静岡県の御殿場市にある太平洋クラブ・御殿場コースを舞台に行われた「WGC-EMCワールドカップ」のファイナルラウンド。
2日目と同じく1つのボールを交互に打っていくフォーサム方式で行われた大会最終日は、4チームによるプレーオフという大激戦。
この歴史に残る戦いを、E.エルス・R.グーセンという2人の全米オープンチャンピオン擁する南アフリカチームが制覇し、1996年以来となる4度目の栄冠を手にした。
日本チームは、最終日に大逆転を狙ったが、イーブンパーの72とスコアを伸ばせず、通算18アンダーの11位タイに終わった。
しかし、世界の強豪を相手に最後まで諦めないプレーを見せてくれた、伊沢利光・丸山茂樹の2人には健闘を讃えて賞賛の言葉を贈りたい。
「チームジャパンが2位タイの好位置へ浮上!」 2001年11月15日〜18日
「WGC-EMCワールドカップ」の第2ラウンド。
この日は1つのボールを交互に打っていくフォーサム方式。前日のフォーボール方式(お互いのボールを打ち、良い方のスコアを採用する)とは違い、なかなかスコアが伸びにくいこの方式を見事克服し、我らがチームジャパンが3アンダー68でラウンド。通算11アンダーとし、前日の6位タイから2位タイへと順位を上げた。
日本チームは、全米オープンチャンピオンのE.エルスとR.グーセン擁する南アフリカチームとのラウンド。 スタートホールの1番で丸山がティーショットを左に引っかけてしまい、あと3メートルも転がれば池に入ってしまうというピンチに見舞われる。 しかし、約2メートルという微妙なパーパットを伊沢は執念でねじ込み、これで日本はリズムにのった。
前日に8つのバーディを叩き出した伊沢は、この日も好調を持続。パートナーの丸山を上手くリードし、フォーサム方式を乗り切った。 「2日目のフォーサム方式でいかにスコアを伸ばすかがポイント」と話していた伊沢・丸山の両選手。
この日の3アンダー69というスコアには満足しているようで、丸山が切れそうになったところでは、伊沢が声をかけるなどして上手くフォローするなど、2人の息はピッタリ。
日本以上に抜群のコンビネーションで順位を上げてきたのが、ディフェンディングチャンピオンの米国だ。 後半になるにつれ、徐々にリズムに乗ってきたT.ウッズ、D.デュバルの2人は、10番、11番で連続バーディを奪うなど、この日は4アンダー68でラウンド。通算10アンダーまでスコアを伸ばし、前日の11位タイから4位タイへ順位を上げ、優勝圏内につけた。 昨年大会も、この2日目のフォーサム方式で順位を上げた実績があるだけに、終始2人には余裕が感じられ、この結果はまるで予定通りと言った表情でこの日のラウンドを終えた。
バーディをとっても当たり前の表情をしている彼らを見ていると、競馬で例えるなら本命馬がまだ周りの様子を見ながら走っているかのように見える。 「明日は、とにかくたくさんのバーディを奪い、トップのニュージーランドを追いかける」と初日は上手く機能しなかったフォーボール方式で、一気に首位の座を狙うつもりだ。
果たして優勝争いに向け、キーポイントとなる明日のフォーボール方式でバーディを量産するのはどのチームなのか、第3ラウンドも目が離せない展開になりそうだ。
日本にゴルフが伝来してちょうど100年の節目の年に、世界のトッププレーヤー達が母国の名誉をかけて戦うために日本へと集結しました。
宮崎県のフェニックスカントリークラブを舞台に、ジャパンゴルフツアー「ダンロップフェニックストーナメント」が開幕した。初日単独首位の好スタートを切ったのは、全英オープンチャンピオンのD.デュバル、6アンダー65をマークし、メジャーチャンピオンの実力を遺憾なく発揮した。
今回のメインスポンサー「EMC」とはエンタープライズ・ストレージ・システムの略で、ネットワーク管理ソフトウェア、ソリューションを通じて情報インフラ・ストラクチャーを構築する製品、サービスを提供するIT業界のリーダー企業であるEMCコーポレーションのことである。
日本ゴルフツアー機構は2002年の競技日程を発表しました。提供はGOLPARA
主な出場選手は、今年の全米オープンチャンピオンで、現在欧州ツアー賞金ランキングトップのR.グーセン(南アフリカ)をはじめ、そのグーセンと11月のワールドカップで、南アフリカ代表としてコンビを組むE.エルス。
昨年の大会成績と、過去に活躍のチームJAPAN 11月15日〜18日 太平洋クラブ御殿場
昨年2000年の大
会最終日。 2位以下に3打差をつけ30アンダー単独首位でスタートした、米国チームのT.ウッズ・D.デュバル組が、4アンダー68をマーク。 通算34アンダーで、2年連続23度目の栄冠を手にした。
3日目でようやく単独首位に立った米国だったが、初日、2日目ともう一つ調子に乗れなかった原因はウッズの不調にあった。
熱狂的なファンの声援に集中力を欠き思うようなプレーが出来ずにいたウッズだったが、そこは世界ナンバー1の男。
このまま終わるわけには行かない。3日目には、1イーグル、5バーディを奪う猛攻で完全復活。
そして迎えた最終日。スタートホールの1番のセカンドショットをいきなり50センチに着けるスーパーショットで、追いかけてくる他国に先制パンチを放った。その後もウッズ・デュバルの2人は、息のあったプレーでスコアを伸ばし、他国を圧倒。大会連覇を果たした。
また首位と12打差の通算18アンダーの9位からスタートした丸山茂樹・田中秀道の日本チームは、4アンダー68でラウンド。通算22アンダーで4位に入り2001年開催国の意地を見せた。
過去には、1957年に東京・霞ヶ関カントリークラブで行われた第5回大会で、中村寅吉・小野光一組が見事優勝、日本に第1次ゴルフブームをもたらした。 1953年の第1回大会を除いて全て参加している日本は、トップ5に15回入るという輝かしい戦績を残している。 青木功・尾崎将司組や、尾崎将司・尾崎建夫組という、もう1度見てみたい夢の組み合わせもあった。 昨年、アルゼンチンで開催された46回大会では、丸山茂樹・田中秀道組が4位に入る健闘を見せ、日本が世界レベルに追いついてきていることをアピールした。
今年は世界の強豪を迎え撃つことになる日本。44年ぶりの優勝という快挙を達成することができるか
チーム・ジャパンの活躍に期待したい。MSK

日本にゴルフが伝来してちょうど100年の節目の年に、世界のトッププレーヤー達が母国の名誉をかけて戦うために日本へと集結します。
15アンダー単独首位からスタートした伊沢利光が、3アンダー69でラウンド、通算18アンダーで大会連覇に成功した。 この日の伊沢は4バーディ、1ボギーの69という内容。師匠である尾崎将司とのラウンドということで、朝から気合いの入っていた伊沢は、前半の9ホールを3バーディ、ノーボギーという完璧な内容で折り返していった。 後半の15番パー4で、この日初めてのボギーを叩き、後続に迫られる場面もあったが、勝負所の17番パー3でバーディを奪うなど、これが世界レベルだというゴルフを見せつけ優勝を手にした。 2位以下に2打差をつけての大会連覇となったが、ゴルフの内容から言えば2打差以上のものがあったように感じた。 これで伊沢は11月に、この御殿場コースで開かれるワールドカップに向け、大きく弾みをつけることになった。 米ツアーで活躍中の丸山茂樹とチームを組むことが決まっており、世界の強豪を相手に日本最強コンビがどんな戦いを見せてくれるのか。チームジャパンの活躍を期待させるのに十分な今回の伊沢の優勝となった。 またこの日、伊沢に独走を許さず最後までプレッシャーをかけたのが、アマチュアの宮里優作(東北福祉大3年)だ。 首位と4打差の11アンダー6位タイからスタートした宮里は、4番パー3で池に落としてしまい痛恨のダブルボギーを叩いてしまうものの、その他は完璧な内容。7つのバーディを奪う快進撃で通算16アンダー2位タイに入る大活躍を見せた。
宮城県のレインボーヒルズカントリークラブを舞台に行われた、日本女子ツアー「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」のファイナルラウンド。
首位と1打差の2アンダー2位タイからスタートした木村敏美が、1アンダー71でラウンド。通算3アンダーでツアー7勝目を飾った。
この日の木村は4バーディ、3ボギーの71という内容。首位を走る瀬川佳世をなかなか捉えることが出来ずにいた木村だったが、終盤の17番パー3で瀬川に並ぶと、最終18番パー4では見事にバーディを奪取。
初優勝を狙う瀬川とツアー6勝をあげている木村との、経験の差が出た形となった。
11アンダー単独首位からスタートした片山晋呉が5アンダー66でラウンド、通算16アンダーでツアー10勝目という節目の勝利を完全優勝で飾った。
台風の影響もあり、1ホールごとにめまぐるしく天候が変わるという難しいコンディションの中、片山は全く集中力を乱すことなく着実にスコアを伸ばしていった。
一昨日の夜、巨人軍の清原選手から「俺も頑張ってペタジーニ(ヤクルトスワローズ)に勝つから、お前もジャンボさん達を倒して優勝をもぎとれ」と応援メールをもらい、非常に励みになったという片山。
D.クラークや尾崎将司といった強豪を相手に、片山は中盤から徐々に地力を発揮。
プレッシャーを感じるどころか逆にその状況を楽しんでいるかのようなプレーで今季3勝目を飾り、清原選手の言葉にこたえた。
誰がスコアを伸ばしてきても、決して動じることなく自分のスタイルを崩さない今日の片山のプレーは、まさに世界の片山と呼ぶにふさわしい姿であった。
昨年はプロ16年目のベテラン真板潔が、涙のツアー初優勝を飾った。 最終日、首位の桧垣繁正と1打差の11アンダー2位からスタートした真板は、初優勝への重圧からか思うようにスコアが伸ばせないでいた。 しかし首位スタートの桧垣が7オーバーの78とスコアを大きく崩したため、真板はこの日追い上げを見せた今野康晴に2打差をつけ最終18番ホールを単独首位で迎えた。
ジャパンゴルフツアー「日本プロゴルフマッチプレー選手権プロミス杯」の大会最終日。決勝戦の36ホールマッチが行われた。
大会史上初めてとなった外国人同士の決勝は、今年の日本プロのチャンピオンで今回2つ目の日本タイトルを狙うD.ウィルソンと、昨日の3回戦でマッチの鬼・谷口徹を敗るなど好調なゴルフを展開し勝ち上がってきた林根基との対戦となった。
