Lowland地方の約3分の1程を占めているこの州はどの町が中心とは言えない状態で、宿泊場所を決めるのにも色々考えてしまいました。結局ほぼ中心に位置していて、そこから方々に出かけることが出来るGalashielsを選んだのですが、観光ポイントは他の町に点在しています。 この州はその名の通りEnglandとの国境地帯となる訳で、その昔からScotlandとEnglandの争いが幾度となく行われてきた所です。そしてその分、Highlandに見られるようなこれぞScotland!という雰囲気は薄れているように感じられます。また、文化だけでなくその自然も何となくEnglandの続き的な丘陵が続いていました。その丘陵が続く中で、バスの窓越しに2つ並んだ山が見えてきました。これがScott's Viewと呼ばれている辺りです(Scottとは作家のSir Walter Scottのこと)。この2つの山の間にはSt. Cuthbert's Wayというウォーキング・ルートが通ってます。このルートはさらにLowlandを東西に横切るSouthern Upland Wayというウォーキング・ルートにも繋がっていて、トレッキングも楽しめる所です。2つの山の頂上にはそれぞれ遺跡があるようで写真の左(Eildon Hill North、404m)にはローマ時代の遺跡、右(Eildon Mid Hill、422m)には先史時代の石塚があるようです。この山とTweed川、回りの丘陵を含めた眺めがBorders地方の代表的な景色として扱われています。 主な町は、中央部ではGalashiels,MelroseとSelkirk、南部ではJedburghとHawick、西部ではPeebles(とInnerleithen)、東部ではKelso、東海岸沿いにEyemouthという具合になります。 |
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交通 | |
この地方に行こうとするとEdinburghかEnglandの国境の町Berwick-upon-TweedかCarlisleへ一旦出て、もう一度国境を入り直すほうが便利なのです。
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Berwick-upon-TweedそしてCarlisleとの間のバスサービスの終点/起点となっているのがこの町。そのためにこの町に泊まることにいて、ここからBordersの各町にバスが出ているので日帰りで出かけることにしたのです。この町自体は観光ポイントとなる所はほとんどなく、商業的に大きくなったと思われる所でした。でも、町で過ごす時間も少しあり、リーフレットに説明が載っていた所に出かけてみました。また、Southern Upland Wayが町外れを通っていたのでそのほんの一部を歩いてみました。 | |
Old Gala House | |
建物は1583年まで遡ります。元々はGalashielsの地主の小さな防御用の塔だった建物に様々な変更や追加を行われました。1611年、更に1760年の拡張は著しく、持ち主にはより大きく、且つ過ごしやすくなりました。 1988年に博物館及びギャラリーとして公開されました。この建物の歴史やGalashielsの町の初期の発展が展示されています。また、天井には1635年に地主のHugh Scottと妻のJean Pringleに委託された絵画が描かれています。その他、この地出身の家系図を検索することが出来るそうです。また、年間を通じて様々な展示会も行われています。入場無料。 私は開館時間には間に合わなかったので、仕方なく建物を眺め、その横の手入れされた庭をうろついてきました。 |
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Lochcarron Cashmere Visitor Centre | |
1階には紡績人絹から最終製品になる全課程を織機を使って展示しています。見学無料。2階はその製品の販売店となっています。 1階のロビーには王族関係の面白い織物が展示されていました。また、中の展示室の壁にはブリテン島(北Irelandも含む)で飼育されている羊の分布と紡績工場の地図(ポスター)が貼ってありました。このポスターは販売されているとのことでしたが、部屋にはとても貼れないのでデジカメで小分けに撮ってきて合成してアルバムに貼っています。この地図を見ると英国中が羊だらけです。 この建物の1階の道路に面したコーナーがツーリスト・インフォメーションになっています。ただし、人はいなくて町の宿と観光用リーフレットが置いてあるだけです。 |
この日は南の方へ行ってみることに。ついでにこの町で取れなかった宿を取ることにして1泊用の荷物をまとめていると宿の人から近くに空きが出来たと連絡が入りました。そこが確保できたと思いこみ、朝顔も出さずにそのままJedburghに行き、のんびりと過ごしてきました。 この町はBordersの南では主要な町らしく、かなり大きかったようです。ツーリスト・インフォメーションも立派なのがありました。バス停のすぐ側にあり、町の地図を手に入れて最初の目的のJedburgh Abbeyに行こうとして別の方向にある入口を出てみると目の前にそのAbbeyがそびえ立っていました。大きな町とはいえ、近場に観光ポイントが歩いて十分な範囲にある所だったのです。町をJed Waterという川が流れ、川沿いにちょっとした散歩が出来るようになっていました。また、ツーリスト・インフォメーションで手に入れた資料の中にThe Borders Abbeys Wayというウォーキング・ルート(3種類)がありました。Bordersはウォーキングが盛んな所のようです。 |
