PlymouthからNational Expressのバスを利用して移動するつもりでいましたが、これが午後しかない。そこでバスステーションでゆっくりと時刻表をチェックしていると、列車の時刻表も載っていました。そしてPenzanceまでの列車が割に出ているではないですか!インターネットでチェックしていたのですが見た会社が夜行しかなかったのであきらめていたのです。どうもチェックが甘かったようで・・・1時間もしない内にPenzance行きの列車に乗れることが分かりすぐに駅へ。着いたのは12時過ぎ。そして恒例のツーリスト・インフォメーション探しと思ったら、何と駅前に。そしてすぐに宿も取れたのですが、それもすぐ近く。午後1時にはチェックインをしていました。おかげでPenzanceでは素晴らしくのんびりできました。
the Far West of Cornwall | |
Britain島の西端のCornwall州は更に4地域に分かれています。その本土の西の端約40kmの範囲がこの地域です。この狭い地域ながらも、見所となるのは沢山ありPenzanceに5泊したにもかかわらず、飽きることのない所でした。Londonからの交通も割に良いせいか数人の日本人の方ともお会いしました。 | |
交通 | |
|
Penzance | ||
東から列車で着く終点のpenzanceはCornwall最大の町です。また最大のリゾート地でもあるとありますが、町としての機能も大きいためか余りそんな風には感じられませんでした。町中を歩くと、細かい道が多くちょっと違う所を歩くと全く予想もしなかった所に出てしまうことがありました。 着いた日は後4日間の計画をするため下調べ。それから海岸を西の方向に歩いてみました。港を過ぎると岩場にプールがあり、何ともう泳いでいる子供達がいました。日本でもまだそんな時期ではないのに・・・元気ですね。そして更に西へ進み、隣のNewlynという町のはずれまで。この間は広々とした遊歩道と公園が設けられていてゆっくり歩くことができます。海岸は手前が石ころで、時々岩場がある砂浜ですが、そんなに細かくもなくまた白くもないもの。海水浴には向かないかも。 |
Penzanceの繁華街の通りの一つ |
|
港から見たPenzanceの町 |
||
St.Ives | ||
Far West地域の大西洋側に面したとても美しいリゾート地です。交通の便も良くPenzanceからも頻繁にバスも出ているようです。列車で行くのも不便はありません。駅に着いた途端、目の前にきれいな砂浜が広がっています。リゾート地のためその客目当てに海岸には沢山のお店が並んでいました。その商店街を抜け港の方へ。そして埠頭の先まで行ってその海をのぞき込んだのですが、油などは全く浮いていないほど澄んでいました。漁港なのですが、私が今まで見た埠頭はすべて油が浮いていたので少々ビックリ。 時間がある方は小高い所からこの町を眺めてみて下さい。本当に美しい眺めです。私はたまたまミニバスツアーでこの町に泊まっている人をピックアップするためにその辺りから眺めることができたのですが、運転手もここからの眺めはとても良いと言っていました。 この町は滞在する予定はなかったものの、日曜日に過ごす積もりでいました。ところが、前日に会った2人の日本人の方達と一緒に行くことに。このSt. Ivesは私の予定を聞かれて訪れることになってしまったのです。1人の方が車なので動きやすいのか、この後何とTintagelまで行くことに。ここまでもPenzanceから車に乗せてもらっていたのです。 |
St.Ives Porthminster Beach |
|
St.Michael's Mount(Marazion);the National Trust所有 | ||
Penzanceの海岸から東を見ると何となく不思議な島が見えます。砂浜と繋がっているようですが・・・島はこんもりとした山のようでその上にはお城らしきものが建っているのが見えました。どの観光パンフレットにも載っているのがこの島でした。 | ||
ミニバスツアーが午後2時には終わり、海岸に出ているうちにここまで行ってみることにしました。日没にはほど遠い時間だったので歩いていくことに。(ちょっと遠かったかな?) こちらの浜は白くはないけどきれいな砂浜で遠浅になっていました。子供や犬が海に浸かっていました。しばらくの間は国道A30の歩道を歩いていました。その内に線路越しに海岸に出ることができ、その後は砂浜や遊歩道を歩いて着いたのは5時ちょっと前。この時点で既に中に入ることができる時間は過ぎていました。船着き場辺りは自由に歩けるので暫くうろついていました。 | PenzanceからSt.Michael's Mountまでの”道” |
