夏だけのサービス路線251のバス(9時出発)に乗るために宿を急いで飛び出し、Europa
Bus Centreで待つこと30分くらい。スタッフに確認してステージ番号に居ても一向に来る気配がない。他の客もそれらしき人は・・・去年のCardiffでの再現かと思ったのですが、もう一度側にあった窓口のスタッフに確認すると、今こちらへ向かっていると(ソバ屋の出前みたい)。来たバスには乗客はおらず・・・始発の出発(Laganside
Bus Centre)自体が遅れたようでした(こんなことはよくある)。この路線はインターネットで前もって調べていたので後は現地で確認しただけなのですが、やっぱり目当てのバスが来るまでは不安でした。BelfastからColeraineまで(実際にはPortrushまでだったようです)のAntrim州の海岸沿いを走る途中の景色を楽しむ路線となっていました。Belfast-Portrushを単純に移動するなら内陸部を走り、もっと早く着けるのですが、どうせなら時間がかかってもこんな楽しみ方をしたかったのです。 Portrushに宿泊するのは北Irelandを訪れる最大の目的地Giant's Causewayに行くためでした。単にここに行くだけならBelfastからもツアーバスがあるのですが、ついでに北海岸をゆっくり見るためでもありました(Scotlandが向かいにあるため!?)。確かに観光地としては北Ireland最大とのこと。しかもこの海岸の並びにCarrick-a-rede Rope Bridgeもあり、さらにDunluce Castleまでも並んでいます。 バスはIreland海に面する海岸沿いをずっと走ります。途中2回ほど長く停車していました。そしてCushendallから内陸部に入っていきます。ちょっとした丘なのですが、その頂上に近づく頃バスの運転手が「この辺りは口蹄疫の汚染地域だった。(左手の脇道を指して)この道はそのときは通行禁止だった」との説明が。この時点では解除されていましたが、回りを見ると確かに羊がいない。約3万頭の羊が処分されたそうです。この病気のすさまじさを実感することになりました。 |
Antrim州北海岸の美しい海岸沿いの町。岬に突き出た部分と内陸部に分かれていて中央にDunluce
Centreがあります。このセンターにツーリスト・インフォメーションがあり、バス停も直ぐ近くです。 町の東西に広がる海岸は美しい砂浜。その砂浜に沿ってゴルフ場があり、私が泊まった宿の他の泊まり客は数日間ここでゴルフを楽しんでいるらしい男性群でした。Giant's Causewayの観光だけならCauseway辺りに泊まる人の方が多いようです。また、海岸通りの名前に"Causeway View"と言うのがあったのでおそらくそこからGiant's Causewayも見えるのでしょう。お天気が良くて倍率が高い望遠鏡があれば見えそうでした。(私が見た時はどの辺にあるのか良く分からなかったのです。) 西の海岸は港がありました。 |
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交通 | |
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The Causeway Coast | |
北AntrimのPortrushからBallycastleまでの広がる30Km(18マイル)の美しい海岸。海岸線はBushmillsでは3Kmも奥まっていたり、Dunluce Castle近くでは100m程しかない所もあります。このエリアは訪問者に砂浜からお城まで、そして壮大な地質学の様相まで多くのものを見せてくれます。 | |
Whitepark Bay | |
1マイル(1.6Km)の黄金の砂浜の石灰石の壮大な自然の円形劇場がPortBraddanのこじんまりした港の西側とBallintoy港につならる’せり上がった浜’(洞窟がある)の東側に並んでいる。 確かにとっても綺麗でした。路線バスにもかかわらず、この砂浜のビュー・ポイントとなる所でバスを止めて写真を撮る時間を作ってくれました。お天気もよく、北海岸の美しさが体験できました。海は北大西洋になります。場所としてはRope BridgeとGiant's Causewayの中間。その他、この路線バスは観光も兼ねているのであちらこちらの景色や観光ポイントも案内を挟んでくれました。 |
East Beach & the White Rocks | ||
ツーリスト・インフォメーションで宿を取ってもらった時、担当の女性が色んな資料をくれました。その中にこの町のすぐ近くに素敵な浜辺があることを付け加えてくれたのです。そして、チェック・イン後早速その浜辺に。少々寒くて、波も相当ありましたが広くて綺麗な砂浜を歩き回るのはとっても気持ちがいいものでした。その向こうには白い岩肌の壁が見えます。これがthe White Rocksで眺めも最高のものに。(何となく千葉の銚子辺りの屏風岩を思い出させます。)大西洋の荒波に揉まれてあちこちに洞窟もできていました。ここをずっと歩いていたら、その先にDunluce Castleが見えました。そんなに遠くでもないし、城へのバスの時刻も調べていなかったので歩いてみようかと・・・途中、沖にはThe Skerries(これが名前らしい?1つ1つにも名前が付いている)の岩礁も眺めつつちょっとハードな散歩を楽しんでいました。 | The White Rocksの典型的な様相 |
