Isle Of Barra ,
Vartersay & Mingulay

Visit Places of 2008 Scotland Tour St Kilda Isle of Barra map Dun Scurrival Cille Bharra Barra Airport Northbay Castlebay Vatersay Sandray Pabbay Mingulay Bernerary Ardmore
2008/7/11(fri)~7/14(mon)

Outer Hebridesの再訪を考えた時、やはりBarra島にも行きたいと思っていました。今回は北からスタートなのですが、Skye島にも渡ることを考えるとNorth Uistが最終地になってしまい、Barra島までは行けなくなってしまうかもと思いました。しかし、日程に余裕があったので、一旦Barra島まで南下して、その後で北上してNorth Uistまで戻ろうとスケジュールを組みました。
そう考えたもののSt Kildaの予定が不定なので、宿の予約は確定できません。観光シーズン真っ最中なので、宿はその前の宿泊地Lochboisdaleで取ることにしました。4日の滞在なので中心地のCastlebayは到底無理。運良くバスルート状にあるNorthbayに見つかりました。フェリー乗り場のAird Mhorには近いのですが、宿の人の関係で一旦Castlebayまで行き、その後戻るように指示されました。そして時刻表を見て気付いたのですが、Castlebay発の最終バスは何と夕方4時半。これにはさすがに参りました。いくら小さな島とは言え、CastlebayとNorthbayは約8km離れています。Northbayの回りは殆ど何もありません。島巡りをした後、宿までの帰りに苦労しました。
Lochboisdaleでチェック・アウト後、バスの出発地にもなっているツーリスト・インフォメーションの前に行きました。既にバスが止まっていましたが、これが乗るバスかは不明でした。中には乗客が既に乗っていましたが運転手はいませんでした。乗客はフェリー乗り場に行くのではないがDaliburghで乗り換えるのかも知れないと。荷物を載せる前に運転手に確認したかったので、ツーリスト・インフォメーションに行きました。彼はそこにいると聞いていたのです。運転手はフェリー乗り場行きのバスは既に出たと言います。時刻表にあるバスはどうなったの? そこでツーリスト・インフォメーションの係に確認すると、そのバスはポスト・バスよ、と言われホッとしました。同じ所で待っているとやや遅れ気味にポスト・バスがやってきて、無事にフェリー乗り場に着きました。2日前にも行きましたが、この日はお天気が悪く回りをあちこち歩くことは無理でした。待合所があるのでそこで待っていました。外には車が少しずつ行列を伸ばしていっていました。その中に見覚えのある車がいました。前の日のお墓であったキャンピング・カーでした。
フェリーは以前North UistのOtternish-Leverburgh間を運航していたものではないかと思うサイズでした。両側にそれぞれ客室があるもの。チケットは片方のキャビンの中で買います。このルートは5日後にも乗るので往復で買いました。その後普通なら外に出るのですが、お天気がひどくなったので、ずっと中にいました。Barra島は近いので余り時間はかかりませんが、こちらのフェリー乗り場は初めてでした。以前、小さな12人乗りのフェリーがもっと北の方から出ていたのは知っていたのですが、それとは全く別の場所でした。
Barra島到着後、バスを探してもいません。どこか別の所かと思っていたのですが、フェリーのスタッフが遅れているのでそこで待つようにと言ってくれました。やがてバスが到着、Castlebayまで。次のバスまでは時間があるので、荷物を預けて暫くウロウロすることに。ツーリスト・インフォメーションで預かってくれるか聞いたら、ダメと言われましたが、埠頭の側のCalMac(フェリー会社)の待合室で預かってくれると教えてくれました。待合室に荷物を置いたのですが、勝手に置いていくわけにはいかないので、係の人に声を掛けてみたら、気持ち良くOKと言ってくれました。5日後にもう1度置くことになった時も同じでした。フェリーを利用しているので遠慮無く使っていました。
宿へ向かうバス(Castlbayからの最終バス)に乗って宿で降ろしてくれるように言っていたのですが、止まってくれませんでした。(Stornowayでもあったので)またか!と思って、運転手に伝えたら、荷物があったので、バックして宿の前で降ろしてくれました。宿の人に朝食のことを伝えると、”ベジタリアン”が通じないのです。そんな馬鹿な…で、結局卵のみで出してもらうことに。トマトやマッシュルームなどの野菜は一切付きません。ジュースだけが朝食の新鮮さを何とか補充していました。

