& Raasay
当初の予定ではSkye島は既に3回も滞在していたので寄るつもりはなかったのです。しかし、折良くPortreeのAros
ExperienceでRunrigの特別展示が行われることになり、予定に組み込みました。従ってOuter
HebridesからはTarbert(Harris島)またはLochmaddyからUig到着になります。Outer
Hebridesの予定は最初が北のLewis島とHarris島と決めていましたので、当然LochmaddyからUigのルートのなります。フェリーの時刻表をチェックしたところ、日曜日も運行されていて、更にUigからPortreeまでのバスもあります。日曜日はあちこちの展示館などが閉まるので、移動できるならと、日曜日の移動を決めました。出発の2~3日ほど前でしたが、ふとLochmaddyの港では到着も出発もしたことがないことに気付きました。海から見たLochmaddyは経験がなかったので、これもまた前回と異なる経験になりました。
宿は出発前に決めることが出来なくて、Lochmaddyのツーリスト・インフォメーションで頼みました。この時期、混んでいるので取るのが難しいのですが、何とか頑張って取ってくれました。問い合わせ件数は20軒くらいはあったようです。予定は4泊だったのですが、前3泊で坂の上ですが、町の中に取ってくれました。残りの1泊は現地のPortreeで取りました。運良く、最初の宿の直ぐ近くが空いていました。
Lochmaddyは11時半の出発。宿は港から近いのですが、旦那様が車で送って下さいました。それまでは奥さんと旦那さんとで色々話していました。その話の中心がRunrigでした。丁度チェック・アウトの時に持っていったカード・ホルダーのデザインがバンドの30周年の記念のもの。そして旦那様が着ていたTシャツがバンドの”Everything
You See”のジャケットのデザインのもの。この2つでお互いにファンであることが分かり、話が盛り上がったのです。旦那様はバントとのコネクションもあるとかで、退職(警察官です)のパーティでギタリストのMalcom
Jonesが演奏してくれたとか。宿の入口の側の家がCalumのお母さんが住んでいたとか言う裏情報(?)も教えて頂きました。旦那様がこれは持っているか?等と聞いてくるのですが、普通に手に入るのは全て持っているので、ついでに”私は日本ではNo.1のコレクター”と言っておきました(たぶん、実際そうと思っています)。日本ではファンが殆どいないという現実も教えてあげました。私だって彼らのファンにならなかったら、Outer
Hebridesにも足を踏み入れていないと思います。
さて、Lochmaddy-Uigのフェリーは大型で、チケットをオフィスで購入し、徒歩用のスロープを上がって乗船します。諸島内の移動は小型が多く、乗船は車と同じ所を通っていました。チケットも船内で購入なのです。大型船にはカフェがあるので、ここで昼食を取ることができました。Uig到着後、バスは約1時間後の出発。Portree到着後、宿への道を聞くために、日曜日も空いているツーリスト・インフォメーションへ。そんなに大きな町ではないので、これで4度目となる滞在は過去に泊まった宿(5箇所も!)の近くを通ることになります。前回泊まった親切なおばさんの所は既にやっていないようでした。到着が早かったのか、宿には誰もいません。坂の上なので、またトランクを引いて降りて上がるのはしんどかったので、そのまま表で待ちました。その内、宿泊客が戻ってきて、中に入れてくれました。その時、”電話すればよいのに”と言われましたが、携帯を持っていないのにどうするの?中でも暫く待って、宿の人が戻ってきました。その時も電話のことで同じことを言われました。
投宿後、町の中をウロウロ。日曜日の夕方でも車も人も多いのです。それにお店も開いている所が多いし…そして気付いたこと、”Portreeは大都会だ!”