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Jedburgh Abbey | |
王DavidⅠ世によって1138年に小修道院として創立されました。王はスコットランド人とイングランド人に領地の辺境域でさえ壮大なスケールの建物を建てることが出来ると証明しようとしたのです。 時と戦争によって荒廃していますが、現在はHistoric Scotlandによって維持され、Borders地方の最も印象的な観光地の一つとなっています。900年の激しい年を経て、Jed Waterの川沿いに高くそびえ建っています。有料。 屋根はほとんどない状態ですが、身廊(一般信者席)の長い両脇の壁に施されたアーチは見応えがありました。一つ一つ細かく見て回り、最後のあたりに台所に行きつきました。ここには排水設備がなされていてすぐ側を流れるJed Waterに流していたようです。廃墟とはいえ、一見の価値がある所です。 |
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Jedburgh Castle Jail and Museum | |
Jedburghのお城の元々の脇の19世紀の監獄はHoward
Reform Prison(??)のScotlandで残されている唯一の例です。この監獄は当時の最も流行っていた建築家の一人、Archibald
Elliotによってデザインされ1820年に建てられました。現在は博物館となっており、再建された部屋ではオーディオ・ビジュアルを使って、Jedburghの歴史と囚人の生活を展示しています。有料。 Jedburgh Abbeyを出た後、ツーリスト・インフォメーションで手に入れた町の地図を見ると、この建物がちょっと行った所にあるのが分かりました。ここにもお城があったんだ・・・と思いつつ、緩やかな坂を上っていきました。展示物は、お城のものよりも監獄のものの方が印象的でした。建物を出た後、壁に囲まれている庭を一回りしました。そして表にあったベンチで休憩し、次に訪れる場所を確認しました。 |
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Mary Queen of Scots House | |
若きMary Stuartが巡回裁判所を押さえるために1566年にJedburghにやってきて、16世紀の要塞化された家を彼女は自由に使いました。Bothwell伯がHemitage城で負傷して床に着いていると聞いて、Maryは彼を訪ねるため40マイル(約64.3km)の困難な旅を行いました。彼女は陰鬱な湿地の旅から戻ってくると、病気になり、死期が近いことを悟り、後に「私はJedburghで死ぬだろう」といっていました。 今日ビジター・センターは、Fotheringay城で処刑された体から取られたデス・マスクを含む刺激的な説明と共に、女王の悲劇の人生の強烈な物語を描写しています。有料。日本語解説(有料)もありました。 建物がある方向に向かっている時に、綺麗な庭が右手に見えました。通り過ぎて地図を確認すると、その綺麗な庭が目的地だったのです。建物に入る前にちょっとだけその庭を堪能し、中でじっくりと展示の数々を見学してきました。そして、建物の外に出ると、ちょうど結婚式を挙げたばかりのカップルと親族と付き添いらしき一団が到着していました。他の観光客も彼等の写真を撮っていたので私も便乗しました。特に、キルトを纏った4才くらいの男の子が可愛くてカメラを向けたのですが、この子がちっともじっとしていなくて苦労しました。メインのカップルも遠目に撮りました。彼等はこの美しい庭を背景に記念撮影をやっていたのです。結婚式は近くの教会で挙げていたのを見かけました。新婚カップルはそこから2頭立ての馬車でやって来ていたのでした。こういう光景に行き当たると、得した気分です。 |
夕方Jedburghから戻り、朝取れたという宿に行こうとしたらもう他の人が取ったと。私が悪いのに、(最初に泊まった)宿の人は自分のミスと言ってまたあちこちに電話をかけてくれました。この時点で少々高いホテルでも1泊分なら何とかなると思っていたのですが、隣町ですが空きがあったと言って車で送ってくれました。更に差額を5ポンド渡してくれました。でも宿泊料は30ポンドだったので特別高額でもなかったのです。宿は元お城?だったらしいのです。街の中心からはちょっと外れていますが、歩いても思ったより遠くない所でした。その隣町がMelroseで、行ってみようと思った所だったのでちょうど良かったのです。 Melroseは名前からして綺麗なイメージですが、その名の通りでした。何となくGalashielsよりもこちらに泊まった方が良かったかなと思える程でした。こちらには人がいるツーリスト・インフォメーションがあるのでそうすれば良かったとちょっぴり後悔しています。 |
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Melrose Abbey | |
14~16世紀までの非常に優雅な建物が残っています。Robert