Isle of Barra

Castlebay
Barra島の中心となる村です。島の南側に位置し、直ぐ近くのVatersayと同様に大西洋に面する湾を眺望できます。ゲール語名はBaile MhicNèillで、’MacNeilの土地’という意味です。
1869年にニシンの漁業の港が作られ、1886年には400艘もの漁船が操業し、最も多い5-6月には約2000人が雇用されていたと言うことです。最近では村はずれに近代的な建物が建てられ、様々なイベントも行われるようになりました。毎年7月初旬にはFeis Bharraigh(Feis Barra)が行われ、諸島の内外から多くの人が集まります。イベントはゲール文化や言語が基本となっています。
<Dualchas~Barra Heritage Centre>
Barra Heritage CentreCastlebayの中心近くあります。ニシン業クリアランス(地主が借地人を土地から立ち退かせた政策)やクリアランス後に保証された移住政策に関連した歴史的な書面や、工芸品、写真等の貴重なものが展示されています。
前回、ここに気が付かずに行きそびれていました。宿に向かうバスに乗り換えるために、Castlebayで2時間半近く時間があったのでその時間を利用していきました。展示物はかなり興味深いもので、またテレビには歴史に関するビデオが流されていました。資料も机の上に置いてあり、自由に閲覧できるようになっていました。
隣にはカフェが併設されていたので、昼食をここで頂きました。
<Kisimul Castle>
Kisimul CastleCastlebayの湾にある岩場に建っていて、1039年頃に建設されました。それ以降は、KisimulはMacNeil氏族の要塞となりました。城は周りを海に囲まれ、外敵には決して陥落しませんでした。Kisimulは、島が売却された1838年に明け渡され、城の状態は退廃しました。Barra島の大部分と同じように城の残りの部分は1937年にMacNeil氏族の首長に購入されました。首長は2001年に年間£1と1本のウィスキーで1000年間Historic ScotlandにKisimul Castleをリースしました。Castlebayの船着き場から城までの船旅は5分かかります。
前回は決まった曜日にしか見学できませんでしたが、船着き場を見ると日曜日を含む毎日見学できるようになっていました。しかも船は大きくなっていて、前回おじいさんとお手伝いをしていた子供が船を操縦していたのですが、今回は若いお兄さん2人がやっていました。前回は入場料はなかったものの船代を払っていました。今回は船代はなく、城の中で見学料を払うようになっていました。しかも、立派な売店まで出来ていました。かなり商売っ気が入っていました。船は帰りには城の周りを回ってくれるので異なる方向から見学できて良いのですが、何となく雰囲気が台無しになっていたような気がしました。船は客がいる限り、時間内に必要に応じて出しているようです。
前回も見ていたので迷いましたが、終了間際の時間(夕方5時)にまだ間に合うようだったので行きました。中は売店以外は余り変わっていないように思いました。ちょっとは綺麗にされたようですが、内装が変わっていたようには思えませんでした。最後の客だったので、売店の係の女性も帰りの船で一緒でした。船のお兄さんと彼女は私が引き上げるのを待って城を閉めていました。
<Fisherman's Mass>
Boats at Fisherman's Massここ何年にも渡る島の年間行事の中でも伝統的な儀式です。この地域の漁船が賛同し、Castlebayの埠頭に集まります。その日の最大の出し物の1つは年間賞を決めるボートレスです。この祭典の雰囲気は埠頭での音楽と地元のシーフードで完結になります。このエンターテイメントは地元の集会所で催されるケイリー(ceilidh)に引き継がれ夜まで続きます。
毎年日曜日に開かれているようです。丁度Castlebayを通って、Vatersayに行く時に準備をしている段階でした。宿の人から3時くらいから始まるとは聞いていたのですが、Vatersayを歩き回っていたので、Castlebayに戻った時には既に終わっていました。船着き場には色んな旗をなびかせた船が並んでいたのが印象的でした。港を見る前に”お祭りやっている”というおじさんの助言で見に行ったのです。そのおじさんが埠頭にやってきて”終わっていたので申し訳なかった”と言いながら、シーフードの残りを貰えるように計らってくれました。ちょっと困りました、だって、ベジタリアンなのに…。
