Glasgowからの夕方の便でBelfast City空港へ到着しました。空から見る暗くなったBelfastの町は全体がライトアップされたようで、結構綺麗でした。Belfast
City空港はBelfastにある2つの空港の1つで、もう1つは嘗て2回Londonから到着したことがあるBelfast
International空港です。City空港の方が町に近いです。この空港は最近サッカーの北Ireland代表だった故George
Best名前を被せるようになったようです。
空港バスで町の交通網の中心であるEuropa Bus
Stationまで。予約したホテルは直ぐ近くです。チェック・インした時刻は既に真っ暗ではありますが、まだ午後7時を過ぎたくらいでした。そこで夕食は外で取ることにして、カウンターでお薦めのレストランを聞いて出かけました。繁華街とは逆の方向のQueen's
Universityの方向でした。Botanic Avenueという駅を通り越し結局ちょっとだけレストランがある辺りで、適当なお店に飛び込みました。その先にレストランがあるとは思えなかったからです。ホテルで聞いた所とは違ったようでしたが…
コンサートは12月2日のみですが、最終地でその後どこへも行く予定はなかったので、初めてのJさんはもう少し滞在するとのことで、私も一緒にいることにしました。これで3回目のBelfast滞在ですが、いずれも季節が異なるので、それなりに違った面を見ることも出来ました。
City Hallのクリスマス・フェスティバル | ||||
この季節はあちこちの町でクリスマス・フェスティバルをやっています。ここBelfastでも例外ではありません。場所は町の真ん中で、普段でも市民の憩いの場所となっているBelfast City Hallの前庭です。ここはホテルとコンサート会場や繁華街との往復で必ずと言っていい程横を通っていました。ですから、昼夜を問わずその様子を伺うことが出来ました。広場には沢山の売店が並んでいました。遊具は回転木馬くらいしか覚えていませんが、親子連れで賑わっていました。売店の1つに園芸店があり、クリスマス用の木々もありましたが、普段でも飾っておけるようなものもあり、旅行先ではなかったら思わず買ってしまいそうなものが沢山ありました。正門側に飾ってあるクリスマス・ツリーは結構シンプルで、どちらかというとホールの建物に施してあるライトが印象的でした。また、最近できたらしい東隣の観覧車は大きいために町の1つのランドマークとはなっていますが、ホールの隣では趣を壊しているような感じがしました。夜にはライトアップされています。 |
観光バス&ウォーキング・ツアー | ||
ここは大きな町なので、時間は短くなりますが、冬でも何らかの観光ツアーを行っています。ツーリスト・インフォメーションの入口ではGiant Causewayの日帰り・ツアーの宣伝もしていました。さすがにこの時期ではあまりに寒いのでそこまでしていきたいとは思えませんし、Jさんも夏に強行軍で行ったとのことだったので、その人にはお断りを入れました。そして、参加したのはオープン・ダブル・デッカーでのツアーとウォーキング・ツアーです。ウォーキング・ツアーはかなり細かい説明が入るので普段は参加しないのですが、英語が堪能なJさんが行きたいとのことだったのでお供しました。 | ||
<観光バスツアー> 最初の滞在時にはこのツアーがあったような覚えがありません。その時参加したのは半日のミニ・バス・ツアーで見たのは殆どが町のあちこちのミューラルでした。今回はそれ以外の所も見て回ることができたので、良かったのです。ここのチケットは購入した時刻から24時間有効となっていて、お昼過ぎに買ったので翌日の午前中も利用していました。 バスは街中をちょっとだけ案内しながらLagan川を渡って東側の地区へ。川の手前ではAlbert Memorial Clock辺りの案内です。川を渡ると見えてきたのはその夜のコンサート会場Odysseyが見えてきました。裏口ではトラックが並んでいて機材の搬入をしていました。その辺りからは港も見えます。印象的なのは黄色のクレーンです。クレーンにはH&Wとありますが、Harland & Wolffという会社のことで、この辺り一帯がこの会社の所有地らしいです。また、この港ではあの有名な船Titanicが作られたということで、関連施設の展示が行われています。 その後バスは東へと向かい、前日到着したGeorge Best Belfast City空港を眺めながら進みます。その先でUターンするので町へ引き返すのかと思っていました。途中で更に東の道へ進み始めて、その先に現れたのがParliament Buildingsでした。BBCのニュースを見ていると北Irelandの政治関連では必ずと言っていい程この建物が出てきていたのです。