& Berneray
ここも前回の旅行でひどいお天気に合い、殆ど見ていない状況でした。それで、ここもお天気を考えて5泊することに。宿も何とか交通の便が良いLochmaddyに旅行前に確保できていました。その中で是非訪れたかったのは塚とストーン・サークルがあるLangass、そして、このHPの名前を頂いたTaigh
Chearsabhagh博物館)への再訪でした。
Barra島からはバス-フェリー-バスの乗り継ぎが便利になっていました。しかし、出発の前の夜に宿の前にいつ頃バスが来るのか分からず、時刻表を確認していました。Castlebayを10時半過ぎに出るバスなのですが、これが実は西回りで宿の前は通らないことに気付きました。更に確認すると、先ず東回りのバスに宿の前から乗り、一旦Castlebayに出て、その後フェリー乗り場に行くバスに乗ることが出来ることが分かりました。時間的には全く問題ありません。Castlebay30分滞在のおまけが付きました。その時間、ちょっとした買い物もしていました。
バスはフェリー出発ギリギリに到着しました。Eriskay島に到着後、まずはポストバスに乗り、その後コーチでLochmaddyまで行く予定でした。しかし、ポストバスが道路工事と他の客を行きたい所まで送っていっていたため、乗り換えのバスに遅れました。私のミスではありません。そこで、時刻表を確認して、運転手の説明も聞いたのが、Benbeculaの空港近くの郵便局までこのポストバスに乗って、その後別のポストバスまでLochmaddyに行く、ということでした。今回は、予定より2時間遅れの到着ですが、宿の予約もあり、到着時刻も4時過ぎなので、全く問題はありませんでした。ポストバスは集配のついでに人を乗せています。ですから、最初のポストバスは郵便物を集荷するついででした。そのルートにある田舎道にぽつんと立っているポストから回収していました。以前あんな所のポストに投函してもちゃんと届くのか心配したことがあったのですが、郵便屋さんはちゃんと集めていたのですね。また、近くにポストがない家では、バスが通る時間に外に立っていて直接渡していました。集配作業では幹線道路でなく、村の中の道を通ります。そして、単眼鏡を落としたOrmiclate
Castleの側も通ります。落とし物は時々側の柵に掛けてあることがありますが、さすがに1週間近く経っているのでそんなことは全く期待していませんでしたが、何となく目をこらして眺めていました(やっぱりありませんでしたが)。
Benbeculaでは1時間程の空き時間がありましたが、丁度良い時刻で側のレストランで昼食を取りました。次のポストバスには私が乗ることの連絡をしてくれていて、更に通しの切符ももらっていました。こちらはちょっとした配達があったようでしたが、老婦人を1人途中で乗せて降ろし、後はそのままLochmaddyへ。宿の駐車場まで送ってくれました。普通のバスは宿に入る前の道までです。コーチに乗っていたら幹線道路で降りるので、更に歩いたことでしょう。この場合ポストバスになってかえって良かったのかも知れません。
宿ではご夫婦で、一生懸命覚えたと思われる日本語で、出迎えてくれました。後で知ったのですが、日本人の知り合いもいたり、前に1人泊めたこともあったそうです。新しいB&Bでちょっと高めですが、おもてなしもよく、朝食にはベジタリアン・ソーセージもあり、今回の旅の中では一番良かった所でした。
Isle of North Uist
前回も滞在しましたが、たった2泊で、2日目に島を回ったのですが、ひどいお天気でバスに乗ったまま島を一周しただけでした。翌日の移動でお天気が良かったのでもう一度ほぼ同じ所を見ることは出来たのですが、思うように回れなかったことはやはり心残りだったので、今回は5泊しました。ひどいお天気は1日ありましたが、今回はほぼ満足した滞在になりました。 前回わかりにくかったバスの時刻表にも慣れ、バスはここではトラブルもなく、思った所で乗り降りできました。 |
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Taigh Chearsabhagh | |
Lochmaddyにある博物館とアート・センターです。読み方は”タイ・カーサヴァ”。”Chearsabhagh”はこの建物がある通りの名前(英語表記はKersavagh)より取られているようです。アートの展示の他に、カフェ、売店、郵便局が併設されています。フェリー・ターミナルから250m程の所にあります。月-土曜日の10-17時の開館。 前回、ここの島の歴史の展示が良かったので、今回も訪れました。何より、このHPの名前を頂いた所でもあるので、行きたかったのです。読み方も宿の奥さんから聞き、また通りの英語/ゲール語の表記から分かったので嬉しかったのです。それなのに、展示内容が大きく変わっていました。展示はその時のアートのみで、歴史的なものが一切見られませんでした。少し探してみたのですが、残念ながら、なくなったようでした。島の自然の映像が上映されていたくらいでした(かなり退屈)。前回も利用したカフェは広くなって、更に売店には様々な記念品が並べ立ててありました。商売根性だけはたくましくなったように感じました。 展示館の中ではないのですが、戸外にUist Sculptureと題したオブジェの展示もサポートしているそうです。場所はSouth UistのLochboisdaleからBenbecula、そしてLochmaddyの海辺に点在しています。全部で7つで、その内の2つをこのセンター近くの海岸で見ることが出来ます。 |