北海道のニドムクラシック・イコロコースを舞台に、ジャパンゴルフツアー
オハイオ州・アクロンのファイヤーストーン・カントリークラブを舞台に、世界のトッププレーヤー39名だけが出場して開催されているエリートトーナメント、ワールド・ゴルフ・チャンピオンシップ「NEC・インビテーショナル」のファイナルラウンド。
ジョージア州デュルースのアトランタアスレチッククラブを舞台に開催されている、今季のメジャー最終戦
3アンダー11タイからスタートした片山晋呉が大爆発!7バーディ、1ボギーの6アンダー64をマークする猛攻で通算9アンダーへとスコアを伸ばし、通算8アンダーで悲願のメジャー制覇に燃えるP.ミケルソンを抜き去り首位に立った。
先の全英オープンで、キャディのクラブ数確認ミスのため2ペナルティを受け、目の前まで迫っていたタイトルを逃してしまったI.ウーズナム(ウェールズ)が、ついに問題を引き起こしたキャディ(マイルス・バーン氏)を解雇した。
鮮やかすぎる逆転劇だった‥。5アンダー9位タイからスタートした韓国の朴セリが6アンダー66という会心のラウンドで通算11アンダー、プレッシャーがかかりスコアを伸ばせない上位勢を後目に一気に抜け出しお先にホールアウト。全英女子オープンの初代チャンピオンに輝いた。
北アイルランドのロイヤルカウンティーダウンGCを舞台に開催されている全英シニアオープンのファイナルラウンド。
4アンダー単独首位からスタートしたオーストラリアのI.スタンレーが2つスコアを伸ばして通算6アンダー、最終ホールでB.チャールズに並ばれたが、プレーオフの末にこれを撃破。先月のデビアホテルPGAシニア選手権に続く今季2勝目を生涯最高のビッグタイトルで飾った。
スタンレーは、最終18番ホール(パー5)を迎えた時点で通算7アンダー、チャールズを1打リードして優勝に王手をかけていた。だがここで痛恨の3パットボギー。自らのミスで通算6アンダーへとスコアを落としてチャールズに並ばれてしまった。
相手のチャールズは、全英シニアオープンという大会の縁なのか、先週行われた全英オープンの歴代チャンピオン。それもロイヤルリザム&セントアンズでのチャンピオンだ。
流れとしてもチャールズは3つスコアを伸ばして追いついてきた側だけにいい感じ、スタンレーは一気に不利になってしまった。
今回の優勝のハイライトには、激しいガッツポーズや、キャディとの涙の抱擁、スタンドへのウイニングボールのトス、というお約束の感動的なシーンはない。
そこにはただ、最終組で共に戦ったB.ランガーとの健闘をたたえ合う握手、そして帽子を取ってギャラリーに少しはにかんだ笑顔で振りかざすシーンがあるだけだ。
いよいよ21世紀最初の全英オープンが始まる。全英オープンは19世紀の中頃、1860年にプレストウィックGCを舞台に始まり、今年の開催で130回を数える世界最古のメジャートーナメントだ。 過去の歴史の中では、トム・モリス親子、バードントロフィーにその名を残すハリー・バードン、球聖ボビー・ジョーンズ、G.プレーヤー、A.パーマー、帝王J.ニクラス、新帝王T.ワトソン、S.バレステロス、G.ノーマン、そして昨年のT.ウッズと錚々たるチャンピオンを排出、ゴルフの歴史そのものと言ってもいいだろう。
ウィスコン州ミルウォーキーのブラウン・ディアパーク・ゴルフコースを舞台に開催されている、PGAツアー「グレーター・ミルウォーキーオープン」の最終ラウンド。
13アンダー2位タイからスタートした丸山茂樹が5アンダー66と猛チャージ。通算18アンダー、C.ハウエルとのプレーオフを制して鮮やかな米ツアー初優勝を飾った。
日本人選手の米ツアーにおける優勝は、1983年ハワイアンオープンでの青木功以来のことで実に18年ぶりの快挙、世界のマルちゃんが最高の笑顔で大歓声に応えて見せた。
この日の丸山は前半から猛チャージ。4番、6番とバーディを決め、8番ではなんとイーグル、アウトを4アンダー31で折り返しスコアを17アンダーへと伸ばした。
現在チャンピオンに手渡されている銀製の赤ワイン用ジョッキの優勝カップは実は1928年に作られたもので、この優勝カップ自体は毎年前年チャンピオンから返還されて大会終了直後に新チャンピオンに渡されてきた。前チャンピオンはこのジョッキの複製を手にするのがしきたりであった。
1860年にスタートした全英オープンの優勝カップは、この銀製の赤ワイン用ジョッキの優勝カップが出現する前はどんなものであったのだろうか?
実は、全英オープンがプレストウィックGCで開催されていた頃は優勝カップではなく、銀の飾りとバックルの付いた幅広の革製ベルトだった。ところが全英オープンがR&Aセントアンドリュース、エジンバラ・ゴルファーズとプレストウィックGCの共催になった翌年の1873年から共催3者がお金を出し合って優勝カップをチャンピオンに渡すことになった。
毎年カップを作成するのもどうか、と言うことでボビー・ジョーンズが優勝した翌1928年から持ち回りの現カップが出現したわけである。例年、チャンピオンも本物のカップを返還する前に複製を作ってもらっている。
チャンピオンがこのカップに赤ワインを入れて乾杯したのは当然のことながら、リー・トレビノのようにベッドに持ち込んでいるところを写真に撮らせて物議をかもしだしたこともある。実物を見てみると、他のメジャーの優勝カップに比べふた回りも小さいのに驚かされる。
monster
ウェンディ・フライシャーは、夫との頭脳プレイがいつ頃始まったのか、もう覚えていない。マイアミ大学で心理学を専攻していたウェンディは、PGAツアーに始まって現在のシニアPGAツアーに至るまで、夫のブルースに、ゴルファーとしての自分を信じるよう訴えつづけてきた。 「夫にこう言うんです。『あなたは素晴らしいゴルファーなのよ、わかってる?』って」 セーラム・カントリー・クラブで行われた2001年全米シニア・オープンで、7月1日、遂に夫が勝利を決めた直後、ウェンディはそう語った。 「彼が自分に自信を持つためには手助けが必要でした」とウェンディは言う。
「これまでの人生色々なことがあったわね、って彼に語りかけたわ」 数十年前、ウェンディは出産で命を落としかけた経験がある。入院中昏睡状態に陥り、回復するまでには時間がかかった。その他多くのカップル同様、彼らも様々な荒波を乗り越えてきたのだ。
ウェンディ・フライシャーは時として、自分がフロイトになったような気がしてくるそうだ。
「私は、ゴルファー全員の中に潜む悪魔と闘っています。それは自分のセルフ・イメージという悪魔」とブルース・フライシャーは語る。「外部からの様々な要素に影響されやすいんです。その結果、自己評価と、周囲の人々の評価がせめぎ合う・・・。」
シニアPGAツアーで2人にチャンスが与えられたのは、これで2度目だ。ゴルファーとして、フライシャーは14回の優勝経験がある。1999年以降600万ドル以上を稼ぎ、一生経済的に安心できるだけの額を手に入れた。
フライシャーは、今回初めてシニアのメジャータイトルを獲得した。フィラデルフィア州ベツレヘムのソーコン・ヴァレーで行われた去年の全米シニア・オープンでは、3日目までリードしていながら2位に終わった。フライシャーは、全米アマチュアと全米シニア・オープンの両方を制し、ジャック・ニクラスとアーノルド・パーマーに仲間入りを果たした。
「自分自身にセカンドチャンスを与えてみよう、と思っていた頃にシニア・ツアーが始まりました」と語るフライシャー。PGAツアーでは、今年の全米シニア・オープンと同じニューイングランドにあるプレザント・ヴァレー・カントリークラブで行われた1991年の勝利しかない。「これまでの経験は、素敵な想い出です。学んだことといえば、自分自身を信じなければいけない、ということ」 セーラム・カントリー・クラブで勝利を収めた今、フライシャーは自分を信じる事が出来るはずだ。二クラス、ギル・モーガン、青木功、そしてジム・コルバートと5人が優勝戦線に絡む中、1人抜け出したのだから。ドナルド・ロスがデザインを手がけた6、709ヤード、パー70のコースで、2アンダーの68でまわり、12ホール連続パーを記録した。最終スコアは280のイーブンパー。2位タイのモーガンと青木とは、たったの1打差だ。 今は自分を信じられるだろう、ブルース・フライシャー? 「ここまで長い道のりだった」とフロリダ出身、52歳のフライシャーは語る。43万ドルの優勝賞金を手にしたとき、彼の目には涙があふれ、感きわまって声は震えていた。
「私はとても幸運です。去年は残念な年となってしまいました。私より腕の良いプレイヤー(へール・アーウィン)に負けてしまったからです。今年は4ホールを残した時点で、4人のスコアがイーブンパー。非常に難しいコースで、イーブンのスコアを維持したのはそのうちの1人だけでした」
フィールドの156人は「その通り」と答えるだろう。しかし、4日間の平均スコアを見ると、深いラフとお椀を伏せたようなグリーンがそれほど難しくなかったのではないかとも思われる。グリーンは予想よりも遅かった。
今回の全米シニア・オープンの平均スコアは75.014ストロークだった。そんな中、フライシャーは69という素晴らしいスコアを出し、初日のトップに立った。彼自身は自分のプレイに満足していなかったが、スタートから好調だったのは確かだ。
「マサチューセッツ州のボストン近郊は、私にとって非常に良いカルマに包まれているんです。1991年は私にとって、意味深い年でした。プレザント・ヴァレーでの勝利以来、過去にとらわれなくなったと思います。イアン・ベーカー=フィンチとのプレイオフは7ホールのサドンデス、私はツアーに復帰したばかりでした」とフライシャーは振り返る。
フライシャーは1984年から1991年にかけて、ツアー生活を中断しクラブプロとして働いていた。安定した収入を得て、経済的に家庭を支えることを選んだのだ。
ドナルド・ロスにも、因縁浅からぬものがある。 1960年、若き日のフライシャーはドナルド・ロス・インビテーショナルで優勝した。パインハーストのNo.5コースで、スコアは78だった。
