3<発病の経過> 2011.11更新

告知まで

学校卒業後、定年過ぎまで勤めた会社を退職
約半年ぶらぶらした後、健康維持のために、六甲山の斜面に建っているマンション管理人をしました
エレベータが一部の階にしかなかったため、1日に7階分の階段を3往復位はいしていましたが、体調は良く、食事は進み、すこぶる健康的な生活を満喫

その後、知人から「上場を目指したベンチャー企業が人を求めているので、前職を活かした仕事をしないか」とのお誘いを戴き、健康的なマンション管理人の仕事に魅力を感じながらも、お誘いを受けることになりました

新しい会社に着任して少しした頃から、身体の変調を感じるようになりました
ちょっと、長い坂道を登るのに途中で休憩が必要になり、あんなにマンションの階段を上がり降りしていたのに・・・、やっぱり1日中机に向かっているのは健康には良くないのかなと思っていました
それが、だんだん酷くなり、平らな道や廊下を少し歩くだけで、動悸、息切れが激しくなってきました
それでも、私には原因に心当たりがありました
元々歯医者が嫌いで、その頃、歯を痛めていましたが、どうせ将来は総入歯と治療もせずに、昼食も中華お粥のようなものばかり食べていましたので、「栄養失調」かと自己診断していました

私の状態を見かねた家族から、2008年11月22日連休初日の土曜日に、明日からお医者さん休みになるから、今日は絶対に内科と歯科に行くようにと言われて、無理やり家を出されました
その時はまだ、栄養失調で医者に行くのは恥ずかしいけど、栄養点滴でも打ってもらったら、回復するわ、くらいに考えて孫達のお世話になってる医院へ向かいました

そこでは簡単な問診の後、採血され待合室で待つように言われました
気が付くと、採血の針跡から待合室の床に血がぽとぽと落ちています
「済みません、血が止まっていないので、もう一度アルコール綿を下さい」と言っていると、診察室に呼ばれました
「血液に少しおかしい数値が出ていますが、うちでは簡単な検査しかできないので専門の病院を紹介しますから、今すぐ行ってください。今日は土曜日ですが向こうの病院は待ってくれていますから」と言われ、無理やりタクシーに押し込まれました

取り敢えず家族に連絡すると「なんでてそんな遠い病院なん?近くの県立○○病院やったらあかんのん?」
「判らんけど取り敢えずそこに行けって言われてタクシーで向かってるから」とのやりとりがありました


告知 緊急入院

向かった病院に着いて、紹介状などを渡すと、問診票を書いた後すぐに診察室に呼ばれました
ここでも採血の後
Dr「え?一人で来られたんですか?家族の方は何時頃来られますか?」
E「あ、ハイ。呼ばないと来ないと思います・・・・・・呼びましょうか?」
Dr「いえ、問診票の電話にこちらから連絡させていただいて良いですか?」
E「いいですけど・・・・・」
(今日は皆で出掛けると言ってたし、直ぐに来れるのかな?)

腰骨に注射(骨髄穿刺(マルク))されて安静にしているうちに、家族が到着しました(えらい早いやん?)

早速先生からお話し
採血結果を見ながら、
「検査の結果はまだ全部は出ていませんが≪白血病≫です
ただ、白血病と言っても今は治らない病気ではないですから、寛解率は80%で・・・・・いろいろ専門用語を交えながら(厳しい話のカムフラージュか?)」
別の項で書いたとにかく治すからと希望を持たしせくれるタイプの先生でした

その間にも、採血結果の詳細が次々と先生に報告され
急性骨髄性白血病までは判る

Dr「今、個室の部屋をセッティングしていますので、早速入院していただいて、輸血と抗癌剤治療も始めます、よろしいですか?」

E「先生済みません、恥ずかしながら家(うち)は貧乏なので、大部屋にしていただけませんか?」
Dr「(笑)あ、いえいえ、これは準無菌室と言って、治療上必要な部屋ですから、健康保険の対象になります。安心して治療に専念してください」

E「会社に連絡しないといけないんですけど、治療見込み期間はどれくらいになるでしょうか?」
Dr「今後の経過によりますが、一応3ヶ月位で診断書を書きましょうか」

今から考えると1治療6ヶ月は当たり前のこの病気ですが、告知を受けて、ショックな上に、長期の期間を言われると、さらにショックを受けるとの配慮か?最初は短めに言われるようです

発症時の血液データ

                        正常値
WBC 白血球    2612百      33百〜86百 ←26万はかなりのリスク
RBC 赤血球     278万    ♂400万〜540万
Hb  ヘモグロビン  10.4      ♂13.1 〜16.8
PLT 血小板     1万3千      13万 〜36万9千