それで宿に(歩いて)帰ろうとするとそのおじさんが送るから、と車に乗せてくれました。近くに住んでいるからと自宅に連れて行かれ…お茶をご馳走になり、それで帰りましたが、宿の人もおじさんのことは知っていたから変な人ではなく、話し相手が欲しかったらしいです。この日演奏していたVatersay Boysを聞かせてくれました。このバンドは前年にNess湖湖畔のDrumnadrochitで土砂降りの中行われた野外フェスティバル(メインはRunrig)に出演していたので名前だけは知っていたのです。面白そうなので、島を離れる時に3枚目のアルバムを買って帰りました。
Northbay
Inner of Loch ObeNorthbayはBarra島北部のいくつかの村をあわせた地域です。この地域には居住地としての長い歴史があります-この証拠としてBroveに新石器時代のスタンディング・ストーンがあります。ケルト人がUlsterからここにやってきて800年間、封建制度の農業や漁業のためにacNeil氏族の執事の下で働いていました。1795年にKisimul Castleが見捨てられた時、その氏族の長はEoligarry Houseで過ごすようになり、Cluny大佐が1838年にその氏族から島を買うまでそこにいました。
1939年に、ついにCastlebayとNorthbayを結ぶタールの道ができました-それ以前は、それぞれの村の人々は主となる港に品物を運ぶために海を使っていました。小さな島にもかかわらず、それまでは北と南の間の情報交換は全くひどい状態でした。道路の建設は、構成が素晴らしいWhisky Galore!の著者Compton Mackenzieによるキャンペーンの結果が大きいのです。
宿がこのNorthbayにありました。投宿後、この辺りをちょっとだけ見てみようと歩いてみました。宿の人は近くのホテルで夕食が出来ると。そのホテルにも行ってみましたが、私にはちょっと高いので、Castlebayで買ってきていた食べ物が夕食になりました。そこに行くまでに雨が降り出してしまいましたが、大したことはありません。そんな私を見て車を止めてくれました。直ぐそこまでなので断りました。もうちょっと見てみようと思いましたが、犬にも追いかけられたので、すごすごと帰りました。
翌日、Castlebayまで行く時に宿の南側も少し歩きました。境界線が引いてあるわけではないので、どこまでがNorthbayかはよく分かりませんが、宿の南側のちょっとした集落と北側はフェリー乗り場のArdmore辺りまでをいうのではないかと思っています。
Ardmore(Àird Mhòr)
ArdmoreはBarra島の北東部の小さな村です。
Ardmore Ferry Terminal2002年にBarra海峡統合交通計画(the Sound of Barra Integrated Transport Project)の一部としてBarra島とEriskay島間の新しいフェリー接続を運行させるために、この村に小さなフェリー港が建設されました。このフェリーの運航は2003年に始まりました。それより前にEriskay島とSouth Uistの間をつなぐ土手道が建設されました。大型船Loch Alainnによって毎日数回運行されていて、所要時間は、それより大きい大型船ClansmanによるCastlebay-Lochboisdale間90分の運行に比べると、たったの40分です。それ以前Barra島とSouth Uistの間の運行はその大型船のみで、毎日ではなくOban-Castlebay-Lochboisdaleのルートの一部となっていました。Barra島とEriskay島間の小さな車用のフェリーが運行された現在、大型のタンクローリーを除く殆どのBarra島からの交通が大型船Loch Alainnで行われ、大型船Clansmanもまだ使われています。
古い地図を見ると、地名は載っているものの港が無いため、この新しく運航されたフェリーがいったいどこに着くのか分かっていませんでした。到着した時も全く記憶がない景色でした。車でこの港に向かう時は島を一周する道路に空港と同じ方向に案内が出ています。その道に入って暫くすると空港の手前でこのフェリー港に向かう案内が出ています。バスも空港やEoligarry行きが寄るようにはなっていますが、時刻によっては回らないルートもあるので時刻表をよく見て載って下さい。
