…First


予兆はあった。
そうなるような…。

夏の日差しに負けないようなアツイ眼差しがいつも見つめていたから。

×××

蜩の声と風鈴の音がやけにミスマッチな午後だった。
火村の下宿を訪ねるのは二週間ぶりぐらい。
高校までと違って大学の夏休みというのは本当に人それぞれだったから、先週の集中講義の間は、火村の姿を見かけることもなく過ごした。

それはそれで…よかったと思う。

いや、それどころか…。
本当は逢わない方がいいのかもしれない。今日だって…。
ためらいつつ、パスを降りる。
「…赤信号…か」
その少しの間に息を整える。
何をそんなに緊張してるのか、と思うけれど。

へんやんな…。
『今から…寄ってもいい?』
そんなことをわざわざ電話で確認するなんて自分でもらしくないと思う。
いつもなら、気まぐれに押しかけて…いなきゃいないで、ばあちゃんか猫に相手をしてもらっていくらだって時間を潰してるのに…。
案の定、火村からは鋭く指摘されてしまう。
『ああ、どうした?わざわざそんな…」
『え、いや…ほら夏休みやし、バイトの時間も変わってるかなって思って…』
『いや、いつもどおり変わってないぜ。今日は全然、暇してる』
『そしたら…行くわ』と、校門近くの公衆電話で受話器を置いてから…実は二台、バスを見送った。
バス停で見知った顔に出会わなければ、もう一台も見送ったかもしれない。
『あれ?有栖川…どっかよるの?』
『うん、ちょっと…』
『どこまで?』
『銀閣寺前…』
『あ、じゃあ、次のバスだな…俺、その先まで行くんだ』
なんて…会話の中で乗り込んで『お、着いたな』と見送られて、ここにいるのだ。

信号が変わる。
人々が動き出す。
「……あぁ、もう…なるようになれ…やんなぁ」
ぱしぱしと頬を叩いて、アリスは点滅し始めた横断歩道を駆け抜けていった。

×××

「遅かったな。もしかして、歩いてきたのか?」
読書タイムだったらしい火村は、アリスの姿を見るなり本を置いて冷蔵庫を開けた。
「え、いや…ちゃうよ…。ちょっと図書館に寄り道してから来ただけ」
嘘だけど。
「そうか…。ほら、麦茶」
「ん…ありがとう」
「暑かったろ、外」
そんな季節の話から、たわいない話が続く。

それはいつもと変わらない二人の会話。
知り合ってから一年と少し。
まるで遠い昔から知り合いだったような錯覚を起こすが、まだたった一年しかたってはいない。
…でも、誰と居るよりも自然で、誰と居るよりも気楽で。いつのまにか自然に入り浸たるようになっていた火村の部屋。
用事があるわけではなく、ただなんとなく傍にいる。
それだけで居心地のいい場所……のはずだったのに。

このところ。
少し足が遠のいていた…。
理由は…沈黙が怖くなったせいだ。
勿論、一緒にいてもずっと話をしているなんて事はありえない。それは当たり前の事。
でも、火村の間では、その沈黙さえ心地よかった。
別々の事をしていたって、なんとなく一緒の場所にいるってことが楽しくて。傍にいるだけで落ち着いて。

それが、ここのところあかん。
ぎこちない。
話が続いているうちはいい。
でも、ふっ…とおとづれるちょっとした間。それがなんだかやけにぎこちない。

理由は…多分わかっている。
なんとも奇妙な日本語だけど。
多分…。

あの視線がいけない…と思う。
ふと気付けばいつも自分に注がれている火村の視線。
時にそれは突き刺すような熱を持っている。
始めはその意味がわからなかった。
いや、今でも本心は知らない。
あくまでも推測。
自分の思い過ごしかもしれない。かなり自惚れ混じりの…。

ただ、あれは…。
恋をするものの目だ。
…焦がれて、見つめる…熱の篭った…あの視線。

否定した。
男同士だと。
いや、それより何より…親友にそんな疑いをかける自分がおかしいのだと…自らに怒ってみたり…。
…だけど、近くに居れば居るほど、わかってしまう。
火村の視線の先にあるもの。
それが自分だってこと。
キャンパスでも…どこでも…火村の眼差しははっきりと自分を捕らえている。
あの焼けるような視線で。