血液像
Bl   芽球     82.8% ←ほとんどが白血病細胞で占められている
Seg 好中球     1.4%
Lym リンパ球   15.8%
    計      100.0%


余談 1


後で聞いた話

先生が家族に電話したとき、やっぱり直ぐに行けない云々との返事をしていたようです
Dr「ご家族が思っていらっしゃる以上に深刻な状況ですから、直ぐに来ていただけませんか」の言葉で、飛んできました
で、家族は深刻な顔、私はいつも通りのお気楽な顔で先生の告知を聞きました

もしも、最初に診て専門病院へ送って下さった先生が、過労、疲労で栄養剤で済ませていたら、3連休を越せたか?少なくとも救急車のお世話になる事態だったそうです


準無菌室
  画像

病室に案内されました
ここは感染防止(人からうつされない)のために、天井には大型空調機のような空気清浄機(アイソレーター)が付いています
入口のドアと病室の間に厚手のカーテンが敷かれていて、見舞いの人(家族限定)はドアの外で、靴を脱ぎドアの中のスリッパに履き替えて、備え付けの割烹着のようなのを着て、マスク着用でカーテンから室内に入ります
面会者用の椅子は基本的にはアイソレーターの風下に設置されています
室内は、洗面台(浄水器付き)、便器(むき出し(汗))がセットされています
で、患者は別の場所での診察や検査、お風呂(シャワー)の時以外は、部屋から出ることは禁止です
鍵はありませんが、独房です(笑)

白血球の状態や、部屋繰りの都合で、一般個室や大部屋に、クリーンベッドを入れることがあります
クリーンベッドは、ベッドの頭から腰くらいまでを覆うビニールテントで、患者の頭側から足元に均一で清浄な風が流れるようにアイソレータがセットされていて、面会者は風下に座ります

因みに、骨髄移植の前後に使われる無菌室は、面会者は完全入室禁止で、刑務所の面会のように、ガラス窓越しでの面会になります
検査も可能な限りポータブルの機器が持ち込まれますが、不可能な場合は、ストレッチャーにビニールの保育器のようなのを被せて移動します



寛解導入療法

血液がんの抗癌剤治療は、概ね約1ヶ月を1クールとしてそれを数回繰返す事が多いです
因みに私の急性骨髄性白血病M4の場合は

先ずキロサイドという抗癌剤の24時間×連続7日間の点滴をベースに、その他の抗癌剤が並行に投与されます
吐き気防止の点滴も同時に入れられ、以前と比べると気分の悪さはかなり楽になっているそうですが、なかなか胸やけの酷いような状態で食べられないです
点滴が進めば、白血球はどんどん下がり始め、正常値下限3300が、1000以下人によっては、100近くまで落ちます
殆どの抗がん剤は白血病細胞と共に、正常な細胞も殺します

抗癌剤の投与が約一週間で終わると、副作用に耐えながら自力で白血球が復活してくるのを待ちます
準無菌室出入りの基準は、白血球2000〜1000の間だそうですが、治療が進むと、白血球の戻りが遅くなる傾向になります
白血球を戻すのに、悪性リンパ腫ではG-CSF(グラン)という一種のホルモン剤を使用されることが多いですが、白血病の場合は極力自力での復活を目指すようです

白血球が戻ると、大部屋に移動して待機期間になりますが、緊急入院で直ぐに治療が始まった場合には、次回以降の治療に備えて、全身にわたる検査が実施されます



検査と予防的治療


抗癌剤治療は必然的に健全な白血球も攻撃します
なので、免疫が落ちてあらゆる病気に感染しやすくなります、それは無菌室に居て外部からの菌の侵入を防いでも、自分自身が持っていて、普段は大人しくしている潜在的な菌が、免疫の低下で動きだしてきて、それが致命傷となってしまうことも少なくありません

それで、全身の持病の検査が必要になります
但し、次の抗癌剤治療の開始が予定されているため、検査とその治療は7〜10日の短期間で済ませる必要があります

例えば
虫歯、歯槽膿濾、痔など、口とお尻は要注意です
普通は虫歯の治療は歯科に長期間通院する必要がありますが、白血病の治療は待ってくれません、歯と命を、秤に掛けたら当然生きること優先です
なので、怪しい歯は全て抜歯して、後日入れ歯を作ることになります
私の場合、2日間で8本抜きました、一般ではあり得ないことですが、血液がんの治療ではよくあるようです
中には天秤に掛けられない方もいらっしゃって、何度かアドバイスさせていただきました



