ア ツ イ ヨ ル           

       



(アツイ‥)
 無意識にこぼれる言葉はグチともボヤキとも言い様がない。朝に昼に、そして夜になっても尚ひかない熱波に、火村英生はいらいらしていた。
「全く‥毎日毎日‥温暖化かなんだか知らないが、いい加減にしてくれ」
 天気に八つ当りしたところでどうしようもないが、『人工的な涼より自然の風だよな…』などと強がりを言い続けて、未だ快適な文明生活とは程遠い《夏らしい夏》を味わっている。
 しかし、さすがに連日の熱帯夜は身体にこたえる。特にこの夏、天気予報は‘記録的な’のオンパレードで。とにもかくにも寝苦しい…。

 今日も今日とて、2度目のシャワーを浴び、やっとの事で眠れる。
 と思った矢先…。

 トゥルルルルルル「「「
  トゥルルルルルル「「「
   トゥルルルルルル「「「

 十何度目かのコールにも鳴り止まないその呼び出し音に根負けして受話器をとる。
「もしもし」
 火村ですが…と続ける前に飛び込んできた言葉。
『大変やねん!』
 およそ電話での第一声とは思えないその声の主はもちろん決まっている。
 この時間に相手が火村だとわかってかけてくる電話だ。そんな恐ろしい事が出来る相手など、いや、そんなことをして許される相手などこの世にたった一人しかいるわけがない。
「…なにが…?」
『あれ、火村。もしかして寝てたん? 君にしては随分早いやんか』
 不機嫌極まりない声にも臆せず、そんなとんちんかんな受け答えを返せる強者。この2週間ほどは仕事が大詰と言っていたので、まさかとは思っていたが。やはり…。
「早いって…‥なぁ、アリス。今、何時だと思ってるんだ?」
『今って、十時ちょっと前やろ』
 そんなわけはないと、眠い目をこすりつつ、確認する。どう見ても短針は十時とは逆の方向を指している。
「……どこからかけてるんだ?」
『うち』
「それはそれは…いつから大阪と京都に時差ができたのやら」
『え? あれ? あぁー! 止まってるやんか、この時計〜! なんでやぁ』
「知るか、そんな事! お前んちの時計の事までわかるもんか…全く…そんな事で叩き起こされる身になってみろ」
『ごめん、ごめん。で、今何時なん?』
 受話器の向こうでは、止まっていた時計をがちゃがちゃと振っている音がする。
 その前に聞こえた立ちあがったイスのきしみからすると…おそらく、現在地は仕事部屋。ワープロを打っている書斎の片隅の小さな置き時計をいじくりまわしているのだろう。
「自分で確かめろ! 部屋を一歩でりゃまともな時計もあるだろうが」
『なんや、不機嫌のせいで、意地悪に磨きがかかってるなぁ』
 言いながら、子機を手にドアを開けているのだろう。
『いいわ、自分で見るから、ちょっと待ってな、えっと…』
 バタンと扉のしまる音。
『あれ? なぁ…火村、ここの時計どこ置いたか知らん?』
 ごそごそする音から想像すると、寝室のベッドサイドの目覚まし時計を探しているらしい。
「6日前には定位置にあったけど、その先はわからんな。あぁでも、アリスは目覚ましがなるとすぐに《うるさい》って枕の下敷きにするぞ」
『うそー? そんな事するか?』
 ザバッ…ベッドカバーをとりはらったのだろう。
「あぁ、特に寝起きの悪い朝はその上からタオルまで巻き付けるしなぁ」
 それはアリスのクセらしい。
 気付いたのはいつだったか‥かなり前。
 そういう関係になって間もない頃だ。ぐっすりと眠るアリスの寝顔を堪能した後、シャワーを浴びて戻ってくると、自分の居たスペースにぐるぐる巻きのタオルがあった。開けてみると中からは目覚まし時計。その時は何かの謎かけかと不思議に思っていたが、二度三度と起こるうちにくせなのかと納得し、いつのまにか慣れてしまった。
 でも、普段は時計も定位置に置いてあるのだし、てっきり本人はわかっているものだと思っていたのだが。違ったようだ。
『えっ? あれって火村ちゃうんか。火村が来たらよくそうなってるからてっきり君の仕業やと思とったわ』
「まさか。俺は寝起きはいいぞ。大体いつも朝食を作ってるのはどっちだよ」
『十回に九回の割りで…君…やな。でも、得意な方が作った方がお互いのためやん。それに、俺だって一人やったら寝起きもいいねんで…っと…まくら…枕、あれどこ行った?』
 ガサガサ、ゴソゴソ。アリスはベッドの中をひっかきまわしているらしい。
 察するにこの一週間近く、真面目に執筆業に励んでいたのだろう。作家・有栖川有栖の時間帯は追い詰められるほどイレギュラー。熟睡するわけにいかないとベッドに行かず、ワープロの前で、居間のソファーで…所構わず仮眠をとってしまう。その集中力は普段のアリスとはまるで別人。
 だから会わない、会えない時間を過ごしてたというのに。この暑い中、寝入りばなを起こされて時計探しにつき合わされているとは…。なんだか釈然としない。
「それは、それは存じませんで…失礼致しました。ふぁああ〜‥。で、私が居りますと何か不都合でも?」
 皮肉と共に大きなあくびがこぼれる。
『何をちゃかしてんねん。ホンマに今日は意地悪いなぁ…』
「そちらこそ。それで、センセイ。お答えは頂けないでしょうか」
 丁寧さと反比例の冷たい口調にすらアリスは動じない。
『ほんまにわからんのかぁ? 難事件もなんのそののセンセイが? どんな謎もお見通しなくせして…あ、これかな…』
 無邪気な声に怒るのがバカらしくなる。
「俺にとってはお前は最大の謎だからな。さっぱりわからない」
 それは本音。だからこそ目が放せないのだろう。もう長い間惹かれ続けている。そして、いつも思う事。
 どうしてこの有栖川有栖という愛しい存在が、全く正反対とも思える自分と着かず離れず‥十年来、友人を越えてまで傍にいてくれるのか。それは火村にとって永遠の、そして何よりも幸運な謎。
『ふーん。あ、ほんまや。…出てきたぁ』
 しかし、その真面目な問いかけもパサパサと枕を引っ繰り返す音に消される。
『えぇっ! 3時7分!』
「夜中のな」 
『そりゃ…寝てるわ‥。悪かったなぁ』
「全くだ。で、答えは?」 
『何の?』
「俺がいたらどうして寝坊なのかって事」
『あぁ。そんなん、あたりまえやん。火村と居るんやで…』
「だから?」
 困った様に止まったアリスに追い打ちをかけて促す。すると、一気にまくしたてられた。
『寝るんが遅いからに決ってるやんか。正確には君が寝かせてくれへんからや!』
「あ…」
 納得。確かに火村がアリスの横で目覚める朝といえば、ほとんどがその翌朝だったりするわけだ。
『あーぁ』
 ボスッ。ベッドに倒れこんだのだろう。少し声がこもる。
『わかってたくせに。言うまで攻めるもんなぁ。
ずるいわ、火村』
 それでもさっきまでとは違うどこか甘い感じに、思い出してしまう。そのベッドでの言葉や仕草や…あれこれ…。
 うっわ‥やばいカモ‥。
 しばし沈黙──────