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The Skerriesが沖に見える |
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左の奥の方にDunluce Castleがあるのですが・・・ |
Dunluce Castle | ||
PortrushとBushmillsの間の海岸道路(A2)の脇の見晴らしのいい所にある。岩場の岬を占領していた初期のキリスト教時代にdun(砦)の名前と岩を切り取った地下室が提案された。城の初期の部分はおそらく14世紀のものであるが、MacQuillan家そして後にMacDonnell家の手によってなされた16世紀までの記述はない。運悪く1584年にEnglandのDeputy卿Sir
John Perrottによって壊され、城はSorley
BoyとJames
MacDonnellによって改修増築されたが、17世紀から朽ちてきた。この場所は現在Environment
and Heritage Serviceによって維持されビジターセンターが設けられている。城の廃墟と土地は一般に公開されている。 4-9月は月-土曜日が10-18時、日曜日が14-18時(4-5月、9月)または12-18時(6-8月、祝日)、10-3月は火-土曜日が10-16時、日曜日が14-16時(3月、9月のみ)。最終入館は閉館の30分前。有料。ガイドツアーあり。 |
城の中核部。この崖の下に洞窟(上の部分がちらっと見えているのですが)があり、波が押し寄せていました。 |
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道路(A2)からの眺め;右手の建物は農家 |
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私はてっきり閉館が17時と思い中に入ることをあきらめて、その前のThe
White Rocksで時間をかけていました。この城に辿り着いた時は閉館直後。それを知っていたらもっと早くに行ったのに・・・でも、車が入っていくのでいってみると、城がある崖の下までは入っていくことができました。皆さんもその辺りで満足していたようです。 この城へ続く道と、中庭に入るドアの所には消毒マットが。また、隣にある農家は許可された人だけしか入ることができないようになっていました。このころから次第に口蹄疫に関する状況が厳しくなっていきました。 |
Carrick-a-rede Rope Bridge | 心の準備をして・・・ |
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200年以上も前に、ロープで作られた橋です。初期の頃には片側のロープしかありませんでした。最初は橋は重要な漁場のために作られました。1830年以前は魚師が牽引用の網を固定して使っていましたが、1830年代に袋用の網が導入され、今日もそれを使っています。鮭の多くは西へ向かい、BannまたはBushへ戻ろうとします。Carrick-a-rede(道、つまり鮭の道の中の岩)の下の湾に入る時、鮭は橋の下の狭い水路は通らずに、その島の北側の方へそらされて魚師が漁業の季節にセットした網の中へと進む。 橋は60フィート(約18.3m)の幅の割れ目、海面からの高さ80フィート(約24.4m)の位置にかかっています。駐車場から1マイル(約1.6km)、崖の上の道を歩きます。ナショナル・トラスト所有。初春から9月まで10-18時、7-8月は20時まで開場。ただし、悪天候(風が強い時等)は閉鎖。無料。 この橋は、大人一人の幅くらいしかないので、向こうから渡ってくる人がいれば橋のたもとで待つ必要があります。橋の中央で下の海峡の写真でもと思いましたが、あまりに揺れるのでロープから手を離すことができず諦めました。そこで橋のたもとで真下の海を撮ろうとしていたら、一人の男性が「大丈夫か?」と声をかけてきました。怖くて渡れないと思ったのでしょう・・・既に渡って戻ってきたところだと言うと安心したのか渡って行っていきました。 バスはB15の道路に止まります。そこから駐車場へ短い坂道を下り、さらに東へ進むことになります。バス停を示す物は何も立っていないのですが、運転手もよくわかっているのでB15の入り口の所で待っていれば大丈夫の筈です。私は待っていたら運良く次のGiant's Causewayまで行く親子の車に乗せてもらいました。PortrushからはBallycastle行きのバスでも行くことができます。ちなみに、バスの運転手には単に”Rope Bridge”と言えばここで下ろしてくれます。 |
島の全体;白く見えるところが魚師の小屋 |
おじいさんに抱えられやっと渡っていました。渡り終えた時は拍手。 でも、この子は戻るためにもう一度渡らなければいけないことには気づいていない・・・ |
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Ballintoy | ||
左の写真はRope Bridgeのバス停からの眺めです。Ballintoyという村で、小さな港があるとか。この港から海岸沿いを走るボート・トリップができるそうです。この地の魚師がやっているそうです。 |
Giant's Causeway | ||
