───真夜中
 呼ばれた気がして、目を開ける。
「火村?」
 声をかけても、聞こえてくるのは規則正しい寝息。
「空耳かな…」
 視線を巡らしたところで、二人しかいない部屋の中だ。傍らで愛しい人が眠る姿があるだけ。
 日常では考えられない程の無防備なその寝顔に安心して、眠ろうとまぶたを閉じかけて、はっとする。
 また、聞こえる…、声。
『アリス』と、自分の名を呼ぶ声。
 とても深くて、とても安らぐその声の主はどう考えても火村のもの…なのに。


 *****


「変やなぁ。あ、また」
 アリス…
 どこか遠くからその声はする。
 遥か遠い所から聞こえるような‥。 
 遠くから───
(まさか ) 
 再び身を起こすと、アリスは暖かい腕から抜け出した。その主を起こさぬ様に、そおっと‥。
 
 冴えた空気の中。静かに部屋を移るとベランダ越しのカーテンを開けてみる。
「うわぁ!」
 月が青い‥
 とても青い‥
 そんな月の出る世界で出会ったもう一人のヒムラ。迷い込んだ自分を助けてくれた彼は、異世界の魔法使い。こちらとは違う時の流れの中で。心地よい時間を共に過ごした。
 でも、ずっと傍に居て欲しいと請われた時にうなづく事は出来なかった。
帰りたい、と願った。
自分の世界へ。本当の、自分にとってたった一人の火村英生の元へ。いつか魔法使いのヒムラが彼の本当のアリスと出会う事を願いつつ‥。
 そんな月の出る世界で出会ったもう一人のヒムラ。迷い込んだ自分を助けてくれた彼は、異世界の魔法使い。こちらとは違う時の流れの中で。心地よい時間を共に過ごした。
 でも、ずっと傍に居て欲しいと請われた時にうなづく事は出来なかった。帰りたい、と願った。自分の世界へ。本当の、自分にとってたった一人の火村英生の元へ。いつか魔法使いのヒムラが彼の本当のアリスと出会う事を願いつつ‥。

「ヒムラ‥なん? 俺のこと呼んでるんは‥」
 青い月に問いかける。
『…あぁ…聞こ…るか…‥』
「うん。ちょっと遠いけど」 
『そうか。さすがに青い月の夜だな』
 送る力を強めたのか、さっきよりもはっきりと聞こえてきた。
「あぁ、それで。ヒムラの力が強くなる日やな」
 魔法の力は青の月の賜。エイト城のヒムラはその力を授かる事で力を増す。
『といってもあまり長くは無理だろうから。…約束したろ、いつか俺のアリスと出会えたら必ず教えるって』
「会えたんや!」
『婚礼の夜なんだ。俺とアリスの』
「うわぁ、ほんまに、よかったやん!」
 おめでとう、と言おうとしたアリスの肩をふわっと包み込む暖かさ。
「どうしたんだ?」
「あ、火村‥」
「なかなか戻ってこないから。風邪ひくぞ」
 現実の火村の声が、耳元で聞こえてなんだかとても幸せな気分になって自然にほほ笑みが零れたようだ。
「なんだよ。ご機嫌だな。何かいいものでも見えるのか?」
「え‥うん。月がキレイで」
「そうか?」
 覗き込む火村の横顔が月明かりに輝く。
 やっぱ、えぇ男やな‥なんて思うと、彼氏自慢がしたくなって。
「なぁ、火村」
「ん?」
「キスしよ」
「どうした? 突然」
「いいから、キスしてや」
 目をつむってせがまれて、火村はふわっと唇を寄せる。
 優しくて、暖かい‥。大好きな火村の匂いが、すっと遠ざかるのを目を閉じたまま引き止める。
「もっと‥」 
「…どうしたんだ?」といいながらも、深まるくちづけ。
 離したくない、離れたくない。
 そんな想いを伝え合う自分たちの姿を、魔法の世界のヒムラは見ているのだろう。
 それでいい。見て欲しい。自分の選んだ自分の世界の火村の事。この腕の中で自分がどれだけ満たされているのかを知っていて欲しい。
 そして、新婚ほやほやの向こうの二人に負けない位、幸せだと見せつけたいから‥。
「アリス‥」
 ベッドへと眼差しで尋ねる火村に首を振り、アリスは火村の背に手を回す。
「‥大好きや‥火村」

 月の光の中重なる影は、やがて吐息と共に沈んでいった。


おわり
旧サークルの10冊目を記念してアンケートを実施して、回答頂いた方に「合言葉」という本をを無料配布させて頂いた時に載せた話の一つです。その本にはこれまでの話のエピソードを何編か載せました。「月がとっても青いから」へのリクエストはほんの内輪の方々に頂いたものでした。でも、一番書きたかったのが当の本人だったので、嬉々として書いた憶えが……。これもね、あちらの世界のひむありを実は書きかけて、途中でどこかのFDで寝かせたままだったような。
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