|
この島への道は石で造られていますが、満潮になると水没してしまいます。写真によると、浅い時は靴を脱いで渡っているようですが、ボートも往来しているようです。私が訪れた時は水たまりは残ってはいましたが、運良く満潮ではなかったためそのまま歩きました。満潮の時間はあちこちに貼り出してありますし、各地の時間を記した冊子も売っていました。宿の情報コーナーにも貼ってありました。 帰りはバスに乗る積もりがつい来た方向に歩き出してしまい、宿に戻った時にはヘトヘト。途中、大型スーパーで食料を買い込んだのは何よりでした。途中の砂浜で行きに穴を掘り出している男性が2人、帰りに見るとそこら中穴だらけ。あれはいったい何をしていたのでしょうか? |
St. Michael's Mountの島に入った所;ガタガタの石畳に皆下を向いている |
|
St. Michael's Mount;左側から島への道が続いている |
||
帰国後ケーブルテレビの映画のチャンネルにあわせるとまさにこの島への道を歩くシーンが出てきてビックリ。映画はシェークスピア原作の”十二夜”でした。(ちょっとしたオマケ) |
mini-bus tour
何かツアーはないかとツーリスト・インフォメーションで探していたら、ストーン・サークルなどの遺跡を描いているリーフレットを見つけました。半日ほどのツアーでその場で申し込みました。ところが実際に回ってみると、リーフレットに描いてある所は鉱山跡だけしか訪れませんでした。騙されたような・・・途中、丘の頂上に石塚を眺め、ぽつんと立っているスタンディング・ストーンを見たくらいでした。それでも色々知ることができました。そして最後の訪問地を引き上げる前にバスの中で運転手がバスに積んでいた楽器を披露してくれました。ケルト音楽を聴いている人にはよく知られているものです。それらを使いながら歌も歌ってくれました。残念ながら英語の歌でしたが・・・ | ||
St.Serena's Church(Zennor) | ||
St.Ivesで最後の客をピックアップしてから暫く石塚が並ぶ丘を見ながら最初に着いたのがZennorという村の教会のそばでした。この教会は12世紀のもので、こじんまりした墓地にはケルトクロスの原型というのかちょこんとありました。中でガイド(運転手)が色々説明してくれました。端にあるベンチの肘掛けの横にはマーメイドが彫ってありました。このマーメイドにまつわる話をしてくれました。その伝説というのは「地主の息子で聖歌隊員のMatthew
Trewhellaが、マーメイドが彼の歌を聞いた後に、彼女から近くのPendourという入江に誘い出されました。男性の声が今でもその入江で聞こえると言われている。」というものです。(宿にあった資料からメモしてきました。) Pendour入江はZennorのすぐ北にあります。 この教会の他のベンチには様々なデザインのクッションが置いてありました。皆教会の信者による手編みのものです。ほとんどが教会にまつわるデザインですが、中に毛糸のパッチワークみたいなものがありました。これは近くの土地の区分けを表しているものだと説明してくれました。 また、この教会のすぐ近くにはWayside Folk Museumというこの近辺の農業と歴史的背景の展示館があるそうです。 |
St. Serena's Church in Zennor |
|
この時にCornwall語の説明もあり、Penzanceの意味も教えてくれましたが忘れてしまいました。そして客の1人が”Cornwall語を話せた最後の女性は亡くなったとか聞いているが?”との質問に、ガイドは”その人はCornwall語しか話せなかった。つまりCornwall語のmonolingualで他の英語などは話せなかった人です。”と答えていました。私もその客と同じことを聞いていました。ケルト文化を扱っている資料館等で色々な言語の音を実際に聞かせてくれますが、その中でCornwall語も話せる人がいないのに入っているのが不思議だったのですがそういう訳だったのですね。今でも話せる人がいて、勉強している人もいるのは確かなようです。日常は英語を話している方が便利なんでしょうね。 |
St. Serena's churchのケルトクロスの原型 |
(Ley Lines?) Standing Stone 向こう側は海、かすかに水平線が見える |
