いよいよと言おうかやっとと言おうかIreland最終地のDublinへ。EnniskillenからBus
Eireannでノン・ストップになりました。但し、またもや国境で口蹄疫の消毒。今回は更に厳しくバスを一旦降りて乗客全員が消毒マットを踏んだ後バスへの消毒液のシャワーがありました。やっぱり普通なら国境と分かりにくいところでした。もう一つ。北Irelandではまだ総選挙のポスターも掲げてあったのでそれを見た時はまだ国境は越えていないとは分かりましたが。
Dublinに着いたところで宿探し。まあ、過去4回も訪れていたのでツーリスト・インフォメーションで難なく確保。ついでに次のMan島の情報をと思って尋ねると、連絡船に関しては不明。埠頭に行くバスを聞いたら1時間くらいかかると言われたけど、?。どうもDun
Laoghaire(Dublin湾に面する南の町)から乗ると思ったらしいのです。バスのことはバス・ステーションの案内で聞くことにしました。そしてBTA(British
Travel Agency)の地図を示されそこで聞いた方が良いと言われ・・・そんな所があるのかと。BTAでは島の観光資料を渡され、船会社に電話で聞けと言われて・・・電話ではうまく聞けないからとまたもや係りの人に電話して貰いました。(一応、時間は事前にチェックしていたけど最終確認が欲しかったため。何となくここのBTAの人は不親切な印象がしてしまった。)何とか気を取り直して宿に向かい、Dublinでの過ごし方を考えることにしました。
Meath Heritage Trail
DublinはMan島へ渡るためだったので1泊でも良かったのですが、まだ行き足りない所もあるかも知れないと2泊にしました。丸1日どこかへと思っていたのですが、Donegalで手に入れたIreland
HeritageのリーフレットにTaraの丘のことがあって、まだそこに行ったことがないことに気づきました。そこでDublin到着後、ツアーを捜したら丁度良いのが。Monasterboice(まだ行っていない)にも行くようなので早速申し込みにツーリスト・インフォメーションに行くと満席。でも、係りの人が翌日行われる似たようなツアーを2つ捜してくれました(親切!)。1つはNew
Grangeのみだったので”行ったことがある”と断り、もう1つはMonasterboiceには行かないものの他は同じ様な所を訪れるものでした。
で、翌日時間に行くと客は3人だけ。後の2人はオーストラリアとカナダの女の子(2人はユースで一緒になって行動を共にしているらしい)でした。オーストラリアの女の子は私が日本人だと知ると”ソフィ、日本語しゃべれる!”と。その後殆ど日本語(それもかなり立派な日本語)で喋ってくれました。ガイド(運転手)も親切なお兄さんで、お天気も良かったのでリーフレットには書いていなかったおまけも付けてくれました。
Hill of Tara(タラの丘) | |||
Dublin市街から一気にここへ。地名だけは映画(”風と共に去りぬ”)の影響もあって有名ですが、実際どんな所かははっきり理解していたわけではありませんでした。 到着後側の教会で丘の形成や歴史を説明したスライドの上映会(有料)がありました。そして、現地のガイドさん付きで丘の真ん中まで行って更に説明を受けました。これ、たった3人だったけど全て団体扱い。ツアー・ガイドが結構無理矢理にそうして貰ったようです。 丘の歴史は約5000年前から始まったとか。地形も僅かに残るくらいですが、確かに人の手が加えられた跡があります。この丘からは360度のパノラマが広がっていました。こんな所ですから回りから攻め込んでくる敵を十分に監視できたのです。 「Taraには興奮する物語-人を酔わせる飲み物と二輪戦車を操るハイ・キング達の物語以上のものがあります。そこには美しい女性に変身した魔女がいて、未来の王達の存在を広めた歌を歌う石の固まりがありました。Taraは不思議な、神話の雰囲気がしみ込んでいます。それは伝説の題材であり、神々や英雄達の家であり、簡単に消えゆくものではないのです。Taraの丘では、Irelandの神話、伝説、そして歴史が一つになっています-この不思議な場所は神々と女神達へ、ドルイドと戦士達、そしてIrelandのハイ・キング達へと続く家であり続けてきました。いるのです。」 歴史的にも非常に興味がもたれるところですが、発掘調査は中断(または中止)されています。発掘が現在の環境を壊してしまうとからしいです。また、一般の農家の所有地にも広がっているためでもあるとか。丘の上で一通りの説明が終わった後、一人がその時の丘の様子を見て質問しました。”草の手入れはどうしているのですか?”と。ガイドさんが”いつもは羊を放牧して、彼等が食べてくれるけど、今年は口蹄疫のために出来ないでいる”と返事。皆納得しましたが、こんな所にも口蹄疫の影響があるのでした。いつもは田舎を通ると広い草原に羊がいてのどかと思っていましたが、あの緑の美しさは羊や牛達がやってくれていたんだ!と改めて認識しました。(よく考えれば当たり前なのですが。) ※ハイ・キング:Irelandの王達の更に上位の王。 |
Hill of Taraの中心の円形の盛り土;住居跡? |
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中心地にあった石柱; 高さは約150cm; 元は別の場所にあったとか |
