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Peterheadのポイント |
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到着も夕方で、翌日も昼間はずっといなかったので、Peterheadにあるポイントには訪れていませんが、ガイドブックにあった所を挙げておきます。
- Arbuthnot Museum
地域の歴史、イヌイットの工芸品と北極圏の動物達を含む海洋関連のコレクション、Arbuthnot(1667-1735、Scotlandの医師・作家)のコイン・コレクションが展示されています。通年開館、月・火・木・金・土曜日は11:00-13:00及び14:00-16:30、水曜日は11:00-13:00。入場無料。
- Peterhead Maritime Heritage
最近のPeterheadの海洋歴史の展示があり、カフェ、売店、遊技場も併設されています。6-8月の月-土曜日は10:30-17:00,日曜日は11:30-17:00の開館。無料。
到着した日に、宿から町まで歩きましたが、途中Peterhad湾沿いに造られた遊歩道を通っていきました。この展示館はその手前の方にありました。そのすぐ側の草地では(穴)うさぎたちが集会をやっていました(写真右)。下の写真はPeterhead湾で、右と左の端にはそれぞれ防波堤が作られていて、右の方には港もありました。
- Ugie Salmon Fishings
1585年に建てられたScotlandで最も古い鮭の生及び薫製を直接一般に販売していた建物です。通年の月-金曜日の9:00-17:00、土曜日の9:00-12:00の開館です。
- Buchan Ness
Peterheadの南約4kmにあるBoddamという町の北海に突き出た岬。ここには本土で最も東に位置する灯台(非公開)があります。灯台は130フィート(39.6m)で、1827年にRobert
Stevensonによって建てられました。Boddamには壁が僅かに残っているだけですが、Boddam城もあります。PeterheadからBoddam行きのバスが出ています。私が泊まった宿はその途中にあり、宿の南側の海岸からこのBuchan
Nessと灯台、発電所が見えました。
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Museum of Scottish Lighthouses Fraserburgh
- Kinnaird Head Lighthouse & Kinnaird Head
Castle |
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Kinnaird岬灯台はScotlandの最初の灯台で、1787年にNorthern
Lighthouse Board(1786年設立)が建設しました。博物館ではStevenson一族が作った灯台をその歴史と共に展示がされています。'In
Salutem Omnium'('For the Saftey of
All')をモットーにしているNorthern
Lighthouse Boardは現在も海の安全のために灯台の建設と維持を行っています。
Kinnaird岬灯台はKinnaird Head Castleを土台にして作られています。第15代領主SaltounであるAlexander
Fraserは地域の仕事に大いに力を注ぎ、1787年に城を新しく設立されたNorthern
Lighthouse Boardに譲渡しました。それは建物を灯台として使用することを目的にしたものでした。
最初の灯台はEdinburghのThomas Smith(Robert
Stevensonの継父)によって建設されました。Kinnaird岬はその時点で最も強力な光源となりました-その光源は澄み切った空気の中では12~14マイル(約19.3~23.5km)離れた所でも見ることが出来ました。灯室は補強されたお城の屋根に設置され、反射鏡を背後に鯨油を燃やしたランプを並べて明かりが灯されていました。1787年12月までこれが使われていました。
Robert Stevensonが1824年にKinnaird岬を再設計した時に、新しい灯台をお城の中央になるように造りました。この時点でその中庭に最初の灯台守の家が建てられていました。1824年の反射鏡のシステムは1851年に鏡とレンズを繋げた組み立て品に置き換えられました。そのデザインはたくさんのScotlandの灯台でStevenson一族によって開発され、設置されていきました。
最も最近のレンズはまたもやStevenson一族によって再設計され、1907年に設置されました。レンズはBirminghamのChance兄弟によって作られたものです。最初はパラフィンによる動力で、後に電動に変わりました。明かりは25マイル(約40km)の範囲まで届き、15秒ごとに点滅していました。