|
(Ley Lines?) Standing Stone | ||
Zennorを出て暫くすると大西洋が見えてきました。海岸線は崖の下、その手前には畑が広がっています。そして畑の中にぽつんとスタンディング・ストーンがありました。ここで暫く説明。写真を撮る客にも時間をくれました。このスタンディング・ストーンは地図でも名前が付いていないのですが、このツアーのホームページを見ていたら説明がありました。でも、写真は同じですが、説明はストーン・サークルになっているのですよね。 | ||
Crowns Engine House(Bottalack) | ||
お昼の休憩後、更に西へ進みます。途中(Pendeenという村らしい)、映画(何の映画だったけ?古い映画と思ったけど)のロケで使われたという小さな屋敷のそばを通り海岸の崖の上にある鉱山跡へ。鉱山といっても石炭ではなくスレート(石板)を産出していたらしいのです。ウェールズの特産でもありますので、地質的には似ているのでしょう。採掘は上から下へそして海岸の方へと向かって行われ階段状に削られていったとか。その作業の動力となっていた石造りの小屋が廃墟となって崖の下の方にありました。 Cornwallの人は世界でも優秀な鉱夫とかで各国に渡っていったとのことです。Cornwallの妖精にノッカー(knockers、鉱山妖精)がいますが、それもこんな話からきたのではないかと思います。 また、帰国後”コーンウォールの森へ”という映画が日本でも上映されましたが、この中のかなり重要なシーンにこの鉱山跡が出てきます。場所はこのCrownsではないようですが、私にしてみれば”いかにもCornwall”と感じてしまいました。 |
||
Crowns Engine House |
Bottalackの鉱山跡 |
Cornwallに来たからにはLand's Endに行かないわけには・・・ということで1日たっぷり行くことにしてバスの時刻表とリーフレットを手に入れて(前日に)計画しました。朝は9時20分、18時20分の最終のバスに乗ることに。その朝にバス・ステーションに行くと、同じ宿に泊まっていた日本人2人の女性と一緒になりました。彼女達とはLand's Endを途中まで一緒に回っていました。バスでの往復になりますが、土曜日より日曜日の方が本数が多いようです。バスを降りたその先にはビジターセンター他ちょっとしたアミューズメントやレストラン、お土産店などが並んだエリアがあります。 | ||
The Land's End Signpost | ||
ここが"Land's End"です!という記念になる標識で、これを入れて写真を撮るというのが記念の一つになります。この標識は作に囲まれいますが、中で撮ると有料。外では勝手に撮ってもかまいません。ただし、中では自分が住んでいる場所の名前と距離を示すサインを作った上で撮ることができます(撮ってもくれます)。同じ様なのが北の端のJohn O'Groatsにもあります。両方のサイン・ポストにお互いの方向と距離が示してあります。私はこの両方に行ったのですが、自分の足で制覇したわけではないので余り偉そうにはいえません。以前テレビで歩いて制覇する人のドラマを見てそんな人がいるのを知りました。 | ||
RSPB(Royal Society for the Protection of Birds) Observation Hide | ||
サイン・ポストを離れてちょっと進むとログハウスが見えました。そこへ入ると周辺の野鳥の生態が展示してありました。双眼鏡が3台設置してあって実際の鳥達を見ることができました。この時期は雛もいて、岩の上に見つけた時は3人で大騒ぎ。そばにいた係りの人には迷惑なことだったでしょう。すべて無料。 |
First and Last House | ||
野鳥の観察からちょっとした吊り橋を渡り、行き着くのがこの家です。この家からBritain島を進むあるいはこれ以上先に家はないということでこんな名前が付けられているようです。北の端のJohn O'Groatsを調べてみるとこちらは単に"The Last House"となっていました。北から出る人はいないのでしょうか?中には入っていませんのでどんなのかは分かりません。 | First and Last House Greeb Farmにあったミニュチュア牧場 |
|
The Land of Greeb Farm | ||
