Berwick-Upon-Tweed | |
人口は13,500人。国境にあるこの町は歴史上最低14回、ScotlandとEnglandに繰り返し併合されているとか。最終的に1482年にEngland領になったとあります。12-13世紀にはScotlandの重要な港となっていました。現在でもBerwick
Rangers(Northumberland唯一の公式のサッカークラブ)はScottish
Football Leagueに所属していて、また、町を流れているTweed川は正式にScotlandの川とされているのでEnglandの川と違って日曜日の釣りは行われないそうです。 この歴史的な背景に伴って町を取り囲んでいた城壁はまだ殆どそのままで残されていました。また、Scotlandで発行されている紙幣はEnglandでも使えますが、ここではお釣りとしても返されました。他の町ではそんなことはありませんでした。そんなとき、やはりここは国境の町!と強く感じてしまいました。 |
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交通 | |
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町の名所あれこれ | ||
到着した日の午後は町を一通り見て回ることにしました。ところがこの町は歴史のある町であることも手伝って、色々見る所があり半日では回りきれないことに気付きました。翌日のLindisfarneの訪問が不幸にも満潮時間のために滞在が短くなってしまい、翌日の午後も町巡りをやり、興味深い所はほぼ見回ることができました。町の絵地図にあった説明番号順にそれぞれの箇所を挙げておきます。 | ||
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1.Castle |
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4.Lord's Mount |
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8.Brass Bastion |
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17.Town Hall |
Berwick-Upon-Tweedに来た最初の目的がここ、LindisfarneことHoly
Islandに行くためでした。この島へ渡るには潮の満ち引きで現れる道路をバスで行くことになりそのバスがBerwick-Upon-Tweedrから出ていることを知ったからでした。更にそのバスの運行状況をBerwick-Upon-Tweedのツーリスト・インフォメーションで教えてもらえると2年前に手に入れたリーフレットに書かれていたのです。 私には遙か昔からのこ島の別名であるLindisfarneがFolk/Rockバンドの名前につけられ、それがトラッド音楽への入り口ともなったために、因縁深さを感じていたのです。また、ケルト文化に於いてEnglandでありながら三大福音書(他は「ダロウの書」、「ケルズの書」)の一つの地であるこの場所ははずせなくなっていたのです。残念ながらLindisfarne福音書はLondonの大英図書館にあり、この地を訪れても見ることはできませんが、Londonをまた訪れる機会があったら見る機会を作ってみようと思っています(見ることができるかはまだ調べていませんが)。 ツーリスト・インフォメーションで島へ渡るバスを聞くと細かく書かれている時刻表にマークを入れてくれました。この時刻表は潮の満ち引きに合わせてその日のパターンを書いてありました。私が行った日は最悪のパターンで島には3時間ほどしかいることができないのでした。最初、そんなにあればいいかと思ったのですが、この島はかなり大きく、また見たい所も修道院以外にもあり駆け足で回ることになりました。島の中はちょっとした町になっていて、ツーリスト・インフォメーションやB&Bもありました。また、観光客も多くその大半がどこからかのバス・ツアーで大型バスが並んで止まっていました。マイカー族も多くてなんだか俗っぽい雰囲気でした。前の年に訪れたIona島もバス・ツアーをのぞけば同じような雰囲気だったことを思い出しました。どちらも聖地とはいえ、観光地になっているのは確かなようです。 |
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Lindisfarne Priory(リンディスファーン修道院) | ||
St.Aidanによって7世紀に最初に建設されたものは残っていません。その後、バイキングによって793年に破壊され、400年たってからベネディクト修道院として再建されました。新しい修道院は16世紀にヘンリー8世によって壊され、その石がLindisfarne
Castleの建設に使われたそうです。St.Aidanの像が敷地内に入ってすぐに建っています。また、この地を聖なる地となるきっかけになったのが698年にSt.Cuthbertの骨が見つかったことでしたが、その像は下の写真の左側に写っています。この修道院を出て本土側の海に出ると小島(これも干潮時にしか渡ることができません)があり、そこに十字架が立ててありました。この島がSt.Cuthbert's
