仏教の思想的・宗教的特色を、仏教以前と同時代の宗教・思想と対比する。

 仏教以前の思想であるリグ・ヴェーダによる古代インドの祭式思弁は天・空・地の三界にある天上の神々に対して、火神アグニュを媒介として祭官によるマントラ読誦などの儀礼行為によって豊穣な生活を願うものであった。この「賓客歓待儀礼」という祭式は「呪術儀礼」へと内容を変化させ祭式的思弁は宇宙・祭式・人間という三つの次元の相関関係へと昇華して、後の仏教の「縁起思想」にまで繋がってゆく。また祭式用語ニダーナ(結び)は仏教の因縁・因果関係の意味として使われていることも注目である。ウパニシャッドの時代になるとその思想は神への供犠に関する秘儀ではなく、梵・我(アートマン・ブラフマン)に関する秘儀へとその対象が変化して、師はバラモンに限らずクシャトリヤでも厭わないようになった。これが後の身分制度を超えた運動(仏教もこの流れの一環)へと発展してゆく。

●祭式儀礼の内面化から輪廻思想への移行

次にヴェーダ時代の後期、古ウパニシャッドの時代になってインドの諸宗教を特徴付ける「輪廻」「業」「解脱」といわれる重要な概念が登場する。それまでリグ・ヴェーダ以来の主題であったイシュターループタ(祭祀と布施の効力)という概念を一連の祭式行為から切り離し、「輪廻と業を組み合わせ」を説いたヤージュニャヴァルキャの存在が後の仏教成立に大きな影響を与える。その思想は輪廻と業を説き、欲望を持たない者の不死なるブラフマンへの転生の可能性を説き、その方法としてアートマンの希求を勧めた。この人間行動の内面化は一層深化してアートマンの五蔵説となり、ウパニシャッドのアートマンとブラフマンを融合した思想の展開となり、身体の中にある五重のアートマンはブラフマンと同質で誰もがブラフマンを有するという内在化へ変化していった。このことは人間のマクロコスモス的な見方からミクロコスモス的な見方への大きな転換である。仏教はこのような価値観の転換期に興ったもので、佛陀はアートマンの存在やブラフマンの内在という考え方を熟知した上で無我を説いたが、アートマンは後の仏教的思想では五蘊の和合へ、またブラフマンの内在は大乗仏教の佛性思想にまで繋がってゆくように思われる。

●釈尊と同時代の他の思想家達

このように佛陀以前の宗教・思想界はバラモンの伝統的な祭式中心のものであったが、業や輪廻の思想の出現や個人の行為による天上への転生が可能であるという思想が出現すると、ヴェーダや祭式の権威や帰依が揺らぎ始め、新しい考えを展開する出家の思想家達が現れた。彼らは「沙門」(サマナ・シュラマナ)と呼ばれ、出家・林住・乞食生活を生活基盤にして、一般人や新興の裕福な商人たちの布施によって支えられ、多くの流派・見解を唱える思想家たちが百花繚乱のごとく輩出した。釈尊が活躍し始めたころ、こうした中に「六師外道」と呼ばれる指導者がいた。それは、プーラナ・カッサパ[i]、マッカリ・ゴーサーラ[ii]、アジタ・ケーサカンバリン[iii]、パクダ・カッチャーヤナ[iv]、ニカンダ・ナータプッタ[v]、サンジャヤ・ベーラッティプッタ[vi]などで、彼らは善悪の業・果報を無視あるいは超越した立場を表明する一見非常識で倫理観を否定する思想家たちであったが、釈尊はゴーサーラの無因無縁論、自動的輪廻浄化説に対しては縁起思想を説き、努力無用の宿命論に対しては意思を重視した業思想を説いた。またジャイナ教の開祖ニカンダ・ナータプッタの苦行という解脱道に対しては、仏教の業とは意思であると意識的業を説き、輪廻・解脱の主体としての霊魂については、その存在を否定してジャイナ教と対立した。

  仏教の思想的・宗教的特色

他の思想家たちと対立していたとはいえ、仏教は善悪の業を超越し輪廻からの解脱を目指していることを考えると、六師外道の考え方は方法論的に異なっていようとも、業の超越という点では根底において釈尊の考え方と共通のところがあるようにも思える。ヴェーダ祭式による天上への転生、因果応報、倫理観、自己責任思想という考え方からはじまり、自らの輪廻的な生存を苦と見てそれからの解脱、涅槃寂静に至ろうとする他の宗教家たちの思想と比較して、釈尊による仏教の思想的・宗教的特色は次のようなものであったといえよう。

この世は全て苦の連続で自分の思うようにならない。なぜなら種々の原因と条件が相乗し複合し融合して生滅している「衆縁和合」の均衡バランス状態だからである。生類や社会も人間関係はすべて四苦八苦して衆縁和合しながらも不定で無常である。つまり不滅の本体がないので「空」であるとも釈尊は説く。この衆縁和合を超えた我への執着が苦の根源であると考え、それを打破して平静な衆縁和合を保つことが涅槃寂静・解脱であり、これを説いた四聖諦[vii]が仏教の思想的・宗教的特色である。



[i] 全裸の修行者で何をしても善悪の業が生ずることも、それらの果報もないと唱えた。道徳否定論者とも言われる。

[ii] アージーヴィカ教団(邪命外道)の開祖で、厳格な生活規律を立てたが、努力や才覚の如何を問わず、輪廻はしかるべきときまで続き、しかるべきときが来たら輪廻は止み、すべての人は解脱すると唱え無因無縁論、決定論、宿命論を唱えた。

[iii] この世は地、水、火、風の四元素の離合集散で成り立っており霊魂もなければ来世もない。従って善悪の業の果報を受けることもないと唱えた。唯物論を唱えた。

[iv] 世界は水、火、風の四元素に加えて苦、楽、霊魂の七要素で成り立ち、それらは互いに独立した不変のもので何の関係もない。業思想に対してアンチテーゼを唱えた。

[v] ジャイナ教の開祖で、いかなることに対しても多面的な推量を重ねて、一面的な論壇を避けなければならないと唱えた。四重禁戒論者である。

[vi] いかなる形而上学的な質問にも捉えどころのない鰻論法でおうじて、いかなる見地にも立つことも否定した不可知論を唱えた。舎利弗と目連はサンジャヤの高弟であった。

[vii] 四諦ともいう。

 苦諦 渡したい破苦しみの存在であるという真実

 集諦 苦しみの根底には原因があって、それは煩悩であるという

真実

 滅諦 苦しみの原因である煩悩が消滅すれば苦しみも滅し、それ

が悟りであるという真実

 道諦 悟りのために正しい生活方法がると言う真実

森 章司 国書刊行会 仏教的ものの見方 16