したたかに恋ははじまる


「どうしても、諦められない…」
 切ない声が背後から聞こえた。
「ひ…むら…」
「振り向くな…」
 押し殺したようなその声が…震えている。
「今だけ…。今だけでいいから」
 押し殺したように吐き出される言葉と同時に、抱きしめられている腕に力がこもった。
 その苦しいほど強い抱擁の中、身動きできないでいるのは、決して驚いたからじゃない。怖いわけでもない。
 そこが、とても、心地いいから…。
 いつだって、火村の傍らに居るのはとても心地よかった。


 火村英生。
 この二年半。
 気がつけばいつも俺の傍にいた存在。
 いつの間にか、他の誰よりも仲良くなって。学部も違うのに当たり前のように一緒に行動していた。
 学年が進むにつれ、大学に行く時間がどんどん減って行っても、何故か火村との時間は変わらなかったように思う。
 特にここ数ヶ月、就職活動を終えてから、火村の部屋に転がりこんでた時間が却って増えた。
 バイトが大学の近くだったせいもあったし、卒論を書くのに必要な資料も大学近辺に散らばっていたから、これ幸いと火村に頼っていた。
『いっそ、空いてるとこに下宿させてもらったらどうだ?』
 そう言われる程、週の半分以上は火村の家に泊まっていたと思う。
 迷惑か、と尋ねたこともあるけれど、気にならないよの一言で片付けられたので、そのまま甘えた。
 火村は一旦、就職活動をしたものの、結局、大学に残る気持ちを固めていたので、秋頃は卒論と院の試験の準備で大変そうだったけど。十二月の声を聞く前には既に卒論を挙げて、次に備えていた。
 遅れを取る事一月あまり。ようやく収拾を見せた俺の論文を今、ワープロがぎーぎーと音を立てて印字して行っている。

 その傍らでの…突然の出来事だったのだ。
 先に眠っていた筈の火村が、ふいに声をかけてきた。
『終わったのか?』
『あ、起こしてもうた? ごめん…うるさかったな』
『いや、別に。アリスのせいじゃない』
 火村の眠りが決して深いものではないって事は、もうかなり前から気付いていた。
 こうして半分下宿人をしてて、夜中に、ふと気配を感じると火村がぼおっと煙草をふかしていたりした。
 時には、悲鳴めいた声を上げて飛び起きたりした姿をも何度か目撃している。暗がりで表情までは見えないけれど、何故かそこには触れてはならない様な気がして、いつも気付かぬふりをしていた。
 今日は、悪夢を見たわけでもないらしい。呻き声は聞こえなかったから。
『それなら、いいけど…』
 ワープロの音に、というよりは、火村の眠りを妨げたものが悪夢でなかった事にほっとして、呟きが漏れる。
 聞こえたかどうかは、わからない程の微かな声だったけど、火村は少し笑ったように見えた。
『何か、飲むか?』
『あ、俺がするよ』
 二人して立ち上がる。
『いいって。終わったって言っても、まだ読み直して訂正したりするんだろ』
『今日は刷っとくだけでいいから、もうしないよ』
『そうか…』
 そして、一歩、二歩。
『何、飲む?』と、尋ね様とした矢先に伸びてきた腕。
 そして、今のこの状況に至っている。

