KINGDAM

第5話


 風が心地いい。
 屋敷の片隅の結界の張られた部屋の小さな窓から入る外の空気に春を感じる。
「…一番素敵な季節やなぁ…」
 花々が咲き乱れ、冬の季節を終えたあちこちの国との通路が開放されて、町が活気に溢れる季節だ。
 あ、でも…この季節が一番残酷だと言ってた奴もいたっけな…。
 その面影を思うたびに今もまだ切なくなるなんて…底なしのアホやな…。
 溜息が一つ。

「何を考えている?」
 ふいにかかった声に振り向くと先日まで見慣れた姿がある。でも、戦禍の中ふいっと消えてしまったはずだ。
「…江神さん。いつここへ」
「さっき」
「さすがやなぁ。全然気がつきませんでしたよ。結界を破られてたってのに」
 苦笑いしながら、とんでもないことを言う。
「当然だろう。ここの西の結界は俺が張ったんだから」
「そうでしたね。忘れてた」
「…まったく…暢気な奴だ」
「それが俺の取り柄ですから」
 からからと笑って、またその視線は窓の外へ向ける。

 それが心からの微笑みに見えなくなったのはいつからだったろう。
 塔で学んでいた頃は、春のように穏やかで陽だまりのようにほこほことした印象があったというのに。ここに来て、第十位の位を持ってからこいつは変わった…、いつもどこか翳りを持った寂しげな瞳をするようになってしまった…と江神は思う。
 いや、違う。
 位に縛られたからではなく、捨てたから。
 誰よりも愛しい存在を自ら断ち切ってから、変わった。
 …まるで生きる屍のようになってしまった…。
 もちろんこいつだけではなく、半身を失った方も変わった。でも、あいつはもとから読めない奴だったけれど脆い十位の変貌ぶりは…目も当てられない。
 だから見捨てられないでいる自分もまた馬鹿だと思いつつ…。
 ずるずると巻き込まれてしまったこの戦い…。どちらが勝っても傷は深いだろうに…。
 
「…ですか?…江神さん?」
「ん?」
「やだなぁ、先輩までほうけててどうするんです。…それは俺の専売特許ですって」
「自分で言うか? 普通」
「散々言われてきましたから…で、どこを見てきたんですか?」
「ん、西も東も…北も南も…。色々とな」
「いいなぁ。江神さんは…」
 どこにも縛られないその生き方にアリスは憧れていた。世が世ならそんな生き方をしたいと願っていた自分の理想そのものを生きている江神をうらやましいと思ったこともある。
 でも、結局、この道を選んだのは自分だから…。
 弱くなる心を打ち消すように表情を殺し、答えを待たずにアリスは尋ねる。
「それで何か変わったことありましたか?」
「変わったもなにも。どこもかしこもこの戦いの話題ばかりだった」
「そうですか」
「膠着している隙を見て…って様子もありありで。このままでは両国共にまずいだろう」
「…でしょうね」
「なんだ、他人事だな。自分の命がかかっているっていうのに…」
「そうですか?」
 本当に他人事でも言いたげに乾いた笑いを見せると再び窓の外をぼんやりと見ている。そんなアリスの表情が動いたのは次の言葉を聞いてから。
「…火村が出たぞ、この戦い」
「…そうですか」
 深く息を吸い込んだ後、アリスは口の中で小さく呟く。
「やっと…逢える…火村」
 
 あの日、火村と袂を違えてしまったのは自分…。なのに…。
 まだ…こんなにもその名を呟くだけで心が揺らぐ。
 でも、逢いたかった。
 逢って、終わらせたかった。
 何もかも……───

「…馬鹿な奴らだ…」
 そんなアリスを見て、遠い塔にこもる火村に視線を向けて、江神は溜息を零した。


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