島めぐり
これで4回目の滞在ですが、これまでとまた異なる所や、見逃していた所などをのんびりした予定で回ってきました。お天気はまずまずだったので、1日おまけが出来ました。その日はこれまで島の北を中心に回っていたので、南の方に目を向けたついでに、隣の島Raasayまで遠征しました。と言うわけで、これまでと重複しますが、また違った目線で見ることもできたので、今回の分も紹介しておきます。 | |
The Lump(Portree内) | |
町の南側にあるLoch Portreeに突き出た小さな半島です。ここはいつも滞在の度にちょっとした時間に散歩程度に訪れています。今回も例外でなく、夕方に行きました。中央の広場の側では1羽のウサギが草を食べていました。町のすぐ側なのに人は少ないので、ウサギものんびりしていたようです。そして一回りした頃に外れに塔があることを発見しました。今まで見つけなかったのが不思議です。前回の滞在から新しくできたという程新しくはありませんので、私が気付かなかっただけです。半島の周りを回るパスがあるので、そちらを歩いていたせいかもしれません。中は汚いのですが、塔の屋上にも上ることが出来ます。屋上からはさぞかし眺めが良いかというと、そうでもありませんでした。この半島には木が生い茂っているので、その木が邪魔をして、町の中心部は殆ど分かりませんでした。宿がある坂の上の家並みやその背後にある山(丘)はよく見えます。暇で雨が降っていなかったら、参考程度に登ってみて下さい。 | |
Cuillin Hills | |
前回、麓のSligachanまで(暇だったので)バスで往復してわざわざ行ったのに山頂に雲がかかって見えなかった経緯があります。おまけに翌日宿の窓から見えることに気付いて、前日の行動が無駄になったような気がしていました。今回は、わざわざ行くことは考えませんでしたが、宿から中心部へ向かう途中の坂の上から綺麗に見えました。 | |
The Old Man of Storr | |
なじみ深い眺め 最後の氷河期の間に、今日のアイスランドやノルウェーの数ヶ所と同様に、氷河はSkyeの山の丸い窪みから下って岩を削り取ってきました。古代スカンジナビア人の居住者達が10世紀後期にここにやって来た時、なじみ深い眺めを見つけました。フィヨルド、塔となっている崖、そして氷河の流れによって削られた両側が急な谷です。 ご存じですか? The Old Man of Storrの奇岩は高さが48m(160フィート)あります-それは2階建てバスを11台積み上げた高さと同じ!です。The Old Man of Storrの最初の登頂記録は1955年の故Don Whillansに依るものでした。 氷河時代の植物相 Storrの頂上近くにはスコットランドでは珍しい植物の1つがあります。アイスランドのスベリヒユで、その地方の氷河期の植物相の名残です。この植物は世界中に広く散らばっていて、Mull島、Greenlandの西沿いのDisko島(ケケルタルスアク島)、南米最南端近くのTierra del Fuego(フエゴ島)にもあります。 古代スカンジナビアとのつながり ここに古代スカンジナビア人が居住していたことはこの地域の地名で証明されます。Trotternishは’Trond(古代スカンジナビア人の名前)の岬’、Staffinは’近くの崖の岩の標柱’に由来、Storrは’大きい’、と言うように、全て元は古代スカンジナビア語です。 1890年に、沢山のバイキングの銀製品がここの下の海岸で発見されました。935-940年の日付がある硬貨と銀細工があり、Storr Hoardとして知られているものです。おそらくそこにそれらを隠した古代スカンジナビア人が埋めた宝物を見つけるためにthe Old Man of Storrを指標として使ったのでしょう。 最初の訪問から気になっていたこの奇岩の側まで行ってみたいと思っていました。この奇岩への道の入り口を前回の訪問で確認していました。今回、Portreeに滞在することになった時、ここの予定を入れました。Trotternishを回るバス出入口(横に駐車場がある)まで行けば、そんなに疲れないはず、と思って空模様を確認していきました。人気があるようで、数名の乗客が一緒に降りました。その他、車でやって来た人も多く、駐車場は満車。側の道に溢れた車が並んでいました。 森を抜けるまでは比較的楽な道のりでした。そして、岩場に出た所で、急な崖があちこちあります。奇岩の袂(根っこ)に人がいたので、あそこまで上れるのだ、と思って道を探しました。他に人がいるはずなのに、何故か私の前後にはいなくなっていたのです。あちこち試したのですが、あまりの急斜面に、降りる時のことを考えてやめました。その内にこの奇岩を回るパスがあることに気付いてそちらへ。