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Ayr町巡り |
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着いた日の午後、とりあえず町中を歩いて回ることにしました。手に入れた資料には多くの記念物が点在しているとありました。50個近くもあるため、その全てを見る訳にもいかないのでとりあえず面白そうな物を見てきました。
- Loudoun Hall
実在する半防御化されたScotlandではタウンハウスの数少ない建物とされています。1513年頃にAyrの裕福な市民であったJames
Taitによって建てられ、1539年からAyr州の長官Sir
Hugh Campbellの所有物となり、1622年までは一族手に残っていました。1666年にJoh
Muir市長と2人の息子の所有となり、1770年に漁師のDaniel
Bruceに売り渡されました。現在は慎重に修復が行われ、地域の会合や展示会のために使われています。一見した所、確かに歴史を思わせる建物でした。
- Cromwell's Citadel
Cromwell城(Citadel)の城壁の一部です。1651年にCromwell兵がAyrに到着し、翌年Hans
Ewald Tessinの計画に従って城の建設が始まりました。南西部での絶好の海岸ルート上の重要な要塞であったということです。城壁の角には”Millers
folly”として知られる見張り台が目に留まります。これは1850年頃にBarton
John Millerによって再建されましたが、極度に非軍事的な窓があります。
城壁に沿って歩くと、色鮮やかな移動式大砲(複製)があります。4頭または6頭の馬で引いていたとか。説明書きには大きさと機能がありました。
- Tower of St. John
St.John自治都市教会の名残です。この教会に関する最初の記述は1233年にあり、元々はScotlandで最も重要な一つであったとされています。Bannockburn後の1315年4月26日、Scotland議会がここであり、Robert
the Bruceが王であることが確立されたとか。事前連絡による一般公開がされているようで、屋上から町と海を眺めることが出来るそうです。この建物はたまたま宿のすぐ近くにあり、敷地の塀越しに眺めて歩いていました。
- Wellington SquareとThe County Buildings
花壇で敷き詰められた広場です。この中にSir
James Fergusoon、John Macadam、Eglinton伯爵であったJ.G.Smith-Neill将軍の像が建っています。The
County Buildingsはその側に建っています。2つのテラスがあるジョージア調のタウンハウスで、現在は事務所とホテルになっています。
- Burns Statue Square
駅(列車)前にあるこぢんまりとした広場です。その中にBurnsの像が建っていて、南の生誕地であるAllowayを向いて立っています。
その他、海岸沿いには広場があり、遊歩道も設けられていて散歩するには良い所です。干潮時には砂浜が広がり、そこを歩き回る人も多いようです。ただし、先にも言いましたように汚染されているという話があるため、海の中に入るのは犬くらいのようです。この遊歩道の終わり近くになると西の崖の上に廃墟のお城が見えます。
- Greenan Castle
1603年にBaltersanのJohn Kennedyによって、Davidson一家が初期に建てた城(跡も残っていない)のすぐ側に建てられました。Davidson城が木造であったのに対し、Greenan城は石造りでした。現在は塔の部分しか残っていなく、この部分も崩れ落ちそうになっています。それにもかかわらず、この上に登っている子供達がいました。声が聞こえたので見上げたら、いたのです。
遊歩道の終わりから橋を渡り、Doonfootという住宅街を通っていけると思われたのですが、干潮で海岸づたいに行くと近かったので一直線に向かいました。下から上がる道があるだろうと思っていたのですが、見当たりません。ところが、張り巡らされている有刺鉄線が一部曲げられてそこから抜けることが出来るようになっていました。皆考えることは同じ様で、ありがたくその”抜け道”を登って塔のすぐ側まで辿り着きました。今にも崩れそうだったので中には入りませんでしたが、眺めは良かったです。(ここは着いた日でなく、翌日Allowayの帰りに寄りました。)
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Burns National Heritage Park, Alloway, Ayr |