「あの頃の自分は夢を追いかけていました。達成するべき任務、とでも言いましょうか」フライシャーはそう語る。「人生とは不思議なものです。私の夢は遂にかないました」
ゴルファーとしての履歴書に様々な"カルマ"を連ねたフライシャー、全米シニア・オープンはただ1人アンダーパーでモーガンとフランク・コナーに1打差をつけてスタートした。
2日目のスコアは71。全米シニア・オープンでの連続サブパー記録は、5ラウンドでストップした。この時点で、初日71、2日目を68で回った青木にリードを奪われた。 気温は30度近く、湿度も高くなってコンディションは徐々にきつさを増していく一方、試合は面白くなってきた。3日目69の青木は54ホールを終えて208というスコア。コルバート(75-67-67)とラリー・ネルソン(74-67-68)に一打差リードしていた。3日目の7月1日は悪天候のため途中で中止となり、フライシャーはその他3人のプレイヤーと並んで4打差の位置にいた。 全ては最終日にかかっていた。そしてフライシャーは次々と銃弾を打ち込んだ。 最終組から2つ前のグループでまわったフライシャーは、派手なショットのまるでないプレイながらスコアを68として、先にホールアウトした。モーガンは最終ホールでボギーを叩き、首位グループから脱落。スコアは70だった。 青木は17番ホールをボギーとして73、1オーバーの281で終わった。コルバートは見ごたえのあるプレイを続けていながら、最後の3ホールでボギー、パー、ダブルボギーと崩れ、結局73、282。最後6ホール中3ホールでボギーを叩き70でまわった二クラス、そしてアレン・ドイル(70)と並んだ。 最終日の結果に憤慨したコルバートは、モーガン同様、最終日の記者会見に姿を見せずにセーラム・カントリー・クラブを後にした。 ウェンディ・フライシャーは、ようやくフロリダ州コーラル・ゲイブルズのキャンパスで学んだ心理学の知識が役に立ったのかもしれない、と語る。
「1年目にブルースが達成した成果を考えると、もっと素晴らしい成果が期待できると思いました」ウェンディ・フライシャーは1999年のシーズンに7勝をあげ、プレーヤー・オブ・ザ・イヤ−に輝いた夫の成果を称える。「でもそう上手くは行かなかった」
「他の人たちにとって、(全米シニア・オープンのタイトルは)優勝のひとつに過ぎないかもしれません。でも私たちにとって、この勝利はとても素晴らしい意味があるのです。私は長い間、ブルースがシニア・ツアーの歴史に名を残すと信じていました」
今はブルースも、妻の言葉を信じられるだろう。 monster
ゴルフ場で、プレーヤーはなぜ短パンのときにはハイソックス着用する習慣になっているのかだが、なぜなのかについては、はっきりした答えを得ていない。
まず私は、登山や乗馬などのスポーツでもニッカボッカにニッカホース(ハイソックスのような長い靴下)を着用することから、想像をめぐらせた。このスタイルは、クラシックなゴルフファッションに通じる。
つまり、半ズボンに長い靴下というのは、昔のヨーロッパ紳士たちのスポーツウエアで、ゴルフもその流れを組んでいるのではないか・・・と考えたのである。
さらに、英国のゴルフコースは特に草が深いという。草深いところでは、長いズボンか長い靴下を履かなければ、脚が切り傷だらけになってしまう・・・一方アメリカでは、人工的なコース設計が一般的で、草も深くないから短いソックスが定着した。そして英国人からゴルフを伝えられた日本人は、今もその習慣に従っている。
だがゴルフ業界の人に聞いてみると「そういった由来があるとは聞いたことがない」と言われた。
それに自分自身もまだ、これを裏付ける資料の類を見たことがない。 しかしいつだったか、とある人と飲み会の席でゴルフについての話をしたときに、こう聞いた。
「自分は建設業界にいるが、現場の人に言わせると、一番危険なのが、すねに衣類やなにかがからみつくことだという(現場の人はみんな脚にゲートルみたいなものを巻いていますね)。ゴルフも、枝やらつる草やらがぼうぼうと生えているところでボールを打つのが本来の姿だっただろう。だから草木にひっかからないように、ハイソックスを履いていたのではないか」
これもまた裏付けのとれていない説だが、私の考え方と共通するものがある。
しかし現在、英国のゴルファーもハイソックスなど使わないらしい。そもそも、そんな荒れ地でプレーするコースもない。
結果「エリ付きシャツ」着用の原則は紳士の印として残ったが、「ハイソックス」は意味をなさず、いつしか消えていった。
では、その消えていった習慣が、日本のゴルフ場でだけ、受け継がれているのはなんででしょう?
それは今も謎のままだ。golfmonster
西武ライオンズ・東尾監督の娘であり、 話題の新人プロゴルファーの東尾理子が使用するドライバー「キャロウエイERCフォージド・チタンドライバー」が、米国の公式競技規定に違反している疑いのあることが、米スポーツ紙の報道で明らかになった。東尾プロは米国女子のフューチャーズツアーに参戦。その際もこのドライバーを使用している。
ゴルフのルールには英国ゴルフ界の統括が発祥のR&Aと、全米ゴルフ協会(USGA)によるものがある。
米国、メキシコを除く世界各国の公式競技規定はほとんどR&Aに準じており、問題のドライバーもこれには適合している。だがUSGAは、クラブヘッドの反発係数に関する規定が厳密であり、この点について違反の疑いがもたれたようだ。
キャロウエイゴルフはこれについて「もともと日本国内向けに開発したため、USGAのテストは特に通さず発売した」とコメントしている。
だが、キャロウエイの契約プロである東尾が、USGAのテストを通していない同社製のクラブを使い、米国ツアーに参戦するとは一体どういうことだろうか?
ゴルフメーカーとして不適切と言わざるをえない同社の対応に対し、ゴルフ業界からは「テストに通らないクラブであることが分かっていたから、意図的に通さなかったのでは」との声が湧いている。
東尾のドライバーは、USGAの規定に違反すると認定されれば、米国ではプライベートでしか使用できないが、日本では公式競技でも使用可能だ。それに一般のアマチュアがこのモデルのクラブを使用する分には、何の問題も生じない。
かつてブリヂストン社のボール「NEWING」が、「飛距離が出過ぎる」としてR&Aのルール違反と認定されたことがあったが、一般アマチュアの間では「禁止されるほど飛ぶボール」としてよけいに人気が高まり、売り切れ続出となった例があった。golfmonster
広島県の広島カンツリー倶楽部八本松コースを舞台に開催されている、ジャパンゴルフツアー「住建産業オープン広島」の最終ラウンドは、通算13アンダーで並んだディフェンディングチャンピオンの深堀圭一郎と尾崎将司とのプレーオフ。 プレーオフ1ホール目で尾崎がボギーを叩き深堀がパーセーブに成功。昨年の1位、2位が連続してあいまみえる因縁の対決は、2年連続で深堀に軍配が上がった。 深堀は待望の今季初勝利(ツアー通算5勝目)で、賞金ランキングでも6位へと浮上した。ニュー・ジャンボキラーとなった深堀は夏場に海外ツアーに参戦する計画も公表、今後の活躍に期待したい。 なお11アンダー3位タイには、好調が続くインドのJ.M.シンと谷口徹の2人が入った。 ジャンボ無念…まさかまさかの結末 まさか、まさかの結末だった。復活優勝を目指す尾崎将司は7アンダー65の猛チャージ。前日の6アンダー15位タイから一気にスコアを伸ばして通算13アンダー単独首位でホールアウトし後続を待った。 この時点では、谷口徹が2ホール残して通算11アンダー、首位からスタートした深堀は15番を終えて3打差の10アンダーと誰もがジャンボの復活優勝を確信していた。 ジャンボ自身もこの日のゴルフには十分な手応えを感じ取っており、にこやかな表情で勝利を確信していた。そのおとは、ホールアウト後に「調子がいいから難しいホールを攻めてやろうという気持ちになる。これからが本当に楽しみだね」と話していたことからもうかがえる。 だが、ここからまさかの展開が起きてしまう。16番、17番そして18番と深堀が執念の3連続バーディで通算13アンダーとしてジャンボに追いついてきたのだ。深堀自身も認めるようにバーディチャンスの15番パー5で意識するあまり林に打ち込み、本人も半ば諦めかけた状態からの驚異の追い上げだった。 プレーオフではジャンボが先にティーショットを打つが、昨年の左へのミスが頭をよぎったのか右側のラフに。対する深堀のティーショットはフェアウェイのど真ん中へと飛んでいった。 ジャンボのセカンドはピン脇に落ちたが、フライヤーで止まらずグリーン奥のラフへ。深堀は2オンするも正規のラウンドの時ほど寄せられず約7mの上りのパットが残った。 ジャンボのアプローチは下りの難しいものだったが、これを1mに寄せてまずは一安心。深堀は7mをうち切れずバーディならず。誰もがプレーオフ2ホール目に…と思った矢先のことだった。 ジャンボの1mのパーパットは右に切れることなくあっさりとカップの左側を通過、まさかのボギーとなってしまった。 昨年大会でも一時は深堀を逆転して優勝を目の前にしながら深堀の最終ホールでの劇的なバーディによってひっくり返されてしまったジャンボ。今年はこれが最終ホールではなくプレーオフまでもつれた形だが、結果は残念ながら同じ、2年連続で深堀の前に涙を飲む形となってしまった。 昨年のジャンボはこの悔しさをバネに8月に入ってサン・クロレラクラシックで復活優勝、果たして今年も同じようなストーリーとなっていくのだろうか…。Fredrik Johanson
宮本 勝昌 69-67-68-69(34/35)=273(15アンダー)優勝
ツアー選手の心の動きやその格闘ぶりが良く出ているニュースでした。腕自慢のあなたの参考に。
昨日の後半からだんだんパットが良くなってきました。7打差ですか、7馬身差圧勝でしたね。先頭に並んでそのまま押し切りましたね。強かったですね
凄い前半苦しかった。風が強かったから。昨日の夜10時くらいに芹澤さんから電話がかかってきて「4アンダーでまわってこい。16で勝てるから」って言われました。
でも、どう考えてもコースに出たら68で回ってこれるようなコンディションで無かったし、細川さんとシンが苦しんでいたから、今日は難しいのかなぁとは思っていたけど、自分の組だけかも知れないし、秀道さんがスコアを伸ばしてきていたのも気になっていましたので、前半はもう必死でした。
