花の頃
クシュン…クシュン…
桜の花の下、スンスンと鼻をすすっている奴がいる。
「あーあー、だから言ったろ。こんな寒い日に花見なんかよせって」
「そんな事言っても昨日まではめっちゃポカポカ陽気やったやん。詐欺やわ〜。こんなん…」
恨みがましい目を向けられて、きっぱりと否定する。
「文句を言うなら空に叫べよ。俺のせいじゃねぇぞ。俺はちゃんと電話したぞ。 『どうしても今日出掛ける気か?』って念も押した。それでも‥」
「わかってるって。俺ですー。絶対今日、花見をするって俺が言いました〜。ヘッ…ヘッ…ヘイックション!」
強がりと豪快なくしゃみ。
それでも足を止めようともしない意地っ張り。
(まぁ、今に始まったことでもないが)
そんな後ろ姿を見つめながら、ふぅ…と、煙と共に吐き出すため息。
大体、最近の天気予報は嫌と言うほどよく当たるんだ。
昨日のうちから『朝夕は、一季節前に戻るような冷え込み』と言われてた事などアリスだってしっかりわかっているはずだ。
それでも、頑として譲らない。
「ほーんと‥頑固者‥」
ポツリと呟いた先で、また盛大なくしゃみが繰り返されていた。
峠の茶屋といった雰囲気の道添いの古ぼけたお店に足を踏み入れたのは、数分後。
こんな日は、花見酒が一番似合いそうだ、と腰を下ろす。
といっても、車で来ているのでどちらかは我慢しなくてはと火村はお茶を啜っていた。
「はぁ‥おいしい」
熱燗で舌を潤して、ようやく身体も暖まってきたのだろう。
ほんわりと赤い頬で団子にも手をのばしている。
「結局、花より団子か?」
「そういうわけでもないけど‥。ま、ちょっとばかり寒かったのは事実やな」
「ちょっと‥ね。まったく、桜は逃げやしないのに‥」
「でも散ってまうやんか。来週まで待ったら雨の日もあるって言ってたし」
なんだ、自分よりもしっかりと天気予報をチェックしていたのはアリスの方か‥と火村は苦笑い。
「別にここで見なくても、他にも名所はたくさんあるのに。さ、帰ろうか」
京都でも奈良でも奥の方に行けば、まだ二分咲きといった所もたくさんある。
「まだやもん」
ポツリ。急にトーンダウンしたアリスの声。
「ん?」
「‥先行くから!」
ちょっぴり拗ねて言ってのける。こういう反応には必ず裏がある。
考え込んだ火村を前に『ごちそうさん』と怒ったように言ってのけ、とっととアリスは歩き出した。慌ててコートを手に追い掛ける。
「おいっ、ちょっと‥待てよ、どこ行く気だ? アリス」
視線の先。たんたんたん…と、アリスは更に奥への階段を上がっている。
結構、急な段差を慌てて追いかけながら、ふと思う。
(そういえば、こんな事…前にもなかったか?)
きつい勾配を昇りきった先。
小さな社の前のまだひょらりとした一本の桜をアリスはじっと見つめていた。
近付いた姿をふわりと抱き込むとお互いに体力が落ちているのか、まだ息が荒い。
はぁはぁ…と整わない息のまま、抱き締める。
「ごめん…約束…だった…な…」
花見だと騒ぐ人々に気付かれないでひっそりと育つこの木を毎年この時期に見にこよう…そんな約束。いつのまにか恒例行事になっててすっかり忘れてた。
あの時、ちょっとしたケンカの後、偶然見付けた小さな桜が仲直りのきっかけだったんだ。
だから、アリスはこの日にとても拘っていたというのに。
「ごめんな」
「…知らん…」
近付ける唇の端でくしゅんとアリスはくしゃみをした。
でも、怯まずに重ねてしまう。
「…んんっ…ん」
腕の中、ぽかぽかと抗議をしてみせるアリスに許しを請う為に、しっとりと、ゆっくりと…説得を重ねていく。やがて…その手はきゅっとコートの衿を掴んだ。