ビジターセンターの南側にあるのが農場とクラフトセンターでした。農場は本格的に見学するのは有料ですが、その回りは勝手に歩いていました。動物も放し飼い/放牧していました。近づいた時にはガチョウに囲まれてしまいました。珍しいのは黒豚でした。 | ||
a card from Land's End | ||
ここから手紙(葉書)を投函すると記念の消印を押して届けてくれます。私は記念に自分宛に出しました。おそらくJohn O'Groatsでも同じことがあるでしょうけど、そちらでは出していません。WalesのSnowdonの山頂からは出したことがあります。 |
walking on South West Coast Path | ||
Cornwall半島の海岸線を見ると破線がずっと続いています。これがSouth
West Coast Pathという遊歩道です。といっても草の間のあぜ道に近いのですが・・・この道をずっとたどって歩く人もいることでしょう。その一部がこのLand's
Endを通っているのです。 私はこの道をビジターセンターの南北両側にそれぞれ1kmくらいは歩いたと思います。北の方へ行くと隣の村のSennenに出ます。この村は海岸がとっても綺麗でした。崖の上からの眺めは壮大です。すぐ近くにはLongshipsという岩礁が見え、遠く西の水平線にはIsle of Scillyというリゾート地がお天気が良い日に望遠鏡で目をこらしてみると見えるはずです。ズームを210mm一杯にあげて何とかそれらしきのが写っています。(ファインダーを覗いている時はもっと良く見えていました。) また、崖の上には様々な花が咲いていて目を楽しませてくれました。でも、崖の端には行かないように。風が結構強くて飛ばされるかもしれません。危険な所には"DANGER"の立て札がありました。 この道には時々どんぐりのマークを見かけると思います。これはNational Trailの印だそうです。 |
Sennenの海岸 北側の海岸 南側の海岸 |
|
Irish Ladyという名がついた岩 |
||
Minack Theatre | ||
ここのことは以前テレビで紹介されたので知ってはいたのですが、場所をよく確認せずに現地に行ったら何とかなると思って行きました。しかし何ともならなくて・・・そこにとってもラッキーな事が起こりました。 South West Coast Pathを適当に歩いていると日本人らしき人が2人座って話しています。片方の女性を見ると昼食時にレストランで見かけた方でした。お2人も私に気づき話しかけてきました。そしてそれからこのTheatreに行くけどご一緒しませんかの申し出。男性の方が車で来られているとのこと。お2人はそこで会って話をされていたとのことでした。このTheatreへは女性の方が情報を持っておられました。私が地図を持っていたので一応道を確認しましたが、無くても案内の標識があるので迷うことはないと思います。 |
||
到着してみると上演は終わっていましたが、見終えた数人の客がなにやら向こうの海を皆で眺めています。いったい何?と思っていると側の女性が”アザラシが崖の下にいる”と。1頭が澄んだ水の中を巣に戻っているところが見えました。暫くすると今度は向こうの方に”イルカがいる”と。かなり遠かったので小さく見えていたのですが確認できました。よくぞ見つけるものです。皆手に双眼鏡を持っています。準備が良いことと思ったのですが、これ観劇するために用意していたらしいのです。 Porthcurno湾を見下ろす崖の上につくられたローマ町の野外劇場です。Britain島の最南の劇場で約750席の客席は岩の段差が大きくなっています。Rowenda Code(1893-1983)という1人の女性がつくり、1932年にシェークスピアのThe Tempestが初演だそうです。毎年夏に約20本の劇が上演されています。お天気がひどくなければ(小雨程度なら)上演は行われているとか。昼間(1:30pmまたは2pmから)と夜間(8pmから)の1日1回か2回の上演を行っています。夜間といってもこの時期は日が長いのでちょうど上演中に日没になるはずです。お天気が良かったら綺麗でしょうね。 上演中でなくても入ることができます(有料、通年)。私たちが見学した時には舞台では次に行われる新しい上演のリハーサルをやっていました。回りには1998年に亜熱帯の植物が植えられ華やかさを増しています。 |
cycling day
Penzance最後の日はやはり石の遺跡を訪れないことには・・・と思い、自力で行くことに。レンタ・サイクルのお店を見つけることができここでもチャリで回ることにしました。この日はあいにく霧雨が降り続くお天気で、足も重くなってしまい5時に返すには最後の訪問予定を外すしかありませんでした。 | ||