『もしもし、もしもし? 火村?』 
「ん? 何」
 思わず我に返った火村のトーンにアリスは敏感だ。
『‥もしかして君、なんか変な想像してるんやろ?』
「え、いや、別に‥」
 しどろもどろの火村をクスクス笑いながら、ご機嫌な様子でアリスが告げる。
『ふーん。イイコト知った! 寝呆けてる時の火村ってポーカーフェイス崩れるんや。また、夜中にかけたるわ。んじゃ、おやすみ〜』
 ガチャ‥ツーツーツー
 唐突に途切れた受話器に無機質な音が残る。
「おい? アリス? もしもし?」
 もちろん、答えはない。
 思わず受話器を見つめて火村は首をかしげる。

 いったい、何だっていうんだ?
 何のタメに電話をしてきたんだ、あいつは?
 そもそも、あの第一声『大変やねん』はどうなったんだ?

「くそっ! 気になるだろうが」
 文句たらたら回すのは、指が覚えたアリスのナンバー。
 しかし‥。
《ただいまルスにしております。ご用の方は…》
と流れだした機械音に、バカヤローと毒突いて乱暴に受話器を叩きつける。
「上等だ! どうせ寝れないなら、つきあわせてやろうじゃないか」
 言うや否や、バタバタと走り回る火村の気配に走り寄る小さな影。
──────ミャー、ミャー
「おっ、コウ。悪いな、起こしたか…」
 速効で身繕いをすませ、愛猫を抱き上げる。
──────ミー?
 小首を傾げる仕草が《どこへ行くの?》と尋ねている。
「ん? アリスのとこへ行ってくる」
──────ミャウ?
「どうしてって? このままじゃどうせ眠れそうにないからな。大体、あのバカときたら、こんな時間に人の事起こしておきながら、肝心の用件言わずに切るんだぜ。おまけに自分は留守電ときたもんだ。許せねぇだろ。行って文句言ってやる」
──────ミィ、ミィ
「大丈夫。ケンカはしないよ。話をするだけ。じーっくりと…。どうせ原稿が終わったからかけてきたんだろうし、邪魔でもないさ。しばらくあっちにいるかも知れないが、飯はちゃんとばあちゃんに貰うんだぞー、よし。いい子だ。じゃ、ウリとモモにもよろしくな」
 そうっとコウを床に降ろして火村は部屋を出ていった。
──────ミャアー、ミャウゥゥー
 見送る小次郎の言葉を人語に訳せるならば、
「アリスさんに、よろしくー! 壊さないように程々に…」とでもなるのだろうか。

 そんな会話を知る由もなく…。
 『大変』を忘れてアリスは、夢の中にいる。
 我が身に本当の大変が近づいていることなど気付くわけがない。
 でも、その眠りが打ち壊されるのも時間の問題。
 王子さまのキスさながらに、夢の世界から揺り起こされて…

 白み始めた空とは裏腹に
      アツイヨルは続くのだ──────

有栖川で、初めてゲストさせて頂いたお話でした。全くアリスったら罪作り(^_^;) この後、気になるなぁ…。自分でいうか??



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