Sligo

1991/7/22(mon)~7/24(thu)

DublinのConnolly駅朝8時40分出発の列車に乗り北西の町のSligoについたのは11時55分。Yeats Countryと呼ばれるこの町はさすがに今でもその雰囲気を残していて、時がゆっくり流れているようでした。着いた日は午後いっぱい町中を歩き回り、残りの3日間は周辺をたっぷり回りました。ツーリスト・インフォメーションで手に入れた州の観光案内書で日本語の旅行書には載っていなかったCarrowmoreという遺跡がすぐ近くに広がっているのを見て大いに喜びました。

Sligo
Ben Bullbenアイルランドの北西に位置する町で、北には頂上が平らな526mのBen Bullben(右写真)という山を眺めることができます。町の中をLough Gillから流れ出るGaravogue Riverの南側に市街地が広がっています。川の北側は殆ど住宅地となっていました。町の西に広がる海は大きな干潟になっていました。約30kmの北東には北アイルランドとの国境線があります。毎年夏には”イエーツ国際サマー・スクール"が開かれるということで日本からも多くの参加者があると聞いていましたが、私が訪れた時はまだ早かったので日本人は見かけることはありませんでした。
交通
  1. 飛行機
    月曜から金曜までの毎日Dublinからのフライトがあると言うことです。Sligo空港はStrandhillという半島の海岸縁にあり、一見したところ草原の中にあるようでした。
  2. 鉄道
    年間を通じて平日は日に3本、日曜日は2本の列車がDublinのConnolly駅から出ています。所要時間は3時間15分~35分くらい。駅は他の町と同様に市街地の外れにあります。
  3. バス
    他の主要都市から毎日出ています。Dublinからも出ているようですが鉄道よりは時間がかかると思った方がよいでしょう。料金は安いかも。

町巡り

Yeats Building Yeats Building
割に交通量が多いStephen Streetに面した小さい建物で、”イエーツ国際サマー・スクール"の事務局となっています。中には自由に出入りできます。常時地方、国内外の作品様々な展示が行われています。現代のその時点の芸術活動を垣間見ることができます。出る時に寄付をしたら、"Thank you"との声が返ってきました。入場は無料。
Yeats' Museum & Library
場所としてはYeats Buidingの向かい側というイメージだったのですが、地図を確認するとちょっと離れていました。MuseumにはYeatsに関するものが並んでいました。LibraryとMuseumは別の建物で同じ敷地にありました。Libraryは教会の建物を利用しているようです。Yeats Buildingが煉瓦作りなのに大して、こちらは両方とも灰色の石造りの建物です。Yeatsがそんなに好きではないという方も、文学的背景等を覗くには良い所だと思います。無料。閉まっているように見えましたが、平日の昼間は入ることができます。
Old Dominican Abbey Old Dominican Abbey
Garavogue River沿いの道Kennedy Paradeにある修道院です。現在は廃墟になっていますが、壁などは綺麗に残っていました。時間があったら寄ってみるのが良いでしょう。
1252/53年に建てられ、1414年に火災で崩壊し2年後に再建されたものです。先が尖った8つの窓は最初の13世紀に作られています。建物は2つの部分に別れています。1つは15世紀の塔と内陣障壁(助祭がお祈りをする場所)、もう1つは1624年付けのO'Conor記念碑が挿入された所とか。回廊の3面は15世紀のもので、広い東側の窓と高い祭壇も同じ時期のものとか。特にSligoの商業に於いて重要な一族のO'Creanの墓碑は特出すべきものとか。
入場は無料ですが、門に鍵がかかっています。鍵は門に掲示してある場所で借りることができます。私が訪れた時は他に数人の訪問者がいたのでそのまま入ることができました。
Cathedral of the Immaculate Conception
駅からツーリスト・インフォメーションに行く途中にある大きな聖堂です。目立ちます。目印になりました。特に観光ポイントでもなく、勿論普段使われているものです。
その隣に可愛い庭がありました。疲れた時はここで休憩。Sligoの町は交通量も多いなど意外に賑やかな部分もありますが、ここはゆっくりできました。