地固め療法→退院


寛解導入療法が終わって寛解状態になり、検査、予防的治療が終わると、地固め療法に入ります
治療内容は、抗癌剤は変わりますが寛解導入療法とほぼ同じで、私の場合、5回繰り返しました

何故何回も?は、別項「化学療法(判りにくい回復経過)」で述べます

入院から約半年2009年5月9日、完全寛解で退院しました
あとは、月2回の経過観察です

完全寛解というのは、末梢血、骨髄の幹細胞共に白血病の異常細胞が見えない状態<治ったように見える状態>を言います




余談 2


抗癌剤って、無色透明もありますが、強烈な色のがあります
今度のは何色かな?って楽しんでいました

濃紺(ノバントロン)、真赤色(ダウノマイシン)、真黄色(アクラノシン)などがあって効く〜〜〜って感じです
そして、おしっこも、トロピカルブルー、ロゼ色、黄色とカラフルになります

予防的治療の続きのような話ですが
私の場合、天秤に掛ける事件がもう一つありました
失明か命かの選択です

ある日突然、左目が見えなくなりました眼科で調べてもらうと、何らかの理由で血栓が視神経乳頭(目玉の裏側の視神経の束)に引っ掛かって、血液が回らなくなったかららしいとの事、ステロイドパルスというステロイド大量投与の治療も2度試みましたが、症状は改善しません、予定の次の抗癌剤のタイミングが過ぎて行きます
で、私から、「先生、生きること優先でお願いします」と、お願いしました
状況によって、価値観は変わります
ただ、その後は、点滴ルートの詰りは、気になるようになりました(苦笑)



経過観察


完全寛解で退院しても、体内の白血病細胞が一掃されているとは限らず、復活してくる可能性があるので、定期的に外来通院で経過をチェックします

そして、5年間経過した時点で、治癒と見做します
但し、8〜13年後再発って方も、結構いらっしゃるので油断は出来ません

経過観察は人によって、経過年数にによって、その診断間隔は違います
私の場合は、退院直後なので2週間に1回の外来通院です

採血によるチェックがメインですが、骨髄穿刺(マルク)をすることもあります
診察室の扉を開ける瞬間は先生がどんな顔をされているかドキドキします
そして、ニコニコされていたら、その日の仕事は終わった気分で、気楽に先生のお話しが聴けます



再発&今後の方針


退院5ヶ月目のある日、診察室の扉を開けると、ちょっといつもと先生の顔が違いました
Dr「体調はどうですか?」
E「はい、すこぶる元気にやっています。例の漫歩は、仙台の向こう、松島まで行きましたよ」
Dr「そうですか、相変わらずお元気ですね・・・・・。ところで、今日の採血結果ですが。前回の外来で採ったマルクに少し異常値が出ています、早目に手を打った方が良いので、明日から入院出来ますか?」

突然の入院は慣れていますけど、今回の告知は、初発の時よりショックはかなり大きかったです
え〜〜まだ5ヶ月なのに・・・・・・

そして、初発の時には、年齢の事もあるし、白血病の型が予後良好の型でもあるので骨髄移植は考えていませんとの事でしたが、再発になるとそうもいかず、先ず寛解導入療法の後、骨髄移植を前提として治療をすることになりました



臍帯血移植


移植に向けて、先ずは体内の白血球をリセットするために、寛解導入を実施します
抗癌剤の効きはいいので、寛解導入は1度で寛解状態になりました
その間にマルク(骨髄穿刺)をして、HLA(白血球の型)検査をします

骨髄バンクで検索の結果
Dr「EBNON1さんは、日本人には稀な型のようで、バンクには移植可能なドナーさんが見つかりません、臍帯血バンクに、4/6合致のが数個ありますので、臍帯血でいきましょう」
E「お任せしますので、宜しくお願いします」
ということで、臍帯血移植に決定

関連の移植を実施してくれる病院のベッド待ちで、もう一度地固めをして、転院

事前の説明で、年齢的には、ミニ移植になること
臍帯血移植2年後生存率40%とのこと
それと、生着率UPを想定した臍帯血骨髄内移植(治験?)の打診があり了解しました

移植に先立っては、<検査と予防的治療>に書いた以上に詳細な検査があり、全身状態は移植可能との結論が出ました

<事前処置>
ミニ移植なので、抗癌剤もX線全身照射(3グレイ×1)もフル移植よりかなり軽い印象です

<臍帯血骨髄内移植>
通常の臍帯血移植は、25ml位の臍帯血を静脈に注入しますが、骨髄内移植は、マルク(骨髄穿刺)の要領で腸骨(腰骨)2〜4ヶ所から骨髄液を抜いて、あとに臍帯血を注入します

