1960年の 筑豊電気鉄道 沿線

The sceneries along
Chikuho Electric Railroad Co. line in 1960

その1 貞元〜土手の内  Part 1 from Sadamoto to Dotenouchi

1960年9月25日(日)の午後 小倉から遠出して、初めて筑豊電鉄に乗車し、全停留場・停車場で乗り降りした。


筑豊電鉄は、八幡市〜筑豊地区〜福岡市の鉄道建設を目的として設立された、西日本鉄道の系列会社である。
建設は、八幡市側から始められ、次の通り、開業した。(1435mm軌間、複線、600V 電化線)

1956年 3月 21日 貞元 筑豊中間 7.3km
1958年 4月 29日 筑豊中間 木屋瀬 4.8km
1959年 9月 18日 木屋瀬 筑豊直方 3.3km
貞元〜筑豊直方15.4kmは、地方鉄道として建設されたが、筑鉄は自社車両を持たず、西鉄北九州線(軌道)の車両が、直通で乗り入れる。

貞元(さだもと)(Sadamoto)(八幡市)
筑豊電鉄の始点は西鉄北九州線の貞元である。但し、筑鉄線内〜貞元折り返しの運行はなく、すべての電車が西鉄北九州線に乗り入れる。
後の1971-8-27、「貞元」が、「熊西(くまにし)」と変わった。

1960-9-25:貞元/西向き(穴生・皇后崎方向)
これは、西鉄北九州線の線路である。門司行き145が到着する。
ここから250mぐらい向こうで、筑豊電鉄が、左に平面分岐する。
右の築堤上には、国鉄鹿児島本線がある。電化のための架線柱の建植が始まっている。
(翌1961-6-1 門司港〜久留米 交流電化完成)

穴生(あのお)(Ano)(八幡市)
筑豊電鉄の最初の停留場は、穴生である。
後の1963-8-25に、貞元〜穴生間に、萩原停留場が設置された。

左:1960-9-25:穴生/貞元方向
  2現示2位式の色灯信号機が用いられている。
  左のプラットフォーム(貞元方向行き)には、簡単な駅舎と集改札口がある。
  只今、社員が1人いる。
右:1960-9-25:穴生/森下方向

森下(もりした)(Morishita)(八幡市)

左:1960-9-25:森下/穴生方向
  砂津行きが進んで行く。
右:1960-9-25:森下/永犬丸方向
  付近には農家が散在している。

永犬丸(えいのまる)(Einomaru)(八幡市)
これは難読地名である。この近くには、上津役(こうじゃく)という難読地名もある。
後(1970年)に、森下〜永犬丸間に、今池停留場が設置された。

左:1960-9-25:永犬丸/森下方向
  左前方を門司行きが進んで行く。右は筑豊直方行き617である。
  左の立柱には 「代用手信号現示位置標」 とある。
  停留場の森下側は、築堤になっている。
右:1960-9-25:永犬丸/三ヶ森方向
  プラットフォームは食い違い位置にある。
  こちら側には、亘り線がある。その先で堀割を抜ける。

三ヶ森(さんがもり)(Sangamori)(八幡市)

左:1960-9-25:三ヶ森/永犬丸方向
  幸町経由砂津行き628が進んで行く。その左に 「線路内通行厳禁」 の立て札がある。(線路を歩く人がいるらしい。)
右:1960-9-25:三ヶ森/東中間方向
  こちら側には、警報機付の踏切がある。

八幡市(やはた)から中間(なかま)市に入る。八幡は製鉄の町だが、中間は石炭の町である。

東中間(ひがしなかま)(Higashi-Nakama)(中間市)
三ヶ森―東中間間は2.2kmある。途中の丘陵地帯が住宅地化されるに伴い、三ヶ森―東中間間に、
西山、通谷(とおりたに)の停留場が設置された。(通谷:1964年、西山:1965年)

左:1960-9-25:東中間/三ヶ森方向
  丘陵を切り開いて、線路が付けられた。
右:1960-9-25:東中間/中間方向
  ここから右手に500mぐらい行くと、炭坑住宅地(中鶴本坑)がある。

筑豊中間(ちくほうなかま)(Chikuho-Nakama)(中間市)
中間市の中心部は、国鉄・中間駅(筑豊本線・香月線)の近くにある。
筑豊中間停留場は、国鉄駅から約1.4km離れた町外れにある。
停留場の傍に、折尾行き、穴生行き、黒崎行きのバス停留所がある。

左:1960-9-25:筑豊中間/東中間方向
  プラットフォームは食い違い位置にある。左下には貯木場がある。
右:1960-9-25:筑豊中間/土手の内方向
  道路を渡る鉄橋がある。300mぐらい先(左カーブの向こう)で、国鉄香月線を渡る。
  プラットフォームに 「線路内通行厳禁」 の立て札があるのだが、線路を歩いている人がいる。

1963-5-1:これは国鉄/筑豊本線・香月線の中間(なかま)駅。筑豊中間停留場からは直線距離で1.4kmほど離れている。
駅の近くには、商店街があるほか、中鶴本坑、中鶴一坑などの大きな炭坑がある。
筑豊本線は、石炭を若松港に運ぶための大幹線で、中間―折尾間は、複々線になっている。

国鉄

土手ノ内(どてのうち)(Dotenouchi)(中間市)
土手ノ内停留場は、後(2008年)に「希望が丘高校前」と改称された。
筑豊中間からはボタ山*を見ながら進む。

*石炭は、岩石混じりで、掘り出されるので、地上の選炭場で、石炭と岩石とをより分ける。
  石炭をより分けて残った岩石を「ボタ」といい、それを積み上げたものを「ボタ山」という。

左:1960-9-25:土手ノ内/筑豊中間方向
  門司行きの電車が進んで行く。その向こうに黒川の堤防がある。
  遠くに、円錐状の山が三つ見えるが、それらは、中鶴本坑のボタ山である。
右:1960-9-25:土手ノ内/筑豊香月方向

中間市から再び八幡市に入る。
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