月がとっても青いから−6

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 青い月の中、何が起こるかわからない間、ヒムラはエイト城から出ようとはしなかった。その間、
山のようにたくさんの話をした。この世界の事、アリスの世界の事。話題に事欠くことはない。
 朝も昼もない青い月なので、一体何日がたったのか定かじゃない。ただ寝たい時に寝て、食べたい時に食べる。そういえばこの世界には時計がない。アリスの腕時計も電池がないのかほとんど進まないでようやく12時近くになった。

 そしてある時、ヒムラが告げた。
「どうやら何も起こらなかったな」
「そうなん?」
「あぁ、月が薄くなっていくだろう」
 言われて見上げた空には青い月の姿はなく、新月のような薄い光が微かに残っている。
「じゃあ、ヒムラは無事やねんな」 
「そのようだな…」
「よかった」
 思わず笑みがこぼれたアリスをヒムラは切なそうに見つめている。  
「どうしたん? 何か君、元気ないやん」 
 溢れる魔力に充たされて意気揚揚のはずのヒムラの不調にアリスはとまどう。そんなアリスをじっと見つめて意を決したようにヒムラは告げた。
「もし、もしも…今の俺にならアリスを元の世界に戻せるかもしれない、と言ったらどうする?」「ほんまに?」
「アリスがそれを望むなら…。でも、帰したくないんだ。俺ではだめか? 愛してるよ。アリス。俺とずっとこの世界で生きていってはくれないか」
 精一杯、心を込めて彼は思いを告げる。
 わかっていた。数日間、傍にいてこのヒムラも何かに救いを求めていると感じていた。でも…。
「ごめん。それは出来へん。君が嫌いとかやない。
この世界やったら男同士でも結婚出来るし、幸せになれるんかもしれん。けどそしたら向こうの、俺の世界で生きてる火村を一人にしてまう…。あいつ、ほんまはすごい寂しがりやねん。俺が消えたらきっとあかん。俺が隣でアホな事言うてなかったら、絶対腐ってまう」
「アリス…」
「何をしてやれるわけでもないし、何をして欲しいわけでもない。ただ、傍に居たい」
「俺がどれだけ望んでも?」
 深く首肯く。
「ごめん。火村が待ってる」
 その火村が自分でないと魔法使いはすぐに察した様だ。
「俺とそいつは、そんなに違うか?」
「わからん。同じか、違うか。よくわからへん。でも、今ここで君と暮らしたら俺は後悔する。君のせいやない。君はヒムラやもん。けど、あっちの火村のとこに帰りたいんや」
 何をいってるのかも何だかよくわからない。
 ずっと堂々巡りの会話を続けているような気もする。ただ、こうして言ってて一つだけわかったことがある。自分はこんなにも『火村英生』が好きなんだっていう現実。姿形じゃなくって、いや勿論それもあるけど、それ以上に、自分しか友達がいないような、犯罪を研究してるような、ホント掴み所がなくて、すごい堅いようで、しょうもない事ばっかり言ってるあの火村が、どうしようもなく好きなんだっていう事。
 
 アリスの言葉を遮るかのように力一杯抱きしめた後、ヒムラはあきらめたように溜息をつく。
「失敗したら死ぬかもしれんぞ」
「かまわへん」
 耳元でこぼれた言葉。
「…その世界の俺は幸せ者だな」
 緩んだ腕から一歩退き、改めてヒムラと目線を合わせたアリスは満面の笑みを浮かべている。
「大丈夫だよ。いつか‥。いつか、きっと君も出会うと思う。俺が火村と出会ったみたいに。ほんの偶然で、たった一言でかもしれんけど、こいつやって感じる奴に出会うはずや。それが、この世界の君にとってのアリスやと思う」
 凛とした目がヒムラをしっかり見据えている。
「そうだな。ありがとう。幸せに…アリス。青い月の出るこの世界からお前の幸せを願うことにしよう。いつか俺が俺のアリスと出会えたら必ず報告しよう」
「うん」
「最後に…一度だけ…」
 近づく唇にとっさに目を閉じる。柔らかな光が触れた気配と共に風が立つ。
「お前の火村によろしく…」
 遠くにそんな声を聞いた気がした。


▽▽▽

 目に映ったのは月。やっぱり青い月。
(戻れなかったんや。ヒムラの魔力でも破れないほど迷い込んだこの世界の壁は厚いんか…)
 閉じた目からまたしても涙がこぼれる。どうもこの世界にきてから涙腺が緩みまくっているようだ。
 と、その時、降ってきた声。
「また、泣いてるのか? せわしないしい奴だな」
 もしかして、と開いた目にその姿がはっきりと見える。
「火…村?」
「やれやれ。やっとお目覚めか? お早ようアリス…って言ってもまだ夜中だけど、ちょうど日は変わったかな」 
 言いながら点したライターの火がその横顔を映し出す。
「火村。…火村ぁ!」
「うわっ! アリス、こら。危ないって!」
 突然に抱きつかれてバランスを崩した火村もろとも二人で転がる草の上。
「火、持ってんだぞ。草燃やしたら大変だろうが」
 やっとの事で止まった川辺で火村がどなりつけるのもおかまいなしに、アリスは火村にしがみついている。
「火村、火村ぁ。会いたかったよぉー!」
 しばらくして、あまりの号泣ぶりに唖然として、
強く抱き締めた火村の腕の中でようやくアリスが落ち着きを取り戻した。
「どうしたんだ。一体? どんな夢みてたんだ?泣いたり、叫んだり、じたばたしたり…」
「夢?」
「あぁ。お前覚えてないのか?酔っぱらって京都駅まで迎えにこいって電話かけてきんだぞ。無視してやろうと思ったら森下さんが巻き添えだし。なんとか車に乗せたら、散歩しようって突然降りるし。その内一人寝込けて。よほど置いて帰ろうかと思ったけどな。その度に俺のこと呼ぶから…」
 火村の声を聞きながら思い出す不思議な時間。 あれは夢やったんやろうか。
 青い月のある世界。
「アリス? おい、もう寝るなよ。…俺を一人にするな」
 最後の言葉は耳元への囁き。
 そうや、火村を置いてきぼりに出来へんから戻っ
てきたんやないか。しっかりと目を開けて火村に言おう。
「ごめんな。ただいま。火村。けど、夢の中でも君と一緒やってんで」
 もう一人の君と…。
「またまた、調子のいいこと言ってくれるじゃないか。全く」
「ほんまやって。でも、俺はこの火村英生がいいねんから」 
 そう、やっぱりこいつがいい。
 ぶっきらぼうだけど優しい俺の火村が…。
「何をいってるんだか、この酔っ払い…」
 ほらまた、文句を言いかけた唇にそっと近付く。
「好きだよ。火村」
 とっておきの答えが唇に返ってきた。