電車は、3両連接車であるが、乗務員は、運転士1人だけ(いわゆるワンマンカー)である。
運転士が、次の停留所名を、放送する。下車したい乗客は、その時に、下車ボタン(「STOP」と記されている)を、押しておく必要がある。
扉の傍には、「deur open」と記された、開扉ボタンがある(車内及び外側にある)。停留所に停まると、下車客や乗車客は、自分でボタンを押して、扉を開くのである。
発車時は、運転士が、いっせいに全扉を閉める。
乗車券を持っていない時は、運転手のいる扉から乗車して、乗車券を買う。
乗車券は、停留所の近くの店でも売っている。乗車券を持っている時は、運転士のいない扉からも乗車出来る。
下車時の乗車券のチェックはないので、どの扉から降りても構わない。
従って、無賃乗車が可能なシステムである。しかし、抜き打ち的な車内検札があり、その際に無札だと、26ギルダー(2100円位)の罰金を徴収される。
乗車券左:6枚綴り(1984-5-9) 4ギルダー75セント(当時の交換比率で約351円)
乗車券中:1日券(1984-10-7) 7ギルダー85セント(当時の交換比率で約573円)
乗車券右:3日券(1983-10-5)12ギルダー25セント(当時の交換比率で約1007円)
西乗り場(17・5・13・2・1系統)―1983-10-6
東乗り場(4・9・25・24・16系統)―1983-10-6
ダムラク(Damrak)(=街路名)を、中央駅の方に進む電車
―1983-10-7
4系統ライ駅(RAI Station)行きNo.802の車内。座席はクロス・シートである―1983-10-6
ニューウェザイズ・フォールブルフワル(Nieuwezijds Voorburgwal)
(=街路名)を南に進む電車―1983-10-6
ウィレムスパルクウェッヒ(Willemsparkweg)(=ウィリアム公園道)―1983-10-3
2系統中央駅前行きが進んで行く。
ライツェ広場(Leidseplein)からスタットハウデル河岸(Stadhouderskade)へ右折する電車
―1983-10-3
前方、左はマリオット・ホテル、右はセントラル・ホテル
ライツェ街(Leidsestraat)―1983-10-3
ここは、アムステルダムの繁華街の一つである。
道幅が狭いので、軌道は単線・両方向通行である。
停留所毎に、行違線がある。
電車が行違線に停っており、向うから来る電車を待っている。
フェルディナンド・ボル街(Ferdinand Bolstraat)―1984-5-9
ファイゼル街の南に続く通りである。
少し進んで左に入ると、ホテル・オークラがある。
ファイゼル街(Vijzelstraat)―1984-5-9
24系統オリンピア道(Olympiaweg)行きがやって来る。
突当りはムント広場(Munttoren)。
アムステル(Amster)(=街路名)からムント広場(Munttoren)に入って来る電車―1984-10-7
9系統中央駅前行きである。
ムント広場(Muntplein)を行く電車―1984-10-7
右手の塔は、ムント塔(Munttoren)で、17世紀には、造幣所(Munt)だった
ダム(Dam)広場.―1983-10-7
14系統スローテルダイク南駅(Sloterdijk-Zuid Station)行きがやって来た。手前に停留所標識がある。
ウェスト・ゼーダイク(West Zeedijk)を行く電車―1984-5-11
左は美術館公園(Museum Park)。
ウェスト・ゼーダイクとは、「西海堤」の意味。以前は、ここが海岸だったのだろう。
エーントラハト道(Eendrachtsweg)を行く電車―1984-5-11
左(西)に緑地がある。電車は複線で両方向に行くが、自動車は北行一方通行である。
ブラーク(Blaak)(=街路名)を行く電車―1984-5-10
近くに、「荒廃の街の像(Monument de Verwoeste Stad)」がある。
1940年、市街の中心部が、ナチの爆撃で破壊された事を、記憶する為のものである。
ホーフ広場(Hofplein)―1979-9-5
路面軌道が四方に伸びている。電車は、噴水の周囲を回りながら、
直進、左折、または右折を行う。
向かって左に行くと、ロッテルダム中央駅に至る。
ロッテルダム・ヒルトン・ホテル(Rotterdam Hilton Hotel)7階から。