『ふたりいっしょに』  asato/作

「ただいまーー、っと」
 3日間の缶詰めから解放され、ゆっくり眠ってついでに古本屋巡りもして、陽が少し傾きかけた頃、ようやく私は家に帰り着いた。誰も応えるもののない玄関をくぐる。
「うあ、蒸し風呂や〜〜」
 閉め切った部屋の温度に閉口して、慌ててリビングへ直行し、エアコンのスイッチを入れる。
 ―――と。ふと感じた微かな……気配。
「……ひむら?」
 もうキャメルの匂いが染み込んでしまっているだろうこの部屋では、残り香なんかわからないはずだと思うのに、ほんの少しだけいつもと違う、空気。
「火村? 来とるんか?」
 そんなはずがないことは部屋の温度が証明しているのだが。未練がましく視線で捜してしまった私が見付けたのは、テーブルに残された1枚のメモ。
 曰く、
『学会で札幌に行く。
 飛行機の時間が早いので、ホテル代わりに泊めてもらった。
 宿代は冷蔵庫の中。
 PS お疲れさん。脱稿おめでとう。』
 
「火村……」
 来てたんだ。今朝まで、この部屋に。
 あと1日早く仕事が終わってたら! なんて、それは無理な相談だったけど……
 今更悔やんでもしょうがないけど、やっぱりガックリしてしまう。
「ちぇー」
 ホテルを出てから古本屋巡りなんかしないで、さっさと帰ってきたとしても間に合わなかったであろうことだけを慰めの材料に、なんとか気を取りなおそうと努力する。どうしようもなかったんだ。これが、『あと1時間早く帰ってたら逢えた』なんていうタイミングだったら、立ち直るのにもっと時間を要することだろう。


 缶詰め中に溜まった衣類を洗濯機に放り込むだけにして、火村が冷蔵庫に補充しておいてくれたビールをプシッと開け、ソファにどっかりと寄りかかる。薄手のカーテン越しの日差しは、まだまだ夕焼けにはほど遠くて。夕方なのに、まだ高い位置にある太陽にすらヤツ当たりしたくなる。暑いやないかー。
 あー、かったるい。
 出掛ける前も修羅場だったから、当然洗濯物は山になってるし(部屋はなんとなーく、出掛ける前より片付いてる気もするけど……)、火村には会えんかったし。
 今日はもう、なーんもせんと、寝てしまおうかなぁ……

 と、電話のベル。携帯じゃなくて、部屋の方のだ。まだ留守電を解除していなかったので、慌てて走る。

「はいっ、ありすが……」
『よう、帰ってたな』
「ひむら?」
『下手すると俺が帰るまで缶詰めから解放されてないんじゃねえかと思ったが』
「アホ抜かせ!」
 開口一番これかい。久しぶりだっていうのに〜 たまに甘い会話が恋しい気分だったけれども、火村がそのつもりなら受けて立たねばなるまい。
「そっちこそ首尾はどうやったんや? アガってトチったりせえへんかったやろな?」
『発表は明日だからな。今日は面白そうなヤツをちょっと覗いただけだ』
「ふーん」
 火村に限って、そんなヘマするはずはないと思うけれども。
 このへん、惚れた弱みなのかもしれないが(ちょっと例えが違うか)、火村がなんでもそつなくこなすだろうということを、私は無条件に確信している。アイツも昔は、人並みに上がったり失敗したりすることもあったようだったが、最近はどうなんだろう……?

