RFL当日のリポート

当日のプログラム

2011.9.10
14:00 講演会「緩和ケアの現状と課題」 関本クリニック院長 関本雅子先生
16:00 オープニングセレモニー           ・
16:30 サバイバーウオーク・一斉ウォークスタート・
17:30 チーム紹介                  ・
19:00 エンプティーテーブル(ルミナリエに向けて)
19:00 キャンドルランセレモニー         ・
20:30 キャンドルランスタート           ・
21:00 第一部終了                 ・

2011.9.11
06:30 ラジオ体操                  ・
07:00 朝のれくダンス                ・
08:30 キャンドルランフィナーレ          ・
10:00 サバイバーウォーク&一斉ウォーク    ・
11:30 終了    


JIMEsanのblog<遊ぼう ! ジメさんの ひろば>「RFL芦屋感動物語
詳しくリポートされていましたので、引用させていただきました

今日は RFL芦屋当日の 人との出逢いとつながりについて書こうと思います。
それぞれの方の内 ブログを書いておられる方がRFL芦屋について書いておられますので 色文字をクリックしてご覧下さい。

ジメさんたちのチーム「フェニックス」は 2007年の第1回は「エアロがんがん行こう。」と言う チーム名で参加しました。
2008年 第2回から「フェニックス」となり「がんと闘う力は 人とのつながり」のスローガンを掲げました。
第1回に 遠く日立市から来られた「フェニックスさん」との出逢いがあったのです。
そのご縁が次々と広がり 今年は RFL茨城 稲沢 さいたま 芦屋で 延べ60名位の方が参加されました。

今年の芦屋「フェニックス」には TIP塚口の仲間は ヨッチ & はるるん夫妻、KUWAさん、AKIさんの4名
小学校の同級生 TAIRAさん、大学の同級生 DOUYAN、
ピースボートの仲間 松阪市の「つるし雲さん」と母上、
岐阜の「まぁーさん」と お友達の 神戸のHIROKOさん、
西宮の「チロルさん
阪神・芦屋駅前のアンダーウェア・ショップの「nanaさん
RFL稲沢で知り合い 初参加の HIROさん、
アイアンマン・カナダから帰国したばかりの 愛知の「おりちゃん」と 旦那さん、
そして飛び入りと言うか 全国のRFL制覇を目指す 川崎市の「ヒデさん」と ジメさんの
合計17名となり 当日になって大所帯となり有難かった。
毎年 色々とお手伝いをして貰うが 今年は 女性陣に ルミナリエ・キャンドル・サービスをお手伝いして頂き 沢山の参加者と交流して頂けた。

そして今年の芦屋のグランドのテント村には 「オレンジ・フェニックス」と「ナチュラル・ランニングクラブ」「フェニックス」が 友好チームとして 軒を並べることになった。

第 3回が終了した後 mixi「RFL関西」で 偶然 EBNONさんの書き込みを見つけた「RFLに参加して 大きなパワーを貰った。来年は がん友を 誘って一緒に参加したい。」とあり EBNONさんのページを見て 同じ大学の同窓生と思い 書き込んだのが最初だったと思う。
そして 同じ病棟で「ルミナリエ博士・八田さん」と つながりがあることも分かった。
そして 昨年のRFL芦屋で一緒に歩く約束をしたが 直前になって 病院へ逆戻りされてしまった。
その時 頼まれて車椅子を押させて貰ったのが「島ちゃん」だったのである。
チーム「フェニックス」の皆さんが 島ちゃんを優しく受け入れ 励ましの言葉をかけたのだ。
RFLの直後に 彼から貰ったメールに「仲間に入れてくれて嬉しかった。来年は 必ず家族も連れて参加するから よろしく。」とあった。
島ちゃんは その後 再入院したが がんを克服されたが 免疫力低下で肺炎にかかり 12月初めに 二人の小さな息子さんと奥さんを残して旅立たれた。