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North Uist島の古代遺跡 | |
<Barpa Langass Chambered Cairn> Beinn Langais(91m)という丘の中腹にある石室のある石塚です。Langassは英語表記のLangaisと同じく”ランゲイス”と読みます。 中石器時代の始まり Outer Hebridesに人がいたもっとも初期の証拠はUistのこの場所にあります。石器時代中期、または中石器時代には、狩猟人や採集人の小さな集団がLangaisの斜面のここに季節的に野営をしていました。彼らは地面に小さな杭穴を掘った跡を残している小屋を建て、火を点していました。ピートを燃やしていた灰がありました。彼らはアザラシと鮭を捕るために十分な強さであり、皮をはがして服を作るための石器を作っていました。 ある時、島の野生資源のこの収穫者達は農耕者になるための最初の段階を始めたのです。さらなる定住生活を取り入れることは焼き物のような新しい贅沢品が可能になりうることを示唆しています。発掘中に見つかった非常に美しい小さな壺は新しい石器時代、または新石器時代の文化への移行を証明しています。 地上、空、そして先祖 パスを登るとBarpa Langassの石室がある塚に辿り着きます。このような墓は新石器時代の農耕の共同体によって、多くの島の全土に作られていましたが、Outer Hebridesではもっとも良い状態の例です。最近の考古学者によって調査されたことはありませんが、5000年頃前に作られた遺跡の一群に属しています。従って北ヨーロッパで作られた初期の建造物の1つなのです。直径約25メートルで、エジプトのピラミッドのように、内部に小さな埋葬室を設けて、周囲の眺めを見渡す所に沢山の量の石で作られています。しかし、(ピラミッドとは)対照的におそらく一人の指導者のためではなく、共同体一族の安らぐ場所として提供されていました。これらの墓の多くには当時の日の出または日没に向いている側道がありますが、Langaisの入口は丁度南東を向いています。 1世紀以上前に、陶器や木炭、火葬された人骨が床の上に散らばった状態で見つかっています。墓が何千年もの間使われ続けたことを示す広口の陶器の破片もありました。その時代にBarpa Langassの塚は地域の共同体のための儀式や記念の対象物として残されてきたに違いありません。彼らは牛や羊を飼い、小麦や大麦の原種のものを育てることによって生活していました。肥沃な土壌と温和な気候は彼らにとっては根本的な重要性を持っていました。彼らが住み着いた世界は、ピートに覆われる以前は広大な森林で、今日のUistとは全く違っていました。先祖と彼らの偉大なる遺跡は不可欠な一部でした。 中石器時代の野営の建設は道が拡張される以前の2006年の発掘での物証を元にしています。表面には、6000年後もその位置に見られる一種の’アンビル(鉄床、カナトコ)’石があります。 前回、この存在を知りながら行くことが出来ずに悔しい思いをしていました。今回は真っ先に訪れようと、宿の奥さんが何処へ行きたいのか尋ねてきた時に答えました。バスからちらっと確認できたのですが、歩いては無理なことが分かりました。それで、何処で降りればよいかを尋ねたのです。当日運転手に場所を口答で”ランゲス”と言ったら、他の乗客が”ランゲイス”と正してくれました。有名な所なのでそれで直ぐに分かってくれたのですが、いざ降りる時ロッジに行くのかも聞かれました。同じ名前で塚とロッジの2つがあり、ちょっとだけ離れているからです。塚の方が手前なので、止まったその場所で降りました。駐車場があり、そこから塚までのパスがあり、迷うなんてことは全くありません。しかも、目的の塚は見えているのですから。 石室があるのですが、その入口(写真中央のヒースが生えている下の黒い部分)は確認できるものの、あまりに小さくて中に入ることは出来ません。無理矢理入ると石積が崩れそうでかなり危険です。仕方ないので、覗き込んだのですが、奥がどうなっているかよく分かりません。手持ちのペンライトを使ったのですが、あまりに暗くて役に立ちませんでした。デジカメで撮ってある程度までは確認しましたが、奥に広い部屋があるかどうかまでは確認できませんでした。でも、今回ここを訪れたことだけでも満足していました。 |
