Stranraer
2003/9/7(sun)~9/8(mon)
Stranraer | |
Lowland南西エリア、Dumfries & Gallowayの更に西の地域の交通の要所となっている町です。ここから北IrelandのBelfastまでフェリーで行くことが出来るため、ここで1泊という旅行者も多いようです。 1596年にBaronyの自治都市(Burgh)として作られ、1617年に勅許自治都市(Royal Burgh)になりました。Loch Ryanの奥に位置しており、自然によい港となっていったようです。名前は14世紀に最初に記述されていて、Row-on-the-Strand(岸辺の家並み)を意味する”Stranrawer”から来たとか。 |
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交通 | |
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日曜日なので町中をうろつくことにしました。Stranraer Town Trailというサンプルがあり、町中の歴史的建造物を示してありました。美術館とお城は日曜日なので開館しておらず残念でしたが、翌日、午前中に時間があったので入りました。ゆっくり歩き回りたかったのですが、生憎久々の雨(宿の奥さんによると2ヶ月振りとか)で、夕方は早々に宿に引き上げました。 | |
Stranraer Town Trail | |
Castle of St.Johnからスタートし、一回りしてここへ戻って来るというコースです。距離は約1.5マイル(2.4km)、所要時間は1時間半とありました。私はこの通りに回った訳ではないのですが、とりあえずサンプル・ルートの順に従ってご紹介しておきます。
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Stranraerは西の端の町といっても、本当の端ではないのでそこから更に端へ行こうとしました。地図とバスの時刻表を比べて探すことに。南端のMull of Gallowayへは途中で乗り換えてその先は予約が必要となっていました。気楽に行きたいので終点が端になる西端のPortpatrickに行くことにしました。ここには砦形式のお城があるそうでしたので、それも見学できるし、と思って決めました。バスはミニで、チケットは運転手がシートに直接書き込むという個人経営みたいな代物でした。 | |
Portpatrick | |
その名の通り、港の比較的大きな村です。港は漁船、貨物船、郵便船、Ireland行きのフェリー、軍基地、救助船、そして、レジャー船という様々な目的で使われていました。現在はレジャー船と救助船以外は殆ど見られないようです。海岸通りに並ぶ家々は休暇を楽しむ人達で賑わっていました。救助センターは観光客目的にも作られていて、船の備品の展示と記念品販売もやっていました。港の中には大きな岩の固まりがありますが、そこまで道を造っていつでも登ることが出来るようになっていました。岩の上には国旗と錨型の記念碑が建っていました。港の入り口付近には現在は使われていませんが、小さな灯台もありました。丘の上にはラジオ局があります。西側が海なので良く電波が飛ぶためなのでしょうか? | |
Dunskey Castle | |
港の南の崖の上に建っているお城です。外の壁は一応形が分かる程には残っていますが、状態が悪く、いつ落ちてくるか分からないので近づかないように柵がありました。勿論、そんな状態ですから、中に入ることも出来ません。 1330年付けの記録がありますが、15世紀に焼け落ちました。貯蔵室、1階、2階がある質素なL型のタワー・ハウスとしてデザインされています。この他には詳しい記述が見つかりません。 このお城に通じる小道が岩の上に作られています。その東側(陸側)を見ると岩が大きく裂けた形になっていて、そのそこは草が生い茂っていました。ちょっと面白い光景でした。また、海側の崖の下にはアスファルトで作られた広場となっていますが、その端に記念碑のような物があり行ってみました。ここは西の端なのでその先に見える陸地が何処であるかを矢印で示してあったのです。Man島もありましたが、お天気が良かったにもかかわらずよく見えませんでした。 |
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The Southern Upland Way | |
このPortpatrickから東海岸のCockburnspathまでのfootpathです。全長約212マイル(約349km)で、Britain島での最初の公式pathだそうです。海抜の最高はLowther
Hillの2379フィート(725m)だそうです。行程にはアザミをモチーフにした六角形のマークが付いた札が所々に立てられています。 このpathはScottish Borders滞在中にその一部を歩いていました。時間があったので西端であるこのpathをもう一度歩いてみることにしました。折り返し地点をBlack Headにある灯台として、片道約3kmでした。ところが、平坦な道でないばかりか、崖の上と浜辺に作られた道を上下するかなり激しい道のりだったのです。浜辺の道は途中で無くなったかのように見えて、向かいの崖下に見つけた時はホットしました。”こんな道、誰が考えた!”と思いつつ進んでいました。そして帰りの時間も合わせると、灯台まで行きつくのは無理なことが分かり、灯台が見えた所で引き返しました。その先の道も起伏が激しいと分かったからです。右の写真はその途中の景色です。白い建物は何かの研究用で、そこまでは車用の道がpathとは別にありました。このすぐ側を通り、小川に架けられた橋を渡り、崖に作られた道を登った所で振り返った景色です。崖の道には鎖が張ってあり、滑り落ちるのを避けるようになっていました。 |