駐車場の側にあった St. Patrick像 |
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Bective Abbey | |||
Taraの丘からTrim Castleに向かう途中で寄った所。当初からここが予定されていたかは、ツアーの案内書をTaraで渡してしまったため(入場料を値切るため)に今となっては分かりません。ガイドのお兄さんが途中引き返してここにも寄ろうと言っていたような気がするのです。 1147年に建てられたIrelandで2番目のシトー修道会の(男子の)修道院の重要な遺跡です。Irelandの修道院は時には繁栄していて文化創造力の異文化を高度に見出してきました。文字通りに暗闇の中のかがり火であり、貴重なテキストを準備し残しそして世界の最も創造力に富んで凝ったクリスチャン芸術のある部分を作り出す事に重要な役割をしてきました。 天井も崩れ落ちた廃墟となっていますが、この建物を見た時に何となく感動して”ワッー!”と声をあげてしまいます。自由に出入りできます。 ※シトー修道会:1098年にフランスの中東部の町Dijon近くのCîteauxで創設された。 |
Trim Castle | |||
このツアーのメインとなる所でした。結構時間も十分にとってあったと思います。 ヨーロッパでアングロ・ノルマンの現存する最大のお城です。アイルランド人の攻撃の目標となるため、ノルマン人の力の強力なシンボルとしての役割を果たしていてました。 中世にはTrim CastleはIrelandの東海岸でのアングロ・ノルマンの影響下の狭い地域であったペイル(the Pale)の端に 堂々とした石の歩哨の様に建っていました。ペイルを越えて行くことはげーりっくのIreland人の敵の世界へ入ることでした。ここはその端で、2つの世界が会っていたのです-争い、取引、そして時々戦場になっていたのです。 映画”ブレイブハート”の製作者が叙事詩的なスリルのための撮影の場所としてMeath州のTrimを選びました。ドラマチックなIrelandの空と様々な戦士と臆病な修道士の脚本のイメージに対してTrim Castleの石垣の外壁での場面が飛び込んできます。 入場はグランド・オンリーと城の中のガイドツアー込みの2種類があります。私は城の中には入りませんでしたがとっても面白かったそうです。一番上まで登っていったとか。城の構成の説明板があって、それで我慢していました。外はかなり広くて、大ホールやリバー・ゲート、カーテン・ウォールなどの建物もかなり良い状態で残っていました。 ※the Pale:12世紀以降英国治下に加えられたIrelandの東部地方 |
The River Gateの一部 |
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正面の眺め |
The Great Hall;左の方は食料庫のようでしたが・・・ |
The River Gateからの眺め; 絵葉書みたいに綺麗に撮れたので。 |
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The Curtain Wall;右の丸い建物はTthe Barbican Gate |
the Second Oldest Bridge in Ireland | ||
Trim Castleから少し離れた所にある橋です。川はBoyne川。いつ頃のものかは不明。ちょっとした記念にと寄ってくれました。ガイドのお兄さんは私に日本語でどういうのか言わせました。そうしたらすかさずソフィちゃんが”橋”か”箸”のどのアクセントかを聞いてきました。(私、あんまり気にしたことはなかったのだけど。改めて聞かれるとどっちだったかな?と考えてしまいました。) 実際、橋の上にも立ちました。何てことはないのですが・・・真ん中の信号機が興醒めでした。橋の袂にあるこれも古そうなパブの前で記念写真を撮りました。 (一番古い橋はどこにあるか?・・・知りません。) |
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Hill of Slane | ||
Trimから今度は北東へ向かいました。次の目的地がSlaneでしたが、途中Navanという町を通ります。実はその前日もBus
Eireannで通過していたのです。この日も通過だったのですが、町の説明がありました。その中の一つが4代目ジェームス・ボンドのピアース・ブロスナンの生誕地というのも。実はこのことはずっと前にお友達から聞いていたので何のことかバッチリ分かっていました。名誉市民になっているそうです。(映画がお好きな方は良くご存じの筈。おまけ!) それで、次はSlane Castleかと思っていたら私有地なので入ることは出来ないとのこと。コンサート会場等に使われる時だけ広場を開放しているとかでした。そして車はまたしても丘をどんどん登っていき、着いた所がHill of Slaneでした。丘の上にはこれまた廃墟となった修道院が建っていました。出入り自由、無料。 この古代文明はBrú na Bóinne(ボインの腹部という意味か?)-文字通りにボイン川の湾曲-で4000年前にその物語が始まっています。