Lanyon Quoit | ||
"quoit"とは"くさび石"のこと。1枚の天井石をだいたい3~4つの石で支えている形のものを指しているようです。ここはCornwallでももっとも有名な遺跡で、墓の石室とありました。Penzanceから北のMorvah地区に向かうMadronという村にあります。5000年以上前のものです。1815年に嵐で壊れ1824年に修復されましたが、一部の石は崩壊した時に割れてしまったそうです。案内はありませんが、道の側にあるのですぐに見つかります。訪れた時は霧の中。何となく神秘的な雰囲気がありました。 | Lanyon Quoit Mên-An-Tol |
|
Mên-An-Tol | ||
この名前は"stone-with-a-hole-in-it"と意味でまさに形通りのものです。こんなのは他にまだ見たことはありませんが、唯一ではないとの解説がありました。3000年もしくはそれ以上、多くの人は青銅器時代につくられたと考えています。その穴をくる病や難病の子供を裸で3回通すと治るという言い伝えがあるそうです。また、悪魔の目としても知られています。 PenzanceからLanyon Quoitを更に北に進むと案内板があります。こちらのそこから更にpublic pathを通って農地の間を進み、もう一度案内板がありますのですぐに分かると思います。public pathは車は関係者以外は通ることはできませんが、チャリは入ることができました。石ころが沢山の道で体に響きますが・・・私が訪れた時、先に着いた女性と後から来たカップルの女性がこの穴を通っていました。私は通っていませんが、穴は普通の体型の女性がぎりぎりで通れるくらいの大きさです。 |
||
Mên scryfa | ||
"written-on stone"という意味で、ラテン語では6世紀の首領といわれている"Rialobran,
the son of Cunoval"の記念碑の一つのスタンディング・ストーンです。ローマ人がラテン語もたらす以前は言語は文字が無く、初期の記されていないメンヒルはまた有名な個人の記念碑のようでもあります。ローマ時代以降、あるものはラテン語で、別のものはIrelandのオガム文字で、またはその両方で記されています。キリスト教を表すものもありますが、このMên
scryfaを含むそれ以外のものはキリスト教以前のものです。これは"先史時代"から"有史時代"の線上にあるのです。 Men-An-Tolから更に奥に入り別のpublic pathを進んだ所にありますが、私はこれをチェックしていなくて訪れずに引き返してしまいました。 |
Carn Euny | |
鉄器時代の村落跡で、500BCから300ADまでのものだそうです。ここには"fogou"と呼ばれる地下道がありかなり大きい地下室に繋がっていることもありますが、そのはっきりした目的は分かっていません。 PenzanceとLand's Endを結ぶ線の真ん中より北側の丘にありますが、とても分かりにくかったのです。案内板に従って行くと個人の庭。勿論入るのは不可。その辺をウロウロしていたら、もう一つ木が覆い被さっている細い道があるので進んでみるとやっと見つかりました。その前に辺りを1匹の犬がウロウロしていたのですが、その入り口に行くとその犬が私を待ってくれていたような・・・案内をしていたみたいでした。私が中に入ると別の方向に去っていきました。ここに着いた時には足は草の露でビショビショ。落ち着いて見ることができなくなっていました。 |
|
Merry Maidens | |
19個の石でなるストーン・サークルです。その直径は70フィート(21m)以上で、石は日曜日に踊った罰として石に変えられた乙女達と言われています。 Carn Eunyを出てSt. Buryanという町まで出るのに近道のはずのpathが分からなくなり車の通り道で着いたところで、ここを訪れる時間が無くなりました。かなり疲れてもきていたのであきらめました。車も十分に通ることができる大きな道(B3315)の側にあるようなので見つけやすいと思います。 |
|
St. BuryanからひたすらPenzanceを目指して走りました。登りはやっとのことでペダルをこいでいたら、道の向こう側を走って(?)いた男性に追い抜かれ!てしまいました。下りになって追い抜き、その後は会うことはなかったのですが、情けなくなってきました。 |