1907年からは大した変更はされませんでしたが最新の技術に変わっていっていました。1903年に霧笛が設置され、1929年にScotlandで最初のラジオ・ビーコンが作られました。1941年2月に近くで2つの爆弾が爆発した後には光源の少々の修繕が必要になりました。
現在は新しい灯台(左写真)が1990年にすぐ側に建設され、城の上に作られた灯台は残されていて、観光客向けにガイド付きのツアーが行われています。城の中に作られたパラフィン補給用の部屋と、灯台守の住居となっていた部屋も見学できます。住居にはテレビや冷蔵庫などの生活用品もありました。ラジオ・ビーコンや風向計などの設備もあります。壁のメモを見るとここで計測された最も強い風が(私の記憶では)62km/hだったということでした。
ツアーガイドによると、この場所が海からの目印として最良で、そこにある城をそのまま灯台として使ったということでした。灯台の中の螺旋階段を上ると、レンズを実際に動かしてくれました(勿論明かりはつけません、そんなことしたら、我々の目が参ってしまいます)。その外にも出ることが出来ます。この時は雨がひどくて、急いで一回りしました。
展示ルームの方は自由に見学できます。Stevenson一族が建設した灯台を紹介していますが、それまで行ったことがある所があちこちありました。ほぼ同じ感じだったので、灯台は皆同じ様に造られていると思ったのですが、それがStevenson一族のデザインによるものだったのです。彼等のデザインに依らない物はちょっと違った形になっていると思われます。日本の灯台もこの一族の流れをくんでいるものが多いらしく、同じ様な感じのものが見られます。Stevenson一族の灯台はScotlandの各地とMan島にあります。上記に挙げたBuchan
Nessの灯台も彼等の設計によるものです。通年、日-土曜日(時刻は季節・曜日によって変わるので事前にチェックを)の開館。有料。売店、カフェも併設されています。
その灯台の土台となったKinnaird Head
CastleはPhilorthの8代目Fraserによって16世紀中頃に建てられました(Philorthはここの教区の古い名称)。1540年代には一家の家はここでなく港にあったのですが、1546年に経済上の影響を考えて移転がなされることになりました。お城はシンプルな方形で4階の造りで建てられました。2階にある丸天井のホールはお城の中でも最も重要な部屋でした。回りには厩舎などの建物もありました。 |
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Heritage Centre(Fraserburgh) |
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400年にも渡るFraserburghの歴史と主な産業や工芸品の展示があります。売店で興味を引くのは”他で入手不可能なAberdeenshire”の品物です。AGTB(Aberdeen/Grampian
Tourist Board) Vistior Experience
Award
2004で優秀賞を獲得しました。4月1日-10月31日の月-土曜日の11:00-17:00、日曜日の13:00-17:00の開館。有料。売店併設。
Museum of Scottish Lighthouseのすぐ隣にあるので、とても分かり易いです。入場料を払って、中に入ると、ガイドのお爺さんからいきなり声を掛けられました。質問があったらなんでも聞いてくれ、と。側にあった肖像画を眺めていたら、聞いていないのに説明してくれました。Sir
Alexander Fraserの肖像画で、何故この町がFraserburghと呼ばれているのが分かるでしょう?、と。その後もこのお爺さん、色々説明してくれました。戦争の資料コーナーで、あるコピーを取り出して、これ日本語だから分かるだろう、と差し出されました。第2次世界大戦終了時の詔書(昭和天皇によるポツダム宣言受諾の文)でした。何かは分かりますが、古い文体で、読める漢字も少なかったので、その旨を説明しました。そのお爺さんは”日本語は読めないが、英訳があるので何が書いてあるかは私は知っている”と言っていました。(それを見せた理由は不明) そうやって、ある所まで私をかまってくれました。私が日本人だからなのか…そのお爺さん、400年に渡るFraserburghコーナーでビデオをセットしてくれましたが、”この操作分かるだろう? 日本製だからね”と。関係ないと思うけど…機械の操作が苦手なのは確からしいです。
この町の有名人はもう一人います。Thomas
Blake
Glover(グラバー邸のグラバーさん、The