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Ayrに来たからにはやはりBurnsの生家を訪ねない訳にはいかないとAllowayに行くことにしました。ツーリスト・インフォメーションでバスの行き方を聞くのを忘れましたが、地図を見ると歩けない距離ではなさそうでした。その上、海岸の遊歩道を通ってDoon川沿いに歩くという分かりやすい行程でした。このAlloway一帯がBurnsの記念建造物をまとめて”Burns
National Heritage Park”となっていて、まとめてみることが出来ます。
Burns Cottage
この家はWilliam Burnes(後にBurnsというスペルに変えた)によって建てられ、”The
Auld Clay Biggin”と呼ばれていました。この家で1759年1月25日にRobert
Burnsは第一子として産まれ、幼少期をここで過ごしました。中の展示は当時の様子を再現し、また蝋人形で親と兄弟で過ごしていた様子がありました。
とりあえずこの前で写真を、と撮っていると通りすがりの男性が”撮ってあげようか?”と言ってくれました。私の写真があっても仕方ないのでお断りしましたが、いかにここが観光名所であるかがよく分かりました。ここをスタートとしてHeritage
Parkの他の施設も入ることが出来る通用券で買いました。使い方を丁寧に説明してくれました。
- Museum
1900年に建てられ、数年におよび拡張された建物にはBurnsの貴重な資料が多く展示されています。直筆の書物や、発行された本、ペンなどが展示されていました。
ここはBurns Cottageの隣りに建っていて、2つの建物だけの共通券もありました。
- Tam O'Shanter Experience
Burnsが最も好んでいた物語で、それをオーディオ・ビジュアルで再現させた上映館があります。私はこの話を調べていかなかったので、余り理解できませんでしたが、事前に読んでおくと面白いと思います。Tam
O'Shanter建物字体は駅の近くにあります。
ここはお土産も多く売られていて、またカフェスタイルのレストランも併設されていて、映像を楽しむ以外にもゆっくり出来ます。
- Kirk Alloway
Robert Burnsの父、William Burnesが埋葬されている教会です。といっても教会は廃墟になっています。Burnsがいた1700年代初期頃から現在と余り変わらない状態だったとか。1740年代に屋根が再取り付けされましたが、すぐに落ちたそうです。建物は1516年にあったとのことですが、13世紀初期にはその一部があったという記録があります。
Burns Monument
1814年3月24日に、有名な伝記作者であるJames
Boswellの息子、Sir Alexander BoswellがBurnsの生誕地に祈念碑と建てることを地元の人達に持ちかけました。人々はBurns
Monument Trustを結成し、記念碑を建てるために一般に寄付と募ることにしました。1818年には彼等は記念碑を建てるために、Doon川沿いの高台にAllowayの領主からその一角を手に入れました。1823年に一般に公開されました。
この回りは手入れされた木々や花で一杯でした。この庭園に入るには、入場券に書いてある番号を門で押すことになります。祈念碑の所まで来ると、ベンチに座っていた老婦人が私に”中へ”と指さしてくれました。”中へ入れるの?”と思いつつ、促されるまま入り、更に広い螺旋階段を上って上に出ました。その後、この庭園を回り、あまりにお天気が良かったのでベンチで休憩していました。その内、暫く眠っていたようです。日差しが更にきつくなり、日焼けもひどくなってきたように感じられ、慌てて移動することにしました。隣のベンチにいたおじさんが笑っていたような気がします。
- Statue House
記念碑の横に小さな小屋みたいな物語っています。この中にTam
O'Shanterの登場人物の像がありました。1832年に作られたそうです。像は独学の彫刻家James
Thomに依る物だそうです。
Auld Brig O'Doon
BurnsがAllowayで過ごしていた時、このDoon川に架かる古い橋は村に渡る唯一の物でした。橋は、中世期中頃にかけられ、BurnsがTam
O'Shanterのクライマックスに使ったことから有名になりました。1816年に現在の道に繋がれ、取り壊されました。しかし、Burnsとの繋がりから、1906年に3番目の橋が架けられました。
この橋は庭園の外にあり、自由に歩くことが出来ます。橋の向こう側は行き止まりになっていて、現在はBurnsのためだけに残されているようです。
ひとしきりこのエリアを見て回り、帰りはバスで、と思っていました。でも、あまりのお天気の良さにもう一度は海岸沿いに出て歩きたくなりました。午前中も悪くなかったのですが、午後は素晴らしいお天気になっていたのです。その帰りの途中に寄ったのがGreenan
Castleでした。 |