でも、ピン位置も結構難しかったですし・・・。最後にパットが良くなってくれました。あんなに困らせてくれていたパットが最後に活躍してくれた。
ティーショット良かったから、楽という訳じゃないけど、組み立てるのが出来た。フェアウェイにもよくいってくれたし、プレーに余裕を持ってプレーすることが出来た。風が吹いてくるとバックスイングが浅くなってきてしまうので、ダウンスイングをゆっくり振るように心掛けた。
芹澤さんからの電話は、よみうりオープンの時もありましたね。今回はそれだけいわれてプッン、よみうりの時はもっと長く話したと思うんですよね。それで逆に心配になってしまって。
11番は池に入ったと思った。7番アイアンで風を意識する余り吹き上がってしまった。駄目かと思ったら、届いてくれた。縁から20cmくらいのところでした。スタンスもとれないような所で、フェースだけピンに向けて背中に向けて打つようなイメージで打った。
15番は年に2回か3回しかないようなチップインが、こんな時に入ってくれて、嬉しいですね。10mくらい。
最後18番でグリーン上は、ちょっときちゃいましたね。上がってきて藤田さんの顔とかをみたら一気にきちゃいまして、ああいうの駄目ですね。よみうりで負けたときは直道さんに寺に行ってこいといわれた。やっぱり、そういうことまでしないと駄目なのかなぁと思ったけど、毎週毎週試合があるし、寺は行けないなと。
去年のブリヂストンは引きずってはいない。それ以降ボールを気にしたのも数試合でしたし、基本的にバックの中に違うボールが入っているはずがないと思っている方なので。でも、BSは伊沢さんのボールだし、住友VISA太平洋では伊沢さんに逆転されてしまうし、全部伊沢さんがからんできているんですよね。今週も3日目終わって伊沢さんが6アンダーくらいにいたから、また伊沢さんが来ちゃうのかなぁとも思った。
基本的に僕は風が大嫌い。重馬場が好き。雨が降るとか、グリーンが軟らかいとか。今、ロフトをたたせて、ライナーのイメージで打つように心掛けています。スイングがレベルにまわろうとしてくれる。今、思えば2年前が一番辛かった。自分を見失っていた。どういう風にスイングをしていいのか分からなかった。
アメリカは考えちゃいますね。たまたま勝っているのが5年シードのある試合ですからね。メジャーというのではなく、僕の心の中ではアメリカの試合がメジャー。どの試合でもいい。チャンスがあればどの試合にでも積極的に出たい。Qスクールもチャンスがあればいきたい。この前は一人でしたから8往復くらいした。今度いくとしたら丸山さんがいるので、お世話になろうと思っています。多分断れないとは思っています。
去年は優勝できなかったけど、まずまず自分では納得できた。今年の方が辛かった。去年は5試合くらいしか年間で予選落ちをしていないのに、それが今年は前半だけで7、8回でしょ。オフに練習をあまりしなかったのが原因。やっぱり僕はこつこつ練習していかないと。
自分にも脚質がいろいろあるなと。でも今日思ったんですけど、やっぱりどう考えてもリードしている方が有利。でもトップにたつと守りに入ってしまう。今日守りに入ったのは最後の3ホールくらい。
大切なのはトップにたっても同じ精神状態でいれるかどうかということ。でも、どうしてもトップに立ってしまうと守りに入ってしまうのが事実。その辺を来週いかしていければ。2週連続優勝したことがないからしてみたい。
パターはだんだん良くなってきた。自信がついたというほどではないが、こうしたらというのがでてきた。でも、難しいものでパッティングが良くなってきたらショットがパラパラになってきた。ゴルフは難しいですね。でもこれくらいパットが思うような所にいってくれたらゴルフになってきますね。
2年前はいつも予選落ちばっかりだったので気持ちがめいってしまった。コースは狭いし、フェアウェイにいかないといけないので、フェアウェイに打っていくだけで精一杯だった。それでスピードが落ちて来ちゃって。左にひぱっていければ真っ直ぐ行けるのに・・・スイングが分からなくなっていた。
せっかくこういった時期に優勝することが出来たので、年間1勝に終わってしまわないようにしたい。調子に波がある方なので、その波を小さくしたいです。
6月末のグレーター・ハートフォード・オープン3日目、首位タイに立った丸山茂樹選手はスコット・シンプソン(45)と一緒の組でプレイした。その日は73と崩れてしまったが『シンプソンさんは優しく穏やかなので、とっても気持ちよかった』と話した。横尾要選手も同じようなことを言っていた。 4月のグレーター・グリーンズボロ・クラシックでのこと。横尾選手が自己ベストタイの9位に入る大健闘。最終日に一緒の組でプレイしたのがシンプソンだった。『ラウンド中に気軽に声をかけてくれたりしたので、とってもリラックスしてプレイすることができました』。 シンプソンは親日派。誰に対しても穏やかで笑顔の対応だが、特に日本人には包み込むように接している。夫人のシェリルさんはハワイ出身の日系3世。二人の子供にはミドルネームに日本名を付けている。18歳の長女のブレアさんは「ヨシコ」、14歳の長男ショーン君は「トクゾウ」だ。最近は少なくなったが1980年代は日本で行われる試合に毎年のように参加していた。そして 84年のダンロップ・フェニックスで優勝。 シンプソンはカリフォルニア州サンディエゴ生まれ。南カリフォルニア大学で経営学を専攻した。77年にプロに転向し、79年からUSPGAツアーに参加しはじめた。初優勝は翌80年のウェスタン・オープン。87年には全米オープンに優勝するなど通算7勝を挙げている。最後の優勝が98年のビュイック・クラシックで2年半近く優勝から遠ざかっている。というのも99年12月、スキーを楽しんでいる時に転倒し右足首を複雑骨折。足にギブスをして回復を待っていたが、なかなか骨が元に戻らず、半年後にボルト7本で骨をつなげる大手術を受けた。その時は『もう40歳半ばの事故だし、復活をあきらめようか』と悩んだ。とにかく半年間のリハビリに専念し様子をみることにした。この怪我で2000年は一度も試合に出場できなかった。 怪我は予想以上に快方に向かい、メディカル・エクステンションの資格で今年から復帰。まだ足を引きずるようにしか歩けないのでアップダウンのきついコースでの試合は出場を控えている状況だ。『もう一度ゴルフができたことが信じられない。今は一打、一打、喜びをかみしめている』。今季4月のグレーター・グリーンズボロ・クラシックでは2日目に首位に立ち、復活を祝福するメールがたくさん届いた。家族も感無量だった。トクゾウ君は『ここまで出来るなんて信じられない。お父さん、よく頑張っているね。すごいよ』と電話で伝えた。シンプソンは言った。その時 私は心からゴルフの素晴しさを実感した。
2001年7月1(日) 『人間味あふれるK.ウェブのグランドスラム』

セカンドショットはグリーン右のラフへ…。"女の花道を"歩いているはずだが、いつものカーリーと雰囲気が違う。 ギャラリーの大きな拍手に後押しされ何とかグリーンまでたどりついた。18番の2打目を打ったあと、生まれ故郷のクイーンズランド州エアで、ずっと可愛がってもらっている大好きなおじいちゃんが心臓病で闘病生活を送っていることを思い出してしまったのだ。 もう2打目のあとはサングラスをしていても隠しきれないほど、涙があふれていた。 第3打でなんとかグリーンに乗せた。その後外したサングラスの向こうに見えた真っ赤になった目が…なんとも印象的だった。 何とか沈めたウイニングパット…だがそこには派手なアクションはなかった。ギャラリーに向けて軽く手をあげ、キャデイのマイクと優勝を分かち合うのが精一杯だった。 「本当は途中で棄権してオーストラリアに戻りたかった。でも私が帰っても、おじいちゃんは決して喜ばない。それより勝って良いニュースを聞かせた方が絶対にいい」と自分に言い聞かせながらのプレーだった。 涙でぐしゃぐしゃになりながらも、ギャラリー向けての精一杯のスピーチだった。 26歳と6ヶ月、史上最年少でのグランドスラマーの誕生。でもただ強いだけじゃない、マシーンでもない。人間味あふれるK.ウェブに心から拍手を送りたい。 GOL' PARA
2001年6月28(木) 全米オープンでのタイガーウッズ

今年のメジャー第2弾、U.S.オープン。T.ウッズにとって「年間グランドスラム」のかかった第2関門だった。 昨年のU.S.オープンから、全英、PGAと3連勝し、今年のマスターズで年と世紀をまたいでのグランドスラム。これを年間グランドスラムと呼ぶか否かで、賛否がささやかれたが、タイガー本人は「タイガー・スラム」と称して、これを一蹴した。 舞台となったサザンヒルズも7000ヤードを切り、フェアウェイも広く、ラフは長くない。適度なアップダウンもあり、彼の技術をもってすれば、ドライバーを封印しても周りの期待に応えられるはずであった。 ところが、いざ蓋を開けてみるとフェアウェイを捉えるショットが少なく、グリーンに乗っても長いパットが残るといったパターンが、初日、二日目と続いた。一時は6オーバーとなり、よもやの予選落ちかとも囁かれた。 予選2日間でバーディがたった3個のタイガー。こんなタイガーは初めてだ。結局浮上することなく、283、3オーバーの12位でフィニッシュした。 確かにショット、パット共に悪かった。しかしリズムに乗れなかったことが最大の敗因ではなかっただろうか…。 9番と18番のグリーンは、7〜8mしか離れておらず、どちらかの組がホールアウトするまで待たされる。また13番パー5は、距離が短く2打目を待つため、後続がティーグランドでは3組がつかえ、30分の待機時間を余儀なくされた。 自分のペースとリズムを重視するタイガーには、最悪の展開だったと言えるだろう。 1958年のT.ボルト、1977年のH.グリーン、そして今年のR.グーセンと4日間とも首位の座を守り通したものだけがサザンヒルズのU.S.オープンを制することが出来たことを最後にここに記しておこう。 GOL' PARA
2001年6月25(月) McDONALD LPGA CHAMPIONSHIP
女王K.ウェブがウェブスラムを達成!