写真は新しいフェリー港ですが、建物はオフィスでなく、カフェです。中をちょっとだけ見ましたが、結構繁盛しているようでした。チケットは船内で買うようになっています。
Eoligarry
Cille Bharra(St. Barr's Church)
Cille Bharraは初期のいくつかの修道院の複合化された建物です。1つは屋根が修復された礼拝堂で、4人のノルマン人の墓石があり、何世紀にも渡って、その墓地に置かれていました。それらはおそらく本土かIonaから数世紀前に持ってこられたと推測されています。
Cille Bharra今日Cille Bharraは、裕福で古代の時代の栄枯盛衰を暗示する名残があります。中心となる教会は、2つの”礼拝堂”の東の側にあり、東と西の切り妻がなくなっていますが、北と南の壁は8フィート(約2.4m)の高さでそのまま建っています。 北側の壁には、12世紀までさかのぼると思われる低い扉があり、建物へのメインの入口があったことを表しています。その建物は、元々数歩西へ向かうとその扉に辿り着ていましたが、その後西へ拡張されていったことを示しています。聖水盤が出入口の東の場所に置かれていましたが、元々その場所であったかは不明です。祭壇の土台を東の端にまだ見ることが出来ます;ここには17世紀に聖Finnbarrの木製の像が展示されていました。北東の方向には”北の礼拝堂”または”St. Maryの礼拝堂”として知られる16世紀の埋葬の側廊があります。近年Scottish Development Departmentによって中世後期に彫られた墓石を収めるため屋根が修復されました。 墓石は以前墓地に置かれていました。ルーン文字の石は、嘗てCille Bharraでは墓地に立てられていましたが、保護のためEdinburghの国立古代博物館(National Museum of Antiquities)に何年も前に移されました;それは今もそこで展示されていて、Cille Bharraの”北の礼拝堂”にはレプリカが展示されています。”南の礼拝堂”の西の切り妻はまだそこにありますが、その建物で他に残っているものはそこから離れていて、今もはっきりして年代が確定できていません。 墓地の敷地は何世代にも渡るBarraの人達の遺骨にあてがわれてきました;記者で小説家のCompton MacKenzieも埋葬されています。建物と墓地はScottish Development Departmentの古代遺跡局の管理下にあり、Northbayの教区司祭が手入れをしています。
前回はここの前を素通りしているはずです。そんなに有名な所とは気が付いていませんでした。北にある空港へ行ってついでにここまで足をのばそうと思ったのでした。前回、この辺りの景色が美しかったので、今回は更にゆっくり見ようと思ってのことでした。その中でこんなものがあると気付いたのです。
空港から歩いて到着した時は誰もいませんでした。墓地を見渡した後、礼拝堂の扉を押すと開いたので中に入りました。出入り自由です。中は小綺麗にされていて、祭壇の向かい側にはピクチャー・ストーンが立てられていました。ゆっくり見回して外に出ると、2組4人の訪問者が到着していました。お天気が良ければ側にベンチもあり、もっとゆっくりしたと思います。
Dun Scurrival
Dun ScurrivalDun Scurrivalは鉄器時代の要塞です。おおよそ2000年前に立てられました。この島の最も重要な見張り場の1つでした。内部と外部の壁の間の通路のある砦として知られています。元々その壁は約10-15メートルの高さで立っていました。 Ben Eoligarryの頂上にあります。春にはその回りに様々な野生の花が咲いています。
Cille Bharraを更に北へ進むとこの砦があると地図に書いてありました。道は曲がってはいますが間違う程複雑ではありません。そろそろ見えても良い頃なのに、と思って歩いていたのですがその辺りの丘の上にはそれらしきものがありませんでした。そしてそれまで見えていた丘が切れた所で別の丘が見え、その頂上にこの砦がありました。Harris島で丘の上に砦があるのに分からなかったので、ここで見つけてホッとしました。海岸が見えた所で、柵の中へ入るゲートがありました。近づけるようでした。パスは見つかりませんでしたが、適当に歩けるような所を見つけて登っていきました。かなり急だったのですが、登る時はそんな気がしていませんでした。砦に到着して様子を見ると、殆ど崩れた状態で僅かに全体の広さが残っている程度でした。壁だった所は良い風除けになり、休憩地にしました。砦からは周りの海が見渡せます。生憎のお天気ではっきりとは見えませんでしたが、良い見張り台であることは感じられました。
