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松山東警察署の前にある停留所である。
この警察署は、自治体警察と国家警察とが併存していた時期(1948〜1954年)は、松山市警察署だった。


1911-8-31の電化当時は、この停留所は無く、およそ100m北に、「六角堂前」停留所が設けられたが、
1944-3- 6に、六角堂停留所は廃止された。
1962-3-18に、警察署前停留所が設けられた。
尚、六角堂稲荷大明神常楽寺は現存している。

左:1966-1-3:警察署前/北向き(上一万方向)
  左の労研饅頭(ろうけんまんとう)と中央の喜安ビル(白色3階建)との間の道が、かつての 松山電気軌道の経路である。
  喜安ビルの向こう側には、六角堂稲荷がある。
  後の1977年頃に、安全地帯の向こう側に、交通信号機が設置された。
右:1965-2-14:警察署前/南向き(御宝町方向)
  停留所名の基になった松山東警察署は、画面外、左側にある。

城南線 御宝町(みたからまち)→勝山町(かつやまちょう)
Katsuyama-cho,  former Mitakara-machi, Jonan Line

この停留所は、長らく「御宝町」だった。近くに、江戸時代から続く御宝町があったからである。
江戸時代、この辺りは百姓町で、"百姓は国の宝"という事で、御宝町、と名付けられたという。
1967-1-1、停留所がある町名に合わせて、「勝山町」と改められた。

左:1966-1-3:御宝町/北向き(警察署前方向)
  通りの右側にある、塔の付いた建物は、松山東警察署である。
  この建物は、1968年頃に、解体されて、5階建のビルに建て替えられた。
  安全地帯は、松山駅前・松山市駅前方面行きのものである。
  1981年頃に、乗り場は交差点の西側に移った。
  右に停まっているバスは、奥道後温泉観光バスである。
  この頃は、同社は、路線バスを運行していた。(ページ末尾の切り抜き参照)
右:1967-1-2:勝山町/北向き(警察署前方向)
  右に愛媛相互銀行本店がある。(1960年にビル完成)


1948年に、交差点の中央に、円形の緑地が設けられた。線路はそれを貫いていた。
1957年頃に、円形緑地は撤去され、交通信号機が設置された。

左:1961-1-3:御宝町/南向き
右:1967-1-2:勝山町/南向き
交差点の向こう側(西南側)には、給油所(APOLLO)と菅野鋼材製品倉庫がある。
交差点の向こうに伸びている道は、今は国道11号線となっているが、撮影当時は、交差点から左(東)に分岐する道が国道11号線だった。

©T.O.
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左:1962-1-4:御宝町/東向き
右:1967-1-2:勝山町/東向き
交差点の向こう側(東北側)に、愛媛相互銀行の本店(5階建)(1960年完成)がある。
愛媛相互銀行の右を、向こうに伸びている道は、国道11号線(新立橋・枝松経由)である。
後に交差点から右に分岐する道が国道11号線になった。(延長上の永木橋が、とりあえず2車線で開通したのは、1978年.。)

左:1966-1-3:御宝町/西向き(一番町方向)
  建設中のビルは電電公社松山市外電話局である。
右:1967-1-2:勝山町/西向き(大街道方向)
  松山市外電話局は完成済。
  右の大分銀行の向こう側に、空き地(住友生命ビル用地)がある。


1981年頃、西行きの安全地帯は、交差点の西側(画面内、左)に移った。
2002年頃、右の大分銀行は解体された。

©T.O.
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©T.O.
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1967-1-2:勝山町西方/西向き(大街道方向)
右端は伊予ビル(5階建)です。
左手の白いビル(4階建)は井手ビルである。その左で、中市ビルが建設中である。
井手ビルと中市ビルとの間の小道が、かつての松山電気軌道の経路である。
更に左に広島銀行松山東支店(4階建)があるが、これは、1996年9月に閉鎖された。

©T.O.
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1965-4-22:一番町東方/東向き(御宝町方向)
伊予鉄会館から見下ろした風景。
手前の電車は道後温泉行きモハ66である。
その先の交差点(左は歩行町(かちまち)、右は一番町)には未だ信号機が無い。
電車通りには自動車が沢山駐車している。
自動車の通行が少ない時代だったので、それが、許されたのであろう。

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回顧  主として1960年代の 伊予鉄道・松山市内線

Looking back on the sceneries along Matsuyama Urban
Tramcar Lines of Iyo Railway Co. mainly in 1960's


城南線 警察署前
The Police Station, Jonan Line

1964-12-8 愛媛新聞