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<Pobull Fhinn Stone Circle> 英語の表記は"Finn's People"または"Fingal's People"とか、"the White People"とされます。時には地元では"Sornach Coir' Fhinn"や"the ring of Fingal's Furnace"とでも知られています。その名前は伝説上の英雄"Fionn mac Cumhaill(フィン・マックール)"に由来しています。 この島のいくつかのストーン・サークルの内では、Pobull Fhinnはもっとも目立っているものです。Ben Langaisの南斜面にあり、おそらく紀元前2000年くらいまでには遡ります。正確には円と言うより楕円状で、東西に120フィート(約36.6m)、南北に93フィート(約28.3m)に広がっています。自然の台地上にありますが、囲まれた北側の部分はは約4フィート(約1.2m)まで掘られていました。少なくとも2ダースの石を数えることができ、内8つが北半分、16が南半分にありますが、サークルの一部は石が欠けています。サークル内東側の約4フィートの位置に1つの高い石があり、西の端を越えた約7フィート(約2.1m)の所には2つの崩れ落ちた石板があります。 ロッジの裏に当たる所にあります。しかし、Barpa Langassから一旦駐車場に戻り道路に出るのではなく、Beinn Langaisの頂上(東方向)に登り、そこから下ると丘を回るパスになります。その先にこのストーン・サークルがあります。おそらく殆どの人はこのパスを利用して2つの遺跡を訪れていると思われます。そんなに険しいパスではありませんが、塚から頂上まではパスがはっきり分かりませんでした。途中、水たまりのような所がありましたが、橋(?)が渡してあるので、その前後は何となくパスが分かりました。距離にしても大したことはありません。頂上は周りに高い所がないので360°のパノラマが楽しめます。頂上から下る途中、東の入り組んだ海と陸地、その先に見える山(North & South LeeとEaval)の眺めがあまりに美しくて、暫く近くの石の上で座っていました。この石、何となくドルメンのような気もするのですが…雲がかなりかかってきたので、日が差すまで粘って写真を撮ろうとしていたのです。残念ながら、雲が切れることはなく、精一杯の状態で写真を撮り諦めて、このストーン・サークルに向かいました。 このサークルの石達は高さが低いものが多いため、周りのヒースに飲み込まれているようでした。外側はヒースが生い茂っていて、中からしか見ることは出来ません。中もヒースが茂っていますが、大勢の人が歩いているので、道が出来ていて多くの石に近づくことは出来ます。 バスが通る幹線道路にはロッジを通って出ました。ロッジまでの道は整備されているので、こちらも迷うことはありません。幹線道路に出ると、Barpa Langassが見えていました。バスを待っていると、通りがかりの老夫婦がTaigh Chearsabhaghの横のセンターまで乗せてくれました。お二人はそこに用事があったらしいですが、私にとっても次の訪問場所だったのでとっても都合が良かったのでした。 |
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<The Udal Archaeological Settlement> 約3000年前の新石器時代からの居留地です。 20フィート(約6m)の深さの考古学的成層の中から出土しました。砂に埋もれていて、最上層は1680年代に見捨てられた居留地でした。そして、その下の層は上から中世の居留地、バイキングの居留地、ゲール人の'figure of eight(数字の8に似た形)'の居住地、3つのwheelhouse(操舵室?)、そして青銅器時代の塚と新石器時代の住居が最下層となります。 この遺跡は北東の砂丘の中にあります。道順は先ず幹線道路のA865からGreinetobhtという村を通り、行き止まりまで進みます(そこに駐車場があります、車はここまで)。そこから、Machair Leathannという北東に突き出た半島を進みます。駐車場から半島への道はTràigh Earという広い砂浜に面するパスです。半島の北側の砂丘の手前にパスがあります。かなり歩いた所のUdalと呼ばれている地区にこの遺跡があります。 前回の12年前に買った地図にはこの遺跡は載っていませんでした。新しく作られた詳細地図には載っています。新しく発掘調査が行われているのか、古代遺跡のリーフレットにも載っていないものがあります。手に入れたいくつかの資料の中にこの遺跡のことが書いてあったので、訪れてみました。現地には案内もないので、この遺跡が見つかるか心配でしたが、かなり歩いた後にちょっとした石積を見つけ、更にタイミング良く2人の女性が現れ、そこが目的地であることを教えてくれました。遺跡はその石積だけでなく、周りにも散らばっているとか。その内もっと詳しい案内が出来ると思います。 この遺跡へはバスはGreinetobhtの入口で降りました。村を抜けて見たのは美しいTràigh Earとその向こうに見えるNorth Uistの北部やBernerayの山や丘でした。お天気が良ければHarris島の山も見えます。その壮大な景色もおまけで楽しむことが出来ました。また、Machair Leathannの北側の砂丘を越えると、その向こうにはTràigh Iarという砂浜が細長く延びていて、大西洋に面しているため波が荒く、サーファーには人気のようです。帰りに見た時は子供が泳いでいました。そんなに暖かくもないのに…この北側の砂浜を西に向かうとTràigh BhalaighやVallay(ゲール語名Bhalaigh)島を眺めることが出来ます。ただし、満潮が近づくとこれらの砂浜は海水に沈むので注意が必要です。 |