休憩を終える頃、1組のカップルがやってきました。彼らはMingulayのボート・ツアーで一緒だった人達でした。降りる時、来た道が分からず適当に歩いていたら湿地にはまりそうになりました。お天気が良くてもこの砦までのパスははっきりしていないような気がします。
Barra Airport
Barra Airportは島の北の端にあるTraigh Mhòrの広くて浅い湾にあるSTOL(ストール、短距離離着陸)の空港です。空港はかなり特有です-定期便が砂浜を滑走路として使用している世界で2つある家の1つです。もう1つはAustraliaのFraser島にあります。この空港はHighlands and Islands Airports会社が運営していて、この会社はScotland本島と周辺の島々の殆どの地方空港を所有しています。
Barra Airport砂浜には3本の滑走路があり、それぞれの端には木製のポールで印を付けてあります。これでTwin Otterが常に向かい風で飛行する様になります。満潮時にはこれらの滑走路は海に沈みます-フライトの時刻表は潮汐に従って変わります。たまにある緊急のフライトでは夜には、滑走路の中央のラインを示すために車がライトを照らし、空港から砂浜までその明かりのすじが映されます。
前回は空港は見たものの、飛行機の離着陸は見ていなかったので、今回時刻表にあわせていきました。バスはフライトに合わせられているので丁度良かったのです。ところが、深い霧のために午前中のフライトはキャンセルになってしまいました。隣にいたおじさんが確認して教えてくれました。その後はその北のEoligarryへ行き、再び空港からCastlebay行きのバスに乗る予定だったので午後の便の着陸を見ることにしました。運良く午後の便はキャンセルにならずに飛んできて、着陸の様子を見ることが出来ました。砂浜一杯を滑走路に使うのかと思っていたら、その半分も使いませんでした。古いデジカメで動画を撮ったのですが、画像サイズを小さくしていたため、着陸寸前までよく分からない状態でした。残念!
ここから西回りのCastlebay行きのバスに乗る予定でしたが、実は着陸の前に出発になっていたのです。しかし、それが予約のみの客しか乗せないとのことで、乗車拒否にあい、そのおかげ(?)で着陸を見ることが出来ました。次のバスまでは1時間以上もあったので暫く歩いていると、今度は離陸の様子を見ることが出来ました。
後で聞いた話では、最も近いBenbeculaの空港から搭乗し、この空港に着陸、その飛行機でまたBenbeculaに戻るというツアー(?)があるそうです。でも、乗客より離着陸の見学者の方が多いような気がしました。


Vatersay

Vatersay
Memory of Air Crashもし海面が上昇すると、Vatersayは2つの島になると言われています。1931年には240人いましたが、1991年の時点では人口は72人でした。現在土手道(1990年完成)で繋がっていて、美しい砂浜、昔の砦、Annie Janeという船が100年以上も前に沈没した時に亡くなった何百人もの出稼ぎ労働者に対する記念碑があります。また道路の下には、第2次大戦中に丘の中腹に墜落したCatalinaの残骸(右写真)があります。この時に亡くなった飛行士達への記念碑として、現在記念の銘板が立てられていて、そこまでの小道が造られています。
<Vatersay Walk>
Dun Vatersayへ登る短くてかなり急な坂を登る約3時間の中級のWalkがあります。このWalkは小さな駐車場から道路を渡って’Annie Jane'記念碑(Bagh Siarを見渡す所に建っている)からスタートします。約4マイル(約6.5km)の周遊のコースで、Bagh Siar(西側の湾)、Bagh a Deas(南側の湾)、EorisdaleとBaigh Bhatasaigh(Vatersay湾)を回ります。
前回、チャリで何の気なしに訪れました。土手道がまだ珍しく、それを渡った所がこの島でした。そしてHeishival Beagという丘を回った所で見た美しい砂浜をもう一度見たくて、日曜日に今回は歩いて行きました。日曜日は全てのバスが止まるので歩くしかないのです。宿を出た所で直ぐに車に乗せてもらいました。荷物用のバンで後部のドアを開けると荷物室でした。そこへ乗せようというわけでなく、荷物をそこへ放り込んで、前に来るようにいわれました。助手席には既に大柄の男性が乗っています。運転手も大柄です。そこに入り込むので、当然ぎゅうぎゅうになるわけですが、それでも乗せてくれるのです。Castlebayまで乗って、そこからのんびり歩きました。あの砂浜に着いた時はお昼過ぎ。日曜日ですが、側のホールにはカフェがあったので休憩ついでに入りました。ホールの壁にはMingulayの写真が貼ってあり、前の日に訪れたのでいつ頃まで人が住んでいたのか等と勉強になりました。
