2000年3月 まちに待った 退院 !!
入院中仲良くなった医学生さんと映画を見に行く 。
体慣らしのつもりですぐに学校に行きはじめる。
春休みには、家族で九州旅行をたのしみました。
或るとき、翔希が「俺、幸せや」とぽつんと言いました。
4月 緊張の連続なのか学校から帰ってくるとよく体を休めている。
2年半振りの学校生活なので付き合い方や考え方に戸惑っている様子。
学校でどうしてるのかきくと「クラスの様子を見てる。目立たないようにしてる」と言ってました。
5月 体調がすぐれず学校を休む。
4月から初めてのこと。足が痛くて眠れなかったらしい。
それでも遅れて学校へ行く。
翌日、校外学習である「花博」に行く。
とても楽しかったようだ。
不思議な事に、膝にあった腫瘍が消えているのをMRI検査で知った。
6月 トライヤルウイークがはじまる。
毎日お弁当を持ってごみ処理場へ行く。
お弁当を残らず食べて帰ってくる。
自分で修理した自転車を持って帰ってくる。
7月 初めて中間、期末テストを受けてどう思ったのだろう。
授業が終わるとクラブに行き、へとへとで帰ってくる。
人と違って疲れやすいくせにそれを見せない。
1日を目一杯使っている。
8月 久しぶりに家族で旅行。うそみたいに体調は、良好。
明治村、名古屋城などに行く。
9月 やっと兄弟そろっての運動会。
全部の競技には出れないけれど出来る限り参加。
嬉かったようだ。
10月 中連体に参加する事ができた。
組体操もする事ができた。
毎日の練習は、きつくて帰ってから横になる事も多かったけれど・・・
友人関係も変わりつつあるように思う。
11月 マリナコンサートがあった。毎日、歌の練習にがんばった。
友達と遊びに出かける事が多くなった。
楽しくて仕方がないようだ。そして、付き合いかたの難しさも知る。
12月 2学期もおわり。2回目の中間、期末テストを受けての成績がでる。
よく頑張ったと思う。
友達と居る翔希はよく笑っている。
2001年を友達と迎える。
2001年 1月 風邪もひかず元気に3学期を迎える。毎日、友達と遊びに出かける。
あまりにも穏やかな日々を送っていたせいか、少しずつ体がおかしくなって
いる事に気が付かなかった。 それは、突然やって来た。
熱がでて、インフルエンザだと言われ、薬を飲むがよくならない。
それでも、少しましになると兄と映画を見に行く。気力だけで行ったように思う。
自分でも不安だったに違いない。
咳が何時までも続き治らない。体がしんどくて横になってる毎日。
2月 毎日のように抗生剤入りの点滴をうけていたがとうとう、腰の
痛みで苦しむところまできてしまった。
血液検査の結果もかなり悪い。
何とか痛み止めと再び始まった治療のおかげで小康状態までになる。
3月 入院を勧められる。が、翔希は外来を望む。
外来で出来る限り頑張りたいと翔希は言う。
言葉通りよくやったと思う。USJに行けるまで体調を保つことができた。
4月 3年生になる事が出来た。待ちに待った修学旅行に行く事が出来た。
熱があってもどんな事があっても絶対に行くと言っていたけれど体調も良く楽し
い時間のようでした。
体調が悪く学校を休むように言うと「1日休むとずっと休んでしまう。 僕は、皆
んなと居るほうが元気になる。だから休めと言わないでほしい。」と・・・
友達と肩を組んで歩いていたり、コンビニの前で友達と溜むろったりするのを
楽しんでいた。
5月 連休が明けたころから1週間ごとに症状が悪くなってくる。
足があがらなくなってくる。自転車を漕ぐのがつらくなる。
13日に友達とカラオケに行く。この日をさかいに歩けなくなる。
自分の意志とは、関係なしに立つことも歩くこともできなくなる。
1日中寝ている。息の仕方もおかしい。物も持てなくなりつつある。
とうとう入院することになった。入院前日は、家族で中華料理を食べに行く。
から揚げをとてもおいしそうに食べていた。
5月28日 入院。
29日 治療開始。3日間の予定。
30日 体が動かないので皆に気を使い尿の管をつける。
31日 尿の管はとても痛いはず。一言も泣き言を言わない。
6月 1日 薬を入れたのに良くなっていないと本人が看護婦さんにこぼしたらしい。
2日 頭を痛がる。1日中眠っている。
3日 永眠。