  
 過程も、説明も、主語も…何もないその一言。
『どうしても、諦められない』
 何をと、問うほど俺は鈍感じゃない。いや、鈍感で居たかったから、こうしていたけれど。
 とっくにわかってた。
 いつか、俺達は選ばなくてはならない、と。
 この思いを噛み殺したまま、友達を続けるか。
 今の世の中では、許される関係ではないとわかっていても、自分達の本心を偽らずに生きていくのか、を。 
 ただ、俺はとっても臆病で、自分からその壁に向かっていく勇気はなかった。だから、気付かぬふりをしてた。
 いや、違うか。
 それも正しい表現じゃない。
 火村が言うのを待ってたのは、俺の方。
 こうして火村が煮詰ってくるのを。
 鈍感で、何も気付かない振りをして。ただ、ひたすらに火村が限界を超える瞬間を待っていた。
 互いの思いがどこでどう育ってきたのかなんて、はっきりはわからない。
 どちらが先に恋をしたのか…なんて知らない。
 でも、俺にこの想いを自覚させたのは、火村の視線だった。
 気がつけば、いつも火村は俺を見ていたから。その熱い眼差しに気付かずにいられるわけはなかった。
 でも、俺は自分では全く気付いたそぶりをみせなかった。
 くすぐったい程優しい時も、ぞくぞくする程欲望に満ちた目を向けられる時も、同じ顔をして傍にいただけ。
 そうやって、待っていれば必ず火村が、求めてくるって。
 物凄く不遜な自分は思っていたんだ。
 だって、そうすれば、全て火村のせいにして、火村がいけないんだと詰って、責めて、甘えられる。
 男同士の恋愛を阻む色んな障壁を前にしても、火村が楯になってくれるだろう…。
 この力強い腕で。守ってくれるだろうから…。 