いつもこの建物がどこにあるか気になっていました。街中にはないことは知っていましたが、どちらの方向か知らなかったのです。ニュースで見た時にこの美しい建物を直に見てみたいと思っていたので、今回このバス・ツアーで見ることができたのは本当にラッキーでした。観光バスのルートには東の端は切れていたのでここに行くとのチェックはしていませんでした。後で確かめると、端っこに写真付きでその先への訪問地として書いてありました。お昼間という時間帯もあるので、その範囲の時間帯であったことも幸運だったのでした。敷地の入口では簡単ですが、バス内部のセキュリティ・チェックがあります。乗客よりも主に座席の下を覗いてのチェックでした。そして建物の正面まで進み止まります。私はここで慌てて窓のない所へ移動して写真を撮っていた所、写真を撮るために暫く止まるとの案内がありました。おかげで、フィルムとデジカメの両方でその美しいシンメトリーな建物を撮ることができました。逆の方向を見るとその先にも庭園が続いていて、建物から一直線に伸びる道は約1kmあるとのことでした。なお、この建物は政府関連の重要な建物なので、中の見学は出来ません。 |
||
その後、バスはLagan川を渡って再び街中へ戻ります。街中の有名な建物University
of Ulsterやその隣のSt Anne's Cathedralを案内します。St
Anne's Cathedralの西側の壁にはIrelandで最大のケルト・クロスがあります。この聖堂の中にも入ることが出来ます。街中にあるので後日、中を見学しました。入口の両脇にはThe
Chapel of The Holy SpiritやThe Baptisteryがあり、その天井の美しさに見とれました。聖堂の中央ではクリスマス間近ということで学生がコーラスの練習をしていました。その日の夕方日本版が行われてお誘いもありましたが、この旅行で最も贅沢な夕食を取ったため忘れていきませんでした。 St Anne's Cathedral この聖堂は聖母マリアの母聖Anneに奉納されました。最初にSt Anne's ChurchをBelfastにもたらしたDonegallの首長夫人であるDonegall伯爵夫人のAnneに敬意を払った名前が与えられたのです。 |
||
そして、西側の住宅地へ。ここは最初の滞在で回った辺りです。ここの住宅地を回るのは家の壁に書かれているミューラルを見るためだけです。まず、Crumlin Roadを進みプロテスタント形のミューラル(写真左)を見ます。その後一旦Shankill Roadを通り街中へ向かい、途中で、再び西へ向かいます。この時通るのがFalls Roadでその道沿いの塀に様々なミューラル(写真右)が描いてありました。あっという間に通り過ぎたので、詳しくは見ていませんが、以前みたいな家の壁の内容とは異なった趣向で描いてあるように思えました。これも時代の流れなのでしょう。そして、再び街中へ。バスは南下していますので、次に北上しています。お馴染みのBotanic GardensやQueen's Universityの前を通り、出発地まで戻ります。約1時間40分の所要時間です。このバスは勿論途中での乗降は可能ですが、殆どの人は一周して見学をしていました。時間があれば再び乗って、気に入った所で乗降することが出来ます。この時期はツアーが催行されている時間帯が短いので、余りそこまでやる人がいないようです。 | ||
<ウォーキング・ツアー> ツーリスト・インフォメーション前を出発し街中の色々な建物などを巡って最後はCity Hallまで約2時間の足でのツアーです。あちこちの建物の説明を聞けたのは良いのですが、今となっては写真しか残っていないのが残念です。最初の頃には歴史のある建物にスーパーが入っていて、そのまま残してある天井を眺めるだけに入ったりしました。いくつかある繁華街の建物は殆どが1階に何らかのお店が入っています。 そして川沿い近くのSaint George教会へ。ここも内部の天井がとても美しかったです。表はギリシアのパルテノン神殿を思わせる柱が並んでいます。本数は4本ですが。ツアーでは説明が終わるとさっと出てしまったので、ここも後日訪れました。その時は残念ながら閉まっていました。開館時間が午後3時までと閉まるのが早かったためでした。ツアーで急いでここへ向かったのが納得できました。 その先川の方へ向かいます。何度かよく見たAlbert Memorial Clockの塔を通り過ぎて次の建物がCustom Houseです。嘗て市庁舎の役目を持っていたというこの建物の前の広場には様々な集会が行われています。その広場にはちょっとした仕掛けがあり、ある所(分かり易くはなっています)を踏むと音が鳴るようになっています。 そしてLagan川に出た後南下します。