回り込んだ所に人がいました。その内の数名が奇岩の袂に登っています。比較的こちらが登りやすかったのでした。私も何とか袂まで登りました。とっても風が強くて足元がふらついてしまいました。その時点でまたそこにいるのは私一人。どうしてそんな状況になるのか不思議でしたが…降りて振り向くと、同伴者がいる人は登った証拠写真を撮ってもらっていました。こんな時、一人は淋しく思います。 帰りのバスにはまだ十分に時間があったので、奇岩の周りにあるパスを彷徨きました。北側へ進むと、頂上が平らな小さな台地がありました。ここの上にも登りやすくなっていたので行ってみました。ケルンも積んであります。奇岩を見るとその袂と同じ高さです(右写真)。そして同じように風が強かったのです。ここは東側180°のパノラマが楽しめました。東側のRaasay海峡、Raasay島とRona島、Inner Sound、そして本土(西Highland)が一望できます。また南のCuillin Hillsも見えます。Skye島滞在で毎回気になっていたここの訪問を果たせて、気分良く下っていました。 |
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Storr Lochs Power Station~The Great Switch-on | |
1952年5月31日にPortree Pipe BandがSkye島の最初の立派な発電所の稼働開始時にここで演奏しました。島全体にとってそれは大興奮であり、Portreeで”水力発電の効果を展示”から選択された電灯や調理器具、洗濯機、トースターを全く新しく体験することになりました。 環境に優しいこと この電力はクリーンで地球の資源を減らすことなく永遠に使われる水で発電されています。 最初の7年間、Storr Lochs(Leathan湖とFada湖の2つの湖)がSkye島の殆どの電力を供給していました。現在はScotland北部をカバーするネットワークに切り替えられています。Skye島の需要は、現在Storr Lochsの出力の3倍もあり、このネットワークに取って代わられました。 Storr Lochsでの電力生成 ダムから発電所までの150mを落ちる水力は発電を行うタービンを回すために使われ、その電力はPortreeでのネットワークに加わる電力ラインに供給されました。3つのタービンそれぞれが250以上のやかんを熱するのに十分な800キロワットの電力を作る交流発電機を動かしていました。パスの下に行くとその発電所の窓からそのタービンと発電機を覗くことが出来ます。 線路とStorrの階段 Storr LochsにはSkye島で唯一の実用的な線路があり、Scotlandでは道路の代わりの線路を持つ唯一の水力発電所です。それは、崖が道路にするにはあまりに急なため、資材を運び発電所に設備を降ろすために作られました。たった1つの車両は線路より広く640段を越えるStorrの階段を上下します。現在それは一般の人にとっては安全とは言えません。 The Old Man of Storrから降りた後、次のバスまでは3時間以上もあったので、以前サイクリングした時に見た近くの小さな滝まで行ってみようと思いました。歩いていく内にLeathan湖の端に着きました。そこから左手に行くとダム(写真左)があることは知っていたので、時間もあることだし、とそちらへ寄ることにしました。ダムからまだその先に行く道がありました。ついでに進むと、ダムのパイプラインの全容が見えました。その先に家が1軒あり、そこから先は個人所有地と思って引き返していました。ところが、すれ違ったカップルがその先まで行っているので、再び戻って彼らの後を進むとこの珍しい発電所がありました。上の建物(写真中央)の中から線路が出て、下の建物(写真右)に続いていました。線路脇は立ち入り禁止なので、上からしか見ていません。何となく儲けた気がしました。帰りにはミニバスツアーが着ていましたので、観光ポイントの1つにもなっているようです。 また、この発電所の側では恐竜やその時代の化石も出土しているそうです。下の海岸に降りるパス(階段)もあるので時間があれば行ってみたかも知れません。かなり急で高い崖の上なので、下りは良いとしても登がきついと思われたのでやめました。 まだ次のバスまでは時間があったので、先ほどの滝まで歩こうとしていたところ、Leathan湖湖畔を歩いていると老夫婦の車に拾われました。断っても良かったのですが、その頃はお天気が悪くなり、寒くなってきていたので乗せてもらいました。奥さんがやたら質問してきました。”牛とか羊は飼っているか?”との質問には困りました。日本では普通の人は飼っていません。そんなやりとりがあり、Portreeに入る前に”ここが私たちの家”とそこで降ろされそうになりました。Portreeに行くと聞いたので乗ったのに…そんな手前で降ろされるくらいなら、滝まで行って次のバスを待ったのに…私の困った様子を見て、Portreeの町中まで送ってくれました。今回、車によく乗せてもらいましたが、交通の便が悪くはないここでも乗せてもらうとは思ってもいませんでした。 |
