの世界的映画監督、イングマール・ベルイマンさんが30日、同国・ファロの自宅で死去した。89歳。娘のエバ・ベルイマンさんが地元TT通信に語った。「静かに息を引きとった」という。
 ベルイマンさんは牧師の家に生まれ、演劇の演出から映画界に入った。1946年に監督デビューし、55年「夏の夜は三たび微笑む」がカンヌ国際映画祭で「詩的ユーモア賞」を受賞して世界的知名度を得た。以後、人間の愛と憎しみを描いた「第七の封印」(56年)、「野いちご」(57年)、「処女の泉」(59年)や、神の沈黙”三部作の「鏡の中にある如(ごと)く」(61年)、「冬の光」(62年)、「沈黙」(63年)など、宗教と人間をテーマとした形而上的な作風の秀作を発表。「野いちご」でベルリン国際映画祭金熊賞、「鏡の中にある如く」で米アカデミー外国語映画賞などを受賞している。
 82年、「ファニーとアレクサンデル」を最後に劇場用映画から引退を宣言。その後もテレビや演劇で活躍したが、03年に「サラバンド」で映画復帰、これが遺作となった。
 私生活では5度結婚し8人の子供がおり、多くは監督や女優など、映画やテレビなどで活躍している。【ロンドン町田幸彦、勝田友巳】
 ▽映画評論家、品田雄吉さんの話 宗教的な厳格さを感じさせる一方で官能性もあり、そのせめぎあいが魅力だった。深い思索を素晴らしい映像で描き、難解なようでいて生の人間も感じさせた。多作の上に演劇でも活躍するなど、旺盛な生命力は類を見なかった。後継者がいないのが残念だ。
 「ファニーとアレクサンデル」は大好きな作品だった。

●七月三十日(月)・・・ローソンに寄って、くれぴが買ってくれたアイスクリームを一緒に食べてから、八時過ぎにはくれぴの寮に到着。名残惜しいがさよならして、帰路につく。
 丸太町通りを延々と西進して、嵐山から渡月橋を渡り、桂から九号線に入るが、とにかく道が混んでいる。亀岡から峠を越えて池田市に入ったところで眠気がピークに達し、「ジャパン」の駐車場に停めて二時間ほど寝てしまった。よって甲麓庵に帰宅したのは一時頃であった。
 あとは夕方まで書斎に籠もっていたが、今日はわりと涼しい。
 五時半に歯医者に行って、抜歯、そして抜かない歯も一本神経を抜いて、二時間あまりもかかる大治療になってしまった。麻酔をいっぱい打ったにもかかわらず滅茶苦茶痛くて、治療中に早くも鎮痛剤を飲まされることに。
 帰宅後も血が止まらず、口の中に常時血の味がする(>_<)。八時過ぎには出発して、特急で梅田へ。「ムジカ」に行くが、ホットティーを飲む気がしないので、アイスシチュードティーを注文した。とにかく歯が痛い。
 閉店後、久しぶりに裕二から連絡があったので東梅田でチラッとあって貸していたものを返してもらった。
 十一時過ぎには帰宅。深夜にどうしようもなくお腹がすいたので焼きそばを食べたが、痛くて殆ど味わうことができなかった。明日はみなでまむしを食べに行くのに、どうなることやら心配である。

●七月三十一日(火)・・・やっぱり、起きてみてもまだまだ物を食べられる状態ではない(>_<)。
 四時半頃、四国からなおへー爺がやってくる。久しぶりである。六時前には一緒に出発、阪神特急、阪急快速急行を乗り継いで七時半には河原町に到着。風太語推奨の老舗「かねよ」の前に行ったら、なんと丑の日の翌日なのに臨時休業!!!!!! がっかりである。いつかリベンジせねば。
 くれぴは風邪でダウンしているので、今日の残るメンバーは風太、八歳児夫妻である。二人とはそこで合流、どこに行こうか協議。
 しょうがないので河原町三條の「すしろー」に行ってみたらすごい行列。なのでその近くの「武蔵」という回転寿司に入って、お茶を濁した。
 九時過ぎには解散。今夜は甲麓庵に泊まるなおへーと阪急、阪神と乗り継いで帰宅。
 更に車を出し、浜田温泉に行き、ガストで甘いものを食べてから一時過ぎに帰宅。

更新履歴

●「写真ギャラリー」の「第十五章 伯爵のお気に入りグッズ」に四ページ目を追加。(7月19日)

●「写真ギャラリー」の「第十五章 伯爵のお気に入りグッズ」に五ページ目を追加。(7月20日)

●「写真ギャラリー」の「番外・共同管理人団及びその友人のポートレートW」に四ページ目を追加。(7月21日)




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