ミニバスツアー1

午前中半日出回るツアーです。Yeatsが親しんだGill湖を一周するコースです。
ツーリスト・インフォメーションで出発を待っていると、イタリア人の男性が声をかけてきて、何人集まっているかを私に尋ねました。ツアーが成立(最低6人)しているか心配していたのでした。私が申し込んだ時点ではまだでしたが、人数までは知りません。何で英語圏外の私に聞くの? 私がモロ旅行者とわかったからかな・・・彼は他に2人の男性と一緒でしたが、どうやらその2人は英語があまり喋れないようでした。ツアーの運転手(兼ガイド)が私に「私の英語は分かるか? 日本語が話せなくてゴメン」と言いましたが、そのイタリア人はすぐに「イタリア語は?」と尋ねていました。(答えは知りません。多分話せないのでしょう。) 結局10人くらいのツアーになりました。
Holy Well
Holy WellGill湖を南回りに進み先ず着いたのがここでした。場所は"Tobernalt"という名前が付いているそうです。
ケルトの神のLug("ルー"と読む、彼の名前からアイルランド語の8月"Lunasa"が取られている)を祝したLughnasaというお祭りの重要な古代のケルトの集会の場所です。この伝統は今でも7月最後のGarland Sundayでのキリスト教のお祝いに生きています。ミサは刑の日の間にここで密かに行われました。祭壇はSligoでの熱狂が収まったことに感謝して町のMercyの修道女達が20世紀初頭に建てたものです。ここは平和と静穏の場所であり、その井戸の水は多くの癒やしとなっています。
鬱蒼とした森に囲まれた神聖な場所という感じがしました。日本だったらもっと賑やかな場所になってしまうかも知れません。
Dooney Rock
Holy Wellを後にして暫くすると丘の上からGill湖を眺めるドライブになりました。結構いい眺めです。この辺りがDooney Rockと言われる所のようでした。
Donney Rockは森林地帯で、山歩きができるようになっているとか。ここまでは車で行くことができるようになっているそうです。お天気が良かったらGill湖は最高の眺めになるでしょうね。
Innisfree
InnisfreeDooney Rockを過ぎるとGill湖を暫く離れますが(道がないため)、再び湖畔へ。道の終点が湖、その先にInnisfree島が見えます。とっても小さな島ですが、Yeatsが詩に歌ったことから有名になりました。そうでなかったら観光ポイントにもなりません。他の土地の人達にとっては何てことない島です。確かにこの辺りの雰囲気はとても良いと思えます。海の側で育った私には何となく共感を覚えるところがありました。
この道の終点のすぐ側に家がありました。そこの犬は私たちが着くなりちょっとしたパフォーマンスをやってくれました。湖に入って小石を(口で)拾い上げてくるのです。特技なんでしょうか?2回ほどやっていました。運転手のお友達でもあるようです。
Parke's Castle
Parke's CastleGill湖の東側の湖畔に建っているお城です。
Leitrim(Sligo州の東の州)地方の1620年の植民でこの土地を入手したイングランドの一族から名前が取られているとか。元々はBreffni王国(不明)の支配者であるO'Rourkeの砦でだったと言うことです。
アイルランド・オークと伝統的な地方の職人芸で造られていて、門番小屋と広間と同様に外部からの進入を防ぐために防備が施された典型的な領主の屋敷です。城壁の内側に建つ初期の塔の石は17世紀の領主の屋敷の建物で使われたものです。Gill湖の近くには中世のアイルランドのサウナのようなスチームバスがあります。
お城と名前は付いていますが、そういう印象は全くありません。中庭や小屋には農機具がありました。Sligoから来るとGill湖のほぼ向かい側になるので止まってみるには丁度良い所でしょう。6月-9月は毎日オープン。入場料は必要ですが、ミニバスツアーの乗客は割引がありました。入るとすぐにスライド(ビデオだったかな?)の上映がありますが、どんなだったかよく覚えていません。