<生着>
移植した新しい造血幹細胞が骨髄内で、新たに血液細胞を作り始めることを「生着」といいます
血液検査で白血球の中の好中球の数が500個以上となった日が3日続くと「生着」と判断するようです
生着までの期間は、ドナーさんからの骨髄移植の場合は10日間くらい、臍帯血移植は約3週間ぐらいと言われていますが人によって異なります
私も、移植から21日で生着となりました

<無菌室>
事前処置から生着までの間は、白血球が限りなく<ゼロ>に近くなり、無防備状態となるので、無菌室または準無菌室に入って感染に備えます

<GVHD>
幹細胞移植後に起きるGVHDは移植片対宿主病と言われ一種の拒絶反応と思うと判りやすいのですが、厳密に言うと、拒絶反応は臓器移植後に後から侵入してきた臓器を敵とみなして、自己の白血球が攻撃することを言い、GVHDは逆で後から来たドナーの細胞(主に白血球)が体内のあらゆる臓器を攻撃することを言います
なので、GVHDは皮膚も含めて身体のあらゆる臓器でおきます

<GVL>
GVLは移植片対白血病効果と言われ、GVHDと同じ現象ですが、元々の白血病の細胞も異物と認識して攻撃することを言います

つまり、GVLとGVHDは、両刃の剣と言える一面があり、その兼ね合いの調整弁が、免疫抑制剤と言えるかも判りません

ちなみに私は、ほとんどGVHDが出ませんでした、なのでGVLも弱く、未だに白血病細胞の残党を引きずっているのかもです?



臍帯血バンク


現在国内に、公的さい帯血バンクが11ヶ所あり、それらに保有する臍帯血の情報は「日本さい帯血バンクネットワーク」が、一元的に管理し、臍帯血を必要とする患者の主治医等が検索できるようになっています

私の場合は、福岡のバンクの女の子から戴いたので福ちゃんと名づけています

臍帯血を取り扱える病院は限られていて、設備と高度の技術に適合した、産院、病院が各地のバンクとの契約で認定されています

臍帯血提供にご協力いただける方は、事前にチェックをお願いします


<注意>併せて、時々話題になる民間の臍帯血バンクです
これは、現時点で管理する法律が無く、技術や経営基盤も明確ではありません

「生れてくる子供のために、たった1回のチャンスだし、iPS細胞などの研究の進展で将来の可能性は無限だから、子どものために是非今からバンクに預けましょう」のように、案内されていると聞きます

しかし、実態は倒産した「つくばブレーンズ」のドキュメンタリーの映像を見ましたが、絶対零度(-273.15℃)で取り扱われるべき臍帯血が、バスタオルで巻いて紙袋に入れて返却されているなど、あり得ないことです
なので、子供の将来に備えることを否定はいたしませんが、自己責任において、管理の実態や経営基盤等も納得された上で、契約される事をお薦めします

公的、骨髄バンクは献血と同じく無償ですが、民間バンクはかなりの保管料を請求されることも聞いています



退院・経過観察


2010年5月、遺伝子レベルの残党450コピーを抱えながら、day74(移植から74日)で退院となりました

再発前の完全寛解の退院と同じく、血管内、骨髄内の白血病残党との戦いと、全身的な体調は連動せず、元気に健康的な毎日を過ごしていました

経過観察も、前回と同じ2週間に1回の通院です
但し、今回は遺伝子レベルでの残党の様子を観察するため、2〜3回の通院ごとに、マルクをされました



移植後の食事


入院中も、暇なのと治療の関係で食事が進まないこともあり
病室での話題は、あれが食べたい、退院したらあれを食べに行きたい、というような話題が頻繁に出ますが
退院したからと言って、すぐに制限から解放されてOKにはなりません

基本は、免疫抑制剤が投薬されている間は、厳しい制限が続きます
そして、期間としては、移植1年後あたりから、徐々に解除されていきます
別の所にも書きましたが、赤ちゃんの離乳食をイメージしていただくと判りやすいと思います
それでも、臍帯血移植やフル合致のドナー移植はまだ緩い方ですが、ハブロ半合致移植となると、制限は更に厳しく、長期に亘ります

考え方は、免疫が弱い分、あた(的)るときついということです


ダメな食物の例
生もの=刺身、寿司、生肉、生野菜、グレープフルーツ(治療薬の効果減)
     冷ややっこ、生卵、半熟卵、自家製マヨネーズ、卵酒
油っこいもの=焼肉、とんかつ、唐揚げ
刺激物=カレー、キムチなど
発酵系=チーズ、ヨーグルト、納豆、ぬか漬け、自家製漬物、生味噌
その他=外国製ミネラルウォータ、蜂蜜&蜂蜜入り食品、

