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西鉄/北九州線:八幡市内
(1963-2-1 八幡市は北九州市八幡区となった。1974-4-1 八幡区は八幡東区、八幡西区に分割された。
尚、陣山〜折尾は、後の八幡西区に属する事になる。)
中央町〜前田町、及び、前田町〜黒崎駅前(国道3号線)は、道幅が広く、歩道、安全地帯がある。

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今は無き西日本鉄道/北九州諸線の軌道風景(1959〜1962年)
(Past sceneries along Kitakyushu Lines of Nishi-Nippon Railroad Co.)

陣山(Jin-yama)

陣山―1962-6-10
左:桃園町方向。左にガスタンクがある。左に黒崎窯業の煙があがっている。
右:紅梅町方向。沿道には店がある。

紅梅町(Kobaicho)
後に、停留所名が「紅梅」と変わった。

紅梅町―1962-6-10
左:陣山方向。前方にガスタンクがある。その向こうに、八幡製鉄所/第四製鋼工場の煙があがっている。
右:黒崎方向。左のビル(4階建)は、八幡高等技芸学院である。

黒崎―1962-6-10
左:紅梅町方向。遠くに、八幡製鉄所/第四製鋼工場(平炉)の煙突列がある。
右:黒崎駅前方向。家々の向こうに、井筒屋百貨店八幡店(1959年開店)の塔屋が覗いている。

黒崎(Kurosaki)
後に、停留所名が「藤田」と変わった。

©T.O.

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黒崎駅前(Kurosakiëkimaë)(Kurosaki Station)
黒崎は、交通の要衝である。門司方面から筑豊本線に直通する列車は、黒崎で、連絡線に入り、折尾をとばして、筑豊本線に入る。
また、筑豊電鉄が分岐しているほか、八幡市西部のバス交通の中心となっている。
黒崎の最近の発展は著しく、は、中央町に代わって、八幡市の中心地になろうとする勢いである。
尚、黒崎駅前―熊西間は、西鉄/北九州線廃止後も、筑豊電鉄が使用している。

©T.O.

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黒崎駅前―1961-2-5
左:黒崎方向。黒崎駅は左にある。右には、賑やかな筒井通りが分岐している。
  折尾方面行きの乗り場は、広場の向こうである。小倉方面行きの乗り場は、広場のこちらである。
  道路の保守状況は悪く、舗装が破れ、水溜りが出来ている。
右:黒崎車庫前方向。右に小倉方面行きの乗り場がある。北九州線は、ここから先は、専用軌道になる。
  左に見える広い道は、国道3号線である。黒崎駅は右にある。

黒崎車庫前(Kurosakishakomaë)(Kurosaki Car Shed)
黒崎駅前から西は、専用軌道である。高速運転をするので、信号機(2現示2位式)がある。
また、架線がシンプル・カテナリになる。

©T.O.

黒崎駅前―1960-9-25
井筒屋百貨店八幡店の屋上から見た駅前。
左手、連接車が停まっている所が、小倉方面行き乗り場である。
黒崎駅の駅舎は平屋で、右に跨線橋が見える。駅の向う側に、安川電機の工場がある。

©T.O.

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黒崎車庫前―1962-6-10
左:黒崎駅前方向。折尾行きNo.507が停まっている。
  左手向うの方、電車が停まっている所が、黒崎駅前である。
右:貞元方向。延命寺行きNo.1044が停まっている。
  右奥の方に、黒崎車庫がある。

貞元(Sadamoto)
貞元では、筑豊電鉄が分岐する。その開業経過は、次の通りである。
 1956-3-21 貞元―筑豊中間(ちくほうなかま)7.3km開業
 1958-4-29 筑豊中間―木野瀬(こやのせ)4.8km開業
 1959-9-18 木野瀬―筑豊直方(ちくほうのおがた)3.3km開業
筑豊電鉄は、自前の車両を持っていない。同社は、法規上は、地方鉄道だが、西鉄/北九州線(法規上は軌道)の電車が、乗り入れる。
1971-8-27、「貞元」が、「熊西(くまにし)」と変わった。

貞元:黒崎車庫前方向―1960-9-25
専用軌道区間では、高速運転を行うので、信号機(2現示2位式)が使用されている。
左に国鉄/鹿児島本線(線路別運転複々線)が平行している。撮影当時は、未だ、電化されていない。
(1961-6-1 門司港―久留米電化)

©T.O.

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貞元:皇后崎・穴生方向―1962-6-10
200mぐらい向こうで、筑鉄線が左に平面分岐する。尚、筑鉄線の次の駅は、撮影当時は、「穴生」だったが、
1963-8-25、貞元―穴生間に、「萩原」駅が設置された。
右に国鉄/鹿児島本線(線路別運転複々線)が平行している。1961-6-1、門司港―久留米が電化された。

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