魔法の指  白澤雪乃/作

 夏の夜、何の前触れもなく火村が訪ねて来た。
 日が暮れても一向に気温が下がらない熱帯夜だった。
 けれども月がとても綺麗で、部屋の明かりを消してガラス越しにひとりで月見をしていた時だった。
「なんだ、いたのか…。真っ暗だから、いないのかと思ってコレで入ってきたぜ」
 指先にキーホルダーを引っ掛けて揺らしている。何年か前、このマンションに引っ越したのと同時に渡したこの部屋の合鍵。でも、火村は私が部屋にいる時には決してそれを使わない。律儀にインターフォンを押して、私にドアを開けさせる。「勝手に入ってきてもええのに…」と言う私に、火村はただ笑っていたが、今ではなんとなく火村の気持ちがわかる。火村にとっては私にドアを開けさせて迎え入れてもらう、というのは儀式のようなものなんだろう。と言うと、なんだかカッコいいけど、要するに甘えているのだと思う。どれだけ大人になったとしても、誰にだってそういう部分はあるだろう。誰かに頼りたい、甘えたいと思うのは決して悪い事じゃない。完全な大人なんているはずがないのだから…。
「なんや、それ…?」
 火村は何やら、大きな荷物を持っていた。大きさだけなら、小さなテーブル台くらいある。厚さは20cmくらいだが、長い辺は1mくらいありそうだ。暗いので、その箱になんと書かれているのか読み取れない。
 「これか? 土産だ」
 そう言って、それをテーブルの上に置いて梱包を解き始める。薄暗い部屋の中、火村は黙々と作業を続ける。暗くても差し障りはなさそうなので、明かりはつけずにそのままで火村の手元を見ていた。
 そして、2.3分もしないうちに出てきたのは「キーボード」だった。
 キーボードと言っても、ワープロとかパソコンのキーボードではない。楽器の「キーボード」だ。
「火村…それ……」
 断っておくが、私は弾けない。せいぜい「チューリップ」か「ネコふんじゃった」くらいだ…。いやいや、それさえも怪しい。悪戯でピアノに触っていたのは小学生の頃だ。
「弾いてくれるん?」
 思わず声が弾む。
 一度だけ、ピアノを弾いてくれた事があった。取り壊し寸前の冬の校舎で…「トライメライ」を弾いてくれた。それまで火村がピアノを弾けるなんて知らなくてひっくり返るほとびっくりした。
 それから、何度か「弾いて」って頼んだのだが、肝心のピアノかなくて機会がなかった。楽器屋さんの店頭で弾くのだけは絶対にイヤだと本人が言うので…。
 「書き下ろしの長編、脱稿したんだろ? ご褒美だ」
 ……ご褒美って……。せめて「お祝い」と言ってほしい。
 でも、嬉しい事に代わりはない。
「これなら、ボリュームの調節もできるからマンションでもOKだろ」
 そう言って火村は、さっさとコードを接続して電源を入れている。私にはよくわからない調節をした後、いくつかの和音を鳴らした。その音は、本物のピアノと比べたら機械的で温かみのないものかもしれないが、私にとっては「火村が弾いている」というだけで、十分だった。
 だって、彼が私のためにだけ弾いてくれるのだから。
 相変わらず、明かりをつけないまま、月の明かりだけで火村がキーボードを弾く。
 知っている曲だ。
 ベートーベンの『月光』。
 火村流とでも言うのだろうか。CDなんかで聴いたのとはかなり雰囲気が違う。けれど、それはとても火村らしくて今まで聴いた『月光』の中で一番好きだった。
 月明かりの中で、自分のためだけに『月光』を弾いてくれている。なんて贅沢なだろう。
 隣に音が洩れないように、かなり音量を絞っているせいでその旋律は直接心に響いてくるようだった。
 火村の指がキーボードの上を走っている。
 私の大好きな綺麗な指。
 少し筋張っているけど、男のわりにはそんなに節がなくて、爪の形も整っている。細くて長い指は何でも器用にこなす。この男に出来ないことなんてないのかもしれない。
 ぼうっと火村の指を見ていたら、第一楽章はあっと言う間に終わってしまった。

 ピアノの音が止んで、マンションの中に静寂が広がる。
 並んで座っていたふたりの唇が触れたのはごく自然な事だった。
 軽く触れるだけだったそれが、次第に深く熱を帯びてくるのも当然の流れ…。

