& Linlithgow
旅の最終地は必ずフライトの関係でGlasgowかEdinburghになります。特に何もなければGlasgowの方(宿代と交通のため)を選択していますが、今回は丁度Edinburgh
CastleでRunrigのコンサートがあるため、Edinburghに。どちらの町も何回も宿泊していますが、市内や日帰りでもまだまだ見る所はあります。
前の宿泊地Ballochから約2時間程度の移動ですが、まず、BallochからGlasgowへ出て、それからEdinburghに向かうことになります。どちらも列車での移動です。BallochからはStrath
Clydeという近郊線。乗った時はそんなにいなかったのに、金曜の午後とはいえ、まだ通勤時間帯でもないのに途中からどんどん人が乗ってきました。Glasgowからも同様でした。
宿は出発前に予約していた所でした。中心部からやや離れていたのですが、比較的安かったのです。余り綺麗ではなく、通された部屋は地下でした。地下ですが窓はありました。でも裏口からの階段から丸見え。やはり、安いだけしかない所でした。おまけに最後の日には掃除もしていなくて、ゴミ箱も含めて出かけた時のまま。洗濯物の水気を取るのにバスタオルを使っていたので、バスタオルの交換だけしてもらいました。旅の終わりに不要になったもの(ぼろぼろになってしまったレインコートも)を捨てていきましたので、ゴミは2日分以上になっていたはずです。帰国後に予約をしたサイトのコメントにはNGを出しておきました。
宿は兎も角、投宿後、情報をツーリスト・インフォメーションで手に入れ、適当なバスツアーをていに入れ、更に当初から予定していた近くの町Linlithgowにも行き、Edinburghでの1日半(残り半日はとりあえず買い物)を楽しみました。
St Andrew's Cross in Edinburgh Night | ||
今回も市内観光はしていません。町の中心部を通るPrinces
Streetは工事中でした。2011年7月に完成予定とかで、とてもゆっくり歩ける状態ではありませんでした。ここはちょっとした記念品やいつも買う紅茶や(ベジタリアン)ハギス、CDを買うために歩いていますが、欲しいCDは置いていなくて、更に疲れて歩いていました。 今回発見したことは夜、とっくに暗くなった町の空でした。RunrigのコンサートをEdinburgh Castleで楽しんだ後宿に帰る途中でした。日はコンサート中にとっくに暮れています。暗くなった道を大勢の聴衆と一緒に歩いていると、お城を出る頃に1つの大きなライトが空に向かって照らされていました。空に向かって照らしても意味もないだろうに…と思いながらPrinces Streetに出た時のことです。お城の方を見ると、先のライトともう1ヶ所からのライトが空で交差していました。それがScotlandの国旗に使われているデザインSt Andrew's Crossになるのです。夜にこうやって歩くことはなかったので今まで気付きませんでしたが、なかなか面白いアイディアです。こんなことが出来るのはSt Andrew's Crossくいでしょう。もし夜暗くなってからEdinburghを歩かれることがあったら、空を見上げてみて下さい。 |
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Forth Bridges Cruise~Bus & Boat Tour | ||
コンサートがある日は昼間に買い物をしようと思っていましたが、私の買い物が丸1日かかるわけはなく、半日何かして過ごそうとしました。以前も同じようなことはあり、その時はArthur's
Seatへ登っていました。今回それでも良かったのですが、違うことをしようと観光情報を探しました。そこで見つけたのが町の北にあるForth湾を回るクルーズです。しかも往復のバスも組まれていました。勿論飛び込みで、予約は不要のツアー(全行程3時間20分)でした。ずっと以前にボートが出るSouth
Queensferryには行ったことがありますが、鉄道スト中にバスで行ったために帰りが心配になり、早々に引き上げたことがあったので、再度行くことにしました。 バスはSouth Queensferryまで約40分。観光バスですから勿論道の両脇の建物などの案内もあります。2階建てバスで、2階に上がって周りを見渡すことが出来ました。 バスはSouth QueensferryのHawes Pierに到着します。ボートクルーズは目の前から出ますが、20分程の待ち時間です。その間に、両脇にあるForth Bridgesを眺めていました。生憎、霞が少しかかっていてはっきりはしていませんが、近いので、全景はちゃんと見えていました。 Forth (Railway) Bridge(下写真右)は補修工事中(主にペンキを塗る作業)で、終了は2012年の予定とか。工事中の姿は残念かも知れませんが、どんな感じで作業が行われているのかを見るのも面白いかも知れません。 Forth Road Bridge(下写真左)はちょっと離れて見えます。こちらは以前バスで通った時有料だったと思います。埠頭はForth (Railway) Bridgeの袂にあるので、どちらかというと全景はForth Road Bridgeの方が綺麗に見えます。 |
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Forth Road Bridge |
Forth (Railway) Bridge |