ミニバスツアー2

Sligo北部を回る午後の半日のツアーでした。Gill湖一周ツアーと同じバス/運転手でした。こちらも6人以上で成立するツアーですが、5人しかいませんでした。それでも回ってくれました。
Glencar Lake & Waterfall Glencar Waterfall
先ず向かったのはBen Bullbenとその南の山のCrockaunsに挟まれた谷にある割に小さな湖と底に流れ込む滝でした。コースはCrockaunsの北側を走るN16から谷を見下ろしながら走りました。途中Lugnagallという所でちょっとの間止まり、丁度Drumcliffという村辺りを眺めていました。回りは一帯が野原、手前は森でした。
滝はGlencar湖の東の端近くにあります。高さ(15m)や水量は大したことはないのですが、右の写真を御覧になるとお分かりになると思いますが、綺麗な形をしていました。雨の後は水の量がかなり多くなるとか。
湖はDiffereen Riverが流れ込み、Drumcliff Riverへ流れ出ています。回りには放牧場が広がっていました。
ここはちょっとした観光ポイントですが、日本の旅行書には載っていませんでした。現地の案内書にはお薦めの一つにあげられていました。
Lissadel House
Glencarを後にしてDrumcliffの村を横切り次に着いたのがこのお敷家です。ここにもYeats関連のものが展示してありました。部屋の案内はガイドが付きました。
この周辺は野鳥の保護区となっていて、カオジロコクガンの冬の保護地域となっている所はこの地域では"雁の野原"として知られているそうです。
屋敷は1830年代のものでGore-Booth家のものでした。有名な相続人には北極探検家のSir Henry Gore Booth、彼の娘で詩人のEva Gore-Booth、そして後にCountess Markieviczとなり1916年の蜂起のリーダーであるConstance Gore-Boothがいる。ここにはW.B.Yeatsもたびたび訪れていたそうです。
Creevykeel Megalithic Court Cairn
Creevykeel MegalithicSligoの北約20kmにあるお墓です。古代の典型的な墓の例で、完全な形で残っていると言うことです。
回りは大型の石で縁取られ、また、祭礼の場は直立した石で囲まれています。入り口の向かいには枕木の下に2つの埋葬部屋があります考古学者はその埋葬部屋はもとは屋根があったと考えているそうです;一つは石の屋根でその部屋の左後方にあり、2つの部屋の間にある高い仕切石が屋根の受け材として傾けられていた。4つの火葬場、新石器時代の陶器と火打ち石が1953年にハーバードによる発掘調査で発見されました。この墓は紀元前3500年~3500年の間の新石器時代にアイルランド最初の農家によって作られたそうです。
"megalith"という言葉はしばしば石器時代に作られた墓に適用され、ギリシア語で"mega"は大きい、"lithos"は石という意味の言葉から来ているとのことです。
写真を御覧になってもお分かりの通り、かなり広々とした所に沢山の石が敷き詰められていました。ガイドの説明によると、ここでは生活もしていたと聞いています。
Lissadel Houseからちょっとしたドライブになりました。途中Grangeという町を通るのですが、東にある巨大なお墓のNew Grangeはこの地方の名前から来ているような気がしています。
Drumcliff Church & Yeats' Grave W. B. Yeats's Grave
最後の訪問地であるDrumcliffはCreevykeelからSligoに戻る国道N15の途中にありました。ここにあるDrumcliff ChurchにW.B.Yeatsのお墓があります。教会はそんなに大きくはないのですが、入り口の上には高い塔がそびえていました。また、ドアの外側には大きな白鳥(?)の像が飾られていて、ちょっぴり豪華な雰囲気を出していました。
駐車場のすぐ側にはハイクロスがありました。これは10世紀のもので、西側の面には旧約聖書のものが、東側の面には新約聖書のものが描かれているそうです。時間があまりなくてよく見ていません。
サイクリング
Sligo滞在は3日と余裕があったのでその中日を自分の足でゆっくりと好きな所を回ることにしました。宿にあったレンタサイクルのチラシを見て自転車屋に行き、借りた自転車はサドルが高く地には勿論ペダルの一番下にも足が届かない物でした。その分、力は出ました。お天気はまあまあでしたが、風邪が強く疲れてしまいました。乗っている時は良かったものの、降りると寒いという状況でした。
Carrowmore Megalithic Cemetary
自転車を借りて先ず向かったのがいくつものストーンサークルやドルメンが広がるCarrowmoreでした。Sligoから南西へ約20分も進むとあちらこちらにドルメンが見えてきます。あるのは農家の放牧場の中です。牛達がすぐ側にいました。(足下に注意!) 私有地ですが、自由に見ることができます。囲いにはスタイルが設けてあるので出入りは勝手にやっていました。ある所では維持費のための寄付用の箱も置いてありました。この一帯のストーンサークルはNational Monumentとなっています。