 もともと薄着だったのも手伝ってあっと言う間に着ていたものをすべて剥ぎ取られた。
 クーラーの冷気に当たってぞくっとしたが、そんなものは一瞬だった。
 火村の指が辿った箇所からどんどん熱くなっていく。
「火村…カーテン……」
 月の光にしては明るすぎるほど、何もかもがはっきりと見える。…見られる。
「何故? 月明かりで肌が青く輝いているように見えて、こんなに綺麗なのに…」
 吐息が徐々に下に下りていく。
 そして、指が……。
 さっきまでキーボードをを弾いていた指が、私の素肌を滑っていく。
「あ…、ひむ…ら……」
 慣れた体は、やがて来る快感を知っている。自然と脚が開いていく。
 その開かれた膝の間に火村が体を割り込ませる。
 ぴちゃ…。
「んああっ!」
 手で触れられるより先に口に含まれた。半は勃ち上がっていたそれはみるみる固くなり、上を向く。
 達く事ができないように根元を強く握ったまま、裏筋から先端にかけて舐められる。先端に達した舌は先の窪みを突付く。
 行き場をなくした甘い疼きが全身を駆け巡る。
「や…ん、あぁ…。な、ひ、むら…、も…っ」
 もう、やめて欲しいのか、もっとなのか…。自分でもよくわからない。
 ただ、このままでは狂ってしまいそうだ。
「アリス…、ここ…ひくひくしてる」
「あっ…!」
 ソコを指で撫でられて、一際高い声が上がる。
 前を嬲っていた舌が指を追う。
 もう一方の手で膝を曲げられ、軽く押された。腰がソファから浮いて、ソコを火村に突き出すような格好になる。
 舌先で突付かれ、唾液で濡れたところに指が侵入してくる。
 何度経験しても慣れない、強烈な異物感。しかし、それは決して不快感ではなく、私の体は次の快楽を求めて疼きを増す。指が増え、二本になってもまだ足りない。この疼きを鎮めてくれるのは、火村だけだと、何よりもこの体で知っている。
「な…火村っ、そ、んなん…ええから…はよ……」
 焦れて腰を動かすと、
「この欲張りが…」
 と、火村。
 そう言う火村も限界のようで、すぐさま指が引き抜かれる。
 前を寛げる音がして、両膝が胸につくくらいに折り曲げられた。
 あられもない格好に羞恥を感じる間もなく、火村が押し入ってきた。
「んん…、あぁ――」
 衝撃に息が詰まる。見えないけれど、ソコがいっぱいに広がっているのがわかる。
「あ…火村……」
 縋るように背に回した腕に力を込めて、火村の上半身を引き寄せる。言葉にしなくても、火村はちゃんと私の欲しい物をくれる。
 ちゅ…っ、ちゅ…。
 わざとに音を立てるキス。
 そうして、全身の力が抜けた頃、火村が動き始める。
 浅く、深く…巧みに強弱をつけて、確実に私のイイ処を攻めて来る。
 片手で私の腰を固定し、もう片手で胸の小さな突起を弄る。
「や…あ、んんっ」
 意識にだんだん霞みがかかってくるようだ。
 火村の触れているところの神経だけが研ぎ澄まされていく。
 零れ続けているはずの自分の声も聴こえない。
 ただ、火村に合わせるように腰を振り、しがみついた背に爪を立てた。
 そうして、限界まで膨らんだ私自身に胸から下りてきた指が絡みつく。
 唐突に、モノトーンの鍵盤の上を走っていた指を思い出す。そして、その指が奏でていたメロディも…。
 “あの指が…”
 そう思った時には、火村の手を濡らしていた。
 私の中の火村も大きくひくついて、熱い飛沫を吐き出した。
「アリス……」
 掠れた声が私を呼ぶ。
「…んんっ?」
 整わない息のまま、答える。
「………」
 火村は何も言わなかったが、火村の心は伝わってきた…と思う。
 私も、同じ気持ちだったから――。

 幾千幾万の夜を越えたその先でも、君とこうしていたい――。





念願のリクエストに答えていただけてとても幸せです。
「Dream Night」に書いて頂いてからずっと
ピアノを弾く火村に存分にアリスを奏でて欲しくて。
いやぁ、美味でございました!