あの頃のまま
目が覚めても外はなんとなく鈍よりと曇っている。
すっきりしない…。そんな感覚を引き摺っているような感じでソファから身を起こす。
はらりと落ちた毛布は記憶にない。
多分、誰かがかけてくれたのだろう。
といっても、この部屋で誰かといえば一人しかいない。
でも、見渡す視界にこの部屋の主はいない。
そういえば、何故俺はここにいるんだ?
辿る記憶。
セミナーの為に来日していたゲストを空港に見送りに行った足で、不意打ちを食らわした。
『悪い…原稿あるから…適当にしてて』
チャイムの音に出迎えに来たアリスはそう言ったきり仕事部屋に戻ってしまった。
一分一秒でも惜しいといった風な態度に帰ろうかとも思ったけど、どうみても修羅場ってますって様子のアリスに何か食べさせないとまずいと思って上がりこんだんだった。
でも。
ありあわせで作れそうなものがないほどに何もない。
余りあまって腐らせるよりはましだが、こんなまま外に出てないなら完璧に身体がばてるだろう。
買物に行ってもよかったがこの寒さだ。ついでに降り出した雨が結構きつかったので面倒で止めたのだから、結局のところアリスの横着ぶりを呆れる資格もないのだろう。
「しかしなぁ…全く…死ぬぞ…まじでこんな生活続けてたら…」
ぶつぶつと呟きながら。
仕事しながら手を伸ばせるようにと考えて、残っていたクラッカーにハムやチーズを乗せていく。
修羅場モードのアリスを邪魔したくはないので出来るだけ近づかないようにはしているが、実はその期間が一番心配だったりする。
普段のほんわかぶりとは違って鬼気迫る迫力で仕事に没頭している。と、言えば聞こえはいいが、結局のところ、衣食住の基本もなく、着の身着のまま、食だの睡眠などお構いなしで…になるのだ。
計画的に…なんてのは、アリスにはない。
その辺りの事を心配して話をしても。
『そんなん無理に決まってるやん』と笑われるのが落ちだ。
『文章なんて出てくるとまとまってくるし、かけるときはとどーっとかけるけど、てにをは一つが気になってずーっと進まんことかてあるもん。火村かて、論文とか書いてるしわかるやろ』
当然といえば当然の言葉を変えされるだけ。
それはずっと変わらない。
学生時代から何度も繰り返した会話だ。
いや、まだあの頃の方が今よりましだったかもしれない。今みたいに生命に関わる状態で文章を搾り出す事もなかったから、好きだけで書いていられたってのもあるだろうし。何より若かった。少々の無理なんてどうって事ないと思えたし、無茶をする事が情熱の証明みたいで生き生きしていた。
とはいえ、アリスが執筆を生業にするために仕事を止める事を決めた時は、心底安堵したものだ。
あのまま両立するなんていわれたら、身体が持たないとわかっていたから。
でも、最近。ふと思うのだ。
こうして一番好きなことを職業に選んでしまったとき。
逃げ場をなくしてしまったら、余計に苦しいのかもしれないと。
無論、今の状況に満足していないわけではない。
望んだ職業に就いている人間なんて今時一握りなのだから。
『好きなことをしているんやから、幸せやで』と、どれだけ修羅場を繰り返してもアリスは笑って言う。
ただ、見ているほうははらはらするのだ。
あんな無茶苦茶な生活では、今度こそ身体を壊すんじゃないかと、心配で心配で。
「だから、うちに来いって言ってんのになぁ。強情な奴」
折に触れ、口説いている。
アリスが自由業になった辺りから、ずっと。
この際だから、一緒に暮らそうと。
でも、この件に関しては何故か頑ななアリスは首を縦に振ろうとはしない。
理由を問い詰めても『今のままでいい。いや、今のままがいい』とさらりと答えられるだけ。
何故だと何度尋ねても、『いいったらいいの』とにっこりかわされて。。
挙句の果てはベッドの中で夢中にさせられて立ち消えになってしまう事だってある。
「…まぁ、俺がうだうだ考える事でもないけどなぁ」
アリスにはアリスの生き方がある。
それは当然の事。
わかっていても、どうしても考えてしまうのは恋人としては当たり前。
「もう一度口説いてみるか…」
アリスが目の前の難敵を片付けたら。
しかし、おそらく返事は決まっているだろうけど…。
もしかすると、俺の人生は…こうやって、あいつを口説き続けて終わるのかも。
…なんて思ったあの頃のまま…
今も、こうしている俺たちがいる…。
おや、まじに…アリスが出てこない話だ。
そして…本当に現実なのは。たったの二行(笑)
でも、今も昔も手玉に取られるのは火村だって事で…。
うちのアリスって…めちゃ強いのかも(爆)