川沿いにはThe 'Big Fish'と呼ばれる像があります。その先にはLagan Wierという堰があります。この上は歩行者専用の橋にもなっていて、コンサート会場であるOdysseyの往復時に使っていました。そこから今度は南下します。丸いWaterfront Hallに着いた所で西へ向かいます。その手前のQueen's Bridgeの橋の袂には”Becon of Hope”と呼ばれる像が建っています。この辺りは前2回の訪問で彷徨いた覚えがあるのですが、その時にはありませんでした。建てられたのは2006年とのことで前回が2002年だったから覚えがないはずです。 Becon of Hope この女性の像は希望と熱望、平和と調和の様々な寓話を表していて、大昔のケルト神話のイメージから取られています。球体の上の彼女はこの地球上の生命を一つにすることを表しています。それは調和をもたらし、一方で我々の世界的な集まりの中に存在する文化の多様性を祝福しています。 この像の目的は人々を一つにし、心を変えるため、我々の共同体でバラバラになった所に架ける橋を造るためです。のお互いを尊敬しあうことによってこの惑星上の誰もが平和で幸福なものとなるように、文化的な遺産や我々の全て願いに働きかけるためです。 このシンボルは、人々が共に幸せをはぐくみ、全ての生命と我々に与えられた生命全てに対する感謝の気持ちを表して、長い間目標としてきた声明を最初に形のあるものとして作られました。 Waterfront Hallから西へ向かう時、そこで立ち止まります。その前にある両側の建物はLaganside CourtsとLaw Courtsです。道の両側にあるのですが、片方で結婚届を出し、道を渡って離婚届を出すと。建物自体よりも、この並びが面白いとのことでした。 西へ少し歩いた所で今度は北へ。Victoria Squareの東側で立ち止まりました。ここにちょっとした面白い建物と、黄色いドームがあります。そして、コンサート帰りとっても気になっていたVictoria Square Shopping Centreへ。この建物の上はガラス張りドームになっていて、暗くなると点灯されます。それが離れた所からも見え、今では特に夜のランドマークになっているそうです。2008年3月にオープンしたとかで、完成して間もない頃でした。ドームの下は広場になっていて、中央には3階の高さにテラスがあります。ここへは自由に登ることが出来、勿論無料です。ツアー中は通り過ぎるだけでしたが、その後、戻ってこのテラスに上がりました。この時暗くなっていましたので、ドームがライトアップされていました。ライトはたまに色が変わり、ガラスには周りの建物が反射して面白く感じました(下の写真)。また、最終日にはこの中にあるレストランで夕食を取りました。殆どのお店はカフェ程度でしたが、1軒だけレストランがあってちょっと贅沢をしました。それ程高くもなく、雰囲気は良かった所でした。デザートには苦労しましたが、最終的にメニューになかったアイスクリームを注文できました。 最後はCity Hallへ向かって歩きますが、その手前でCafe Vaudevilleと言う所に入りました。ここの店内や天井が綺麗だからです。勿論ツアー中はここで腰を下ろすことはありませんが、ツアーが終わった後休憩ついでに再度入りました。 |
東からのVictoria Square Shopping Centre |
ドームの様子;下から見上げた眺め(左)、 テラスから見上げた眺め(中央)、テラスから正面を見た眺め(右) |
中央ホールのクリスマス・ツリー |
||
テラスからの下のホール |
||||
Queen's University&Botanic Gardens | ||||
<Queen's University> 設立許可書によると、大学の正式な称号はBelfastのQueen's Universityとなっています。しばしば単にQueen's、省略してQUBとも言われています。北Irelandの2つに大学の1つで、もう1つはthe University of Ulsterです。大学は1845年に設立許可を得て、1849年にBelfast Queen's Collegeとして開校しましたが、その起源は1810年にまで遡り、the Belfast Academical Institutionでした。 ここでも大学が見学できるとあって、古くからの大学Queen's Universityに行ってみることにしました。午前中に出かけたので、学舎は朝日が当たって、輝いていたように見えました。 実は最初の滞在時にこの大学の関連施設の宿泊所に泊まりました。しかし、時間が無くて大学構内の見学はしていなかったのです。2回目の滞在でも時間があったはずなのですが、何故か入っていません。