オランダ(Nederland)の路面電車(Tram)


北ホランド州(Noord-Holland)/アムステルダム(Amsterdam)/1983〜1984年

電車は、3両連接車であるが、乗務員は、運転士1人だけ(いわゆるワンマンカー)である。
運転士が、次の停留所名を、放送する。下車したい乗客は、その時に、下車ボタン(「STOP」と記されている)を、押しておく必要がある。
扉の傍には、「deur open」と記された、開扉ボタンがある(車内及び外側にある)。停留所に停まると、下車客や乗車客は、自分でボタンを押して、扉を開くのである。
発車時は、運転士が、いっせいに全扉を閉める。
乗車券を持っていない時は、運転手のいる扉から乗車して、乗車券を買う。
乗車券は、停留所の近くの店でも売っている。乗車券を持っている時は、運転士のいない扉からも乗車出来る。
下車時の乗車券のチェックはないので、どの扉から降りても構わない。
従って、無賃乗車が可能なシステムである。しかし、抜き打ち的な車内検札があり、その際に無札だと、26ギルダー(2100円位)の罰金を徴収される。

乗車券左:6枚綴り(1984-5-9) 4ギルダー75セント(当時の交換比率で約351円)
乗車券中:1日券(1984-10-7) 7ギルダー85セント(当時の交換比率で約573円)
乗車券右:3日券(1983-10-5)12ギルダー25セント(当時の交換比率で約1007円)

↑ 説明は、オランダ語、英語、
フランス語、ドイツ語で記されている。
アムステルダム中央駅前(Centraal Station):ここには、16種類の系統の内、10種類の系統が集まる。

西乗り場(17・5・13・2・1系統)―1983-10-6

東乗り場(4・9・25・24・16系統)―1983-10-6

電車は右側通行である。
運転系統の終点には、ループ線があるので、運転台は一方にしかない。扉も、右側だけに設けられている。

ダムラク(Damrak)(=街路名)を、中央駅の方に進む電車
―1983-10-7

マルテラールスフラハト(Martelaarsgracht)(=街路名)を中央駅の方に進む電車
―1983-10-3

4系統ライ駅(RAI Station)行きNo.802の車内。座席はクロス・シートである―1983-10-6

ニューウェザイズ・フォールブルフワル(Nieuwezijds Voorburgwal)
(=街路名)を南に進む電車―1983-10-6

ニューウェザイズ・フォールブルフワル(Nieuwezijds Voorburgwal)を
南に進む電車―1983-10-3
2系統ホーフドドルプ広場行きである。

ウィレムスパルクウェッヒ(Willemsparkweg)(=ウィリアム公園道)―1983-10-3
2系統中央駅前行きが進んで行く。

ライツェ広場(Leidseplein)からスタットハウデル河岸(Stadhouderskade)へ右折する電車
―1983-10-3
前方、左はマリオット・ホテル、右はセントラル・ホテル

ライツェ街(Leidsestraat)―1983-10-3
ここは、アムステルダムの繁華街の一つである。
道幅が狭いので、軌道は単線・両方向通行である。
停留所毎に、行違線がある。
電車が行違線に停っており、向うから来る電車を待っている。

フェルディナンド・ボル街(Ferdinand Bolstraat)―1984-5-9
ファイゼル街の南に続く通りである。
少し進んで左に入ると、ホテル・オークラがある。

ファイゼル街(Vijzelstraat)―1984-5-9
24系統オリンピア道(Olympiaweg)行きがやって来る。
突当りはムント広場(Munttoren)。

アムステル(Amster)(=街路名)からムント広場(Munttoren)に入って来る電車―1984-10-7
9系統中央駅前行きである。

ムント広場(Muntplein)を行く電車―1984-10-7
右手の塔は、ムント塔(Munttoren)で、17世紀には、造幣所(Munt)だった

ダム(Dam)広場.―1983-10-7
14系統スローテルダイク南駅(Sloterdijk-Zuid Station)行きがやって来た。手前に停留所標識がある。

北ホランド州(Noord-Holland)/アムステルダム(Amsterdam)/2006年

ゴッホ美術館(van Gogh Museum)の前のパウルス・ポッテル街(Pauls Potterstraat)
2006-9-3
左:5系統中央駅(Centraal Station)行き電車(920号車)が進んで来る。
右:5系統アムステルフェーン(Amsterveen)行き電車(911号車)が進んで来る。
1984年とは電車の色が変わっている。
2006-9-3
ウェーテリングスカンス(Weteringschans)(=街路名)を進んで来る10系統ファン・ハルス街(Van Halsstraat)行き電車(2072号)

南ホランド州(Zuid-Holland)/ハーグ(Den Haag)/1979年

ハーグの正式市名は、スフラーフェンハーヘ('sGravenhage)である。
2両編成の路面電車がヨハン・デ・ウィット通(Johan de Witlaan)を横断中である―1979-8-30
プロムナード・ホテル(Promenad Hotel)4階から

ウェスト・ゼーダイク(West Zeedijk)を行く電車―1984-5-11
左は美術館公園(Museum Park)。
ウェスト・ゼーダイクとは、「西海堤」の意味。以前は、ここが海岸だったのだろう。

エーントラハト道(Eendrachtsweg)を行く電車―1984-5-11
左(西)に緑地がある。電車は複線で両方向に行くが、自動車は北行一方通行である。

ブラーク(Blaak)(=街路名)を行く電車―1984-5-10
近くに、「荒廃の街の像(Monument de Verwoeste Stad)」がある。
1940年、市街の中心部が、ナチの爆撃で破壊された事を、記憶する為のものである。

ホーフ広場(Hofplein)―1979-9-5
路面軌道が四方に伸びている。電車は、噴水の周囲を回りながら、
直進、左折、または右折を行う。
向かって左に行くと、ロッテルダム中央駅に至る。
ロッテルダム・ヒルトン・ホテル(Rotterdam Hilton Hotel)7階から。

南ホランド州(Zuid-Holland)/ロッテルダム(Rotterdam)/1979年〜1984年

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