 本当にこの腕の中は、気持ちいい。
 暖かくて、心地よい。 
 俺の居場所。
 火村だけが、与えてくれるこの快適な場所を俺は今、手にいれるんだ。
 もう、決して誰にも譲らないこの場所。
 だから…。もっと、もっと…俺から離れられなくしたい。
 火村が欲しいから。
「いいよ」
 震える腕にそっと手を置く。
「え?」
「諦めないでいいって」 
 いや、諦められちゃ困る。
「アリス…何、言って…」
 虚を疲れたように緩んだ腕から、するりと抜け出て火村と向かい合う。
「何を諦めるつもりやったん?」
「何って…」
 困ったように、火村は顔を歪めた。
 眉間に皺が出来てる。
 こんな動揺した表情なんて、初めてみたように思う。
 もともと端整な顔立ちをしているから、引き締まった印象がある火村だ。人によってはクールだと言うけれど。俺の前で火村はいつも、きりっとして何事にも動じないって風に見えていた。
 その火村が、動揺している。
 なんだか嬉しいと思ってしまうのは、優越感のせいだろうな。
 俺だけに見せた顔。俺だけが知ってる火村。
 俺の…火村。
「ちゃんと言ってくれへんかったら、わからんって」
 落ち着いている時の火村なら、この時点でわかってしまうだろう。
 俺が知ってて尋ねてるって事くらい。
 でも、煮詰ってる火村にはそんな余裕なんて無くって、不思議そうに『言って』と繰り返す俺に、困りきって口篭もる。
 しばらく待っても口を開かない火村に、わざとため息をついてみた。
「話したくないっていうなら、無理にとは言わんけど」
 押してもだめなら引いてみろ、の論理だ。
 見詰め合うこと、数秒。
「アリス…」
 ようやく、吐き出されたのは俺の名前。
「何?」
 それは火村にとって先刻からの答えなのだと知っているけど、もう一押しとばかりに小首を傾げる。
「違う…だから、お前を…アリスのことを…諦めることなんて出来ないって…」
「諦めるって? 何で? 俺は火村の傍にいてるやん。俺達、親友やろ?」
 この後に及んで、まだ俺はとっても鈍感な『アリス』の姿で困ってみせる。
「…そうだな…。アリスはそう思ってくれてる。でも、俺は違うから…」
「違うって?」
「俺の思いが…アリスの思いと違うから…」
「どういうこと?」
「…友達だけじゃないんだ。この気持ち。お前を抱きたいって思う。お前のこと、誰にも渡したくない」
 再び、力強い腕に引かれて、俺は火村の胸に倒れこんだ。
「ひ…むら、何して…」
 無論、軽く抵抗してみせるけど、耳元に注ぎ込まれる火村の真摯な告白に動きを止める。
「好きなんだよ。愛してるって言えばいいのか?」
 ようやく聞けた火村の気持ち。
「え?」
 もう一度、聞きたいから。驚いてみる。
「アリスが好きなんだ。友達だけじゃなく、その…恋人って気持ちで…お前の事見てた。いや、今も勿論、そう言う意味で告白してる」
「…いつ…から?」
「わからん。気付いたら…もう、好きだった」
 あぁ、それも一緒だ。俺だってそうだ、火村を特別と意識した時には、もう恋に落ちてたんだから。いつだなんて、言えるわけない。 
「好きで好きで、傍にいるのか苦しかったよ」
「どうして?」
「ずっとそんなイレギュラーな思いをお前に押し付けちゃいけないって思いと戦ってたから」
 観念したように火村は話し出す。
「卒業やら進路やらって話をし始めて、別々の道を行くんだって思ったら、毎日が終わりに近づいてるようで、怖くて仕方なかったよ。こっちに残って院に通ったところで、アリスはもういないって思うと、迷ったさ。なまじ逢える場所にいるより、遠く離れてしまった方がいいのかもしれないって考えてみたりもした。いや、今だって考えてる。こんなバカげた告白して、せっかく築きあげた今までの友情すら、お前に否定されちまうかもしれないって思うと怖いよ。でも、諦められない。アリスを離したくない、誰にも渡したくないんだ」
 一気に言い切ると、勢いに任せたまま。
 火村は行動に出た。