そして3度目の正直、今回やっと内部を見学したのでした。内部が見学できるのはLanyon Buildingくらいですが、それだけでも十分でした。玄関の左手にVisitors' Centreがあり、ちょっとした情報が得られます。中央のホールの階段を上がるとCanada Roomという部屋にはいることが出来ました。この部屋の奥も見学が出来るようですが、この時は会議が行われていて見学は出来ませんでした。お茶のサービスをしていた女性に聞くと中はとっても綺麗だとか。手前の部屋の壁には名前の由来(?)となっているCanada関連の展示もありました。 その後中庭に出て建物の東側(右写真)を眺めることが出来ました。南側の壁には”VR1848”という文字が埋め込まれています。”VR”とはVictoria女王のことです。この建物の建設年を表しているそうです。そこからもう一度学舎の中に入りました。そこは大ホールです。会食時などは入ることが出来ないようですが、この時は係のおじさんがいただけで、部屋の説明も少ししてくれました。壁には歴代の大学関連者の人達の絵が掛けられていました。会食時にはこれらの人達の話をしながら食事をするそうです。 その後中庭に戻って図書館やHarty Room, School of Musicにも入りました。図書館は1階のホールだけでしたが、ガラスケースに直筆の詩(知っている詩人ですが、誰か忘れました)が展示してあってそれだけでも得した気分です。Harty Roomは生憎使用中で見学は出来ませんでした。 |
||||
<Botanic Gardens> Queen's Universityの後は当然のごとく隣のBotanic Gardensに向かいました。この中にあるUlster Museumはお気に入りなのですが、残念ながらこの時は改修中で見学できませんでした。2009年10月22日に再オープンとのことです。 さて、門から向かったのは温室。その間の道が朝の霜で凍った状態でした。トレッキング用の靴を履いていたのですが、凍った道では滑りやすく脇の草地を歩いて無事辿り着きました。温室ですから当然中は暖かく、お馴染みの花の鉢がずらっと並んでいました。シクラメン、カクタス、菊などです。極楽鳥花もありました。ここにはもう1つ温室があるのですが、そちらは閉まっていたようです。こちらには入ったことがあります。 そして、バラ園へ。この時期咲いているとは思っていなかったのですが、取り敢えず向かってみたのです。そうすると何と、寒いにもかかわらず花が僅かに咲いているではありませんか!葉っぱは全て落ちてしまっていましたが、花はしっかりとしていました。その健気さに写真を撮りまくってしまいました。 |
Belfast城 | ||||
お城はCave Hillの斜面の突き出た場所に建っていて、Belfast湾と町の素晴らしい眺望を楽しむことが出来ます。その歴史は南BelfastのOrmeau
Houseとその荘園の家主であるDonegalls
of Ormeauにまつわっています。3代目Donegall伯爵は、不在地主でしたが、1862年に再婚した時にBelfastに住むことを決意しました。Ormeau
Houseが荒廃した頃には彼はこの大きなScottish
Baronialスタイルの邸宅であるBelfast城を設計したLanyon,
Lynn and Lanyon(土木技師と建築家のグループ)のBelfast農場に携わりました。 ここはBelfastでは最初のお城ではありません。ノルマン人が12世紀後期に要塞を建てました。それは1611年に石と材木のお城に変わり、第4代Donegall伯爵の住居として建てられました。その雄大な庭園はCromac森林とStranmillis(Belfastの南の広大な地区)と同じくらいの広さに拡張されました。この建物は1708年に破壊され、今日ではその側にCastle PalceとCastle Laneと言うような通りの名前が残されています。 Belfast Castleが1870年に完成した時、その資金は元の荘園を遙かに超える£11,000になりました。この時にはDonegallの財産は次第に減少していて、3代目の伯爵の娘婿のAshley卿には無くなり、城は完成しないまま残った状態になりました。 後にBelfast城はShaftesbury一族に婚姻によって引き渡されました。彼らは1934年にBelfast Corporationにお城を渡しました。お城は第二次世界大戦中に英国海軍基地として使われましたが、現在は一年を通じて公開されていて、結婚式の会場としても人気があります。城内の Cavehill Visitor Centreを訪れて、コーヒーやその他の飲み物でリラックスして、美しい庭園を巡ることが出来ます。子供達には楽しい遊び場があります。 