そして…問題は…知ってなお、離れられない自分だ。
いや、寧ろ、喜んでいる自分がいる。
やけに自分にとどまる鋭い視線に『…目、悪くなったんか…』なんて聞き返していたのはついこの間のことだったのに。
『いいや…そんなことない』と視線を外した火村の苦笑の意味も、わかってなかったのに…。
……一旦、思い当たってしまったら、見てみぬふり…そんなものでは治まりがつかないようになってきている。
そんな気がして。

気付かなければそれでよかったのに…。
もし、バランスが崩れたら…俺は…きっと…。

ふぅ…思わず零れた溜息。
「どうした?」
「え、いや…別に…えっと…何の話してたっけ…」
「…別にどうでもいいことさ…」
「そう…」
それきりで止まってしまった会話。
…きまりが悪くて…残っていた麦茶に口をつける。

ごくんごくん…って音が異様に大きく響いている気がする。
…火村が見ているから。
身体の芯まで見透かしてしまいそうな鋭さで。
じっと俺を見つめている…。

…火村は無言で語り続けている…。
熱く…熱く…。

「もう一杯もらっていい?」
…そそくさと…立ち上がる。
慌てた指先からグラスが滑り落ちた。

「あ……ご、ごめん」
からからん…と畳の上を転がったグラスを拾おうと屈みこむ。
でも、その指はグラスに届かない。
「えっ!」
熱い手に包まれた掌。
「……何を脅えてるんだ…アリス…」
潜めた声で火村は問う。
無言のまま首を振る俺を包み込むように…火村は…ふわりと俺を抱き寄せる。
「アリス」
…擦れた呼びかけ。
「…離して…」
なんて言ってみたところで…それは単に条件反射みたいなもので…。
ゆるい腕の中、俺は逃げようなんてしてない。
「…アリス」
さっきよりも近いとこで火村が呼んだ。
「なぁ…あかんっ…」
それは言葉になったりかどうかわからないけれど。
「…嘘だな」
返事と同時に素早く触れたくちびるに、びくりっと電流が走る。
たった一瞬だったのに……。
「…なんで…」
「…答えはお前が知ってる」
言葉と同時に再び重ねられたそれは…もう…容赦をしらなかった…。
(…火村って…こんなキスするんや……)なんて思えたのは最初のうちだけ。
掻き乱すように、舌を絡めて…。きつく吸い上げられる。
そうかと思うとしっとりと。
でも、激しく…。
…求められている…と直に感じさせられる…口づけ。
「…ん…んんっ……」
でも、さすがに息苦しくなって抗うとようやく隙間があいた。
…至近距離で見る火村の顔。
…あぁ、この視線だ。俺をざわめかせ続けた熱い瞳が俺を射抜いてる。
「なんで?」
わかっていても尚、尋ねてしまう。
「自分に聞けって…」
そんなぶっきらぼうな返事を残して、再び動き出した唇はふわりと俺のそれを掠めたと思うとその周りを…そして首筋を…となだらかに降り始める。
「ひ…むらっ……」
「あついな」
およそ似つかわしくない言葉を零しながら火村の舌が肌を滑る。
それが素肌に触れていると感じたのはいつだろう。
たくし上げられたシャツ。
汗に濡れた肌を唇が更に濡らしていく。
「…や…いっ…」
それが小さな粒をぐりっと噛んだ。
「やっ…」
それは痛みではない。くすぐったいような…でも、続けてそうされていると、それだけではないような奇妙な感覚が沸き起こってくる。
「なんで?」
自分に問いかけた声が外に出た。
「…もう……わかってるって…お前の身体は」
弄る手がかちゃかちゃと性急にベルトを外して、忍び込んでくる。
「火村っ」
その目的に気付いて、身じろぐ俺をもろともせず…火村は昂ぶる俺のモノにやんわりと指を這わせる。
「あうっ」
「な、こいつは答えを知ってる」
「ちがっ…やめっ…」
「ヤダね…もう、待てないさ。アリス…俺もお前も…」
「うっ……!」
くにっと先端をいじくられて、思わず跳ね上がる身体。
「濡れてる…アリス…、もう…そんなに…」
そんな声を放つ息がそれにかかる事すら俺を高めてしまう。
だって、それは火村が俺のそういう姿を見てるって事だ。
びくびく震えるやつを握り締め…何か込み上げるものを流しだす姿をまじまじと見ている…ってことだ。
「…あっ…あぁっ…」
やんわりと扱かれて声がもれる。
そんな全部を火村が見ている。
あの焼けるような視線で…。
その上に。
「俺に感じてるだろ…アリス」
そんな言葉を吐いた唇に含まれて…。
「だめっ…火村ッ…やっ……」
逃げに走った俺を決して火村は放さない。
腰をがっしりと掴まれて…あそこをきつく吸われて…。
そればかりか…含んだそこからあふれ出る雫を絡めとった指を袋…そしてその奥へとどんどん進んでいく。
「…やっ…あぁっ……」
捩る身体にももう力が入らない…。
その指は行ったり来たりしながら、俺の後孔にも触れる。
「知ってる?アリス…男同士ってここでするんだぜ…」
知識としては知っている。
でも…。それはあくまで知識で自分がそんなことをするなんて考えたこともない。……いや…ないとは言わないけれどできるわけはないと思っていたから。
「あっ…やっ…無理ッ…」
いやいやと首を振る。
でも、火村はお構いなしで。その指を妖しく這わせている。
「そうかな。俺は欲しい…。アリスが…」
「あっ…やっ…やっ…」
「大丈夫…指先だけだ…もっと慣らしてから…な…」
何をとは言わなくてもわかる。
火村を…ってことだ。
断じて無理だと思う。
でも、それきり火村は無言のまま、俺をしゃぶり続けて…。指も含ませたまま黙々と俺を高めていく。
どれだけ時間がたったんだろう。
わからないけれど。
…ただ言えるのは。
俺は決して抗っていないってことだ。
だって…。
もう。
熱くて…熱くて…熱くて……
じんじんと痺れるような感覚が込み上げてくる。
…こんなの…知らないっ…。
こんなのっ…あっ…やっ…あぁぁ!
どこまでが声になったのかわからないけれど。
俺は、火村の口に己の欲を放ってしまった……。