「…ちょっ…んぅ……」
 ぐいっと掴まれた顎を固定させられて、その唇を塞がれる。
 どこでこんなキス…憶えたんだろう…。
 後から考えたら悔しくなってくるような巧みな舌使い。
 あぁ、…これが火村なんだ。
 火村とキスしてる…。
 ずっと、待ってたせいか、夢やないか、なんて疑ってる自分がいる。
 でも、現実だと知らせるようにきつく吸い上げられる。その痛みすらとてつもなく甘く感じた。
「…抵抗…しないのか?」
 名残惜しそうに離れた唇越しに、火村が尋ねる。
「火村の力に敵う訳ないやろ」
 勿論、嘘だ。いや、力で負けるのは事実だけど。
 今の場合、抵抗なんてする気はゼロなんだから。だって、俺はこんなに火村が好きだから。
「力で屈服させたいわけじゃないんだ。身体だけが欲しいわけじゃないから…」
 ぐいっと抱きしめながら、そんな事言われても真実味に欠けてるよ、火村。
 だって、もう、俺の事欲しいって身体は正直に訴えてるもんなぁ。
 うだうだ言ってないで、さっさと既成事実作って、お前だって感じただろって押し切ってしまってくれたらいいのに。
 こういうとこ、意外に真面目なんやなぁ、火村って。
 ま、そこも好きなんだけど。
 なんて、心の中の言葉をそのまま言うわけにもいかないから、単刀直入にぶっつけた。
「つまり、合意の上でやらせろって事?」
「そう直接的に言われると困るけど」
「でも、そういう行為がなくていいんやったら今までと何も変わらん関係でもいいわけやんか…」
「いや、それは困る」
 俺も困る。
「じゃ、どうしたらいいん? 火村はどうしたいん?」
「このまま…したい。アリスが欲しい…」
 搾り出すような火村の声。
 それだけで腰砕けになりそうで、やばい。
 こんなに密着してる身体から、ばれてしまう。俺だって、もう感じてるってこと。
 だから。
「いいよ」
 だらりとしていた腕を火村の背にそっと回す。
「アリス…」
「俺、火村を無くしたくないから…。だって諦めるって決めたら、火村は俺の傍から離れていってまうつもりやろ? そんなん嫌やもん」
「アリス…いいのか? 本当に」
 くどいってば。
 でも、ここは我慢。 
 あくまでも、しおらしく。 
「それを火村が望むなら…いいよ…」
 それしかないって言うなら、委ねてやるって顔をする。
 火村が望む新しい形に、任せるから…って。
「後から嫌だって言っても止められないからな」
「…わかっ…って、うわっ」
 浮き上がった感触は、突然火村が俺を抱き上げたから。
 どうするつもりなんだろう、なんて考える間もなく、運ばれたのはさっきまで、火村が横になっていた布団の上。 
 火村の温かみがまだ残っているみたいだ。
「…絶対…離さない」
 そう言うなり、火村は俺にのしかかり、再び唇を重ねてきた。
 それだけじゃない。シャツの中に忍び込ませた手が俺の肌を弄る。
「…あっ…」
「ここっ? 感じるんだ。アリス」
 そう言って、火村が弄くり出したのは俺の小さな乳首。
「やめっ」
 何で?って思うけど、むずってしてしまう初めての感触に驚いて身を捩った。
「止めないってば」
 何だか、楽しそうな火村の声に、閉じていた目をうっすらと開けてみる。
「…すごい…ここいじってるだけで、下も固くなって来てるよ、アリス」
 ぐいっと押し付けられた火村のだって、さっき以上に張り詰めてる感じだ。
「…えらく…強気やな…あんっ」
 ちょっと前まで、苦悩に満ちていた火村とは別人だ。
 ま、これがいつもの火村らしいって言えば、そうなんだけど。 
「アリスがいいって言ったんだぜ」
「…言ってないっ」
「言ったよ。俺が望むならいいって。だから、こうして、摘んだり齧ったりしたいって思ってたから、してる…」
「あっ…やっ…何…んっ…」
「ここだけじゃない。こっちも全部…欲しいんだよ、本当に…アリスの全部…知りたい」
 ぐりぐりと腰を回すようにこっちがどこかを主張されて、思わず声があがる。
「…ぁんっ」
 