「北海道かぁー。ええなぁ〜 すし屋は? ラーメン屋は行ったか? メロンは? とうもろこしは?」
『お前なぁ。こっちは仕事で来てるんだぞ』
 食い意地の権化と化した私に、火村が笑う。北海道と聞いて、とっさにそれしか思い浮かばない自分が情けないが、久しぶりに火村の笑い声が聞けたから、まぁ、いいや。
『ああでもすし屋か。……いいな。これから行こうかな』
「あーずるいー! 自分ばっかりーー」
『そんな声出すなよ。お前の恨みがましい顔が浮かんで、せっかくの鮨が不味くなるだろうが』
「うう〜、いいなー。俺も行きたい!」
『どこへでも行けばいいじゃねえか。取材旅行とやらには、もう行かせてもらえないのか?』
 にやにやと、意地の悪そうな笑いを浮かべていそうな声。そりゃあ私だっていい大人だし、一人旅も大好きだ。その気になればどこへだって行けるけれど……
 悔しいのは、ワザとに違いない火村のこんな言い方。魂胆見え見えやっちゅーねん。反射的に、いつものように軽口で返しそうになったけれども……
「―――イヤや。火村と一緒がいい」
『…………』
「いつか、連れてって。な?」
 いつもは憎まれ口ばかりだけれど、たまには素直に甘えた声を出してみたりして。ま、今のは素直というよりも、どっちかっちゅーと悪ノリ、という方が正しい気がするけれども。
『了解。今度は一緒に来ような』
 ……ぷ。
 しょーがねえな、的などこか悦に入った気分が見え隠れする、火村の満足そうな声が耳をくすぐる。思ったとおりの反応に、私もくすくすと笑いたい気分になる。
「絶対やで!」
 いつか一緒に行こうな。北海道も沖縄も、いっそのこと海外にでも。

『それじゃあ、俺はこれからすし屋を探しに出掛けるかな。旨い店に当たるように願っててくれ』
「んーーー? しゃーない。下調べ、っちゅう条件付きならな」
『なんだか心が狭くなったんじゃないのか、お前』
「ほっとけ。食い物の恨みは恐ろしいって言葉、知らんのか」
『わかったわかった。今度連れてってやるから、いい子で待ってろ』
「調子に乗んな!」
 全く。下手に出ると、これだから……
「……ま、ええわ。待ってる間、おとなしく原稿しとく。仕事終わったばっかりやのに、俺って真面目やなー」
『お前はそれが仕事だろう?』
 ちぇー。誉めて誉めて、って気分で言ったのに、あっさり返されてしまった。
『じゃ、切るぜ。またな』
「うん…… あ、火村!」
『ん?』
「……明日、しっかりな」
『サンキュ。上手くいくよう、応援しててくれ』
 一応、それなりに緊張はしてるんかなぁ? 単純な私は、そういう面をちらっと見せてくれたということだけで、なんだかほわっと嬉しくなる。
「任しとき! そういうことやったら、無条件で祈っててやる。―――頑張れよ」
『おう。じゃ、な』
「ん、またな……」

 プツンと切れた電話を手にしたまま考える。火村が帰ってきたら、今度はどこへ行こうかな。
 なにも遠くじゃなくたっていい。散歩でも、買い物でもなんでもいいから、無性に2人でどこかへ出掛けたい気分だった。地元でも、探せばまだまだ穴場はあるはず。
 俺も探しとくから、君もどこか見つけたら連れて行ってな……

「さて、と……」
 ぐったりと疲れた気分だったのが、嘘のように浮上しているのに気付く。……我ながら、なんてゲンキンなんだろう。
 今日はのんびり休もうと思っていたけど、火村の発表が明日だっていうなら、私も羽根を伸ばすのはもう少し延期しようかな。明日、火村から無事終了の報告がくるまで、私も一緒に仕事の日にしよう。……の前に、まずは洗濯やな。
 火村も、口ではああ言っていたけど、すし屋に行くのは明日にお預けにして、今夜は簡単に済ませるんじゃないかという気がする。あれで案外、仕事には(熱心とは言い難いが)真剣に取り組む男だし。
 そうだ。私も明日の夕飯は、たまにすし屋に食べに行こうっと。
「したら今日のところは、ラーメンでも作るかぁ」
 特製、味噌バター帆立コーンわかめラーメンにしよう。……例えホタテ缶に冷凍コーンに乾燥ワカメだとしても。今日は野菜の買い置きがないけど、これだけ入れれば充分ではないか。
 行ったつもりで北海道や!

 自分のやっていることに苦笑しつつ、お手軽なお揃いを演出する。……気分だけでも繋がっていたいから。
 そして帰ってきたら、本物に思いっきり懐いてやるんだ。
「あ。帰りの予定聞いとかな」
 迎えに行こう。少しでも早く、気分だけでなく直接会えるように。
 中断されていた『2人いっしょ』が、少しでも早く再開されるように………




可愛いお話をありがとうございました。
聞くところによるとモデルがいるとかいないとか(爆)
本物になつくアリス…いいなぁ…うらやましい!