一般には、身体に良いと歓迎される自然系食品や、手作り食品が不可で、防腐剤たっぷりのカビの来ないものや、赤ちゃんの離乳食をイメージしていただくと判りやすいと思います

ここでも、価値観は逆転です(笑)

因みに、お疲れさまの温泉旅行も、当分の間無理です
敢えてという場合、源泉掛流しの、個室一番風呂ならOKですけど、温泉でゆっくりと、言えるのでしょうかね?



臨床的には再発と言わないけれど・・・


移植後の入院中にWT1という検査で、腫瘍マーカーが出ているとのことで、マルクで遺伝子レベル(PCR)の検査をした結果、650コピーの異常があり、GVLを期待して治療を進めていましたが、その後も200〜600コピーで推移していました
その後、退院して経過観察をする中で、180000・290000コピーと急に増え始めました

ここに至って、現在は末梢血中には異常白血球は見えないので、臨床的には再発とわ言わないものの、時間の問題で再発となる事
なので、早目に叩きましょうということになりました



抗癌剤治療再開


臍帯血移植から185日で、初発から抗癌剤治療でお世話になった病院に再入院し、改めて抗癌剤治療が始まりました

先ずは、
<マイロターグ>
分子標的剤と言われる抗癌剤で、病変細胞のみを攻撃します
但し、効果が強すぎて、病状が進んでいる場合には、肝臓や腎臓に負担が掛かり過ぎる事があり、慎重に使う必要のある薬ですが、私の場合には病状が進んでなくて、効果的な治療でした
この抗がん剤は、1ヶ月に1度づづの2回の点滴で、後はひたすら、白血球の減少と増加を待つだけの、超ひまな治療でした
ただ、余談2でふれた失明事件はこの時に起きました

そして、マルクの結果は、一旦250コピーまで下がりましたが、その後3ヶ月の間に、6500→14000コピーとまたまた復活

今度は、骨髄異形成症候群の治療法
CAG療法+マイロターグです

<CAGとは>
C=シタビラン(キロサイド 抗癌剤)
A=アクラビシン(抗癌剤)
G=G-CSF(グラン 白血球造血剤)
の頭文字を繋いだもので、ある種アクセルとブレーキを一緒に踏むような治療法です

この結果、マルクで異常遺伝子検出せず(0こぴー)となりましたが
再発体質を考慮して、引続き骨髄異形成症候群の治療薬である

新薬「ビダーザ」6クールをスタートしました



新薬ビダーザ


骨髄異形成症候群としての治療を続けてきましたが
新薬「ビダーザ」承認につき、2011.4よりビダーザ点滴開始
この薬は、1日10分の点滴×7日+21日間休薬を繰り返します
他の抗癌剤より副作用は軽く、点滴後軽い車酔い程度の体感でそれも貝を重ねるごとに楽になって来ました
同じ治療をされている他の方の中には血管痛の方が多いようでした
この治療は、9クール続きました

(2012.1更新)


略歴(病歴)


1946(S21)年12月 兵庫県西宮市に生れる
            以後、現在まで西宮市内に在住
1953(S28)年頃   小1で肺結核に罹患、約1年自宅療養(頭が良く?留年せ             ずに進級(笑))
1957(S32)年頃   小5で、腎炎発症約3ヶ月入院食事制限
            その後、病ぬけして成人まで大病なし
1969(S44)年    日本酒メーカーに就職、営業、経理、人事、総務、事業開発
2006(H17)年    子会社を経て退職
            その後、マンション管理人・上場を目指す企業の監査役等
2008(H20)年11月 発症 急性骨髄性白血病 M4 inv(16)遺伝子異常
            抗癌剤治療 寛解導入&地固め計6クール
2009(H21)年 5月 完全寛解にて退院
  同年   10月 月2回の定期検診にて、再発確認
            骨髄移植を念頭にベッド待ちの間に寛解導入・地固め
2010(H22)年3月  臍帯血骨髄内ミニ移植
  同年    5月  退院 経過観察
  同年    9月  残留白血病因子(遺伝子レベル)増多のため、入院再治療
            マイロターグ療法 CAG+マイロターグ療法 
2011(H23)年4月 ビダーザ療法
            骨髄異形成症候群治療新薬承認につき
            4月より9クール
2012(H24)年1月 寛解導入療法+マイロターグ療法

(2012.1更新)




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