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The Skye Museum of Island Life | |
Trotternish(半島)の北端近くの村Kilmuirにある展示館です。一群の藁葺き家の中に、昔の生活の様子や道具が展示されています。更に、島の歴史のパネルや写真の展示もあります。イースターから10月までの月-土曜日、9:30-17:00の開館。 ここへは最初の滞在時にPortreeからチャリで行ったのです。お天気が良くて汗をかいていました。受付のおばちゃんにビックリされました。今回はそんな元気もなく時間の節約もしたかったのでTrotternishを一周するバスで行きました。降りると既にかなりの客が見学していました。皆さん、車です。全体は変わっていたと思われませんでしたが、受付や販売物は充実していた(というより商売っ気が旺盛になっていた)と思われました。受付のおじさんがちょっとトロかったので、帰りに記念品を買う時にも手間取るかと思ったら、若いお兄さんに変わっていました。 展示館は全部で5つ。勿論1つずつ丁寧に回りました。中の展示でパネルや写真、文書などは撮影禁止になっていましたが、かなりの量の展示でした。2つ目を見て外に出ると団体さんが到着したようで、その後に見ようと思った展示館は一杯。出るのを待って、中に入り、次に移ろうとするとまた別の団体が入っていました。人里離れているのに人が多い展示館でした。ツアーの1箇所に組み込まれているので仕方がないのでしょうけど、人が多い状況に慣れていないので少々疲れました。人が多いのに、帰りもバスに乗ったのは私一人。皆さん車かツアーでした。中にはチャリの人もいましたが。 |
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Kilmuir Graveyard/Cladh Chille Mhoire | |
The Skye Museum of Island Lifeの奥にある墓地です。そしてここにFlora
MacDonaldさんのお墓があります。 Flora MacDonald Skye島からのonnie Price Charlieの逃亡を助けた後、Floraは捕らえられ、Londonに連れて行かれましたが、1747年にSkye島に帰り、1750年にKingsburgh(Trotternishの南西にある村)のAllan MacDonaldと結婚しました。彼女とその家族(5人の息子と2人の娘)は1774年までFlodigarry(Trotternish北部の東海岸の村)に住み、その後彼らはNorth Carolina(アメリカ)に移住しました。(Floraの夫が囚人として捕らえられていた)独立戦争後、彼らはSkye島、この時にはKingsburghに戻りました。彼女が1790年に亡くなった時、3000人もの会葬者が遠く広くからやって来て彼女の葬式に参列しました。Dr Johnsonが彼女の墓碑の碑文を表しました;”彼女の名前は歴史に記されるだろう、そしてもし勇気と忠誠が美徳であるなら、名誉を持って記されるだろう”。この堂々とした石碑は1880年に立てられ、一般の寄付で賄われました。 前回、ここを逃してしまいました。今回、先の展示館よりもここをメインに訪れたのです。地図の表示によってはこのFloraさんのお墓の近くに展示館があるとまで記しているのもあって、Skye島でもかなり重要な場所でもあることが分かります。そんなことから、殆どの人がこの墓地まで足をのばしていました。展示館からもよく見えていますが、この墓地で一番高いのがFloraさんのお墓で、殆どの人が、彼女のお墓を見たら直ぐに引き上げていました。この墓地には他にも島の名士とされる人達(全て男性)が埋葬されているにもかかわらずです。女性で指導者になったわけでもないのに、歴史的には重要な彼女が死後もこんなに注目を浴びているのはきっと素晴らしいからなんでしょう。 折角ですので、他の名士の方々のご紹介もしておきます。 Charles MacArthur Charles MacArthurは島々の領主MacDonald一族の有名なバグパイプ奏者の1人です。彼が埋葬されている場所の石碑の碑文は完成されていません。