Dunes of Vatersay
その後、Vatersay Walkの順路に従って進むことにしました。ただし、私は逆回りに進んだのです。東側の砂浜(Baigh Bhatasaigh)を最初に進みたかったのです。砂浜を出る頃からお天気が悪くなり始めました。ルートはまた途中まで指標が分かったのですが、南側へ向かう途中で見失いました。南側の海岸(Bagh a Deas)に出るまでは湿地帯の中をウロウロ。足が沈み込むのです。結局丘の上の方まで適当に進んで南側の海岸に出ました。お天気は更に悪くなりました。南側の海岸からはSandray島が直ぐ近くなのに霞んで見えました。本来ならそこから西へ向かうのですが、あまりのお天気に諦めました。この島の唯一の村を通って砂丘に挟まれた道路に出ました。そこでフランス人が何と私に道を聞いてきました。手にはフェリーの切符があります。どうやらArdmoreのフェリー乗り場が分からないようです。もう1つの手に持っていたガイドブックの地図が古くて分からないとか。私の持っている地図も古いのですが、細かいのでそれで教えてあげることに。それなら、自分たちの車の中で、ということで彼らのキャンピング・カーに招待されました。ひとしきり説明した後、教えたお礼に紅茶か珈琲を飲むか?と聞かれたので、フランス人なら(紅茶はやめて)珈琲をと。そうすると豆を挽き始めて…インスタントと思っていたらそんなことになってしまいました。これから北へ向かうので宿まで乗せていっても良いと言ってくれましたが、西側(Bagh Siar)の海も見たいし、風はひどいけど雨は小降りだったので断りました。でも、タイミングの良い休憩になりました。
西側の海を見た後引き上げようとして、再度Vatersay Walkの地図を確認すると、何とパスしたルートにスタンディング・ストーンがあるのです。お天気はひどいけど、時間的には何とかなるので今度は順路通りに進みました。途中、Vatersay Houseなる廃墟を眺めつつ目的のものを見つけました。しかし、その周りには牛がたむろしています。結局近づけずに、確認しただけで引き上げました。
写真はその帰りに見た眺めです。左側が西海岸です。この時点でお天気が悪い日曜日の夕方、さすがに誰もいません。根性を決めてCastlebayに向かって帰っていました。Heishival Beagを回った所で母娘の車に拾われ、Castlebayまで。そしてFisherman's Massの名残を見ることになったのです。


Mingulay

Outer Hebridesの島はBarra島&Vatersay島が南端ではなく、その南にまだいくつかのある程度大きい島があります。現在は無人島ですが、これらの島々を巡るボート・ツアーなどで訪れることが出来るようになっています。中でも南から2つ目のMingulay島は(宿のおばさん曰く)”最近、Mingulay Boat Songのおかげで人気がある”とのこと。この歌がそんなに有名とは知りませんでしたが、私もこの歌(メロディ)に惹かれた一人です。
ボート・ツアーの案内はあったもののツーリスト・インフォメーションで聞くと個人で申し込むようにとのことで、仲介してくれません。ただ、宿の人に頼んでみたら?というアドバイスを頂きました。そこで宿の人に聞くと、船長夫婦が友達だからと電話をしてくれました。お天気を見て行ける時に電話をくれるとかで、翌日の朝に連絡が来ました。
この日は、2回のツアーを行っていました。1回目は10時出発で、私は2回目の11時半発(実際は12時20分)でした。ツアー時間は約7時間。1回目の客をMingulayに上陸させ、2回目の客を迎えにCastlebayに戻るのです。そして、2回目の客をMingulayに上陸させた後、1回目の客をCastlebayまで送って、その後2回目の私たちをMingulayに迎えに来るという段取りです。船長と助手(がっしりした体のお兄さん)はとっても働き者です。
Mingulay島
Mingulay Tom a' MhaideMingulayはOuter Hebrides周辺の島々の中では2番目に大きい島で、Barra島の南に位置していて、パフィンや黒い足のツユビカモメ、海に面した崖に巣を作っているオオハシウミガラスを含む貴重な海鳥の群れがいることで知られています。
