Dumfries
2003/9/2(tue)~9/4(thu)
Dumfries | |
Lowlandsの南西部Dumfries and Gallowayの中心となる町。南北に流れるNith川を挟んで東西に広がっています。そのNith川には複数のfootbridgeが架かり、両岸を気安く歩いて回ることができるようになっていました。バス停近くの橋-Cross Devorgilla Bridgeは石造りででした(すぐ側に車が通ることができる橋もあり)。これが最初。そこから約500m離れた下流に吊り橋のfootbridge-St.Michael's Bridgeが架かっています。これは19世紀に最新技術を使ってかけられたもの。その当時川の東側は労働者の住宅地で、工場は川の西側にあり、その通勤に便利な様にかけられたと言うことでした。そして東側の川沿いはサイクリング・ルートが設けられていて、結構賑やかな町ですが、晴れたにには気持ちが良いサイクリングができるようです。 | |
交通 | |
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ツーリスト・インフォメーションに置いてあった資料を見ると町中や近くの公園、近場の名所を歩いて回ることができる様なルートを示したものがありました。町中でちょっとした時間を過ごすにも良い様だったので歩いてみました。 | ||
A Burns Trail | ||
DumfriesはScotlandの国民的詩人Robert Burnsの最期の町であり、彼に関する場所も多く、それを辿っていける様に模範的なルートが示されていました。そのルートに従って歩いてみました。
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(番外) | Dumfries Museum & Camera Obscura Burns Trailには含まれないのですが、Dumfriesのちょっとした名所で、地図にも印があります。Camera Obscuraは有料です。 博物館にはDumfries and Gallowayの歴史を紹介しています。この地域や人々の説明があります。先史時代の動物の足跡の化石、歴史初期の武器や、Scotland最初のキリスト教に関連した石も展示されています。この博物館内はCamera Obscuraの待ち時間の間に見学していました。 Camera Obscura(写真右の左の建物)は回りの景色をカメラの原理によって映し出すもので、私はここで3つ目です。若い女の子が町の色々な建物などを説明してくれました。”ここはフットボール(サッカー)場”という説明で、”Dumfriesのチームは強いの?”と聞いたのですが、返事がありませんでした。(余りいい成績ではなさそうなので)どうやら聞いてはいけなかったようです。この建物は印象的ですが、元は風車小屋だったそうです。1790年に建てられましたが、その機能が不要になったことで、天文学目的で建物が残され、1836年にCamera Obscuraに変えられたそうです。 建物の回りは手入れされた花壇があり、お天気も良かったのでゆっくり回りました。そこにガラス張りの廟(写真右の右側の建物)がありました。Robert Paterson(Balmaclellan出身の石工で、 地方を回り、17世紀までに進行のために迫害された人達の無名の墓の墓石を建てた)とその愛馬の像がその中にあります。 |
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The Parks-Circular park and riverside walk:約6km、1.5時間 | ||
3時頃までに町中を歩いて回り、残った時間でNith川沿いを下流に向かって歩いてみました。このルートには3つの公園があります。
実は私はこのコースに気付かなくて、最初の川沿いのコースを行くという逆のコースを撮っていました。途中で気付いて公園をはしごして回りました。 |
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Burns Walk Loop:約5km、1.5時間足らず | ||
石造りのDevorgilla Bridgeを起点にして、Nith川の上流を巡るコースです。最初は一般道を行くのですが、途中から川沿いの遊歩道に入ります。この遊歩道が上流に行く程狭くなり、草がボウボウに茂った中を通ることになりました。道は分かれていないのですが、途中でここでいいのか?と思いながら進んでいました。駐車場が見えたあたりで一般道に入り無事に戻ることが出来ました。遊歩道は最初に入った所から下流にもあったのでもう一度川沿いを歩きました。Devorgilla
Bridgeまで繋がっているのですが、途中にもう一つのfootbridgeを見つけました。こちらは白く塗られた鉄筋のアーチ型でした。 このルートはCaerlaverock Castleへ行くバスが午後にしかなかったので、時間つぶしに歩いたのです。 |
近場で何か面白そうな物がないかを探していた時、この変わった作りのお城に気付きました。バスも近くまであるので行くことにしました。バスに乗る時に運転手に降りる所を教えてもらうように言って乗り込みました。近場の住宅街を回って、郊外に出た時は4人程の乗客が残っていました。皆さん、このお城が目的でした。 入場券を買った時、ガイドブック(英語)を買い、ついでにこの名前の読み方をおじさんに聞きました。”e”を外して読めばよいとのことでした(”カーラバーロック”となる)。更に帰りのバスの時間も聞きました。バスは巡回路線なので、どちらから来るか分からないけど、来たバスに乗るようにとのこと。この助言のおかげで乗り損なうことがなかったのです。こうやってしつこく聞いたためか、このおじさん、一通り見終わって、バス停に戻る前に側のベンチで休憩しようとしたところ、私を追いかけてきて、”バス停の方向は分かっているのか?”と聞いてきます。ありがたかったのですが、”そんな複雑な道ではないからそこまでしなくても”という思いでした。 |
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Caerlaverock Castle | |
1270年頃に、Sir Herbert de Maxwellが建てました。それ以降、色々な人の手に渡っています。 まずはEnglandのEdwardⅠ世王の手に渡りました。1312-1370年の間ではScotland人とEngland人の間を行ったり来たりで、取り壊しと再建が2回程行われました。入口の建物が拡張され、1400年代中頃西の区域が建てられました。1500年代には城が包囲され2度も城主が変わりました。 1600年代初期に平和になり、東と南の区域がNithsdaleの公爵Robert Maxwellによって作られました。1640年に、Charles Ⅰ世とCovenanters(長老主義維持のための契約者)の争いで、城は13週間に渡り砲撃を受けました。城は没収された後、部分的に廃墟となり、使われなくなりました。 正面は2つの塔を抱えて立派に見えましたが、中に入ってみると崩れ落ちそうなところが沢山ある廃墟でした。建物全体は三角形で、1つの角は2つの塔、他の2つの角は1つの塔が建てられている形です。中は危険がない限り入ることが出来るようになっていました。狭い階段を上ったり降りたり、隣の部屋を覗いてみたり、で行ける所全てに足を運んでいたら時間がかかりました。 庭には1640年の争いで使われたmangonel(大投石機)が再現され、投げられた石(球状)も展示館に並べられていました。直径20cmはあったと思われる石が13週間にも渡って飛んできたら、人間も城もたまったものではないでしょう。この投石の様子を案内板で図解していました。 城の回りは堀があります。またその後ろには森が続いていて、遊歩道も設けられて、散策が出来るようになっていました。前庭も広くて、ピクニックをしている人も見かけました。 |
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The First Castle | |
現存する城を作る以前、1220年頃に、John de
Muccuswellが木と石で造ったお城です。今はその敷地と部屋の配置ぐらいしか残っていません。 背後の森を進むと、少し開けた所が見つかります。そこまでは遊歩道があるので迷うこともありませんでした。 |