Belfast場の荘園の土地は現在Cave Hill Coutry Parkの中にあります。このParkは750エーカーの湿地帯、ヒース、岩場、野草の草地があり、指標のあるトレイルで自然を楽しむことが出来ます。Cave Hillは1,182フィート(約360m)の高さで、3000年より前に起伏が出来上がりました。頂上に登ると新石器時代の洞穴があり、16世紀の領主からMcArt's Fortと名付けられた所からはパノラマの眺めを楽しむことが出来ます。Ireland人連合が1798年にこの頂上で反乱を計画し、その斜面は1726年に書かれたJonathan Swiftの最も有名な小説「ガリバー旅行記」の着想を得たと言われています。彼は船でBelfastを去る時にのシルエットに眠る巨人のイメージを抱いたそうです。 ここは最初の滞在時に半日のみに・バス・ツアーで最後に訪れた所でした。街中のミューラルをあちこち見学した後だったので安らいだ気がしました。しかし時間が余り無かったので中を見学していなくて、残念に思っていたのでした。今回路線バスで自力で行くので、時間の自由がきき、ゆっくり中を見学することが出来ました。2階のホールと最上階の公開されている部屋と資料の展示室を見て回りました。展望室があり、Belfastの港や町を眺めることが出来ました。その向こうに観光バスで訪れたParliament Buildingsが見えるとあったのですが、丁度その前に木があって見えませんでした。後で庭に出た時に見えることを確かめました。 その後庭に出てちょっとだけ散策しました。寒いので長時間は無理です。相変わらず猫のタイルや像があちこちにありました。帰る頃には本物の猫も現れましたが…寒くなったので1階のカフェで昼食を取りました。外で冷やされた体を温めるため暖炉の側に陣取りました。 展示室に年代表があったので、参考につけておきます。 |
||||
紀元前4000年頃 | 500-1500年 | 1795年 | 1840年 | |
石器時代(紀元前4500-2500年)と青銅器時代紀元前2500-500年)の間にCave Hillに最初の居住者が現れました。槍の穂先、矢じりや装身具類が居住地後と共にこの丘で発見されています。. | 初期キリスト教時代、丘の住人達は湖上住居や土砦、円形の要塞を建てました。その名残を現在Cave Hillでまだ見ることが出来ます。 | Wolfe Toneと彼の仲間Ireland人連合がCave Hillの頂上で会合をし、そこで彼らは’我々がイングランド人の権力を倒し独立を主張するまでは自分たちの努力を決して断念しない厳粛な義務’を掲げました。 | BelfastとCave Hill鉄道が開通しました。Cave Hillから港まで切り出した石灰岩を運ぶためです。 | |
1870年 | 1884/94年 | 1907年 | 1916年 | |
Belfast城がCave Hillの斜面にDeerparkとして知られる一族の荘園の中に第3代Donegall卿によって建てられました。 | Shaftesbury家が第3代Donegall卿の死後の1884年にBelfast城を相続しました。10年後、Shaftesbury第9代伯爵が彼の母親Dowager伯爵夫人のために現在見られるようなイタリアン・スタイルの曲がりくねった階段をお城に付け加えました。 | Shaftesbury第9代伯爵がBelfastの市長になりました。 | 北Belfast Ulster義勇兵がSommeでの第36回Ulster師団に合流する前にBelfast城の敷地を通ってパレードをしました。 | |
1934年 | 1940年 | 1978-1988年 | ||
Shaftebury家がBelfastにBelfast城と荘園をを寄贈しました。 | 第二次大戦の襲撃中に多くの家族がCave Hillの斜面に避難しました。 | Belfast City Council Parks委員会は大きな刷新計画を主導しました。その結果として1988年に正式にBelfast城が再公開されました。 | ||
<Cave Hill> Cave Hillの斜面は社会的な催し物の場所として名高くなっています。イースターでは卵をゆで、ハリエニシダの花で染めるか色づけして、それから丘を転がすか’転げ落とし’ます。ハロウィンでは木の実の大かがり火を点して、心に浮かぶ物語の話や無言劇の役者と詩人が集まって儀式を行います。 Cave Hillダイヤモンドは発見後、 'Cave Hill Diamond'としてBelfastで展示されましたが、この発見以来、それ以上の記録はありません。 丘の人々は、’妖精の石’が牛に疫病をもたらすと考えられていて、火打ち石の矢じりのような古代の工芸品を探すことを恐れています。 |