北Irelandに来た最大の目的がここです。この自然の素晴らしい仕業を是非訪れてみたいと思っていたのでした。ただし、同じような物が実は佐賀県唐津市の北海岸の七つ釜と呼ばれる所にあるので、何もここまで・・・となってしまうのです。七つ釜の方は石の上を歩けない(筈)のでちょっとは意味があると思っています。また、ここはケルト伝説でも有名な所なのでやはり訪れないわけにはいかないでしょう。 ここは思いっきり長居しました。途中ちょっと難があって、一度Giant's Casueway Centreまで一旦戻った後もう一度行ったのです。Centreから石の柱まで下り坂ですがちょっと距離があります(帰りがしんどい、ミニバスのサービスもあります)。みんな思い思いに石の柱に登っていました。 |
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<資料による解説(1)> Runkerry辺りからDunseverick城までの海岸の多くは1961-1964年の間にナショナル・トラストが確保した。Giant's Causewayの昔の名前はclachanafomhaireで大まか意味は”Fomorians(フォモーレ族:ケルト伝説に出てくる一族)の飛び石”というものであった。そこにはゲール語を話す人々が到来する前におそらくIrelandに住んでいた少し野蛮な人々がいたらしい。 数百万年以上も海と陸の複雑な隆起は湾と岬にそれと認められる様相を残し、現在もこの海岸線は変化し続けているのである。 Giant's Causewayは1つの谷に溶けた溶岩が流れて出来上がったものである。その溶岩は立体の真っ赤に焼けた岩になったが、冷えて固まるにつれて新しい岩の奥深くに進む垂直の割れ目を造っていった。そうして柱が形作られた。それゆえ,この柱は冷やされている表面までに及ぶことになった。もしその過程がすべてに及んでいたならば,その柱は六角形になったであろうが,実際はそのうちの半分だけであった。柱はまた縦に縮み凸面と凹面の”ボールとソケット”の形が如何に出来たかを物語っている。四角、七角、八角形の柱は知られているし、九角または十角形の柱も不完全ながらある。 Giant's Causewayは17世紀の最後の10年間に訪問者の話の中に最初に登場した。18世紀後半には訪問者が次第に多くなってきた。1883年に水力電気の電車がPortrushからDunluce Castleを通るBushmillsまでの美しい海岸ルートに沿ったサービスを開始した。その線は1887年には延長されCausewayホテルの広場が終点となり、そうやって訪問者がGiant's Causewayに簡単にたどり着けるようになった。電車は1949年まで運行された。その年は自動車と公共交通との競争が訪問者のユニークな体験を終わらせた。しかし、電車の軌道はまだ残っていてCausewayからBushmillsの近くまで歩くことが出来る。 Causewayは18世紀と19世紀には多くの訪問者を引き付け、そのため様々な別荘が建築された。願い事を叶えてくれる井戸(wishing well)の面倒を見ていた一人の老婦人がいて、貸馬車とボート漕ぎがいて、お土産のための小屋があった。また門もあり入場料が取られた。1962年にナショナル・トラストがその門と小屋を取り去り無料にして一般に開放した。トラストの情報センターが開館し、小さなカフェが提供された。1986年にはMoyle District Councilが更に大きいビジター・センターを建てCauseway海岸の文化と自然の歴史の情報を提供した。優れた展示は24分の映像説明と土産店で完結する。ナショナル・トラストの機能は現在レストランと土産店が入る複合的な建物になっていて味と興味で幅広くまかなっている。 |
一番高い岩から海を見たところ |
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1986年に世界遺産会議が場所と記念碑のリストに加えてPortnaboeとBenbane岬の間のエリアが世界遺産になった。Causewayは特徴のある財産としての2つの基準は、 (1)第3期の新世紀の間の地球の火山活動の歴史の重要な例であること (2)珍しくて最高の自然の景観があること である。この地域はまた1987年に例外的に地質学として重要なものが含まれているとして国立自然保護区としても指定された。 |
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絵葉書のアングル? |
<資料による解説(2)>(重複部分は省略) Giant's Causewayは玄武岩の柱が一ヶ所にある驚異的な複合体で、頂上は崖下から海の下に消えるまでの"飛び石"を形作っている。同じような柱がHebrides諸島のStaffa島にある;それ故にこれが巨人のFinn MacCoolがScotlandに渡ることが出来るように作った道であるという伝説になっている。 柱の数は約37,000本。最も高い柱は、巨人のオルガンにあり、12mある。崖にある固まった溶岩は24mの厚さになる。崖の明るく色づけられた継ぎ接ぎは熱せられた溶岩の中の残留物の泡である。植物の化石は溶岩が植物が覆っているところで噴出していること、そしてIrelandの気候が亜熱帯であったことを示している。 |
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少し外れてまた岩の柱;黒い部分は波がかかるため |