Scottish Samuraiというニックネームがある)で、彼にちなんで日本庭園にある獅子落としをそのコーナーに造っていました。ここで別のお爺さんが終わったビデオを止める方法が分からずに私に聞いてきました。止めてあげたら、巻き戻しは?と。ボタンを押してあげましたが、いつもはどうやっているのでしょうか?このビデオ(テレビ一体型)も日本製でしたが、日本語でボタンの説明がある訳ではありません。三角や■のマークがあるだけなんですよ。
その後のコーナーではおばさんも丁寧に説明してくれました。ガイドの方々はどうやら町のシニアのボランティアみたいでした。グラバーさんのおかげで皆さんが親日派に感じました。 |
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Fraserburghその他 |
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その他にめぼしい所を挙げておきます。
- グラバー遺産めぐり~グラバーの出生地
上記のHeritage Centreで手に入れた資料です。英語の他に、日本語がありました。ここにグラバーの出生地が示されていました。Commerce
Street15番地と言われていますが、残念ながら第2次世界大戦中のドイツ軍の空襲で建物は破壊されて残っていないそうです。この空襲の様子はHeritage
Centreにもパネルで説明がありましたが、かなり徹底的に破壊が行われたようです。
この町の歴史を知るまで、グラバーさんはAberdeen生まれと思っていました。1838年6月6日にこの町で生まれ、1851年にAberdeenに転居したそうです。来日したのは1859年だそうです。1911年に死去(73歳)。日本の滞在地が長崎なので、Heritage
Centreで”私は長崎県で生まれた”というと、余計に親しみを持ってくれたようでした。
”遺産めぐり”には生誕地の他に、通っていた教会や学校、漁港が挙げられています。
- ワイン塔(Wine Tower)
16世紀に建てられたFraserburghで最も古い建物。浮き出し飾りや大きな垂れ飾りの膨大なコレクションがあります。貯蔵室のアーチ型天井が非常にユニークです。また、幽霊が出没する伝説もあるそうです。
- Broadsea
灯台から西へちょっと歩いた地域です。元々はFraserburghとは独立していた村でした。”the
seatown”という漁村として知られていて、1612年の教会の記録に残っています。この村はChristian
Wattの地元でもありました。彼女はChristiann
Watt Papersの著者で、それには自己の生活の生き生きとした記述と19世紀の漁師達の面白い社会学的な研究を記していました。現在、ここは保護地区になっています。
この村は嘗て大嵐に見舞われて壊滅状態になったと、Heritage
Centreでの説明がありました。以前の状態の村を再現した模型もありました。子供達の作品でした。その時、”Broadsea”が村(地区)の名前とは気付かなかったのですが、バスの時間まで海岸を歩いている時に、この地区に行きあわせました。建物は変わっていましたが、模型通りの地形に子供達の作品を思い出しました。
- Formartine & Buchan Way(F&BW)
嘗て鉄道がこの町にはあったそうです。最後の乗客を乗せたのは1965年10月4日で、AberdeenからFraserburghまでの運行でした。最後の貨物列車は鉄道が見捨てられた後の1979年10月3日でした。F&BWは現在も古い線路を利用し、Aberdeen(Dyce)からPeterheadとFraserburghまで伸びた自転車道、歩道、線状の自然保護区となっていて、Fraserburgh
Seashore Centreが終点となっています。
- Seashore Centre &Beach
Fraserburgh Beachはこの国での最も素晴らしい海岸の1つで、3マイル(約4.8km)の三日月状の白い砂浜はFraserburghの港から隣接する漁村のCairnbulgとInverallochyまで続いています。海岸は水浴びには最適で、Corbie
Hillから見降ろした砂丘が背後にあります。遊歩道にはFraserburgh
Seashore Cenntreがあります。
Seashore Centreでは、散策、イルカとアザラシの観察、レンジャー・イベント、環境問題の学習、バード・ウォッチング、サーフィンをサポートしています。4-9月の(火・水曜日を除く)10:00-16:30の開館。無料。
町の南にあり、この辺りまで行ってみようかとも思いましたが、あまりのお天気の悪さに港あたりを彷徨いて終わりました。
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