唐戸(Karato)
唐戸は下関市の中心地である。市役所、商店街、魚市場、唐戸桟橋などがある。
長関線から市内線が分岐している。
「唐戸」は、唐、つまり外国への門という意味と思われる。1906〜1941年の間は、唐戸に、英国領事館があった。

長関線(下関駅前―長府駅前)―2.唐戸〜御裳川
今は無き山陽電気軌道の軌道風景(1959〜1963年)
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©T.O.

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唐戸の商店街―1959-9-6
左は唐戸新天地、右は唐戸本通りである。

唐戸の商店街―1959-9-6
これは赤間中央通りである。

唐戸の商店街―1963-7-7
これは赤間本通りである。突き当たりのビルは、下関市役所である。

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唐戸―1962-7-1
左:西南部方面。自動車の直ぐ向こうで、左に曲がって行くのが、長関線である。
  こちらに伸びて来るのが市内線である。二輪車の向こうに、ポイント操作所が見える。
右:西南部側から見たもので、右に曲がって行くのが長関線、直進してから左に曲がるのが市内線である。

赤間神宮前(Akamajingumae)
赤間神宮の前身は阿弥陀寺である。1875年に阿弥陀寺が廃されて、赤間神宮になった。
1185年、近くの壇ノ浦で源平合戦があり、平家一門は滅びた。
赤間神宮境内には、安徳天皇阿弥陀寺陵、平家一門の墓がある。
また、阿弥陀寺は、小泉八雲「怪談」の一話「耳無し法一の話」に登場する。それに因んで、境内には耳なし法一の像がある。
また、赤間神宮の隣りには、旅館・春帆楼がある。1895年に、日清戦争の講和条約(下関条約)が締結された場所である。

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赤間神宮前―1962-6-24
左:左手前の坂は、春帆楼への進入路である。その向こうに、赤間神宮の水天門(竜宮門)が見える。
右:右に赤間神宮の石玉垣がある。

壇ノ浦(Dan-no-ura)
1185年、ここ壇ノ浦で、源平最後の戦があった。
平家は敗れ、平家の奉じた安徳天皇は、二位の尼に抱かれて、入水した。

壇ノ浦―1962-6-24
左:赤間神宮前方向。左側の家の直ぐ裏手に海岸がある。
右:御裳川方向。今は直ぐ向こうに、関門橋(1973年完成)があるが、これは、橋が出来る前の風景である。
  手前に亘り線がある。

御裳川(Mimosusogawa)
御裳川(みもすそがわ)という小流が海に注いでいる。
ここには、関門国道トンネル(1958年3月9日開通)の人道口がある。
また、直ぐの傍の火の山(高さ268m)へは、ロープウエイ(1958年4月1日開通)で登る事が出来る。

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御裳川―1959-8-20
電車は、長府駅前行きモ603である。
右の建物は、関門国道トンネルの人道口である。(ビルの1階にエレヴェーターがある。)
後(1973年)に、直ぐ向こうに関門橋が架けられた。

関門国道トンネルの人道―1958-3-29
トンネルが開通してから20日経過後の情景である。
通行料は10円、地上の人道口から、エレベーターでトンネルまで降りる。

御裳川―1962-6-24
左に関門国道トンネルの人道口がある。
正面の山は、火の山で、頂上(268m)には展望台がある。

御裳川―1963-7-7
火の山展望台から見下ろした景色(135mm望遠レンズ使用)。
電車通りの右に、関門国道トンネルの人道口がある。
電車通りと海岸との間は公園になっている。

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御裳川―1963-7-7
海岸から対岸(門司市和布刈(めかり))を見たものである(135mm望遠レンズ使用)。
この部分の関門海峡の幅は約700mである。
対岸の建物は、関門国道トンネルの門司側人道口である。

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