<資料による解説(3):ケルト伝説の英雄Finn
MacCoolのGiant's Causewayに関する伝説(要約)> Finn mac Cumhallは、Finn mac Coolとも呼ばれていたが、全Irelandで最も大きく最も強い巨人で、頭が雲に届きそうなくらいに大きく、声は何マイル先でも聞こえ、その大きい手の片方に百人の人間を抱えることができるほど強かった。FinnはOonaghという妻と共にAntrim州の丘に住んでいた。 ある日ScotlandからメッセンジャーがFinnのお城に来て、FinnにAngusというScotlandの巨人がIrelandのどの巨人よりも自分が強いことを見せたくて彼と戦いたいと伝えた。 次の日から、FinnはScotlandまでの海を渡る道を作り始めた。この道はcauseway(土手道)と呼ばれ、全て異なる角と大きさの何千もの岩で作られた。Angusはこのことを聞くと、Scotland側からもcausewayのを作ることにした。やがてIrelandとScotlandとの間の海に何マイルもの道が作られ、Scotlandの巨人がIrelandにやってくることが出来るようになった出来た。 ある朝、Finnはお城の近くの森を歩いていた時、妻のOonaghが走ってきて「Angusは世界で最も大きくて強い巨人だと聞いたの。彼はあなたの2倍ほど大きくて、2倍ほど強いのよ!」と知らせた。Finnは不安になり「僕の2倍もある巨人とは戦えない。僕たちはちょっとした計画を考えなければいけない。」と彼は彼女に言った。 二人はお城に戻り、Finnは何時間もの間大きな肘掛け椅子に座って、Scotlandの巨人を騙して遠ざける方法を考えていた。 |
The Gironaに行くまでにあった別の柱、最も高い柱の群らしい; 上の部分は柱になりきれなかった岩 |
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裏から見たcauseway;左にいる人を見ると高さが分かると思います |
(続き) 日が沈む頃、あのメッセンジャーが「Angusは明日の日の出にあなたと戦いたい」とFinnに伝えた。「勿論」とFinnは笑顔で「私がIrelandに来ることを歓迎しているとAngusに言ってくれ」と答えた。 Finnはある単純でいい計画を考えついていた。彼は寝室へ行ってベッドから毛布を取ってきて、夜通しFinnとOonaghは働いた。毛布を巨人の赤ん坊の服にしてFinnが着た。さらに彼はかわいいブルーのガウンとお揃いの大きな幼児靴を履き、頭に青い帽子を被った。そしてFinnは大きなゆりかごに入り、Oonaghが毛布を掛けた。 |
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(続き) 次の朝の日の出、Angusがやってきて「おはようございます、Mac Cumhall夫人」と挨拶をした。彼は「私はあなたのご主人と戦うためにScotlandからやってきました。彼はここにいますか?」「いいえ」とOonaghは答えた。「彼は朝の散歩に出かけていますが、すぐに戻ってくるでしょう。中に入ってお待ちになりますか?」とOonaghが言った時、そのScotlandの巨人はゆりかごの中から鳴き声を聞き、「あれは誰?」と彼は赤ん坊を指しながら尋ねた。「あれは私たちの赤ん坊のYoung Finnです」とOonaghは答えると、その巨人はとても驚いた。彼はYoung Finn程の大きい赤ん坊を見たことがなかった。「もしFinnの赤ん坊の大きさがこれくらいだったら、Finnはどんな大きさになっているのか?」と独り言を言うと、彼はその城を出て急いで走り去った。causewayを渡り自分の国に着くまで止まらなかった。AngusはFinnが後を追ってくることを恐れ、causewayの石を引き抜いて海に投げ入れた。今日、Antrim州に行くとそのcausewayの小さなかけらをまだに見ることが出来るでしょう。それはGiant's Causewayと呼ばれています。なぜならIrelandの歴史上の最も有名な巨人Finn MacCumhallによって作られたからです。 (子供向けのIrish Legendsシリーズの"Finn and The Giant"からでした。) |
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The Girona | |||||
1588年10月、the Gironaつまりスペイン艦隊のガレアス船はLacada岬で沈没した。この艦隊はChannel海峡でEngland艦隊に妨害され、多くの船がScotlandの北とIrelandの西を回って帰ることを余儀なくされた。そして、Causeway海岸で沈没し1300人のうちたった5人だけが生き残った。 Robert Stenuitによる1967年のGironaの発見は近代における航海上の考古学的に最も重要な発見の一つである。引き上げられた品々は1972年に国によって買い上げられBelfastのUlster博物館に永久保存されている。現在海洋考古学の場所に置かれている。 Causewayの岩の柱の固まりを抜けて先に進むとこのポイント。しかし、近くには行くことができません。危険なためです。行き止まりで見ることが出来るようにはなっています。 |