Elgin
前年の旅でInvernessに泊まらずにまだ足をつけていない近くの比較的大きな町であるElginに泊まろうかとも思っていました。しかし、ルートが複雑になり、且つ、2泊では足りないような気がしてやめたのです。今回はこの町の南や東の辺りを回っているので、ルート上になり泊まることに。宿はInverurieで予算ギリギリの宿代だったところが確保できました。
Inverurieの宿を出る時、奥さんに近くのバス停でElgin行き(Aberdeen発、終点はInvernessの急行)のバスに乗れるか聞いてみたのですが、良く分からないと。旦那様がたまに利用されるので、わざわざ呼んで聞いてくれました。そして近くのバス停でOKと。ここがダメなら町中まで行かないといけないのです。次第に重くなってきている荷物を引っ張ってのことですから、大変なのです。Elgin行きなら道を渡らなくても良いとまで(そんなことは分かっていましたが)。そして旦那様が”時々運転手がよそ見をしているので、バスが見えたら手を振った方が良い”と。危ないバスなんでしょうか? この町に着いた時は忘れられて降ろしてくれなかったので、その注意を聞いた時、思わず笑ってしまいました。来たバスの運転手はちゃんと見ていて、通過されることもありませんでした。土曜日とあって、途中の町で結構人が乗ってきて、Elginに着く時には満席の状態でした。
Elgin到着後、予約表にあったルートをバス・ステーションで確認して歩き出しました。しかし、曲がらないと行けないと思われる通りに表示がなく、不安になり、その先にツーリスト・インフォメーションがあるのは確認していたので聞いてみることにしました。地図をもらった時、係の女性は何処を探しているか聞いてきたので、予約表を見せると、道順を地図に書いてくれました。この女性、他の旅行者にも手順良く対応し、また、その後に聞きに言った時にも手早く対応してくれました。勘の良い女性(◎です!)で、他のツーリスト・インフォメーションにもこんな人がいてくれたら…と思うくらいでした。殆どは良い対応なのですが。
Elgin | |
北海岸が北海に面するMoray州の首都。歴史のある町で、その町並みや建物は今でも残されています。蛇行しているLossie川の低地になっている両岸で12世紀から町は発達してきました。David
Ⅰ世によって自治として作られ、西側にあるLady
Hillの上に城が、東側に大聖堂が建設され、繁栄してきました。 町の名は”Litttle Ireland”から派生したものです。Ealg(ゲール語)は初期のIreland名で、-inはゲール語の接尾辞で’小さい(little)’に対応しています。このような名前になったのはゲール語を話すIrelandから渡って来て人々が住み着いて、母国の思いを残すためだったと言うことです。しかし、後にealgは'noble'または’excellent'も意味するようになり、町の名前はIrrelandまたはDalriada(ダルリアダ、元々は北IrelandのAntrimに王国を築いていたが、500年頃にScotlandへ渡ってきた人達が同じ名前の王国を築いたと言われている)には関係のない単に’worthy place(価値のある地)’を意味するようになりました。 町及び周辺地域の人口は約2万3千人で、Scotlandにすると比較的大きな町と思われます。その為に、日曜日の滞在でも殆ど不自由なく過ごせました。(Londonの)テロの影響も荷物預かり所以外は影響が全くないと感じられました。 |
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交通 | |
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Town Trail | |
町の名所を巡るコースが示してありました。公共交通機関が少なくなる日曜日に歩き回るのは丁度良かったのでした。このコースに示してある順にご紹介しますが、実際は宿の場所・時間的等の都合の良い所から回っています。
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その他 | |
Town Trailのコースにはなかったその他の町の名所をご紹介しておきます。
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Elginには海がないので、北側の海に面した町の何処かに行ってみようとしました。博物館で知った石-Pictish Stoneが発掘され、ちょっとした遺跡もあるというこのBurgheadへ行くことに。当然のごとく日曜日の交通機関は当てに出来ないので、平日の月曜日を選びました。行きのバスは分かったのですが、帰りが分からないのでツーリスト・インフォメーションでバスの時刻表をもらいました。バス・ステーションにもあったはずなのですが、案内所がテロで一時的ですが閉鎖されていたのです。 | |
Burghead | |
”バーグヘッド”と読みます。”砦のある岬”という意味で、Borgarは古代スカンジナビア語で'fort'(砦)という意味です。砦は880年に作られました。’head(岬)’は古代スカンジナビア語の’headland’を意味するnesの英訳なのでしょう。 この小さな町で最も有名なのが1月11日に行われるthe Burning of the Clavieという行事です。新年を祝うユニークな火のお祭りです。何故1月11日なのでしょうか? 1750年代にはBritain島ではユリウス歴(旧太陽暦)を使っていましたが、新しくグレゴリオ暦が採用されました。この時に11日戻す必要がありました、Burghead以外でです。Burgheadの人達は両方の良い所を取ることにし、新年を2回、つまり1月1日と1月11日にお祝いすることにしました。 このお祭りは大勢の人々が燃えているClavie(棒でいっぱいになった樽のこと)の後に続き、町を回るというものです。Clavieの最終目的地はDoorieの丘(岬の中央にある小高くなっている所)にある古代の砦の城壁です。しっかりと楔で止められ、油を注いで燃やし、まだくすぶっている残り火が集められ、丘から降ろされます。Clavieのかけらを持つことは来る年に良い運をもたらすと言われていて、世界に散らばっていった人達にも送られます。勿論、the Burning of the Clavieは1750年代以前に遡ります。多くの他の火のお祭りのように、その起源は不明です。このお祭りの様子はあちこちのサイトで紹介されていますので、"Clavie"で検索してみて下さい。 Elginからバスで約30分です。平日・土曜日は本数は申し分ないのですが、日曜日は6本しかありません。小さな町なので、何処で降りても大して歩く必要はありません。町は3方を海に囲まれた岬にありますので、南側(Elginから来た方向)に向かわない限り海に出ます。通りは昔に造られたままのようで、殆どが南北に走っています。 |
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Burgheadの岬 |
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Burghead Town Trail | |
現地の説明ボードに町を巡るルートが地図で示してあり、その順に従ってご紹介します。No.1とNo.3の説明ボードは読めない程ボロボロでした。
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Burghead Beach | |
Trailはビジター・センターを含めて3時間半くらいで終わりました。そんなに時間が掛かるとは思っていなかったので、午後はElginへ一旦戻って他の町へ行ってみようと思っていたのですが、あまりにお天気が良くて、近くの砂浜の海岸が気持ちよさそうだったのでこの町に夕方までいることにしました。快晴の上に気温も高くなっていたようで、子供は勿論大人(+犬)も泳いだり、海に足を浸けたりしていたくらい暑かったのです。濡れると危険なカメラがなかったら私も海に入ったかも知れません。 ビジター・センターからすぐに砂浜へ向かわずに、一旦港へ回りました。下の写真はその港から見た砂浜の写真です。この時は満潮が近づいていたので、砂浜は狭くなりつつありました。午前中はかなり広くなっていました。写真の左端のあたりにキャンプ・サイトがあります。 そして砂浜の上でレインコートをシートにして休憩。その後西の方へ砂浜を歩いていきましたが、何処まで行っても同じだったので適当な所で引き上げてきました。砂浜はFindhorn湾の湾口で一旦切れますが、約20km先まで続いているようです。このScotlandらしくないお天気で、また日焼けをしました。 |
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