言い伝えによると、石に文字を刻んだ彫刻家に手数料を払ったその奏者の息子がMinch海峡(Skye島とOuter Hebridesの間の海)を渡っている間におぼれ死んだためと。その彫刻家はそのために支払いがありそうもないと思い、彼は自分の仕事を離れ、2度と戻ってきませんでした。 Angus Martin (Aonghas na Gaoithe) 言い伝えによると、墓地の奥にあるかぶと鎧の姿が掘られている石板は、嘗ては初期のScotlandの王の墓を記したものですが、自身の墓の上に被せるために略奪者の1人Angusによって盗まれました;彼は海岸から背中にそれを担いできたと言う評判が立っています。Angusは、どんな天候でも海へ出かけたという強者のため、Angus of the Wind(風のAngus)として知られています;彼はデンマークの王妃と結婚し、7人の息子を授かったとの噂です。 Dr John Maclean Dr John MacleanはDuntulm(Kilmuirの北の村)のMacDonald一族の内科医だった有名なMaclean一家の最後の人でした;彼は幅広く学んだためDr Johnsonに推薦されました。彼の記念碑の銘板の碑文(ラテン語)には次のように読むことが出来ます”高度な原理や好ましい物腰、健全な判断を好んだように医学にも明るかった、そして85歳で1796年5月1日に亡くなり、全ての人が哀悼したIohannis MacLeanの思い出を尊んで”。 |
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Aros Experience | |
Portreeの町外れにある展示館です。野鳥観察の展示室(有料)、地元の画家によるギャラリー、本からおもちゃなどの様々な品物の売店、レストラン、バー、映画館もある複合館です。レストランは9:00-17:00、売店は9:00-17:30の日曜日も含む常時開館、映画館を除くその他も売店と同様の時間で営業が行われているようです。 ここへは最初に訪れた時は歴史の展示があって素晴らしいと思ったのですが、3回目の訪問でがらりと変わってしまってがっかりしていました。今回は常設店は興味がなかったのですが、Runrigの特別展”Coming Home”をやっていたので行きました。何処でやっているか中には表示がなくてウロウロ。結局有料の常設展に入らなければいけないことが分かりました。中に入り、ほぼ直ぐにこの特別展に向かいました。この展示は前年にLochmaddyのTaigh Chearsabhaghでやったものとほぼ同じです。小さな部屋ですが、壁一杯に彼らのバイオやコンサートのポスターが貼ってあり、中央のガラス箱の中には楽器や機材などが展示されていました。1つの壁ではビデオが上映されていました(約1時間)。このビデオはその前の11月にヒットしたLoch LomondのPVも入っていたので、前年と内容が違っているはずです。先ず壁の展示を読みながら進み、その後私と同じくずっといた親子のお母さんが写真を撮っていたので、私も習って撮っていました。本当はダメかも知れないのですが…お互い様です。そうやってビデオが1巡するのを待って出ました。 特別展に入る前に昼食を取り、出た後は売店でお買い物。特別展をやっているのでバンドの記念品があるかと思っていたのですが、あったのはCD程度。売店の対象はあくまで一般客だけのようでした。やっぱりこのセンターには不満です。 |
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Highland Ceilidh~Skye Scene | |
夏の間Portreeで夜に行われています。曜日によって行われているので、インフォメーションなどで確認しましょう。当日飛び込みが普通です。 滞在最終日の夜、当初は行くつもりはなかったのですが、宿の人に今夜は出かけないのか?と聞かれて、何となく行く気になってしまいました。ギリギリというよりちょっと遅れて入りました。既に司会がお話をしていました。その司会者が何とDaren Maclean君。前回の滞在時に行った時美声を聞かせてくれたあの男の子です。彼の声を聞けるかも知れないと行く気になったのも確かです。それが司会をしているのですから…当然歌も歌ってくれました。前回も感じたのですが、聴衆をのせるおしゃべりもうまかったのです。その他は皆若い子達による演奏で、フィドル、バグパイプ、アコーディオン、Clarsach(ハープ)、ハイランド・ダンス、ゲール語と英語の歌(女の子)でした。ソロとバンドなどのセットが前半と後半で行われます。後半、Daren君の”この中にRunrigファンはいる?”との質問に反応できなくて残念でした。あまりに早口でその内容を頭の中で理解している内におしゃべりが進んだのです。そして”彼らは良いゲール語の詩をいくつも書いている”と言ってその中の1曲”Chi Mi'n Tir”(当然私も知っています)を歌ってくれました。Skye島且つHebrides諸島最後の夜の楽しいひとときになりました。 |