粗い息をつく俺の奥に入り込んだ指が、さっきより深い所にある。
「……もう……」
いやいやと首を振る。
「…止めたいか?」
苦い味のキスと共に尋ねられて…。
「戻られへん…」
涙が溢れた。
「アリス…」
「…恋やなって思ってた…火村の視線も…俺自身の揺らぎも……でも…男同士やって…否定してたのに…こんなにあっさり壊してもうて…。もう…もう…君が…悪い…君が…狂わせるっ…」
「狂ってるさ」
「火村…」
「…とっくに、もう…狂ってる、お前が欲しくて…」
「あんっ…」
するりと抜かれた指。そしてもっと質感のあるものが迫ってくる。
「…こうしたくて…焦がれて…熱くて」
「あっ…いたっ…やっっ…ん…」
ぎりぎり…と太いものに侵略されていく…それは痛みだけれど…どこかで聞こえる。
待ってたくせに…。
望んでたくせに…。
火村に望まれて喜んでいたのは自分だって…。
「アリス…アリスっ…」
独占したかった。この男を。
どんな手段を使っても。
…だからわかってて…誘っていたのかもしれない…自分自身が…。
「ああっ…ひむっ…らっ…ぁぁ」
…これは俺のもの。
俺の望み。
…俺の…火村っ…。
痛みの中に広がり始めた何か違う感覚に縋りつく。
もう…もう…離せない。

「あぁぁぁ…っ……」
ふわりっ…崩れ落ちる意識の中。
遠くでセミの声が聞こえた気がした。

…それは始まりの夏。
熱く、暑い…始まりの夏。