 何だか、俺のじゃないみたいな甘ったるい声。
 でも、堪える事なんて出来ない。
 だって、いつだって俺は待ってたんだ。
 火村がこんな風に煮詰まる時を。
 このまま離れたくないって思い始めてからずっと火村がこうして触れてくれるのを待ってた。「やだっ」なんて口では言ってるけど。
 想像してた。
 火村がこうして、俺のことを暴いていく時を。
 
「…やっ…火村っ…」
「何?」
「…ンっ…いやっ…あっ…痛いっ…」
 張り詰めたモノが固いジーンズの中で押さえられ、トレーナー越しの火村を押しつけられて、痛い。
「どこか? ここ?」
「やっ…ちがっ…んっ…」 
 知ってるくせに、わざと乳首をピンと引っ張ってみせる火村は、本当にすっかり自分のペースに戻っている。
「違うんだ? じゃ…どこか言って…アリス」 
「…ジーンズ…痛いっ」
「ジーンズの何が? ベルト? 食べ過ぎたか?」
「…ちゃうっ…」
「…だから…何?」
 強気な笑みを向けられて、俺はついに、はしたない言葉まで言わされてしまった。
「…俺の………が」
 空気に晒されたモノを火村がそっと包み込む。
「あんっ……」
「俺のも…触って」 
 導かれた手で握った火村のも、もう充分に滾っている。
「すごいっ…」
 思わず、呟いた俺に『どうも』なんて言いながら、火村は再びその器用な指を動かし始めた。
 俺も恐る恐る手を動かす。初めて触った自分以外の男の徴。嫌悪感がないのは、当然それが焦がれた相手のものだからだ。
「…んっ…ぁぁっ…」
 擦られて、上がる息の元で、どこかに残った思考が冷静に考えている。これが、俺の中になんて入るのかな…なんて。
 男同士のやり方なんて、好奇心でちらりと文献、勿論そんな大層なものではなくて平たく言えば成人向けな雑誌で見た事がある程度だ。
二年ほど前、たまたま火村を待つ時間があって図書館が休館だったので、出席を取らないっていう講義に潜り込んだ事がある。その時のテーマが事件を多角的に捕らえる視点とか何とか。教官が取り上げたテーマの中に三角関係と言うもので。
『男が二人に女が一人、となると普通は男同士が女を取り合うと思いますよね。始めはこの事件もそう思われていました。でも違ったんです。この場合愛し合っていたのは男達の方で女が惚れた男を手にいれるのに邪魔な相手をあやめようとしたわけです。昨今、こう言った同性間での恋愛が絡んだトラブルも増えましたからね』と、古くは衆道と呼ばれたその道の話まで脱線してくれた。
『興味のある人は資料もありますから』と置いてあった本を火村に連れられて覗いた。男同士の絡み合う写真とかがもろに載ってて『すげ〜なー』なんて、二人で言い合ってた。あの時はまだ、火村をそういう対象になんて、見てなかったな…そう言えば。
 なのに、今、俺達がそのすげ〜事をしてる。いや、しようとしている。
 さすがに身をもって体験するとなると、怖くないはずはない。好奇心なんてどこへやら、だ。
 それでも。初心者(俺の場合、男同士って意味ではだ。火村もそうであって欲しいと希望はあるけど、その辺はまじに不明だ。知り合う前の恋愛暦など俺達は知らないから)にしては、俺達は上手くやってると思う。
 ま、火村に任せてしまってる立場だから、火村が上手いというべきなんだろう。
 最初の頂点はお互いの手に吐き出した。
 自分とは違う動かし方に煽られて、何時の間にか上り詰めてしまった。
 そんな俺の手にティッシュを渡した後、火村はがさごそと身体をずらす。  
「やっ…何っ。無理って」
 何かが入ってくる感触に慄いた。
「平気、まだ指一本だよ…。しっかりアリスに濡らしてもらったから…な」
 火村の指を濡らしたものが自分の放ったものだとわかっているから、思わず息を呑んだ。
「ほら、たっぷり濡らしてるからいい音がするよ」
 聞いてご覧と、火村は指を動かす。
「やだっ」
 ぐちゅぐちゅと湿った音が届いて、思わずまた体温が上がった。
「どうして? …しっかり俺を誘ってくれてるよ」
 そんな言葉や、太腿を這う柔らかな舌にあやされる。その舌と開いた左手で静まったはずの前をしっかり高められているうちに、俺はすっかり未知の領域へと引きずり込まれてしまう。
「…あっ…あぁっ…やっ…何…違うっ…んっ」
 火村の指が探し出した場所。きっとそこが男なら誰でも感じるって言われる前立腺ってとこなんだろうけど、思考能力に霞みがかかってる俺には思い出せなくて。
「駄目だよ、逃げるなって…」
 思わず這い上がろうとした動きを封じるように増やされた指。
「…やっ…火村っ…あっ…やだっ…」
「違うよ。いいんだよ…アリス…ほら、びくびくしてる」
 無意識なままに腰が揺れていた。
「…だって…あっ…もうっ…また、来るっ…」
 俺の中の波が激しく泡立つ。
 そして、再び…外界へと開放を…と思った矢先、ぎゅっと根元を締め付けられてしまった。
「やっ! 火村っ! 離してっ…お願いっ」
「駄目。俺もイキタイから…」
「ん…なら…」
 伸ばそうとした手を払われた。
「火村?」
「…違うよ、アリスの中で…イキタイ」
「えっ…」
「言ったろ。欲しいって…。最後までしたい」
 言葉と、実行とどちらが早かったのかなんて…よくわからないけど。    
「んぅっ…」
 抜きかけた指で広げられた俺の狭い場所に、火村のモノが侵入しはじめる。
 目から火が出ると言うか、身を切り裂かれるというのか、身体の痛みを表現するどんな言葉だって足りないと思わせるような痛みと圧迫感に俺はある意味圧倒されてしまっている。
「…やっ…いやっ…火村っ…あっ」
「ごめんっ! でも…欲しいっ。アリスが…なぁ、息吐いて…俺を拒まないで」
 拒むって言葉に、俺は動きを止めた。
「…拒まへんっ…そんなん…出来へんもん」
 ぽろぽろと零れる涙は痛みのせいなのか、気持ちの昂ぶりなのか…もう、さっぱりわからない。
「アリス?」
「…好きやもんっ…」
 心が溢れ出す。
「アリス…」
「火村が…好きやもんっ…何されたって…好きやもんっ」
 言わないつもりだった本音が、涙と一緒に言葉まで落ちていく。
「あぁ、アリスっ…俺も…好きだよっ…」
「んっ…好きっ…ん…んぅ…」
 激しいキスに息を呑んだ。その瞬間。
「あぁっっ」
 熱いモノがぐっと奥に入り込んで来たのがわかる。
「いいっ…! アリスっ…! すごいっ…気持ちいいっ」
「…火…むっ…あっ…あぁっ」
 こんな世界を知ってしまったら、もう絶対後戻りなんて出来るわけがない。
 絶対に…。譲れない…誰にも…決して!
 その瞬間を前にして、俺はしっかり目を開けて火村を見つめた。
「火村っ……」
 ちゃんと笑えたかどうかわからなかったけど。
 この幸せを伝えたかったから。
「好きっ…」
「あぁっ…くっ…」
 頷いた火村が軽く呻き声を上げた瞬間、俺は中に熱い感覚が広がっていく。そして、俺自身もまた快感の飛沫を吹き上げていた。