Skye島滞在は4泊、実働3日ですが、最初の2日にお天気もまずまずだったので予定を消化してしまいました。そして残りの1日をどうするかと考え、今度は北側でなく南か西側へと考えましたが、1日過ごすにはポイント(南のArmadaleを除く)が少なすぎます。そこで、目に入ったのが本土との間にあるRaasay島。資料が分厚い本くらいしかなかったのですが、ウォーキング・ガイドの小冊子(有料)を見つけその中にこの島が載っていました。場所は港近くなので、歩き回るには丁度良いくらいでした。バスとフェリーの乗り継ぎは余り良くないものの、本数は十分だったのでPortreeからの日帰りにはもってこいでした。 さて、バスに乗りSconserのフェリー乗り場まで。途中工事のため渋滞で遅れたものの、元々乗り継ぎが良くないので、次のフェリーには十分時間がありました。ここのフェリーもチケットは船内で買います。勿論往復切符です。船室はなく、船の両側にベンチがある程度ですが、眺めは良いです。帰りのバスもフェリー到着の直前に出発という時刻表でしたが、幸い(?)に遅れていて15分くらい待ったところでバスがやってきました。 ここでご紹介するのは私が歩いた範囲なので、島のごく南側だけです。車やチャリならば島の北の方まで行くことが出来ると思います。 |
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Raasay島 | |
Skye島の東海岸に位置しています。定期のカー・フェリーがSconser(Sligachanの東約2マイル(3.2km))から運行されています。所要時間は約15分。 RaasayはSorley MacLean(Somhairle MacGill-Eain)-Oskaig(島の南寄りの西海岸の村)で生まれたScotlandの20世紀最大の詩人の一人-や1773年にHebridesの旅行中にこの島を訪れたBoswellとJonsonが思い出されます。2人はDùn Caan(443m)の頂上でリール(ダンスの一つ)を踊りました。もし彼らを真似したいと思えば、ブランデーとパンチを持っていきましょう(お薦めできませんが!)。 |
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The Old Railway Walks | |
フェリーはEast Suisnishに到着します。このルートはそのフェリーの船着き場の直ぐ近くから始まり、ほぼ直線に北へ2.5km進みます。嘗ての鉱山用に建設された鉄道跡を利用したルートなので真っ直ぐに伸びているのです。ルートの始まりはその鉱山の名残の建物の側のパスを進み、ホーム跡から始まります。そこまでに鉱山用の建物を眺めながら、廃坑の空しさを感じながら歩いていました。右の写真はその廃坑となった建物(住居ではない)をフェリーから眺めた景色です。坂の上にある建物がホームがあった辺りです。 ホーム跡から少し進むと向こうからご夫婦がやって来ていました。すれ違いに苦労する程の幅ではないのに、なかなか彼らがこちらに進んできません。私を待っているようでもなくて…横を見ると、柵の向こうに2頭の豚(野生?)がいました。人恋しいみたいで、近づこうとしています。自然の中で暮らしているためか、毛の色がとっても明るく、艶も良いのです。それに餌も口の周りには全く付いていません。豚って、こんなに綺麗なのね。かわいいので暫く見て歩き出すとその1頭が付いてきました。心和むひとときでした。 |
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その後、一直線のパス(左写真)を進みますが、時折泥濘に出会いました。その時は必ず横に歩くことが出来るような場所がありました。そうやって森の手前まで歩きました。森の中にこのパスがあるようには見えなかったので、左手に進むようなパスらしき所を進みました。その先にはゲートがありました。森の手前にもゲートがあったようでしたが…そのゲートを抜けると、右手に森の中へ進む標柱がありました。念のため少し進むと、先ほどの一直線のパスの続きに出たのです。さっきの所を突っ切ってくればこんな遠回りをすることもなかったろうに…余計なことばかりしているようでした。そして、森の中を進むと、目の前に谷が現れました。嘗ての線路は橋が架けられていましたが、今はそれもありません。ただ、橋桁だけが残っていました(右写真)。ですから、現在ここを進むには一旦谷へ降りてまた登ることになります。結構きついです。更に歩いて暫くするとこのルートの終わりにある鉱山跡に着きました。現在は木材の切り出しも行われているようです。ここで休憩。 ここからどちらに行こうか迷いました。島の最高峰Dùn Caanの頂上に行くか、東側の海岸North Fearnsまで出るかです。頂上へのルートは道が余り良くなく、誰もいない状態だったので、車も通る東側への道を選びました。North Fearnsには海岸沿いにウォーキング・コースがあるので、そこを歩いてみようと思ったのです。 |
