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Sango Sands |
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ツーリスト・インフォメーションの側にある崖の下に綺麗な砂浜が広がっていました。絵葉書も多くあることからして、名所のようです。この近くにはキャンプ・サイトもあり、崖の上には遊歩道も設けてありました。砂浜は所々、岩場で区切られた形になっていますが、その中の大きな岩場の上には展望所が設けられていました。私を含めて代わる代わる海や浜辺を眺めていました。
また、砂浜に降りることが出来るように階段が設けられています。降りて砂浜の上を歩いてみたのですが、歩きづらく、靴が砂だらけになってしまいました。 |
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Smoo Cave |
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Britain諸島で最大規模の海洋性の洞窟で、簡単に入ることが出来ます。石灰岩が雨や海水で浸食を受けてできたものです。広大な内部は投光機で照明されていて、もっとも深い部分はボートで進むことが出来ます。長い間、居住に使われてきましたが、最近の発掘調査によると、6000年前に居住したという痕跡があるそうです。
”Smoo”という名はバイキングが名付けたもので、"隠れた場所"という意味です。1819年にSir
Walter Scottが訪れたというのは有名らしいです。「彼はこの洞窟を"地獄の入り口"という表現をした」と駐車場の辺りで読んだ記憶はあるのですが、資料の何処にも見当たりませんでした。でも、その表現は、実際にこの洞窟の入口に立ってみると納得します。
ツーリスト・インフォメーションが開く前の時間を使って覗いてみたので、入口あたりをウロウロしただけでした。奥の方はまだ投光機がついていない時だったので暗くて全く分かりませんでした。中に入ったことがある人に写真も見せてもらいましたが、中は鍾乳洞になっているそうです。また、滝もあるとか。写真は入口ですが、左側の下から突き出ている岩は人の2倍はある高さです。入口がどれだけ大きいか分かっていただけると思います。 |
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Balnakeil |
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村を真っ直ぐ西に延びる道を進むとこの場所に着きます。ここにはいくつかのポイントとなる物がありました。
- Balnakeil Craft Village
手工芸の工房と販売店が多く集まる集落になっています。今までいくつか訪れたことがありますが、工房の数はここが最大と思われました。この場所は元々、1950年代後半に核攻撃の早期警戒所として作られましたが、一度も実行されなかったとか。1964年に現在のクラフト・ビレッジに変わり、場所も広くなったそうです。夏期は殆どが公開していますが、冬期も公開している工房もあるそうです。作品の展示・販売は勿論ですが、カフェなどもありました。買うつもりで行ったのではなかったのですが、可愛い置物があったのでつい買ってしまいました。
- Balnakeil Church
722年にSt.Maelrubhaが建てましたが、現在のものは1619年のものです。内部は廃墟となっていますが、名うての悪党Domhnuall
MacMhurchadhの墓があります。ベル・タワーの横に日時計があります。
- Balnakeil Graveyard
多くは18-19世紀のお墓です。KeoldaleのAnderson一家のものは目立って大きな墓石です。印象的な記念碑は有名なゲール語の詩人Rob
Donnに捧げられたものです。壁に囲まれた盛り上がった場所は”Canton”の犠牲者を集めたもので、”Canton”は1894年に近くで沈没した移民船で、全員が死亡しました。
- Balnakeil House
鼻^地のすぐ側に見られる建物で、その大部分は1744年に再建されたものですが、それ以前の城の一部と合体しています。13世紀にはCaithnessの司教の夏の保養地として使われていましたが、後にClan
Mackayの宗主であるLord Reayの家となりました。
悪天候に見舞われた翌日は気持ちが良い快晴になりました。そこでCape
Wrath行きのフェリー乗り場に行く時に海岸沿いの遊歩道を回っていこうとしました。その遊歩道が始まっているのがこのBalnakeilでした。時間があったのでCraft
Villageにも寄り、Churchを見る時間もありました。そして、目の前に広がっていた砂浜としばし見とれていました。とっても綺麗な所です。道も十分整備されていますので、車でもすぐ側まで行くことが出来ます。 |
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Faraid Head |
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Durnessの北西に突き出た岬です。この西側がBalnakeil湾です。この岬の先端に建物が見えます。それはエアー・ボンバーのコントロール(正式にはBombardment
Range Control)の塔となっていて、回り数十メートルは関係者以外は進入禁止になっていました。そこまでは車用の道が出来ているのですが、途中には砂丘があり道が消えていました。轍は残っていました。この砂丘の中を進むのですが、風が強い日だったので頭から砂を被ってしまいました。
砂丘と草地以外は何もない所ですが、エアー・ボンバーの柵の側からCape