EBNONさんから連絡があり 「島ちゃんママさん」が逢いたいと言われていると聞いたので たまたま尼崎市体育館のエアロビックス大会のお昼休みに EBNONさん 島ちゃんママさん、「島ちゃんの妹さん そして岐阜から応援に来ておられた まぁーさんの5人でお逢いした。
そこで「島ちゃんから貰った命のバトン」を引き継いで 来年のRFL芦屋に 家族全員で参加したいので協力して欲しいと聞いた。
それからも 入退院を繰り返すEBNONさんと二人で相談しながら 着々と準備が始まった。
妹さんのマジョンナさんの講演会」、「EBNON夫人のヴァイオリン・コンサート」、RFLチャリティー京都コンサートなどで スタッフ仲間と逢う度に 島ちゃんママは前向きになって行かれた。
そして 血液系がん患者と家族を中心としたチーム「オレンジ・フェニックス」が誕生した。ジメさんは その時まで オレンジ・リボンが 血液系腫瘍のシンボルカラーと知らなかった。
また 妹さんが関わっておられる「子ども虐待防止運動」のシンボルカラーだと知った。
EBNONさんは 病院生活とパソコンを有効に生かして「EBNONノート」のWEBサイトを立ち上げる一方 病院長や 患者さんを RFL芦屋に連れ出す作戦を実行された。
そして 参加申し込み締め切り時点で 子どもさん達を含め 全部で 32名になったと聞き驚いた。
その後も 続々と仲間が増え RFL芦屋会場には 45名がお顔を出して下さった。

ルミナリエの直前に オヂイちゃんが 双子の赤ちゃんのベビーカーを押して会場に来られた。
ジメさんが行灯を空けて 乳母車を通して上げたら「EBNONさん 何処におられますか?」と
聞かれるので チームテントまで案内しながら「EBNONさんと 私は 同じ大学なんです。」と言うと 老人が「私も 同じ大学でラグビーしていたんだよ。」
よくお顔を見ると 58才で肝臓がんで死んだ ジメさんの兄貴の葬儀を仕切って下さった 兄貴と同級のK先輩だった。先輩も すぐに「コジメか?」と思い出して下さった。
「EBNONさんから誘われて 初めて来たけど ええイベントやな。元気もらえるわ。」と誉めて頂いた。先輩も 白血病で治療中だと教えて下さった。兄貴が 引き合わせてくれたと思った。

島ちゃんママさんも 二人の息子さん ご家族全員で歩かれ 多くの皆さんと 語り合いを楽しんでおられた。
シンボルたすきの引渡し役も お子さんと3人でステージに上がり 無事大役を果たされた。
きっと 島ちゃんも 雲の上から降りてきて 喜んでいたに違いない。
翌朝 昨年のシンボルたすきの 島ちゃんの手形を見たいと言われたので 一緒に探したら 来年も一緒するよと ジメさんと指切りげんまんで 小指を重ねて押した手形があった。
島ちゃんのサインはなかったが 手形の下に「感謝」と 島ちゃんの筆跡を見て 島ちゃんママは 暫く 手形に手を合わせて涙を堪えておられた。
ジメさんは「がましないでいいんだよ。涙見せてもいいんだよ。にんげんだもの。」と ささやいた。
妹さんのマジョンナさんは「子ども虐待防止運動」のために 自作された「e-love-smile」のCDを鳴らしながら 元気に歩かれ CDの売り上げを募金に廻して下さった。
一番 張り切っていたのは EBNONさんだった。「病院長も帰られたから 適当に切り上げて 体力温存せぇよ。」と注意しても とうとう朝まで あっちこっちで楽しく交流されていた。
RFLと 笑顔は EBNONさんにとって 一番毒の無い治療薬なのだろう。
今週末は 一緒に 亀岡市のRFL京都へ行く約束をしている。

さらに つながりは広がるのである。
八田さんが 兵庫医大病院で治療中から関係のあった「ビレッジ2000」つながりの「ナチュラル・ランニングクラブ」は 昨年も参加して下さったが「今年 は 八田さんの弔いランニング」と さらに多くの仲間に呼びかけて キャンドルラン参加を表明され 友好チームの仲間となった。
チーム・キャプテンの宝塚市のMORIWAKIさんは「神戸骨髄献血の和を広げる会」「全国骨髄バンク推進連絡協議会理事」として活動されている熱血漢であり プレイイングマネージャーのUEDA女史は 夜を徹して走っておられた。
ランの合間に聞くお話は ジメさんも 自分のがん以外のことは全く知らなかったことを思い知らされた。

これを機会に 3チームが手を取って お互いに協力し合って 少しでも がん患者と ご家族に役立つよう 活動をしようと言うことになった。
本当に「その時の出逢いが 人生を根底からかえることがある 良き出逢いを」相田みつを である。 





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