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Hallaig Walks | |
Hallaigは無人となった村で、記念碑のケルンとSorley
MacLeanの詩によって特別なものとなりました。このルートはNorth
Fearnsから出発し、海岸沿いのパスを進みケルンを通り、Hallaigの廃墟までの道のりです。帰りはBeinn
na'Leacの丘に登って下りSouth Fearnsに出ることも出来ます。片道は約4kmです。 普通ならばそんなに厳しいコースではないのですが、私の場合、先ずNorth Fearnsまでも歩かなければいけません。The Old Railway Walksの終点からNorth Fearnsまで4km弱、1時間近くかかります。この間に通った車は郵便屋さんのバンのみ(そのかなり前に歩いている女の子とはすれ違いましたが)。やっとスタート地点に着いた先は両側にシダが生い茂るパスでした。時々道を塞いではいますが、見失うこともなく進みました。17時のフェリーに乗りたかったので、途中で引き返すことになります。それで何処まで行けるか時計とにらめっこしながら歩いていました。眺めが良い所で引き返そうかと思った所に、向こうからカップルが現れました。こんな所、他にも歩いているんだ、と思いながら、終点のHallaigの廃墟は無理でも、その前のケルンまでは行こうとしたのです。そして、海側に廃墟のような代物が見えました。これがケルン?その時まで、ケルンが遺跡のchambered cairnのcairnと勘違いしていたのです。その遺跡らしきものに立って北側を見た時、最高峰のDùn Caanの頂上が見え、その周りの景色が壮大であることに気付きました。ケルンには納得できずにその景色に惹かれて更にその先に進みました。少し先に記念碑(左写真)を見つけました。帰りのフェリーの中で、実はこの記念碑がケルンであることを確認しました。パスの真ん中にあります。ここでやっと引き返すことに。そこから見た北側の景色が右写真です。パスはもうちょっと先に続いています。 急いで引き返す途中でも、先ほどの遺跡もどきや東側の海Innser SoundとScotland本土の景色(写真下)を写真に撮っていました。North Fearnsに戻ると、パスの入口にあった車が1台なくなっていました。先ほどのカップルのものらしいです。車の人は良いな…そんなことを思いながら進みますが、平坦ではなくちょっとした登りです。峠にピクニック・ベンチがあるので少し休憩した後、先を急ぎました。出発点のThe Old Railway Walksの終点に戻った時に、そちらではなく車用の道を進むことにしました。こちらの方が楽なのです。ちなみにここまで車は1台も通りませんでした。 |
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さて、フェリー乗り場までは歩いたことがない道を進みますので、いったいどれくらいかかるのか分かりませんでしたが、島最大の村Inverarishに着けばだいたいは分かると思いました。その村までの道は森に囲まれて、数件の家や車も止まっていました。村に入る前に分かれ道がありました。そこから北へ西海岸沿いに進む道です。フェリー乗り場は左の南方向です。村のちょっとした集落を抜けるとRaasay海峡沿いに歩くことになります。そこで17時発のフェリーがやってくるのが見えました。何とか予定の時間に間に合いそうでした。村からフェリー乗り場は思ったより遠く感じましたが、フェリー出発の5分前に到着しました。North Fearnsまでの道の途中から上半分が見えたSkye島のMeall a' Mhooil(284m)の全景が見えています(写真右)。壮大な眺めです。行きのフェリーはそんなに乗客はいなかったのに、帰りは結構いました。キャンプ帰りの若者もいたようです。そしてSconser到着。乗り継ぎのバスは既に出発しているはずですが、フェリーから見ている限りは通った様子はありません。期待通り遅れてくれて、待ち時間を節約できました。 |