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Balranald Nature Reserve(RSPB:Royal Society for the Protection of Birds) | |
島の西側にある自然保護区です。ヨーロッパの絶滅危惧種であるハタクイナの生息地として有名な所です。保護区の農地を通る周回の自然道は3マイル(4.5km)あり、2~3時間で回ることが出来ます。その道は豊富な野生の花々が咲く原野を抜け、鳥が多く生息している岬を回ります。ツル・サギ等の渉禽(ショウキン)類の鳥から捕まりにくいカワウソまで多くの野生動物を見ることが出来ます。インフォメーション・センターではハタクイナと他の野生動物の保護のため農業における伝統的な小作農の重要性が展示されています。 朝、Lochmaddy辺りは雲がかかっていたのですが、西の空は晴れているようでした。そこで、西海岸をメインに島を回ることに。その最初の目的地がこの自然保護区。バスもうまく乗り継ぐことが出来ます。最初のバスは前日と同じだったので、運転手に”今日は何処へ?”と聞かれました。乗り換えのClachanではその日によって乗り換えが違うのですが、この日は乗り換えなし。他の乗客は全て乗り換えていました。運転手は私の予定を聞き、この後のバスがどんな車体かを説明してくれました。予定のバスは全て異なる運営なのでした。 |
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野生の花々の原野を通って海岸に出た辺りの景色です。海は大西洋。 |
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バスを降りて少し歩くと、インフォメーション・センターがあります。ここで、保護区の説明を見て、そのルートを確認しました。車はこの周りに駐車しています。チャリもです。その先は許可された車両だけが進むことが出来るようです。季節が良かったのか道の両側には野生の花々が咲いて絵葉書の再現をしているようでした。土は殆どが白い砂のようでした。そして海岸へ。海は大西洋です。ここから海岸沿いを通るパスがあり、訪れる人も多いのでパスが消えるということもありませんでした。 大西洋には島影がいくつか見えていました。St Kildaも見えますが、何とその時や12年前の訪問で”見えた!”と思っていたのは全く違うことに後になって気付きました。余りにも島影が大きくはっきりしていて、更にその形が違っていることに気付いたのです。単眼鏡を落としてしまったために、現地でよく確認できなかったのが悔やまれます。ただ、お天気が良い日には確かにSt Kildaは見えるようで、実際この自然保護区から撮った写真をHPに乗せている人もいました。私の写真では水平線に常に波頭のように白く映っている所があり、位置的にもこれがSt Kildaのようです。見間違えたのは残念ですが、何せ現地を訪れているので悔しいとまでは思っていません。 更に進むと大西洋の海岸線を離れ、今度はTràigh nam Faoghaileanという湾に面するパスに出ます。ここで牛の群れに会いました。群れはパスを塞いでいたのです。しかし、私の前後を歩いていた母娘がいて心強く、お二人と一緒に牛が少ない所を回って無事抜けることが出来ました。 |
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Tràigh nam Faoghaileanの景色 |
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この日お天気は西海岸では素晴らしく良く、自然を思いっきり満喫して帰りました。後で宿の奥さんに聞いた所、ここには”スノーボール”と呼ばれる白いフクロウがいるそうです。皆よくこの鳥に会いに行くとか。センターにそんなことは書いていなかった気がしますが、もし行かれる方は地元の人に確認してみて下さい。 | |
Tempull na Trionaid(Trinity Temple) | |
島の南のCarinishという村にある廃墟です。 中世の修道院で、European Significanceのカレッジでもあり、Somhairle (Somerled)の娘Beathagによって設立されました。1350年頃から1390年まで島々の領主のJohnの最初の妻であるAmie nic Ruariによって拡張が行われました。16世紀に再建が行われました。再構成後に破壊されました。後に19世紀にDotair Banによって再建されました。 前日の夕方から間断なく降り続いた雨のおかげで、出かけるのも大変でしたが、午後になって何とかいけるかも知れないと島の南の方へ出かけてみました。そこで目的地に選んだのがこの廃墟。歴史的にもちょっとのことはあるようだったので、廃墟になってはいますが見たくなったのです。バスは丁度この入口で降ろしてくれ、そこからもこの廃墟が見えていました。