 かくして、俺達は恋人同士になった。
 といっても、何が変わるわけでもないって気がしなくもない。こうして身体を繋ぐ事以外は。
 …と思っていたのだが。

「なぁ、もう一度言えよ」
 あれ以来、すっかり火村は腑抜けている。
「何を?」
 二人でいる時間は、ずっとこんな調子で俺を腕の中に引き寄せては尋ねてくるのだ。
「俺の事…なんだって?」
「は?」
「だーかーら、俺の事、どう思ってるかって」
 期待に満ちた顔で見つめられて、思わず溜息が出た。
「…あほっ」
 ついでに言葉も。
「なんだよ、それは」
「だって、もう何回も聞いたくせに、まだわからんなんて…火村ってそんなに物覚え悪かったっけ? あ、それとも何か、そんなに聞くのってまだ俺の気持ち、疑ってるとか、そういう事?」
「違うよ。でも、聞きたいんだから、言ってくれてもいいだろ」
「嫌! もう、知らん!」
「ふーん、そう出るか。いいよ、じゃこっちに聞くから…」
「えっ…ちょっ…待てっ」
 既に俺の弱点も知っている手が動き出す。
「ヤダね、知ってるか?身体に尋ねたらアリスってすごく正直なんだぜ」
「あかんっ…やめっ…」
「嘘ばっかり。嫌がってないってば…いいんだろ、ここっ、すっかり感じ易くなって」
「そんなん…火村が…するからっ」
「そうだよな。俺がしたい事、させてくれるんだよな、アリス」
 物覚えが悪いどころか、あの日の言葉を火村は決して忘れていない。
「それは…」
「俺が望むなら、いいって言ってたもんな」
 ちゃっかり、しっかり、逆手に取られてるような気がするのは、気のせい…ではないと思う。
「ちょっと…火村っ…あっ…だめっ…あっ…」
…といいつつ、拒めない俺も腐ってるって思うけど…。
 
 ま、何はともあれ。
 収まる所に収まったって事で。
 俺は、正しい選択をしたんだと思ってる。
 だって、この腕の中は、こんなに気持ちいいから。


MoonNotesの初期の話の再録本『ROMANCE』に書き下ろしたお話。
したたかなアリスってのが書いてみたくて、勢いで書いた記憶があります。
うちのアリスには珍しい…かな(笑)
表か裏か…ちょっと悩むシーンもあるけど…。まっ、いっかーとこっちに置いておきませう。