大乗仏教の起源について。
大乗仏教に対する上座部仏教は、教義の体系化、深化という面では仏教史上大きな功績があった。だが半面、出家のための仏教、学者のための仏教となってしまい出家者もしくは学者以外には立ち入り難い集団になってしまった。この流れに対して仏教を一般に開放する運動が大衆部の中から興ってきたと思われる。それは仏教の最終目標である苦しみからの解脱、成仏は出家者だけでなく、一般の人々も在家のまま仏教の究極の理想を極めることができるというもので、前田慧雲の「大乗仏教大衆部起源説」がこれである。
この大衆部起源説に替わって平川彰は大乗仏教の起源を「在家仏教と仏塔信仰」に求めた。大乗仏教は部派教団と並列的に存在し在家仏教の流れが発達して成立した教団で、生活の基盤を仏塔信仰と布施に置いていた。この説を支持した静谷正雄も初期大乗仏教の興起を仏塔信仰に求め、釈尊の入滅後、仏舎利塔が建立され、やがて墓守やガイド役などをしない部派仏教の僧伽とは別に、ストゥーパを管理し参詣者をガイドする法師という仏教専門家がうまれ、それが大乗と名乗るに至ったと考えた。この平川説は多くの者に支持されたが、その後以下の諸学者に批判されることになる。
●佐々木閑の説=出家教団在家支援説
部派仏教と大乗仏教は対立せず同一の原因から生じた二方向の現象で、僧集団の内部から生まれ出家者と在家者が一体となり興起した。
●袴田憲昭の説=出家教団起源説
伝統的仏教教団の「作善主義」のもと、大乗経典ができ、その創作、論述活動が後に発展変化して大乗仏教になった。
●下田正弘=伝統教団復古主義的運動
大衆化・世俗化していったのは伝統仏教側で、多くの出家者たちは早期から世俗化を批判し仏陀本来の理念への回帰運動をしていた。
●村上真完=部派教団内部起源説
部派教団を批判しながらも、一般の人たちに出家を勧めた修行者達が主となって大乗仏教が興起した。
●杉本卓州=部派・仏塔関係起源説
仏塔建立には長老達の深いかかわりがあり、仏像や彫刻にも部派部の長老達の佛陀観、菩薩観などの思念が大きく反映されている。
● 蜜波羅鳳州=部派教団内浄化運動起源説
「宝聚経」の中に大乗と非大乗の沙門の混在を見出し、大乗仏教は塔崇拝以前の部派教団内の浄化運動が始まりだったとする。
●ショペン-=経巻崇拝地起源説・周辺地域起源説
仏塔の寄進者には在家だけでなく出家も相当の数いることを指摘。また初期大乗経典の定型句から経巻崇拝も重視していたと反論。
●ハリソン=禁欲修行者中心仮説
大乗を五つの要素[i]について考察。在家は禁欲的で僧伽とは密接な関係にあり、既成教団は自己の賛美のため呪術を活用していた。
● シルク=大乗各部派起源説
律の系譜で区別される仏教の部派から起こり、大乗は部派の数や経典の数ほどあり紀元二〜三世紀頃までに平準化・普遍化された。
● デリーヌ
大乗教義成立の為には精通した禁欲修行と哲学的な環境が必須で、多くの在家者は瞑想・智恵といった複雑で精妙な新機軸は理解できなかった。
● ナッティア
日本で重要視されているとかサンスクリットのテキストが残っているとかの先入観や予断を排除し菩薩の厳格な在り方を説く「ウグラの問い」に注目することが重要。
※平川説擁護を唱える学者の意見。
●フェッター
仏塔の管理者と参拝者達の中で在家信者が重要な役割を果たし、中には佛陀の行為を疑似体験するものもいたことを挙げ平川説を擁護。●梶山雄一
佐々木閑の破僧定義が成されたのは紀元前三世紀なのに大乗仏教の歴史的展開は紀元後一世紀である。この間の大乗的要素について佐々木の説明は不十分として平川説を擁護。
※次に最近の大乗仏教起源説の最近の流れを見る。
●荒牧典俊
大乗仏教とは比丘、在家信者が発菩提心により菩薩となり、仏名を唱え大乗経典を読誦して三昧のもとで佛の臨在を体験する新たな汎仏教的布薩運動である。
●ハリソン
林住の隠遁者、瞑想、テキストの伝承、口誦から書写への移行などこれらの要因をすべて整合させたときに、大乗の発生が理解される。
● 村上真完
解放的思考を取る既成仏教教団内に新しい理想と理念を語る経典が作られ、部派仏教の中で大乗経典にもとづく開かれた宗教として興起した。
以上の諸見解を考察して、私は佐々木閑の「出家教団在家支援説」を支持する。それは哲学的で深遠な仏教教義は一般人には理解の限度を越えおり、出家して師僧のもと梵行過程を経なければその解釈いや思想展開は無理であったろう。だが在家信者たちの来世への不安・幸福への希求に根ざす業・輪廻思想に対する思いは大であったろう。従って出家教団を支援することによって間接的に出家者と同様な功徳を得ようとするのは当然であろう。従って大乗仏教起源は出家教団と在家の経済的支援の双方の働きかけによって成されたものと考える。