島には鉄器時代の遺跡があり、島の文化は初期キリスト教とバイキングに影響を受けていました。15世紀から19世紀まで、MingulayはBarra島のMacNeil氏族が所有していましたしたが、その頃は地主が不在であるということに苦しんでいました。
200年以上も居住が続いた後、島は1912年に居住者によって放棄され、それ以降無人のままでした。その時には羊の放牧に使われていました。また、島が放棄された後の1938年に作られたMingulay Boat Songはこの島に関係しています。The National Trust for Scotlandが2000年以降Mingulayを所有しています。
Mingulay Gunamul世紀の変わり目には島の人口は140人で、島民の共同体は自分たちの島からの生活に必要なものを調達していました。約30世帯は家に住み、その名残は現在も見ることが出来、保存状態も良いのです。St Columba礼拝堂と呼ばれている建物は1898年に建てられ美しい祭壇がありました。その祭壇は、現在Barra島CastlebayのSea ChurchのOur Lady Starの脇に置かれています。1881年に建てられた学校は現在は屋根がありませんが、19世紀のMingulay共同体がここがもたらしたものが適切であったことを示しています。
Mingulayの殆どの人々は1908年と1911年にはVatersayに移住し、その時点では6世帯のみが残され、彼らが孤立して生き延びるは不可能となりました。ついに1912年に19世紀の一種の象徴とされる島の土地を離れて、移住しました。
島へのアクセスは夏の数ヶ月でも難しいです。訪問したい方はBarra島のツーリスト・オフィスで情報が入手できます。
ボート・ツアーではMingulayに上陸する前に、先ず西側の崖を見せてくれます。西側の崖は非常に高くて、切り立った岩を見上げることになります(写真左上)。自然に出来た岩のアーチもあります。岩と海が入り組んだ状態なので静かな日でもこの岩の間はボートはかなり揺れます。日が差す岩場にはアザラシがいました。
ボートは再び東海岸へ引き返します。島唯一の砂浜を通り過ぎるので、上陸なし?と思ったのですが、その端にある岩場が桟橋の代わりになっているので、そこまで近づくためでした。ボートは直接つけることが出来ないので、係留してあるゴムボートに乗り移って上陸します。上陸する岩場はかなり急なんです。足を乗せたのは良いのですが、その先の段差が大きくてリュックの重さが加わって上がることが出来ませんでした。情けない…先に上がった男性が手をさしのべてくれたので、助かりました。帰りもこの岩場でしたが、別の方向からも近づけたので、助けは要りませんでした。
先ず、岩場の上方に上り、辺りを眺めると同時に近くで鳴いている鳥達を探しつつ、ひとまず休憩していました。次に西側の崖を目指して登りました。途中、あちこちに石が並んでいるのを見ました。これは古代遺跡ではなく住人がいた頃の土地の境界線でしょう。崖の上に到達した所で北側の海に並ぶ島を眺め、引き続き今度は南側にある島の最高峰を目指しました。適当に歩いていると上空からハヤブサ(または何らかの猛禽類)の攻撃に遭いました。どうやらこの鳥のテリトリーに入り込んだみたいでした。急いで走り抜け、やっと最高峰の手前にあるTom a' Mhaideという入江(Bàgh na h-Aoineig)の崖に到達しました(写真右上)。ここまでかなりの時間を食ってしまい、最高峰までは登ることが出来ないことに気付きました。でも、まだ時間があったので、この崖の向こうの途中まで進みました。崖の下を恐る恐る見ると崖には水鳥たちが巣を作っていて、辺りを飛び回っていました。
下りは側の小川に沿ってパスがあったので進みましたが、もうちょっとで砂浜に着くという所で水仙の群生にぶつかり、どこを進んで良いのやら分からなくなりました。やっとの事で砂浜に到達しました。その砂浜を見ると、人間と鳥の足跡が十字に交わって出来ていました。砂浜の上で暫く海の香りを満喫した後集合場所の岩場に戻りました。しかし、まだボートは(第1陣を送ってきた後)帰ってきていませんでした。そうする内に近くの海で動くものが…アザラシたちです。彼らはボートが来るまでずっといました。見送りをしていたようです。
Mingulay Dunes
崖に向かう途中で振り返ったMingulay Bayと島唯一の砂浜;砂浜の右側に集落跡があります