そこにはNewgrange,Knowth,Dowthの素晴らしく神秘的な立派な通路を持った塚があります。Slaneの丘の近くでは、St.Patrickが儀式に従ってIrelandでのキリスト教に火を付けました。その炎はほぼ1500年の間燃え続けてきました。そしてボイン川の川岸ではオレンジ公ウィリアムとジェームス2世がボイン川の戦いで顔を合わせ、3世紀後の今日Ireland人の情熱をあおり続けています。 Irelandの歴史上最も重要な場所の一つですが、こちらの方は訪れる人も私たちの後に1組のカップルだけでした。ここにもSt.Patrickの像がありました。石垣の中へ入って見ているとガイドのお兄さんが牛の落とし物を踏んづけてしまったと言いながらやってきてすぐに塔の中へ入っていきました。続いてカナダの女の子が入るとキャーという声が。何事かと思って私も入るとそこはとっても暗い螺旋階段。途中、階段が全く見えなくなるくらい真っ暗なのです。おまけに狭いし、手すりもないし・・・私はまたか!と思いながら登っていました。(Enniskillenで経験していたため)登り切ったところで眺めはとっても良かったけど、塔の中は空洞で回りに狭い足場があるだけなのです。手すりはなく外の壁を持ちながら落ちないよう気を付けて歩いていました。カメラのズームを望遠鏡代わりにして遠くを眺めていました。結構気持ちが良かったのです。 |
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(写真上)修道院の全景。左の塔を登った。 (写真右)塔の上からの眺め。向こうに見える白い物体が乗っていたバス。 |
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NewgrangeとDrogheda | ||
次の目的地はDrogheda。10年程前の最初のIreland旅行でサイクリングをしたコースに入りました。途中、右に反れるので?Newgrangeはコースに入っていなかった筈なのに寄ろうとしている事に気付きました。でも、入り口近くで止まってバスの中で説明して遺跡を見せただけでした。雰囲気を見ると以前と全く変わっていなかった(そりゃそうだけど)様でした。ここの回りも口蹄疫の影響か、その先の道は許可のない車は進入禁止になっていました。本来なら抜けるところを来た道を引き返してN51(国道)へ。 Droghedaに着くなり渋滞。そして私が借りた自転車屋さんも以前のままありました。そして丁度その店の前にその時のおじさんも立っていて懐かしさが一杯。 |
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Droghedaでは自由行動でした。後の2人はティー・ブレイクもやっていたようで、集合時間にかなり遅刻してきました。私の方は、近くの丘の上にあるMillmount
Museumへ。実はその上にある丸い建物(左の写真)が博物館と思っていたのですが、これはMillmount
Towerで入場禁止になっていました。9世紀頃の砦だそうです。 博物館の方は入り口でおじさんに料金を払うと、回り方を教えて貰いました。この町の歴史を物語っているものばかりで、特に海に関する展示物が多くありました。あとは台所用品・・・地下に入ると世界各地の工業用の石が集められていました。日本の石もありました。しかも日本語で”みかげ石”と書かれていて・・・2階には町の開発の様子を描いたものもありました。ちょっとした暇つぶしには良いかも。 |
Skerries | ||
Droghedaを出てDublinへ真っ直ぐ戻るのかと思っていたら、またもや途中で左の海岸の町へ。そして美しい海辺の町のSkerriesに止まりました。バスの中の会話で"skerries"と出てきたので海岸から岩礁でも見るのかと思っていたら道路標識か何かに”Skerries”とあって町の名前と知りました。ちょっとだけ寄るのかと思いきや、40分も時間を取るとのことで気持ちのいい空気を吸いながらアイルランド海を眺めていました。 バスはヨットハーバー沿いの道に止まり、そこから海岸の公園へ。途中、子供達が(日本からすると)そんなに暑くもないのに泳いでいました。お天気はとっても良くなっていて、トレーナーもとっくに脱いでいました。半袖でも大丈夫でした。(私には泳ぎたいほどの暑さでないのですが。)沖には灯台と側に大型船がいるのが見えてのどかでした。”明日は、この海を通っていくのか・・・”と思いつつ満足しながらDublinへ戻っていきました。(でも、翌日は雨でがっくり。) |
手前の小さな島はSherricks Island、奥の方はLambay Island |
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6月14日も夕方までDublinにいましたが、町中をCDを捜して歩いて結局欲しいものは見つからず。Ireland以外のトラッド関連のミュージシャンを見つけるのが至難の業であることが分かりました。Londonで買っておけば良かった。あとは、雨が激しく降ったり止んだりだったのでNational Museumへ。これで3回目。ここは好きなんです。展示物も増えて、ビデオ上映もやっていて充実してきていたように感じました。でも、相変わらず外観は工事中。ずっと前からこんななの? |