遊歩道も整備されていたので周りの湿地帯にはまることもなく着きました。囲いの中に入ろうとすると、周りに群生しているアイリスを抜けなければなりませんでした。囲いの入口と思われる所から入っても片側しか覗けません。中は草ボウボウで壁が危険な状態でした。もう一方の部屋を見てみたかったので、戻ろうとした時にそちらへ向かうと、アイリスの群生の向こうにちょっとだけ整備された所がありました。そこまで行くとちゃんと見ることが出来るようになっていました。そして覗いた部屋は草が綺麗に刈られていました。部屋の真ん中に何かの記念碑が立てられていました。 廃墟から戻る途中でまた雨がひどくなってきました。近くのホテルでお茶でも飲もうかと思ったのですが、そこまで行き着く気力がなく、バス停に待合いボックスがあったので結局そこでバスを待つことにしました。近くには道沿いにストーン・サークルもあったので、時間があったので行けないこともなかったのですが、あまりの雨のひどさに諦めました。 なお、バス停からこの廃墟に向かう途中に1601年に戦場となったBlar Chairinis(the Battle of Cairinis)と言う所があります。案内が立っているので分かりますが、何処までの範囲がそうなのかは不明です。この湿地帯一帯がそうなのかも知れません。 |
5泊で実際に島内を見て回るのは4日。1日は雨で殆ど動くことが出来ませんでしたが、最後の日は何とか晴れ上がっていたので、隣の島のBernerayへ行くことに。前回、その時滞在していたアメリカ人にこの島を勧められていましたが、お天気や移動の都合で諦めてしまったのです。今回は1日空いたことと島が土手道で繋がったことで更に行きやすくなっていたのです。土曜日で本数は少なくなりますが、バスも程良い時間に運行されています。ツーリスト・インフォメーションで島のポイントとなるリーフレットを手に入れ、そのルートで歩いてみようと思いました。島は1日で歩き回ることが出来る程の大きさでした。スタートは、バスが折り返すホステルから始め、逆時計回りで歩きました。リーフレットにあったルートはパスがあるものと思って歩いたのですが、実際にはないようなのでかなり困りましたが、最終ポイントにしたSeal Viewing Pointには夕方5時半くらいに着いて最終バスには十分に間に合いました。 | |
Berneray | |
Harris海峡にある2つの居住者がいる島の内の1つです。広さは10.1キロ平方メートルで、Beinn
Shleibheでは305フィート(約93m)、Brove
Hillでは278フィート(約85m)の高さになります。青銅器時代やおそらくそれ以前から人が住んでいたという有力な証拠もあります。島には数世紀に渡って、古代の神聖な場所としてのストーン・サークルやバイキングの居住を示すもの、歴史的な建物が散らばっています。 以下に歩いた順にポイントとなる所を紹介していきます。 |
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東海岸および北海岸:ホステル~Beinn Schleibh
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Beinn Schleibhに向かう途中から眺めた東海岸の景色です |
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西海岸:Beinn Schleibh~ピクニック・エリア 西側には2つのちょっとした島が見えます。この島々の名前は他にも同じ名前の島があるので混同しないようにして下さい。Berneray自体もOuter Hebrides最南端の通称Barra Headと呼ばれている島と同じ名前です。
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西海岸の砂浜から、北西の方向を見た景色です。左側の島がBoreray島、右側の奥がPabbay島、右側は砂丘です。 |
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南海岸:ピクニック・エリア~Seal Viewing
Point 内陸に入って、島の南側から終点としたSeal Viewing Pointまでにちょっとしたものがありました。
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スタンディング・ストーンの側から見たLoch BhuirghとNorth Uistとの間の土手道 |
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最終のバスは折り返しのホステルに行く途中で早々に乗り込みました。戻る時に乗っても良かったのですが、寒さに耐えきれず行きで乗りました。それでも料金は同じです。このバスはNorth Uistの島を一周する幹線道路に合流する所で乗り換えになります。その乗り換えたバスは2日前に島を一周した時に最後に乗ったバスでした。運転手も同じ人で、”Hello again”と言って乗ったら、宿も覚えてくれていて、その入口で降ろしてくれました。バスの本数が少ない島では良くあることでした。 |