Isleです。 このすぐ側にはビジター・センターがありその歴史を展示しています。到着した時にはまだ開いていなくて、後で入ろうと思っていたのですが、他を見て回っている内に時間が無くて入っていません。興味深い展示があったのではないかと、とっても残念に思っています。 |
修道院の中に立った所 手前がノルマン式アーチ、 奥が初期イングランド式アーチ |
Lindisfarne Castle | ||
ヘンリー8世によって1550年に建てられました。前述の通りLindisfarne
Prioryの石が使われました。Scotland人の攻撃を防衛するためでした。1903年に建築家のSir
Edwin Lutyensの個人宅となりました。部屋には殆どが17世紀初期のオーク製の家具で揃えられています。 ここへ入る時には大きな荷物は預ける様になっています。階段や通路がかなり狭くなっているからです。荷物を預ける場所と料金所が一緒になっているので、入る客と出る客がぶつかるために入るために行列を作っていました。 このお城のテラスから下を眺めるとちょっとした囲いがありその中は下段になっている様でした。人が入っているのが見えたのでそこへ寄ってみることに。ちょうど季節も秋になりかけているために花一杯になっていました。Gertrude Jekyllという人がデザインをしたそうです。その回りは原っぱ。羊がウロウロしていたので放牧場になっているようです。 |
Lindisfarne Prioryから見たお城 |
ここまで来てこの遺跡を見ない訳にはいかない、と調べた結果、一旦Newcastle-Upon-Tyneまで出ないとダメなことに気付きました。と言っても1時間の列車で本数も結構あるので問題ないと思われました。ところが当日、連日の歩きで体の調子が良くなかったのです。朝食後しばらく休んだ後に、1時間列車の中で座っていれば何とかなりそうだったので予定より30分くらい遅く出ました。切符を買った時印刷したメモを渡されました。何かの注意書きかと思ったのですが、2つの駅の時刻表でした。親切ですねえ。これが後で役に立ちました。 到着した時は体調も何とかなっていたので駅にあるツーリスト・インフォメーション(ここにあることは2年前に知りました)で行き方とどの辺りが一番良いか訪ねたのです。担当者は戻る時間を心配してくれましたが、Berwick-Upon-Tweedで渡された時刻表を見せて少々遅くなっても構わないと言うと、色々ルートを考えてくれました。その時間は乗り継ぎは余り良くなかったのですが、列車とバスの乗り継ぎをマークして通しのチケット(Rover Ticket)の方が安いと教えてくれました。この列車とバスの乗り継ぎではHexhamで2時間くらいになるけど、良い所だからその時間を楽しんだらいいと教えてくれました。遺跡の方はいくつかあるのですが、最大の遺跡であるHousesteadsに行く様に薦めてくれました。 |
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Hexham | ||
Newcastleから列車で約30分、Tyne川沿いに走るのですが大した景色でもなく少々退屈さを覚えた頃に着きました。駅に着き、次のバスがその前から出ることを確認して町の方向へ足を運びました。適当に歩いたのですが、運良くツーリスト・インフォメーションに行き当たりました。そしてその前からも次のバスに乗れることを確認したのでここを起点にしようと思いました。とりあえず中に入って現地で買う時間がないかもしれないと思いHadrian's Wallの資料を買い込みました。そしてカウンターの上を見るとこの町の地図もあったのでその後の時間を過ごす所を探しました(この地図のコピーを私が欲しがっていると思い、担当者がくれたので今私の手元にもあります)。すぐ近くにHexham Abbeyがあるのに気付いたのでそこまで行くことに。ちょっとした坂を上った所でこの修道院は町の広場に当たる所にそびえ立っていました。その前にMoot Hallという歴史的な建物もあって説明板をゆっくり見てきました。 | ||
<Hexham Abbey> Hexham Abbeyはこの後訪れたAbbeyも同じですが、殆どが廃墟なのに、このAbbeyだけは形をとどめていた珍しい修道院でした。そしてその隣には立派なお土産店まで構えています。 674年にSt.Wilfridが最初の教会を建て、今もその多くの部分が残っています。その石はHadrian's Wallから持ってこられました。地下室は全て元の状態で残っており、ローマ時代の碑文はいくつかの石に今も見られます。現在、12世紀のAbbeyはHexham Parish Churchとして残っています。中には”St.Wilfridの椅子”の石(Northumbria王の戴冠式に使われたという噂もある)、サクソン人の地下室、15世紀の絵画、免戒室(ミズリコード)、サクソン人の聖杯が残っています。 入場は無料ですが、寄付を募っています。 |
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Abbeyを訪れた後、時間があったので近くの安食堂っぽい所でお昼を取りました。その時にRover Ticketを落としたのですが、テーブルに着いた時に確認したら無い!とりあえず食事をしてから歩いたルートを逆に歩いてみようとしたら、カウンターの中にいた男性が「これ、君のだろう?」と行って持ってきてくれました。良かった!お財布を出した時に落としたらしいのです。雰囲気も食事もまずい所でしたが、気分だけは良かったのです。 |
