届けもの
「火村先生」
 図書館の前を通りかかったところで、呼び止めたられた。
 振り向けば、図書館司書の相川先生だ。
「あ、こんにちわ」
 会釈を返す。
「あとで先生のところにお尋ねしようと思ってたの。ちょうどよかったわ」
 はて、何の用だろう。
 研究紀要の話はもうおわっているし、今年の事には早すぎる。
 あ、年度当初の資料請求に無茶を書きすぎたろうか?
「何か?」
「あ、いえ…別に仕事とは直接関係ないんだけど。ちょっと先生にお預けしたいものがあって」
「俺に…ですか?」
「えぇ、届けてほしいものがあったから」
「誰にですか?」
「有栖川君に」
「え?」
 ここでアリスの名が出てくるとは思わなかったからか、つい聞き返すと、事もなげに
「今でも、仲よしさんなんでしょ?」と返された。
「えぇまぁ…」
 
 相川さんは俺たちが学生の頃から、図書館に居た。
 あの頃は橋田さんだったが、俺が院生の間に相川さんになり、もう二児の母にもなっている。その一方で、もう一人のこわーい年配の先生が数年前に退職されてからは、図書館のチーフとして頑張っている。
 当時、それほど年の違わない相川さんの方が何かと声をかけやすくて、常連なのをいいことに『あの本が読みたい』『この本を買ってくれ』…なんてアリスと二人でこっそり頼んでみたものだ。『私の力じゃ無理ですよ』といいつつ、かなりの希望を叶えてもらって、貧乏学生だった俺たちは多いに助けてもらった。
 その延長か俺が英都で教鞭を取り出した後も顔を合わせると『何か希望あります?』と尋ねてくれていたりもする。
 その相川さんからアリスの名が出るのは決して不自然ではないけれど。
 届けものとは一体??
 そんな疑問が顔に出たのか、くすっと笑って相川さんはいった。
「大したものじゃないのよ。時間あるなら、今、いいかしら?」

 図書館は静寂に満ちている。
「こちらへ」と通されたのは倉庫のような場所だ。
「あ、足元気をつけてね。整理中の分、積み上げてあるから。えっと…あ、これ、はい」
 渡されたのは、一冊の本だった。
「これって…」
「書架の整理をしていて、廃棄に決まった本なんだけど。中のカード見たら捨てるなら、もらってほしいなって思ったの」
 言われて取り出したのは貸し出しカード。
 今でこそバーコードが導入され、コンピュータで貸し借りも管理されているけれど、あの頃はどこの図書館でもこういったカードが主流だった。
 そこには借りた人の名が印されている。

「…なるほど」
 両面でざっと40名ほど書ける名前のうち、半分以上が『有栖川有栖』で埋め尽くされている。
「思い出したのよ。その本見て、有栖川君ね。この本すごく気に入って。探したけど絶版だったらしくてね。コピーとればいいのに、本が折れるからって…せっせと写してた」
「あぁ、そんなことありましたねぇ」
 二人の間に浮かび上がったのは学生時代のアリスの姿。
 思わず、顔を見合わせて笑ってしまう。
「今時なんて人だろうって呆れもしたけど、それだけ本が好きな人がいるんだって感動もしたのよ、私」
 そういって、相川さんはくすくす笑いをようやく収めると真面目な顔で俺を見た。
「だから、渡してあげて。有栖川君に」 
「わかりました。ありがとうございます」
「あぁ、よかった」と相川さんはにっこり微笑む。
「でも、言ったら、あいつ取りに来ますよ、きっと」
「ううん、いいの。火村君の手で渡してあげて」
 あら、つい…と口元に手を当てたのは学生時代のように火村君と呼んだことに対してだろう。
「いいですよ。火村君で。俺にしてみりゃ、相川先生に先生呼ばわりされるほうが変な感じですから。じゃ、これは預かっていきます」
「よろしくね。本は、誰よりも愛してくれる人のところに居るのが一番幸せだわ」
 そうですね、と答えて俺は部屋を出た。


 だから、その後に相川さんが呟いた一言なんて、知る由もなかった。
「勿論、人もよ…火村君」


Rapid Progressにと書き始めたら、意外と長い話になってしまったのでこちらにあげました。
続きの話をRapidに…と思ってます。

月のかけらにもどる   目次に戻る