1:25000地形図「松山北部」から(a map published in 1955)

城南線(松山駅前―道後)と城北線(松山駅前―上一万)は、概ね今日(2012年)と同じである。
本町線は、戦災を受けて休止中で、白い街路になっている。
花園町線(南堀端―松山市駅)が補記されているのだが、記入位置が誤っている。(珍しい地図として記念になるかも…)

城北の練兵場や堀之内の歩兵聯隊などが記載されていて、示されている市街は戦前のものである事がわかる。
横書きの注記は右横書き、漢字は正字である。

古町(こまち)駅の北に跨線橋の痕跡が見えるが、ここは、かつて、松山電気軌道が、伊予鉄道を跨ぎ越していた場所である。
(松山電気軌道は1911年8月11日 開業、1921年4月1日 伊予鉄道に合併;1927年10月31日 立体交差部分の運輸廃止)

また、御寶町(みたからまち)から東北に弧を描いた後、北上し、農事試験場の西で弧を描いてから東に進む道が見えるが、
これは、伊予鉄道(開業当初は道後鉄道*)一番町〜道後の線路跡である。
(*小説「坊ちゃん」を書いた夏目漱石は、道後鉄道を利用して、道後温泉に通った。)
現在の西堀端〜一番町〜道後間は、主として、松山電気軌道の経路を踏襲している。

観光地図「松山市街」(a map published in 1958)

日本交通公社:1956年5月15日初版発行、1958年4月10日三版発行 の
「最新観光地図 四国」(定価80円)から、"松山市街"を引用したもの。

左:モハ63(城南線経由松山市駅前行き)
  1960年にナニワ工機で製造された電車で、台車はナニワ工機である。
  当初から、自動扉、50kw電動機、間接制御、Zパンタ、だった。
  車体は軽量構造、正面の中央窓は広幅になっている。
右:モハ63(5系統松山駅前発道後温泉行き)―約42年後の姿である。
  モハ63は、モハ65と共に、市内線ボギー車の廃車第1号となった。 (2003年3月 廃車)
  軽量構造は、耐久強度に弱点があったようだ。

左:モハ54城南線経由松山市駅前行き)
  1953年にナニワ工機(後のアルナ工機)で製造された。台車は新扶桑金属(後の住友金属)である。
  登場当初は、トロリーポール集電だった。扉は両端に設けられているが、後に後扉が中央に移された。
  今も、現役で頑張っている。
右:モハ57(松山市駅前発道後行き)
  1954年にナニワ工機で製造。台車は住友金属である。
  登場当初からビューゲル集電で、車掌のトロリーポール操作が不要となったため、車掌席が中央に移った。
  今も、現役である。

ボギー電車

4輪電車

左:モハ14(城北線経由松山駅前行き)
  1923年に自社で製造されたもので、台車はブリル(手動ブレーキ)。
  この後の1962年2月に廃車になった。
右:モハ23(本町線本町行き)
  戦災車のブリル台車(手動ブレーキ)を流用し、車体をオガタ正機(徳島)で製造した電車。
  1949年に登場した時は、切妻蒲鉾型という醜い姿だったが、1956年頃に、写真のような姿に改造された。
  この後の1963年4月に廃車になった。

尚、背後に見える入母屋屋根2階建ての家(仙波商店)は、2002年頃まで残っていた。(その後、道路拡幅のため解体)

伊予鉄道・松山市内線の車両 1960年8月17日(水) 公園前で撮影

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地理調査所:1955年3月25日印刷、1955年3月30日発行 (定価25円) だが、
1903年測図 1928年修正測図 1932年鉄道補入 1955年資料修正(行政区画・鉄道)と付記されている。

戦災からの復興がひとまず完成した市街である。
(1956年の経済白書の宣言は 「もはや戦後ではない」 )
本町線は、西堀端―本町(今日の本町四丁目)が、一部経路変更で、復活している。
また、城北線の松山駅前―宮田町が、専用軌道から併用軌道に変更されている。

古町北方の松電線路跡は、不明瞭になっている。

宮田町

この写真集の時代=主として1960年代(1969-11-30以前)=の運転系統は次の通りだった。
城南線 道後温泉―松山駅前
市駅線 道後温泉―松山市駅前
城北線 道後温泉―松山駅前(後に松山市駅前に延長)
本町線 道後温泉―本町(後に本町六丁目に延長)

1960-8-17現在、松山市内線には、29両の電車が在籍していた。
その内、15両(モハ10〜24)は4輪電車(いわゆる単車)、14両(モハ51〜64)がボギー電車である。
ボギー電車が初登場したのは、1951年12月である(今も現役のモハ51〜53)。
ボギー電車の増備と共に、4輪電車の廃車が進められ、1965年2月に、4輪電車は無くなった。

4輪電車
車号 製造 台車 廃車
モハ10〜14/ 1923年自社/ ブリル/ 1962-2
モハ19/ 1926年自社/ 日車/ 1965-2
モハ20・21/  〃  〃 1963-4
モハ15〜18/ 1947〜1948年オガタ正機/ ブリル(戦災品流用)/ 1965-2
モハ22・23/ 1949年オガタ正機/  〃 1963-4
モハ24/  〃  〃 1962-2
ブレーキは手動。但し、モハ15〜19は、1960ー9に、空気ブレーキに変更
ボギー電車
車号 製造 台車 電動機
モハ51〜53/ 1951年ナニワ工機/ 新扶桑KS40J/ 38KW×2
モハ54・55/ 1953年ナニワ工機/  〃  〃
モハ56〜58/ 1954年ナニワ工機/ 住友KS40J/  〃
モハ59〜61/ 1957年ナニワ工機/ 住友FS-78/  〃
モハ62〜64/ 1960年ナニワ工機/ ナニワNK-21A/ 50KW×2
ナニワ工機は後にアルナ工機と改称
  年     改訂
1947 3 1      20銭を30銭に値上げ
1947 5 15 :      50銭に値上げ
1947 7 7 :   1円に値上げ
1947 12 27 :   1円50銭に値上げ
1948 5 18 :   2円50銭に値上げ
1948 7 18 :   5円に値上げ
1950 5 12 :   6円に値上げ
1951 10 20 :   8円に値上げ
1952 6 17 :  10円に値上げ
1957 8 1 :  13円(往復25円)に値上げ
1962 3 20 :  15円に値上げ
1965 11 27 :  20円に値上げ
1967 8 1 :  乗車券発行廃止(料金箱使用)
1969 2 5 :  25円に値上げ
1971 8 26 :  30円に値上げ
1973 11 8 :  40円に値上げ
1975 3 1 :  60円に値上げ
1977 2 18 :  80円に値上げ
1979 11 30 : 100円に値上げ
1981 11 28 : 120円に値上げ
1983 11 1 : 130円に値上げ
1985 11 1 : 140円に値上げ
1989 4 1 : 150円に値上げ
1994 2 1 : 170円に値上げ
2001 4 16 : 150円に値下げ 2012年4月6日現在も150円
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©T.O.
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路線図 route maps of the lines

車両―1960年  Vehicles in 1960

運賃(均一制)の変遷 history of flat fare

回顧  主として1960年代の 伊予鉄道・松山市内線

Looking back on the sceneries along Matsuyama Urban
Tramcar Lines of Iyo Railway Co. mainly in 1960's


史料 historical materials









愛媛新聞:1964-12-11:ボギー車増備と4輪電車全廃の記事

©T.O.

公園前〜南町間:2002-4-19

公園前:1960-8-17