このボートの往復はSt Kildaのツアーに比べると楽でした。島沿いに進むために陸地は常に見えていて、その変わりゆく景色を眺めているため船酔いの心配もありませんでした。行き帰りとも飲み物のサービスがあり、また帰りには船主のおじさんが作ったDVDを売っていました。お代は気持ちで…ということで、私ももらってチャリティ・ボックスに持ち合わせのコインをいくらか入れました。他の人を見ていると、紙幣も入れていました。皆さん、結構な額を払っていたようです。
このツアーは土曜日、この周の火曜日にはSt Kildaへのツアーに行っていたので、1週間に2回もボート・ツアーに参加したことになります。実はボート・ツアーはこれで終わりでなく、まだ後でも参加していました。今回の旅は水(海)にとっても近かった旅でした。
Outer Hebridesの南にあるその他の島々
ボート・ツアーで眺めた島々をご紹介しておきます(北から南の順)。現在は全て無人島です。
<Sandray>
Sandrayは決して多くの人が住んでいたわけではありませんが、1934年から無人島になっています。現在は大型の海鳥の巣があることで知られています。
島の最高峰はCairn Galter(207m)で、中腹に砦があるようです。南東側に小さい砂浜があります。島の北側はVatersay島の南側に面していて、お天気が悪くても見ることが出来る程近くにあります。
<Pabbay>
Pabbayの名前はノルマン語の”Island of the papar”という意味のPapeyから来ています。たった250ヘクタールに、沢山の人は住んだことはありませんが、1897年5月1日に荒れ狂う嵐で熟練した水夫達が釣りの最中に亡くなった後、20世紀初頭に見捨てられました。
The National Trust for Scotlandが2000年から島を所有しています。島にはたった2頭の羊が残され、他の永住しているほ乳類が僅かにいるだけですが、夏には多くの地面に巣作りする鳥達がいます。島はケルト文化遺産の場所でもあり、ピクティッシュ・ストーン(Symbol Stone & Cross Slabs、南東の斜面にあります)がその時代の名残です。鉄器時代の住居の名残も見られます。
此島はMingulayの直ぐ北に位置しています。その間の海峡(Sound of Mingulay)には3つ並んだ岩礁があり、ボートから見ていると方向によっては1つになったり離れたりと面白い眺めを楽しませてくれていました。
<Berneray>
BernerayはBarra Headとして知られています。Outer HebridesではBarra群島の一部となっています。
元々Barra HeadはBernerayの最南端の岬を指していただけで、(南西の崖の上に)灯台がありましたが、現在は島全体に対するもっとも一般的な名前になっています。灯台はRobert Stevensonによって建設され、1833年から稼働しています。1931年から、島は灯台守とその妻達だけが住んでいました。現在灯台は自動化され、島は完全に無人となっています。
Mingulayの西側に行く時にこの島に近づきます。灯台もよく見えていました。
Mingulayでの集合時間は5時半。Castlebayから宿までの最終バスは4時半ですから、どんなにボートが早く戻っても(バスに乗るのは)無理な話です。そこで、宿の人が船長に私を宿まで送ってくれるように計らってくれていました。この点がこの宿に泊まった唯一の利点でした。船長とは余りお話しできませんでしたが、日本に行ったことがあるとか。それも長崎に、です。

  1. Visit Hebrides(英語):Hebrides諸島のValley Tourist Boardのページです。
  2. Barra and Vatersay Historical Society(英語):Barra Heritage Centreのオフィシャル・サイトです。
  3. Caledonian MacBrayne(英語):Caledonian MacBrayneのオフィシャル・サイトです。
  4. Barra Fishing Charters(英語):Mingulayへのボートツアーを催行しているツアーのオフィシャル・サイトです。
  5. Mingulay Boat Song(英語):Migulay Boat Songのちょっとした解説と歌詞が載っています。
  6. Welcome to the Islands of Barra & Vatersay(英語):Barra島およびVatersay島に関する情報ページです。
  7. Explore Isle of Barra(英語):ExploreサイトのBarra島に関するページです。ツアー・ガイドのリーフレットがPDFファイルで入手(現地でも印刷物があります)できます。