デラウェア州ウィルミントンのデュポン デラウェア州ウィルミントンのデュポンカントリークラブを舞台に開催されている、LPGAツアー今季メジャー第3戦「マクドナルド全米女子プロ選手権」の最終ラウンド。 12アンダーの単独首位からスタートしたK.ウェブが2アンダー69でまわり通算14アンダー、2位に2打差をつける逃げ切りで、先日の全米女子オープンに続くメジャー2連勝、そしてグランドスラムならぬウェブスラムを達成した。 通算12アンダーの2位には、3アンダー68で追いかけたL.ディアズ。3位は通算10アンダーでM.ヨースとW.ウォードの二人。 A.ソレンスタムは、この日のベストスコアとなる4アンダー67をマークして追撃をしたが、2日目、3日目に伸ばしきれなかったことが響き、通算9アンダーの5位止まり。どうやらエンジンがかかるのが遅すぎたようだ。 福島晃子は、この日も1オーバー72とスコアを崩してしまい、とうとうスコアも通算1オーバー。初日の好スタートを活かせず結局26位タイに終わっている。 この日のウェブは、出だしの2番から4番まで3連続バーディを奪う好スタートを切り周囲を圧倒、追撃ムードを最初にくじいた。その後は安定したゲーム運びを見せ、最後の17番、18番で連続ボギーを叩いたのも愛嬌、危なげなくディアズらを振り切った。 これでウェブのメジャータイトルは、ナビスコ選手権、デュモーリエ、全米女子オープン、全米女子プロ選手権と4つ揃い4冠の達成(通算5人目でウェブの26歳は史上最年少)。 だが今年から、その一つのデュモーリエがスポンサーがタバコメーカーであるためにトーナメント界から閉め出され消滅したために、グランドスラムのようだが、正確には違うといった不思議な状態に。 まぁタイガー・ウッズが今年のマスターズでメジャー4連勝を達成したときにも、年間グランドスラムとして認めるかどうかと、似たような論争を巻き起こしたが、このときタイガーはこれを「タイガー・スラム」と呼んで一蹴したという経緯がある。 そう考えれば女版タイガーと呼ばれるウェブの偉業だけに、「ウェブ・スラム」という呼び方でもいいのかもしれない。 なおデュモーリエにかわるメジャーとして今年から認定されたのが全英女子オープン。ウェブがこのタイトルをとれば、5冠のスーパーグランドスラムの達成。今のウェブの強さなら、それも十分可能だろう。 GOL' PARA
2001年6月23(土) 復活、福嶋晃子が1打差2位の好発進!
デラウェア州ウィルミントンのデュポンカントリークラブを舞台に、LPGAツアー今季メジャー第3戦となる「マクドナルド全米女子プロ選手権」が開幕。福嶋晃子が5アンダー66をマークして首位と1打差の2位タイにつける好発進、首位には6アンダーでW.ウォードが立った。
なお先日の全米女子オープンに続くメジャー2連勝を目指す女王K.ウェブは4アンダー4位タイ、A.ソレンスタムも3アンダー7位タイと本命候補が上位に顔を揃え、初日からメジャーに相応しい白熱したゲーム展開となっている。
この日の福嶋は5バーディ、ノーボギーと完璧な内容。予選落ちを喫した全米女子オープンの時にはアイアンの距離感がまるであわず、とてもスコアメイクを期待できる状態ではなかったが、予選落ち直後に日本に緊急帰国してショットの調整を図ったことが復調につながったようだ。 その成果は先週のフランスで行われたエビアンマスターズの6位タイという成績に直結、今回は自身を取り戻して参戦していることがことのほか大きい。
5つのバーディのうち4つはパー4のホールで奪ったもの。2打目の距離感が戻ってきている証拠といえるだろう。メジャー緒戦のナビスコ選手権では2位タイと活躍していた福嶋だけに、ここへきての復活は期待大。明日からの3日間が楽しみになってきた。
なお小林浩美は1バーディ、4ボギーという内容で3オーバー74の97位タイと大きく出遅れ。特に何が悪いわけでもないのだが、かみ合わせが上手くいかなかった。明日以降の巻き返しに期待したい。
GOL' PARA
2001年6月19(火) 全米オープン プレーオフ結果南アフリカのR.グーセンが優勝!
昨日の最終ラウンドで通算4アンダーで並んでいたR.グーセンとM.ブルックスとの18ホールのプレーオフがこの日行われ、グーセンがイーブンパー70でラウンド、終盤追い上げてきたブルックスを振りきって初のメジャータイトルを獲得した。 プレーオフでの優勝は、94年のE.エルス以来のことで大会通算32回目。南アフリカのプレーヤーの全米オープン優勝は、94年と97年のE.エルス、1957年のG.プレーヤーに続くもので3人目となった。 グーセンは現在欧州ツアーを主戦場に戦っているプレーヤーで「自信がついたら米ツアーに挑戦したい」と話していたことを考えると、今回の優勝は最大の自信。今後は米ツアー常駐という方向に進むことが考えられそうだ。 この日のラウンドは、ブルックスが3番ホールのバーディでまず先制、これにグーセンが6番のバーディで追いついた。追いつかれたブルックスは、直後の7番でボギーを叩くと9番でもボギーを続けてしまう。これに対してグーセンは、ブルックスがボギーを叩いた難関の9番で逆にバーディを奪ってハーフを終了、2アンダーと1オーバー、3打差をつけるグーセン有利の展開でバックナインへと進む。 折り返し直後の10番ではグーセンが9番に続けてバーディ、ブルックスはまたもやボギー。3アンダーと2オーバーで一気にその差は5打差へと広がった。12番はともにボギーでその差は縮まらない。 それでも簡単には勝てないのがメジャー、グーセンにはプレッシャーがおそってくる。17番でボギーを叩くと、ブルックスは逆襲に転じバーディを奪取、1アンダーと2オーバーで3打差に迫ってくる。 リードはあるものの、最終18番は昨日の苦い思い出が一杯、大きなミスが出れば全てが終わってしまう。それでもこのホールをグーセンはボギーで納めてイーブンパー70でホールアウト、このホールをパーとしたブルックスに2打差をつけて振り切った。GOLFERS' PARADISE
2001年6月19(火) 全米オープン 息詰まる優勝争いは翌日18ホールのプレーオフへ。
我慢比べ。そんな状態の最終日。メジャー5連覇を狙うタイガー・ウッズのつまずきに、優勝争いは最後の最後までわからない展開となった。上位選手はスコアを伸ばすというより、いかにパーセーブして行くかという状態で、脱落したのはメジャー初優勝を狙うワールドランキング2位、現在賞金ランキングでもタイガーに次いで2位のP.ミケルソン。そして、今シーズン米ツアー初優勝を果たし波に乗る、スペインのS.ガルシアといったスター選手だった。
終盤に入り優位にたったのは、最終組の2つ前を行くM.ブルックスと最終組のR.グーセン(南アフリカ)、S.シンク。この3人の中では唯一ブルックスが1996年の全米プロゴルフ選手権でメジャーに勝っている。そのブルックスが、落ち着いたプレーで最終18番を5アンダーで迎えた。しかし、2オンに成功したものの、3パットのボギーで4アンダーにしてしまった。
最終組は17番でシンクがバーディを奪い5アンダーのグーセンに並び、最終18番に入った。両者ティショットはフェアウェイに放ったが、シンクの打った第2打はグリーン奥のラフへ。対するグーセンはピン横3メートルにオン。シンクのアプローチは弱く、距離のあるパーパットは惜しくも外れた。そして「お先に」という感じで打った50センチ程度のボギーパットも外し3位に後退してしまった。
これで、残り3メートルを2パットでグーセンの優勝。おそらく本人も思ったであろう。しかし、ファーストパットは70センチほどカップをオーバー、返しのウィニングパットもカップの右をすり抜けてしまった。ギャラリーの落胆の声もグーセンに突き刺さった。しかし、再び集中しボギーパットを沈めブルックスとのプレーオフに持ち込んだ。
明日、18ホールのストロークプレーによるプレーオフが行われる。全米オープンのプレーオフは7年ぶり32度目で、7年前はグーセンと同じ南アフリカ出身のE.エルスが、L.ロバーツ、C.モンゴメリーを破っている。
今大会一度も優勝争いに絡めなかったタイガー・ウッズは2番ホールでボギーを叩いたが、4番、5番でバーディ、7番でもバーディを奪い勢いに乗るかと思われた。しかし、9番でボギーを叩くとその後はスコアを伸ばせなかった。結局この日1アンダー、通算3オーバーの12位タイ、メジャー5連覇の夢破れ、年間グランドスラムも仕切り直しとなった。
2日目以降スコアを崩し7オーバースタートの伊沢利光は、最終日もスコアを3つ落とし通算10アンダーでのフィニッシュ。順位は44位だった。
今年の全米タイトルはタイガー、ミケルソン、そしてガルシアも及ばなかった。しかし、彼らは大いに大会を盛り上げた。
全米オープン最終日は、最終ホールに信じられないドラマが待っていた…。
通算5アンダーで首位に並んでいた最終組のS.シンクとR.グーセンが、まさかまさかの3パット競演。シンクが70cmを外してダブルボギーとすれば、グーセンは4mから2パットで沈めれば優勝というチャンスを外して3パットのボギーとしてしまう。
結局グーセンは、先に通算4アンダーでホールアウトしていたM.ブルックスと並んでしまい、勝負の行方は明日行われる18ホールのプレーオフに持ち越されることとなった。
明日のグーセンとブルックスとのプレーオフは、現地時間の午後2時(日本時間:19日午前4時)スタート、果たして勝利の女神はどちらに微笑むのだろうか…。 なお、この最終日にメジャー5連勝に向けて大逆転を期したT.ウッズだったが、結局勝負所のパットが決まらず1アンダー69をマークするのが精一杯、通算3オーバーの12位タイで戦いを終えた。 今回の最大の敗因は、9番ホールで4日間で4オーバーとスコアを崩し続けたことだろう。またこの日は12番で1mのバーディチャンスにつけながら、これを決められず、イーグルも狙える13番パー5に対して流れを作れなかったことが痛かった。
日本勢でただ一人予選を通過していた伊沢利光は3オーバー73でのラウンド、通算10オーバーの44位タイで全米オープン初挑戦を終えている。
いずれにしてもさすがはメジャーというのか、信じられないプレッシャーが選手を苦しめている。明日のプレーオフは、E.エルスがC.モンゴメリー、L.ロバーツを下した1994年のオークモントCC以来7年ぶりで、全米オープン史上32回目となる。
明日の戦いは、諦めていたチャンスがたなぼたで復活したということ、そして96年の全米プロ優勝と実績を考えればM.ブルックスの方が精神的には有利。グーセンが勝つためには、まずは気持ちを切り替えることが必要だ。好ゲームになることを期待したい。
全米オープンの第1回大会が開催されたのは1895年10月4日のこと。ロードアイランド州にある9ホールのゴルフ場、ニューポートゴルフクラブがその舞台となった。
この第1回大会は、同じくUSGA(全米ゴルフ協会)が主催する全米アマチュア選手権との同時開催で、こちらも記念すべき第1回目の大会だった。
全米オープンはニューポートゴルフクラブを使用して、また全米アマはこのニューポートゴルフクラブとニューヨーク・セントアンドリュース・ゴルフクラブの2つのコースを使用して行われた。
もともとこの2つの選手権は9月に開催される予定だったが、ヨットレースのアメリカズカップの日程と重なることになったため、10月へと日取りを移しての開催となった。