Carrowmoreは石器時代に始まり西ヨーロッパの最大の古代の墓の一つとなっています。19世紀には150もの墓があり、現在では40個だけが残っていて様々の時代の物が保存されています。5年計画でスウェーデンの考古学チームがここで4個の墓、Knocknareaで2つの小屋、Culleenamoreで1つの貝塚を発掘しました。また、周辺地域でもかなりの量の発掘作業を試みたそうです。この主な目的は墓の建設者達の生活の場所を探し当てることだったとのことでした。
おおよそにおいて墓は火葬された骨と大型の石の屋根付きの埋葬室があり、大型の石の円で囲まれています。墓は共有が標準です。
各ストーンサークルには番号が付けられています。駐車場のすぐ側には1981年に発掘されたNo.4があります。ここには沈下した埋葬室とそこから縁石で囲まれた低い小道に繋がっていました。放射性炭素年代測定によるとこの墓は紀元前4000年以前にまで遡るそうです。またNo.7からは火葬にされた20体が見つかり、その多くは18歳から22歳までの若い女性だったそうです。放射性炭素年代測定では紀元前3290年前後のものとか。全体でもNewgrangeよりもおおよそ700年は古い時期の遺跡だそうです。
ヘリテージセンターも設けられていて、この遺跡群の概要が説明されています。いくつかのサークルはこのセンターの管理のようです。センターの入場は有料。
Carrowmore Megalithic Cemetary
ヘリテージセンター内のサークル(番号不明)
完全な形の円はこのセンターの中にはありません。
Carrowmore Megalithic Cemetary(No.7)
No.7の墓;丘の上にある。私有地。真ん中がドルメン。
スタイル=stile;英和辞書の説明は"垣・壁・塀を人間だけ越せて家畜は通れないようにした踏み越段"となっています。田舎ではよく見かける代物です。
Knocknarea
Carrowmoreでかなりの時間を費やし、写真も36枚撮り1本以上を使ってしまい、やっとの事で離れました。そして次に向かったのがCarrowmoreの西の丘Knocknareaを擁する半島一周でした。
  1. Cullenamore
    半島の南西部にある村です。ここから眺めたBallysadare Bayに広がる干潟がとっても綺麗でした。この湾の真ん中にはGreat Seal Bankと呼ばれる潟があり、名前から察するところアザラシがやってくるのでしょう。この近くからは紀元前2200年の頃の貝塚が見つかったそうです。
  2. Strandhill
    半島の最西端に当たる美しい村です。リゾート地になっているとか。キャンプサイトもあります。夏場はビーチガードもいて、海水浴で賑わっているようです。Sligo空港はこの近くにありました。道から見た限りでは原っぱに滑走路を造っただけのように思えました。
  3. Coney Island
    Sligo湾とその奥にある干潟との間を遮るようにしている島です。島にはわずかな住民がいるだけです。この中の干潟は冬にはコクガン、野生のカモ、サギやツル等の渉禽類の鳥の生息地となっています。
  4. Maeve's CairnMaeve's Cairn(右写真)
    この半島の丘Knocknareaの頂上にある墓です。Maeveとはアイルランド民話に出てくる女王なのですが、その墓が実在するとは変な話です。年代測定では紀元前約3000年の頃のものとなるそうです。女王の話はもっと後(キリスト教の時代)の物とか。丘の上にあっておまけに頂上が次第に曇ってきて登る気はしませんでしたし、そんな云われのものとはこの時は知らなかったので近くでは見ていません。Sligoの町からも見えました。
Rosses Point
半島一周後、今度はSligoの町を通り抜け半島の北の向かいにあるRosses Pointに向かいました。行きはかなりの向かい風で思うように自転車が進みません。自転車をこぐのに必死で左手に美しい干潟を見ながら、と言うわけにはいきませんでした。
岬まではSligoから8km、海辺のリゾート地でした。ここにもキャンピング・エリアがありました。海岸は2つの白い砂浜で海水浴場になっていました。この日は風のためにかなり寒かったのですが、何と泳いでいる人がいました。途中で会った地元の人らしい親子連れも”こんな日に泳いでいる人がいる!”と言っていた程でした。他にここにはプールとヨットクラブがあり、ヨットでは国際的な競争が行われているそうです。Yeatsの好きな場所でもあったとか。
ここまで来て、自転車のためにとっても熱くなっていました。ところが、ベンチで休憩をしていると風で冷えてかなり寒くなり、仕方なく早めに引き上げてしまいました。とっても良い所なのに残念でした。帰りは追い風で行きの半分ほどの時間で走ったような気がします。
Rosses Point


  1. Sligoホームページ(英語):Sligoの情報のページです