Wrathがかすかに見えます。また、中央にはケルンもあって、そこからDurnessの村が一望できます。BalnakeilからDurnessまでこの岬を一回りしていけるはずなのですが、道がよく分からなくなって、放牧地に出て羊達に逃げられながら何とか進んだところ、Balnakeilに戻ってしまいました。この辺りの道は、あるようでないもの。そんなところを進むのが悪いのかもしれませんが。戻ったBalnakeilの砂浜は潮が満ちてきていて、半分消えていました。写真の手前がBalnakeilの砂浜で、この上を車が走っていることが分かります。その向こうに見えるのがFaraid
Headです。 |
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Footpath |
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BalnakeilからCape Wrathフェリー乗り場までの海岸沿いを回る道です。ツーリスト・インフォメーションでもらった地図のコピーに点線があったのです。所要時間は約1時間半でしょう。
Balnakeilのゴルフ場から入ります。ゴルフ場の手前にスタイル(柵越え段)があり、逸れる道があるので進んだところ行き止まりになっていました。このパスは本当にあるのかと思いましたが、前に歩いていたカップルがゴルフをするような雰囲気でもないのにゴルフ場に入っていくので付いていきました。そしてパスを見つけました。手前に案内が欲しかったな…。
このパス、途中までは問題なかったのですが、柵に突き当たりスタイルで超えることが出来たのは良いのですが、その先の道が分かりませんでした。丁度干潮の砂浜だったので、暫くそこを進みました。草地に戻ってみても道が見つかりません。適当にそれらしいかな?と思える所を進み、放牧地らしき所に出た所で何とか道を見つけました。フェリー乗り場近くで広々としたパスになり、無事に正しい終点に着くことが出来ました。帰りもこのパスを進んだのですが、やっぱりスタイル前までの辺りでは道を見失いました。域に歩いた砂浜に出た時、私の靴跡だけが残っていました。誰もこんな所を歩かないようで…。それにしても不思議なパスです。
写真はそのパスから見たBalnakeil湾の西側の海岸で、この奥がKyle
of Durnessになっています。向こうはCape
Wrathがある半島です。 |
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Cape Wrath |
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Britain島最北西端に位置する灯台があります。灯台は1827年にRobert
Stephensonが建てたものです。ここに供給する資材をかつては船で岬近くまで運んでいました。その道が今でも残っています。現在はヘリで運搬しているそうです。電源は現在太陽電池で、パネルが敷地の中央に建っていました。
岬へは、Cape Wrathフェリーとミニバスでのアクセスのみで、一般車両は入ることが出来ないようになっています。フェリー乗り場から岬までの道の殆どが砲撃訓練地域になっていて、軍事訓練中はバス・ツアーは出来ません。また、訓練地域は訓練中でなくてもバスからの降車は基本的に不可です。一ヶ所だけ、面白い景色の写真を撮るために降りることが出来ました(1分くらい?)。
灯台回りは崖になっていて、水鳥達がコロニーを作っていました。殆どがカモメでしたが、パフィンもいるとか。また、帰りの途中で3頭の鹿を見つけました。おそらく親子だろうということでしたが、その場所は訓練地域。訓練中はどうしているのでしょうか?
Cape Wrathの東約5kmの所にClo Morと呼ばれる崖があります。この崖は281m(921フィート)あり、Britain島で一番高いとか。Cape
Wrathからも見えていたはずです。
Durnessに来たからには、とこの岬まで行こうとしました。1回目は滞在2日目の午前中でした。途中まで行った所でミニ・バスの運転手がキャンセルになったと教えてくれ、ついでにDurnessまで乗せてくれ戻りました(行く途中もおじさんが拾ってくれた)。この頃からお天気が悪くなったのです。午後にツアーがあるからといわれもう一度行きました(全て歩き)。フェリー乗り場で待っていましたが、人が集まらないし、お天気もひどくなる一方だったのでそんなにして行かなくてもと雨の中を引き返しました。次の日が素晴らしい快晴でさぞ見晴らしも良いだろうと、午後に行きました(3回目)。そしてまたもやキャンセルになってしまいました。干潮時で、深さが足りないとか。フェリーの船長(?)が私を2回見ているので”明日は?”と聞いてきました。”明日、出発するから…と。出発時間を聞かれたので、”午後3時のバス”と答えたら、”そのバスなら知っている。朝9時半にツアーがあるから、君を真っ先に乗せてあげるから来なさい”と。そう言ってくれるのは有り難いし、確かに時間的には余裕はありました。ただ、宿からフェリー乗り場まで歩きとなると1時間半はかかるのです。とりあえず(Footpathを)引き返しながら、宿の人に何とか朝食の交渉をしようと考えました。宿でおばさんに事情を話すと、”車で連れて行ってあげるわよ”と。問題はいっぺんに解決しました。翌朝4回目でやっと行けることになりました。潮も十分に満ちていて、お天気もまずまず、客数(最小催行人数は6人)も十分でした。そして、約束通り私をスタッフが乗った後、最初に乗せてくれました。この時に、最初に拾ってくれた運転手もいて、私を見て、”君ね”という顔していました。そんなにしてまで行きたかった訳ではないのですが、皆さんのお心遣いにはとっても感謝しています。ついでに、ツアーからの帰り、歩いていたら、ツアー客の親子(+犬)が乗せてくれました。
※軍事訓練はツーリスト・インフォメーションに日程が張り出されていました。またネットでも入手可能だとか。追加・延長されることもあるので現地でも確認する必要があります。 |