第1回大会に出場したのはプロ10名、アマチュア1名の計11名。当初の全米オープンは36ホール競技で、9ホールのニューポートゴルフクラブを1日に4回まわるという、風変わりな、そしてハードなチャンピオンシップだった。
第1回大会の覇者は、ニューポートゴルフクラブに所属していた21歳の英国人・H.ローリンスで、そのスコアは91、82の173というもの、賞金総額は335ドルで、ローリンスの優勝賞金は150ドルだった。
この頃はまだまだアメリカのゴルフも黎明期で、強い選手はほとんどが英国人、そんな時代だった。
だからナショナルオープンといっても第1回から第16回大会(1910年)までの優勝者は全て海外のプレーヤーで、米国人初の優勝は1911年のJ.マクダーモットまで待たねばならなかった。
大会は1898年から72ホール競技へと拡大され、1926年からは最終日36ホールの72ホール競技、1966年から現在の4日間72ホールという競技形式となっている。
第1回当時11名だった参加者は、1912年に初めて100名を超える131名を記録、1923年には参加者が360名にのぼり翌1924年大会から地区予選の制度が導入された。初めて参加者が1000名を超えたのは1928年のことで、その人数は1064名だった。
ナショナルオープンとして順調に成長を遂げてきた全米オープンは、1982年に参加者数5000名を突破(5255名)、その2年前の青木功と帝王J.ニクラスが「バルタスロールの死闘」を繰り広げた1980年大会時の参加者は4812名だった。
歴代最高人数の参加者を集めたのは昨年の2000年大会で、その数は実に8457名を数えるまでに至っている、
現在大会のチケットは、前年のうちに売り切れてしまうと言われるプラチナペーパーとなっているが、全米オープンで最初にチケットを発売してギャラリーを入場させるようになったのは、1922年のこと。大勢のギャラリーの前で最初に栄冠を手にしたのはJ.サラゼンだった。
全米オープンの最多勝は4勝で、アマチュアのR.T.ジョーンズ(通称:B.ジョーンズ)の他、B.ホーガン、J.ニクラス、W.アンダーソンの4人が記録している。
T.ウッズはメジャー5連勝をかけて今年の全米オープンの連覇を狙うわけだが、いつの日かこの記録を破る時がくるに違いない。
青木功と帝王J.ニクラスのバルタスロールの死闘(1980年)や、E.エルスのプレーオフの末の米ツアー初勝利(1994年)、突然の飛行機事故で急死してしまったP.スチュワートの劇的な最後の優勝(1999年)、T.ウッズの独走での優勝(2000年)など、大会では世界で最も難しいメジャー競技「全米オープン」の名に相応しい激闘が繰り広げられてきた。
今年の全米オープンも、これまでと同様に歴史に残る素晴らしい戦いが繰り広げられることだろう。GOL
PARA
最古の歴史と伝統を誇る「第130回全英オープン」。今年は7月19日〜22日までの4日間の日程で、ロイヤルリザム&セントアンズを舞台に行われます。
米国PGAツアーの賞金総額の高騰に伴う形で、今年は賞金総額:約329万ポンド(5億7千万円)、優勝賞金:60万ポンド(約1億円)と大会規模を大きく拡大して開催されることになっていますが、ゴルフファン・マスコミ・関係者の注目は何と言ってもディフェンディングチャンピオンであり、世界・1プレーヤーのタイガー・ウッズがタイトルをディフェンド出来るか、またタイガーを倒すことが出来る選手が現れるかということでしょう。 そして「第130回全英オープン」に、またひとつ新しい話題が増えることになりました。 その新しい話題とは、昨年で最後の全英オープン出場となるばずだったゲーリー・プレーヤーが、今年の出場権を獲得できたということです。
ゴルフの聖地セントアンドリュース・オールドコースで行われた昨年大会では、ゲーリー・プレーヤー最後の出場ということで、功績をたたえて記念撮影や簡単なセレモニーが行われたはずでした…。
何故、突然ゲーリー・プレーヤーに出場権が与えられたかというと、今年になって歴代優勝者の資格が変更されたからなのです。
細かい話をすると全英オープンの出場資格、3番目のカテゴリーになっていた歴代優勝者の出場資格が【全英オープン歴代優勝者(大会最終日に65歳未満の者)】から【全英オープン歴代優勝者(大会最終日に65歳以下の者)】に変更となったのです。
ゲーリー・プレーヤーは昨年11月に65歳の誕生日を迎えていたわけで、65歳未満ならば資格はありませんが65歳以下になれば資格が発生するという仕組みです。
全英オープンを主催するR&Aは、この出場資格の変更に関して特にコメントをしていませんが、ゲーリー・プレーヤーに敬意を表して、意図的に出場資格を与えたことは明白です。
わざわざ出場資格を変えてまでもゲーリー・プレーヤーを出場させたいのは、全米オープン、全米プロでは特別主催者推薦枠を設定していますが、全英オープンでは設定していなかったからです。
実際、他もメジャートーナメントではジャック・ニクラスやトム・ワトソンに対して主催者特別推薦枠で出場権を用意するなど便宜を図ってビッグネームを出場させています。
しかし、あまりに強引な出場資格の変更が、波紋を呼ぶことは間違いないでしょう。確かに彼はスーパープレーヤーでゴルフ界への貢献度には多大なものがありました。しかし、あからさまに彼を対象とした救済処置にゲーリー自身がその救済処置を受けるのでしょうか? ジャック、トム、パーマーと次々にメジャートーナメントからの撤退を明らかにしている状況下において…。 不思議なのですが、もし今年ゲーリーが出場したとして、来年R&Aは出場資格をどのように変更してゲーリーの出場権を確保するのでしょう?
ニキビ顔に、クリッとしたかわいい目。 まだあどけなさが残る1984年生まれの16
歳。タイガー2世と言われているタイ・トライオンが「ダイヤモンドカップ」に出場した。 今年の米ツアー「ホンダクラシック」では、マンデーを突破し本戦へ。その本戦でも予選通過を果たし39位でフィニッシュ、勝ったJ.パーネビクよりも大きな活字になった。 (トライオンの16歳9ヶ月という記録は、1957年カナディアンオープンでのB.バナシク(15歳8ヶ月)に次ぐ記録で、タイガー・ウッズの19歳という記録をも大きく上回る) 181cm、73kgと細身であるが、ゆうに300ヤードを超えるロングドライブを放つ。10歳からやっていた、ボクシングや太極拳がこの飛距離を培ったのか…。 練習ラウンドでは、招待選手で飛ばし屋のH.キーニーを何度となくオーバードライブしていた。 試合は初日75、2日目73の148、4オーバーであえなく予選落ち。しかしその類い希なる飛距離は日本のファンの心に焼き付いたことだろう。 帰国後すぐにある期末テストのために、毎晩遅くまで勉強していたのが予選落ちの原因だったのか? 「いろんな人とふれあい本当に楽しかった。チャンスがあったら再び日本を訪れたい」とコメント。
全米オープンの話題の争点は、何と言ってもタイガー・ウッズのメジャー大会5連勝が達成されるかどうかなのですが、日本人が日本人選手に期待を寄せるように、欧州のゴルフファンにとっては欧州ツアーメンバーの活躍が気になるところなのです。 昨年はマスターズを除いた3つのタイトルをタイガーに奪われ、マスターズではビジェイが優勝。欧州ツアーメンバーがメジャータイトルを手にすることはありませんでした。しかし、上位争いにトーマス・ビヨンやミゲルアンヘル・ヒメネスが顔をだすなど欧州ツアーメンバーもそこそこの活躍をみせていました。 しかし、今年のマスターズでは欧州ツアーメンバーの活躍は全く無し。昨年欧州ツアー賞金王となったリー・ウェストウッドが夫人の出産のために欠場。伊沢が4位に入る活躍をみせた日本とは違って、実に寂しいマスターズとなってしまいました。 しかも、欧州ツアーメンバーのPGAツアーへの流出が目立ち、ツアー全体も盛り上がりを失いつつあります。イエスペル・パーネビク、昨年のセルヒオ・ガルシア、今年からは長年欧州ツアーを支えてきたコリン・モンゴメリー、ホセマリア・オラサバルといったビッグネームまで米ツアーに移籍してしまいました。 賞金総額からくるツアーの魅力を考えてしまえば、選手サイドから考えると当然のことなのかもしれないのですが……寂しい限りです。 それでもそうして移籍していった選手がPGAツアーで活躍してくれれば、まだいいのですが、優勝争いどころか、来年のシード権を気にしなくてはいけないような位置で戦っていられては、欧州ツアーのレベル自体が疑われてしまい悲しくなってしまいます。 そんななか、先週ドイツで行われた欧州TPCでタイガーが世界・1プレーヤーらしいセンセーショナルな優勝を飾るのと時を同じくして、PGAツアーのマスターカード・コロニアルでセルヒオ・ガルシアが最終日大逆転で優勝を勝ち取りました。 神の子と呼ばれ、ルーキーイヤーに欧州ツアーで2勝、そして全米プロでタイガーに続いて2位になる活躍をみせたガルシアでしたが、昨年はPGAツアーで優勝争いに数回顔を出しただけで、優勝はなし。今年は優勝争いどころか上位に顔を出すことさえ、あまり無い状態でした。
それというのも、スペイン出身の若者らしく? 情熱溢れる、気性の荒さに原因があったのです。
そのことを裏付けるように、かつて世界へ羽ばたくために結成された“チーム・ガルシア”は、現在父親一人を残して結成当初のメンバーは立ち去ってしまいました。 まぁ、かつてタイガーも同じようなことを起こしていましたが、ガルシアの暴れようは比べようもないほどだったのです。コースの外はもちろん、試合会場でも、その気性の激しさは、つとに有名でした。 しかし、この優勝を機にガルシアは、世界・1プレーヤーを目指して再び歩み始めてくれることでしょう。昨年低迷した1年間が、タイガーにとってそうであったように、チャンピオンへと続く準備期間となってくれることを期待したいと思います。 まもなく開幕を迎える「全米オープン」ではガルシアに、このところ精細のない欧州ツアーメンバーを引っ張って、世界・1のタイガー・ウッズに立ち向かっていってもらいたい…そう私たち,ゴルフファンは願っています。
アイルランドのパワーズコート・ゴルフクラブを舞台に5月11日(金)から13日(日)までの3日間の日程で開催された「AIBアイリッシュ・シニアオープン」で、昨年から欧州シニアツアーで活躍するセイジ・エビハラ(海老原 清治)が日本人選手として初めて欧州シニアツアーでタイトルを手にしました。エビハラは日本人で最も有名なプロゴルファーのイサオ・エイオキ(青木 功)の弟子としてこちらでは知られていますが、今回は、そのイメージを撃ち破るくらいのドラマティックな勝ち方だった。
最終日14番ホールを終え、残り4ホールで首位と3打差とかなり厳しい状況まで追い込まれたエビハラだったが、15番で首位のオーエンがボギーを叩き2打差に。
17番ではエビハラがバーディを奪って首位に1打差まで追いつく。最終18番、406ヤード、パー4で追い詰められたオーエンがトラブルになってしまいプレーオフがちらついた時、エビハラが9アイアンで放ったセカンドショットはピンからわずか2フィートのOKバーディにつけるスーパーショットを放った。
結局オーエンはパーセーブすることが出来ず、ボギー。終盤の大逆転劇でセイジ・エビハラが初タイトルを手にした。