the Bruceの心臓が入っていると信じられている棺の埋葬地もあります。 Melroseのシトー修道会修道院は1136年にYorkshireのリヴォー修道会(Rievaulx)からやって来た修道僧によって建てられ、教会は聖処女マリアに捧げられました。その修道院は1385年にRichardⅡ世の侵略時にひどく破壊され、その後に再建されました。1545年にHertford伯爵がその修道院を全焼させました。1560年の再編成までは修復は殆ど行われませんでした。その一部は何年もの間教区の教会として使われていましたが、残りの部分は衰退していきました。 日曜日にもかかわらず、多くの観光客と一緒に見学しました。敷地はかなり広く、時間をかけてみて回りました。併設の墓地の中まで入り込んでみることが出来ます。墓石も興味をひくものがあって、少々気が引けるのですが記念写真を撮ってしまいました。そして上に上がることが出来る階段を発見しました。登って行くと、塔の上にあるベルを間近に見え、更に修道院や回りの景色を楽しむことが出来ました。また、そこからは、建物の上に施されている彫刻なども見ることが出来るのです。 Bordersにはこの他にDryburghとKelsoにも有名なAbbeyがあります。この4つを分かりやすく図解を入れた説明書(小学生向け?)もあります。 |
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Melrose Abbeyを後にして、もう1ヶ所、この町でポイントになるような所がありました。地図を辿って行ってみると、”station”という表示がありました。??と思いつつ、その場所に立ってみると、なるほど鉄道のホームらしきものがありました。詳しく調べてはいませんが、Bordersには昔(1849-1969年の120年間)鉄道が走っていたらしいのです。この辺りの歴史を展示している博物館には入っていないのでその歴史を見ていませんが、機会があったら調べてみたいと思っています。 | |
Melroseの町を離れ、ホテルに預けておいた荷物を取り、GalashielsへSouthern Upland Wayを歩き出しました。ところがこのルートはAbbotsford Houseへ向かう道ではないのです。途中川を横切る道が書いてあったので行ってみると何と車でしか渡ることができない状態でした(こんな道、書くな!)。A609という幹線道路から脇に入ると行けるのですが、これもウォーキング・コースとは交わっていないのでひたすらこの幹線道路に出るルートを探してウロウロ。途中で抜け道があったのですが気付かず思わぬ時間がかかりました。それでも何とか辿り着いたのです。 |
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Abbotsford House | |
19世紀の作家、Sir Walter Scottが1812-1832年に建て住んでいました。Tweed川岸、Melroseの西にあります。家の中には9千を超える珍しい蔵書と歴史的な工芸品(遺品、武器、甲冑、そしてRob
Royの鉄砲やScotlandの軍人Montrose(1612-1650)の剣も)があります。 この館に着いたのは4時過ぎ。まだ入館できると思い確かめたら、夕方の割引時間帯になっていました(私がこの日の最後かと思ったら、まだ後にご夫婦が入ってきていました)。そして入る時に建物の中と外は全て撮影自由ですと説明してくれました。見学できる部屋は少ないのですが、最初に入った図書室と最後の工芸品の展示室は実に見応えがありました。写真OKなら、と思いっきり撮ってしまいました。そしてあわただしく庭に出ると目の前に緑の広場がありました。ピクニック・エリアのようです。建物の脇にある扉を開けて入ると手入れされた庭がありました。時間がある限り一回りしてみました。8月の終わりだったので花は少し少なかったようですが、楽しめました。(写真はGalashiels郊外の丘から眺めた屋敷です。左側が庭園になります。) |
Borders最後の日は西へ行ってみようと思いました。Peebles問いのが最大の町なのでそこまで行こうと地図を見ていたら、その手前にTraquair Houseという素敵な所があるようでそちらにすることに。この屋敷へはInnerleithenという町で降りればいいとあったので先ずそこまで。バス停を降りて見回してもそれらしき案内板が見当たりません。とりあえずちょっとだけ戻ってみるとRobert Smail's Printing Worksへの案内板が見えたので先ずそちらへ向かおうとしたら、更にSt.Ronan's Wellの案内板も見えます。これが反対方向だったのでちょっと興味があったSt.Ronan's Wellへ行ってみることに。そこでTraquair Houseへの行き方を聞いてひたすら歩きました。結局Printing Worksへは行かなかったのですが、Traquair Houseへ行く前にちょっとだけ寄れば良かったと思っています。資料だけ残しています。 | |
St.Ronan's Well | |
Leithen渓谷を見渡す丘にあり、行事用のパビリオンも建っています。元々は1820年代にTraquair伯爵が訪問者に静養所を提供するために作り、それが1896年に室内浴場機能と瓶詰め工場に便宜を図るために大きく再建・拡張されました。この静養所は少年時代のSir
Walter Scottがしばしば訪れ、今日では多くの訪問者がSt.Ronan's
Wellでいまだ”蛇口”から出る湧き水を試飲するために毎年やって来ます。隣接の資料センターではその長くて興味深い歴史を詳細に渡って説明しています。井戸、数個の地下タンク、飾り池、そしてハーブ園はパビリオンの裏手にあります。無料。 |
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Traquair House | |
Traquair House派も共とはScotlandの代々の王達が所有していたお城でした。後にTraquair伯爵の屋敷となり、現在も彼等の子孫のMaxwell
Stuart一家が住んでいます。Scotlandの最も古くからの住まいで最もロマンチックな屋敷です。Edinburghから南30マイル弱(約48.3km)離れた森林地帯に、Traquairは静かに建っています。 |