Hadrian's Wall - Housesteads Roman Fort | ||
<Hadrian's Wall> 122年にローマ皇帝Hadrian(ハドリアヌス、76-138)がEnglandとScotlandの国境(当時)に築かせた防御用の壁です。”英国版万里の長城”とも言われ、世界遺産にも登録されています。テレビでも放送されたのでご覧になった方もいらっしゃると思います。東はTyne川河口のWallsendから西はCarlisleを通ってBownessまで続いていました。総長は約117km。現在はその石が他の目的(Hexham Abbeyはその代表例)に使われたりして残っている所は少ないのですが、あちこちに建設された砦と共に見ることができます。また、Pennines Way(南はSheffield西のPeak District National Park、北はScottish BordersのKirk YetholmまでのPennine(ペナイン)山脈を通るウォーキング・コース)の一部も通っていて壁沿いにウォーキングを楽しむ姿も見られました。 |
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<Housesteads Roman Fort> 現存する砦の中でも最も保存状態がよいそうです。砦は眺望が利く司令部、その回りに穀物貯蔵庫、兵舎、病院、そして精巧なトイレがあります。各所にはそれぞれの建物の説明が日本語でも書いてあるので更にわかりやすくなっています。ここでの生活はかなり良かったようです。また、家族用の宿舎や、砦の外には一般市民が住み、交易などをやっていたようです。 保存状態が良い上に広いのでこの中を回っていると時間が足りなくなってしまいました。私は近くに繋がっている壁の上に立ってみたいのに砦の中から直接そこに行く道がありません。よく考えると、砦は有料で、壁沿いの道は無料なのでそんなことができるはずがありません。そこで急ぎ足で回って外に出てすぐ側の壁に道がない草地を歩いて時間を稼ぎました。壁の上は登りやすいように(!?)段が設けてありました。 |
Housesteads Roman Fortから見たHadrian's Wall 向こうの崖の上まで繋がっているのが見えました |
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なお、砦や博物館などの展示箇所は全部で24あるそうです。その他を見るとNewcastle町中のCastle Keepの側にもあるとか。そこには私は知らないで行っています。それと、CarlisleのTulli House Museumにもこの壁の説明があります。そちらの方でもこの壁に関する情報を仕入れています。 | ||
Housesteads Roman Fortの中枢部のCommander's House(司令部)、 上方は右側がHeadquaters、左側が病院、兵舎はこの両側に並んでいます |
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帰りのバスを待っていると見覚えのある女性が歩いてきました。思わず笑ってしまいましたが、彼女も同時に笑い出しました。この彼女とはBerwick-Upon-Tweedの駅前でLindisfarne行きのバスを待っている時に会っていたのです。2人で同じ行動か・・・と。「明日も会ったりして・・・」と言いながら次の日の予定を聞くと彼女はYork、私はScottish Bordersなのでここでお仕舞いでした。何でもこのHousesteadsまでBardon Millから歩き、少し壁に沿って歩いたとか。壁の南側は森などが見られるのに北は荒野が広がっていて壁を境にこんなに景色が違うものかと思ったそうです。私ももうちょっと歩いてみたかったな・・・と思っています。彼女は私が行きで寄ったHexhamでバスを降りていきました。 |
Newcastle Millennium Bridge | |
Newcastleに夕方6時くらいに着いたのですぐに列車に乗らずちょっとだけ寄ってみることにしました。列車はこの後もかなりの本数があるので急ぐこともありませんでした。そこで行ったのはTyne川沿いで、あの気になる新しい橋でした。 2年前の2001年には”Millennium(千年紀)”と言いながら、2000年には完成が間に合わず、次の3000年に間に合えば良いんじゃない、と友達の間でからかっていたのですが、やっと完成したようです。完成後の開通は2001年9月17日(月)だそうで、10ヶ月早かったらからかわれることもなかったでしょうに。とりあえずちょっと遅いのですが、私も渡り初めをしてきました。歩行者・自転車専用の橋でたもとにそれぞれちょっとしたアートがありました。橋は横にもアーチを描いているという変わった形です。何故こんな形になったかは不思議です。余り実用的には作る意図がなかったようですが、真っ直ぐ作った方が丈夫な様な気もします。車は通らないのでこんな形でも良いのでしょうけど。まあ、Newcastleの新しいポイントにはなったようです。 |