今まで、欧州ツアーで日本人選手といえば、レギュラーツアーでは全英オープンで一時トップに立ったこともあるトモリ。シニアツアーでは、96年から全英シニアオープンを中心に積極的に海外参戦をしてきたヒロ・タハラだ。
トモリは長年シード選手を続けてきており、すっかり欧州ツアーの人気者になっていたが、今は日本ツアーに戻ってしまっているし。シニアツアーではヒロが98年、00年とフルシーズンで参戦してきたが、98年のスイス・オープンの21位タイが最高位で欧州シニアツアーと日本人選手とは縁遠いものがあった。 しかし、昨年から欧州シニアツアーに参戦したエビハラは、12試合に参戦して2位が2回、賞金ランキング15位で、25位までに与えられるシード権も獲得した。自身の2001年シーズン開幕戦となったBekoクラシックでは、2日目に5オーバー77と大きく崩れながらも初日67、最終日に69と通算3アンダーパーをマークして10位タイに食い込む健闘をみせていた。 これからはエビハラが欧州ツアーの日本の顔となっていくことだろう。
この優勝で賞金ランキングも2位に躍進。シーズン開幕して未だ3戦目だが、欧州シニアツアーで5本の指に入る賞金規模のこの大会で優勝できたのは大きいだろう。
欧州シニアツアーは11月頭の「シニア・ツアーチャンピオンシップ」までの年間24試合。あと21試合と50才を超えるシニア戦士にはきつい日程だが、是非日本の皆さんもこれをキッカケに欧州ツアーに興味を持ってくれればありがたい。
そんなエビハラは日本ツアーでは中日クラウンズなど3勝(ツアー1勝)、84年には韓国の東海オープンでも優勝している中堅の実力選手。シードも9年間獲得しているとのこと。
優勝したエビハラは、「この優勝は自分にとってとても意味があったと思う。もちろん欧州シニアツアーで初優勝を手にしたということもあるが、それにもっと素晴らしいことはアイルランドで勝てたということだ」と語り、欧州シニアツアーで優勝を手にしたという意義を大きく感じている。
そう語りながらも、何と今週エビハラは日本のシニアツアーに出場する意向を示している。確かに欧州シニアツアーはオープンウィークに入るが、6月頭にはツアー最高賞金を誇る「ウェールズ・シニア・オープン」が控えており、移動から来る疲労、52才という年齢を考えれば、かなりきついスケジュールに違いないはずだ。ましてやトーナメントに出場して戻ってくるのだから、自国のシニアツアーへよっぽど思い入れが強いとしかいいようがない。 欧州シニアツアーは米シニアツアーと比較すると賞金が1/3〜1/5くらいと規模は確かに小さい。しかし、日本のシニアツアーは危機的状態と聞く。このエビハラの優勝で、日本の、そして欧州のシニアツアーがより活気を増してくれれば、いいのだが。
今週日本で開催されるシニア・トーナメントで、エビハラが活躍し、少しでも日本のシニアツアーに注目が集まることを期待したい。それが彼の願いでもあるのだから。
タイガー・ウッズ 優勝 通算16アンダー 70-66-68-68=272 長い1日だった。
朝は風が強くタフなコンディションだった。おまけに前を回っているデビッド(デュバル)がずいぶんスコアを伸ばしていたし、一緒に回っているフィルもバーディを取ってくるからミスは許されなかった。18番グリーンでラインを読んでいるとき、「親友のマーコ(マーク・オメーラ)もやってのけたんだ。自分もできないはずはないじゃあないか?」と自分に言い聞かせたんだ。グレ−ト・パットだった。
今日は一打、一打に精魂込めていたので「これで終わった。もうプレーする必要はないんだ。マスターズに勝ったんだ」と思ったら、ジーンときたんだ。今日の重要な一打やここというところで決めたパット、デビッドやフィルのプレーなどいろんなシーンが一瞬のうちに頭をよぎった。メジャー4連勝のことは今週は敢えて考えないようにした。代わりに、「今週がどうであっても、歴代チャンピオンとしてマスターズには続いて呼ばれるから、」と考えるようにしたら、意外に1週間を通じてリラックスできた。
メジャーに勝つことだけでも大変なことなのに4つも続けて勝つなんて信じられない。後で少し落ち着いたら、実感が湧いてくるだろう。 全米ジュニアと全米アマとで6連勝を飾ったことも凄いけど、メジャー4連勝は僕がこれまで達成してきた事の中では最も偉大なことだろうと思う。今日のベストショットは13番のティーショットだ。あのショットが必要になると信じて長い間練習を重ねてきたハイ・ドローだ。練習の成果が出て、優勝に繋がって良かった。 ベスト・パットは10番のパーセーブのパット。サンデー・バックナインのスタートでつまづかないでモーメンタムを持ち続けていくためには大切なパットだった。18番のティーショットはひっぱたいた。打った瞬間に、ボールが左から右の風に持って行かれて、右の大木を越えたのかどうかよく分からなかった。ボールの近くまで来て初めてフェアウェイにあると聞かされて、スティービーと、やったねってロー・タッチをした。
スティービーに「これで2人で組んでグリーンジャケットが1つ取れたね。」って言ったんだ。(彼もキャディーとして初のグランドスラムを達成したことになるね、と聞かされて)
明日になれば、我が家のコーヒー・テーブルの上に4大メジャーのトロフィーを並べて眺めるつもりだ。
GOLFERS' PARADISE
オーガスタナショナル・ゴルフクラブ
球聖ボビー・ジョーンズが天才コース設計家のアリスター・マッケンジーとともに作り上げたマスターズのための夢舞台、それがオーガスタナショナル・ゴルフクラブだ。
誰もが世界最高と評してやまないガラスのように磨き上げられた高速グリーン、ため息が出るほどに美しいフェアウェイ、そして魔女が住むと言われるアーメンコーナー…。
オーガスタの18ホールズには、それぞれ花の名前が付けられている。下記に昨年大会の平均ストローク、難易度のデータとともに一覧表を掲載した。マスターズを楽しむ際の参考にしてもらいたい。(ゴルパラ 2001より)
| ホール | 愛称 | 距離 | パー | 平均ストローク | 難易度 |
| 1 | Tea Olive(ティーオリーブ) | 410 | 4 | 4.2947 | 2 |
| 2 | Pink Dogwood(桃色ミズキ) | 575 | 5 | 4.8411 | 16 |
| 3 | Flowering Peach(花桃) | 350 | 4 | 4.0861 | 12 |
| 4 | Flowering Crab Apple(野生花リンゴ) | 205 | 3 | 3.2649 | 4 |
| 5 | Magnolia(タイサンボク) | 435 | 4 | 4.1225 | 11 |
| 6 | Juniper(ネズ) | 180 | 3 | 3.1854 | 8 |
| 7 | Pampas(シロガネヨシ) | 365 | 4 | 4.0364 | 14 |
| 8 | Yellow Jasmine(イエロージャスミン) | 550 | 5 | 4.7947 | 17 |
| 9 | Carolina Cherry(カロライナチェリー) | 430 | 4 | 4.1523 | 9 |
| OUT | 3500 | 36 | 36.7781 | ||
| 10 | Camellia(つばき) | 485 | 4 | 4.2848 | 3 |
| 11 | White Dogwood(白ミズキ) | 455 | 4 | 4.3808 | 1 |
| 12 | Golden Bell(ゴールデンベル) | 155 | 3 | 3.255 | 5 |
| 13 | Azalea(ツツジ) | 485 | 5 | 4.7914 | 18 |
| 14 | Chinese Fir(シナモミ) | 405 | 4 | 4.0497 | 13 |
| 15 | Fire Thorn(タチバナモドキ) | 500 | 5 | 4.894 | 15 |
| 16 | Redbud(アメリカハナズオウ) | 170 | 3 | 3.1225 | 10 |
| 17 | Nandina(ナンテン) | 425 | 4 | 4.2219 | 6 |
| 18 | Holly(セイヨウヒイラギ) | 405 | 4 | 4.2219 | 7 |
| IN | 3485 | 36 | 37.222 | ||
| TOTAL | 6985 | 72 | 74.0001 | ||
マスターズの歴史
世界の4大メジャーの中でもマスターズは特別な存在だ。歴史でいえば、全英オープンのほぼ半分、最も歴史の浅いメジャートーナメントであるにもかかわらずだ。
いつしか人々は4大メジャーを次のように位置づけるようになった。歴史と伝統の全英オープン、実力ナンバーワンを決める全米オープン、シンデレラボーイを生み出す全米プロ。
そしてマスターズはゴルフの祭典。最も夢があり、誰もが憧れる華のある試合…それがマスターズの大きな魅力だ。観る者を、そして戦う者を魅了してやまない、ある意味魔性のトーナメントともいえるだろう。
マスターズの始まりを語るためには、第1回大会よりも少し前まで遡らなければならない。1930年、世界は一人の不世出の天才ゴルファーの前に驚嘆させられた。彼の名はボビー・ジョーンズ。アマチュアのまま年間グランドスラム(当時は全米オープン、全米アマ、全英オープン、全英アマ)を達成したジョーンズは、「やるべきことはすべてやった」とそのまま引退を表明、トーナメントの表舞台から姿を消してしまった。 偉大な実績、そしてあまりにも鮮やかな引き際は、彼を伝説のゴルファーへと昇華させた。「球聖ボビー・ジョーンズ」いつしか人々は彼のことを敬意を表してそう呼ぶようになった。
引退したジョーンズは、翌31年に故郷ジョージア州のオーガスタの小高い丘に土地を手に入れゴルフ場の建設に着手した。自らの理想のコースをつくるために…。この時に力を貸したのが、天才コース設計家として知られるアリスター・マッケンジーだった。そうして誕生したのが、世界で最も美しいコースともいわれるマスターズの舞台「オーガスタナショナル・ゴルフクラブ」だった。
1934年、このオーガスタナショナルを舞台にジョーンズは、親しい友人たちを招いたプライベート競技を開いた。とはいえ世界の最高峰を極めたジョーンズの開催する競技、そして友人ともなれば、集うのはおのづとトッププレーヤーばかり。プライベート競技でありながらも、試合はハイレベルのものとなったことは言うまでもない。
これがマスターズの始まりだが、当時の大会名称は「オーガスタナショナル・インビテーション・トーナメント」。第1回大会を開催するときにも「名手たちの集い」ということでマスターズの名を押す関係者がいたようだが、ジョーンズが強く反対、その採用は見送られたという。そして5年後の1939年、まわりからの強い要望にジョーンズがとうとう折れて大会名は「マスターズ」へと変わった。
ボビー・ジョーンズが描いた夢舞台、それがオーガスタナショナルであり、マスターズトーナメントだ。ジョーンズはホストとしてこのマスターズには計12回出場、だが残念ながら優勝を飾ることはなく1934年の13位が最高順位である。
これまでも、そしてこれからもオーガスタナショナルには、世界の名手たちが集い続けるだろう。(ゴルパラ 2001より)
驚異の大記録!
アニカ・ソレンスタムが女子ゴルフ史上初の『59』3月16日、アリゾナ州フェニックスのムーンバレーCC(6459ヤード、パー72)で行われたUSLPGAツアーの「スタンダード・レジスター・ピン」のセカンド・ラウンド。アニカ・ソレンスタム(スウェーデン)が、10番ホールから8連続バーディを決めるなど、この日ノーボギーの13バーディを奪取。LPGAツアー最少ストローク記録となる『59』を打ち立てた。これまでの最少ストローク記録は自身、K.ウェッブ、朴セリの61が最少。ちなみにPGAツアー、日本男子ツアーの最少ストロークも59、日本女子ツアーは63。また、1ラウンド最多バーディ13(過去11)、36ホールの通算20アンダー(過去17)も新記録。夢の50台をマークしたソレンスタムは、「女子選手もできる、と証明した。(男子のように)7000ヤードのコースではない、という人もいるでしょうけど、それでも球をカップに沈めないといけない」と、誇らしげに語った。
【アニカ・ソレンスタム】
■1970年10月09日、スウェーデン出身。
■17歳から同国代表に選ばれ、アリゾナ大に留学。
■92年に世界アマ優勝。94年に米ツアーの新人賞獲得。
■95,97,98年と賞金女王。メジャーは95,96年の全米オープン優勝。ツアー通算24勝。
■妹のシャーロッタもプロで活躍中、現在はカリー・ウェッブと並び2強といわれている。
1917年からケンブリッジ大学のゴルフ部の監督に就任したマイケル・ポーティンガー氏によると、ゴルフは男性のお稽古事の頂点にあって、帝王学と双璧、誰もが生涯を費やして会得すべきものと定義されている。
「ゴルフには男性に要求されているすべてが含まれている。まず騎士道に裏付けられた完璧な礼儀作法、奥ゆかしい会話、誰もが好感を抱かずにはいられない人柄、水準に達する運動能力、そして謙虚な微笑み」さらに「この偉大なゲームを賞味してみると、実は壮大な学問によって成立していることが分かる。まず気象学、動植物学、土壌地質学、土木建築学に始まって、コースの造成と管理には十指に余る学問が要求される。さらにスイングの面では構造力学から遠心力に至る精密な数学が必要になる。加えて下エームに臨むと、今度は心理学に始まるデリケートな学問の範疇に身を置くことになる。ざっと考えただけでも30種類からの異なった学問の修得が必要とされるのがゴルフ。ところが多くの人はこの事実に気づかず、スコアの亡者として周囲から疎んじられながら生涯を送るのが普通である。諸君は同じ轍を踏んではならぬ。ゴルフを壮大な学問と位置付け活発に取り組んでもらいたい」こうした背景があってこそ、ケンブリッジには1世紀を超える不文律が脈々と行き続けるのだ。
それは至って短い恐怖に満ちた次なる一文である。
「ゴルフの汚名は百年消えぬ!」
日本経済新聞社より 夏坂 健 著
98年賞金王、変則スインガー、鉄火面、ワンラウンドを59で回った男、デビッド・デュバルに人生を教えた男、プロゴルファー、ボブ・デュバル。父であり、コーチであったボブが息子宛てに綴った手紙をご披露します。
親愛なるデビッドへ
ある日、おまえは私にこう言ったんだ。「ダッドは、ゴルフをしているときいろんな顔をするね」ってね。「おかしいか?」と聞くと、「だってテレビで見るプロゴルファーは試合中にあんまり笑わないけど、ダッドは、よく笑うし、真剣な顔もする。
だから不思議だ」と答えた。でもな、デビッド、いろんな顔をするって事は、いろんな感情を経験していることだろう。だとしたら、別に不思議なことではない。ゴルフは、18ホールを通して、人間が抱くあらゆる感情を経験するゲームなのだからね。
喜び、怒り、悲しみ、悔しさ、驚き・・・・全部出てくるだろう、そういう気持ちが。それを、どうハンドリングするか、どれだけうまくコントロールできるか。それがゴルファーとしての資質、能力なんだ。当時の私は、自分が抱いた感情を極めてストレートに出してしまっていたから、ツアープロとして通用しなかった。おまえが指摘したとおりだったよ。あまりにもずばりといわれたので、内心、少しだけむっとしたのを覚えていたよ。でもおまえは、感情のコントロールが、どんどんうまくなっていったな。ミスショットして、クラブを地面にたたきつけていた姿はすっかり消え去り、いつしか、ミスショットすると、頭を掻くおまえがいた。あの癖は、今でも直らないな。おまえがショットして、それがグッドショットなのか、バッドショットなのかは、ボールを追わなくても、姿を見ていればわかるさ。プロゴルファーとして、ある意味で世界一の座に辿り着いた現在のおまえは、感情ばかりでなく、時間もコントロールしなければならない状況にある。パブリックな時間とプライベートな時間を、どうハンドリングするかが、スター・アスリートとしての資質、能力の現われとなる。ファン、関係者、メディアからのディマンド(要求)も増え、時には、オン・コース、オフ・コースの両方で、忍耐が求められる。そんな状況に対応していけるか、デビッド?トライするだけは、してみろ。おまえは、いまやスタープレイヤーなのだからな。でも、どうしても絶えられない時は、仕方ないさ。ただし、成績だけは、きちんと出しておけ。最終的に、支えてくれるのは成績だ。プロゴルファーとは、勝ちつづけ、いい成績を出してこその存在なのだから。
日本のゴルフ場は、今から100年前に始まりました。そして、神戸ゴルフ倶楽部が日本で最初のゴルフ倶楽部です。1868年4月、英国人アーサー・ヘスケス・グルーム氏は日本で商会を経営していた兄と仕事をするため、21歳で神戸にやって来ました。彼はその年に日本人の宮崎直子と結婚し、数年後には茶商を始めました。大変趣味の多い人でしたが、たまたま五男が生まれつき言葉が不自由だったので、趣味のひとつであった狩猟をやめてそれまでの殺生を悔い、六甲山を開いて神戸の人々の役に立ちたいと考えました。グルーム氏は眺めと空気の良い六甲山が大変気に入り、そこで初めての住居を建てました。ある週末、3人の友人が遊びに来た時、雑談で「本国をしのんで、ゴルフでもやりたいものだ」という話が出たことから、彼はこれに取り組み、セントアンドルーズ仕込みのゴルファーという友人達の助けを得て、手造りのコースを造りました。コースは最初4ホールで、1901年の完成とされていますが、開場の月日は特定できていません。その後コースは4ホールから9ホールになり、1903年5月24日に日本で最初のゴルフ倶楽部「神戸ゴルフ倶楽部」が開場しました。なお、翌1904年にコースは18ホールが完成しました。
大きな飛距離を生む基本要素は勿論クラブのヘッドスピードである。
ヘッドスピードを上げる技術や工夫はいろいろあるが、同じフォームのスィングで、スイングする腕の振りの速さが同じであれば、クラブヘッド(円周上)のスピードはシャフトの長さ(半径)に比例して速くなるので、それだけ飛距離が出ることになる。ただし、それはインパクトの衝撃でグリップが緩んでは意味をなさないし、ヘッドスピードだけが上がれば、ボールはより曲がることになる。
重いクラブはヘッドスピードが遅くなるが、インパクトでのグリップ衝撃は小さくなる。軽いクラブはその逆である。すなわち、ヘッドスピードが速ければ速いほど、インパクト時の衝撃は大きくなるので、しっかりとしたグリップがいる。とくに、ボールがクラブフェースのトウ(先端側)にヒットした時は、クラブフェースに大きな右回転モーメントが生まれるので、グリップは緩みやすい。勿論、スイートスポットでボールをヒットした時は、インパクトでのグリップ衝撃は小さいが、スウィートスポットが少々はずれてもしっかりとしてグリップであれば、大けがになるような曲がるボールにならなくて済む。
ゴルフ雑誌で、「グリップは軽く握るように」という解説を時として見かけるが、アマにとっては鵜呑みに出来ない一面がある。一般に、プロ選手の握力は、平均して、アマの1.5倍から2倍近くある。全盛期の青木功プロの握力は80kgと雑誌に書かれていたことを覚えている。プロが軽く握っていても、アマが目一杯の力で握っている時と、ほぼ同じ力である。ヘッドスピードとともに、インパクトでグリップが緩まない強力なグリップ力が飛距離の上昇だけでなく、安定な方向性にもつながっている。
提供 : 岐阜薬科大学 学長 葛谷 昌之 氏
良い練習場と、良い道具と、自分の鏡を見つけることです。とは言っても鏡のほうは本物の鏡ではなく一緒に練習出来る相棒を探すことです。相棒(鏡)が閃きや改善策を言葉で伝えてくれます。撮ってもらった自分のスイングを見て想像するイメージと違いすぎた。こんな経験はありませんか自分の事は意外と判りにくいものです。
そして悩みは坂田塾で!
http://www.golfdigest.co.jp/junr/juku_sakata.asp