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ボートツアーは約1時間半。Forth湾の東側を回って戻ります。Forth湾にはちょっとした島がありますので、その内の目立っている2つをご紹介しておきます。 <Inch Gravie> 現在は無人島になっていますが、過去には何年もに渡って様々な人達が住んでいたことがあります。居住した痕跡は少なくとも15世紀後期に遡ります。 島はCromwellに対する王党員の防衛拠点として戦略的に重要な場所でした。島には多くの大砲が設置され、そのために多くの人がいました。島の砦はしっかりと守られていましたが、恐らく真水(飲料水)の不足のために、1651年にCromwellに明け渡すことになりました。 この砦の名残は余り良くなく、低くて荒く建てられた壁で構成されているため、2つの大戦の間島が防御工事を施された時には最新のレンガ積み工事が導入されました。 Edinburghからの列車の移動の時、橋の真下に見えるこの島が気になっていました。いつも上から見るだけでしたので、今回は横から眺めました。また、クルーズの帰りには反対側からも眺めることが出来ました。この島に上陸して見学するということは行われていないようです。島には水鳥達が巣を作っているだけのようです。 |
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<Inchcolm> 島は、Scotland独立戦争中に繰り返しEnglandの侵入者から攻撃され、2つの世界大戦中にはEdinburgh近郊の防衛のために要塞化されました。現在は元Augustinian修道院を訪れる観光が行われています。 初期の頃は、567年に聖Columba(Irelandの宣教師)が訪れたと推測されていて、12世紀には彼の名前から島が名付けられました。初期の頃からColumba派の修道僧には”東のIona”とされてきました。初期の石の屋根の建物は島内で賄われていて、恐らく12世紀かそれくらいの時期にに一人の修道僧の祈祷堂と天井に使われ、後期には修道院の修道僧達によって丸屋根に変わりました。暗黒時代からの彫りがある石細工のかけらはこの島に初期キリスト教信者がいたことを示しています。修道院のビジター・センターに保存されている豚の背中のような石は10世紀後期の年代のもので、恐らく北Englandに住み着いたデーン人に起源を持つScotland初期のタイプの記念碑をなしていると思われます。その記念碑に関連したものは見つかっていないにもかかわらず、16世紀に起源を持つ1つの石の十字架がその側に立っています。 島の主な特徴は元Augustinian Inchcolm修道院(Histric Scotland所有)で、Scotlandのほぼ原型に近い修道僧の家です。嘗ては、そして恐らくColumbaにその一部が捧げられたもので、時には’東のIona’というニックネームで呼ばれます。保存状態がよい修道院と廃墟になっている9世紀の隠者の個室は島の観光ポイントとなっています。 聖Colmまたは聖Columbaに関わった宗教的な共同体の本拠地で、6世紀のIonaの大修道院長AlexanderI世が1123年に3日間島に立ち往生して、ここの隠者が彼に避難所を提供したことによって、聖Columbaの名誉の元に修道院が設立されることが約束されました。その約束が遂行される前にその王がなくなりましたが、彼の兄弟後のDavidI世が聖Augustinine修道会の修道僧達のためにここに小修道院を設立しました。結局修道院が設立されたのは1223年でした。 この島には上陸が可能です。ボートツアーには上陸は含まれていませんでしたが、別のグループはそれぞれ飲食品を持ち込んで上陸していました。大きな島ではないので日帰りのようです。修道院は島に似合わない程の大きさでした。その後、修道院の反対側にある岩場をゆっくり眺めました。そこには水鳥とアザラシ達がいました。 |
コンサートの翌日、あわただしく帰国支度をしたくなかったので、1日余裕を設けました。その1日を使って以前から尋ねたいと思っていたLinlithgowに行くことにしました。日曜日ですがGlasgow間の列車の途中の駅なので日帰りも申し分ありません。実は宿泊することも考えたのですが、交通の便を考えるとEdinburghからの日帰りが良いと思われました。 元々行く予定にはしていたものの列車の時刻以外は全く準備していませんでした。駅に降り立つと運良く市街地の地図があり、先ず季節(夏季のみ?)の開館をしているツーリスト・インフォメーションへ。日曜日でしたが開いていました。ここで町の情報を入手。地図をいただき、係の方と少し話しました。彼女は日本にホームステイしたことがあるとか。お天気も悪くなく、歩き回るにはちょっと暑いくらいでした。 |
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Linlithgow Palace | |
恐らくDavid王Ⅰ世(1124-53)の時代からここに王室の邸宅がありました。EnglandのEdwardⅠ世の来場のための王用の寝室の準備をした石工や鍛冶、屋根葺きへの1301年11月の支払いがその中心の建物がふき屋根の石で造られていることを示しています。この邸宅は数百年後にも建っていましたが、1424年に火事によって崩れました。現在見られる邸宅の再建はこの火事の後に直ぐに始められ、2世紀そして8人の君主の間行われていました。最終的には1746年に火事によって崩れました。 東の棟は、邸宅の4つの正面の最も飾り気がありませんが、JamesⅣ世の統治時代の1504年頃に完成しました。2階の大きな長方形の窓の並びは一揃いの王の部屋を示しています;左から右の順に、王の寝室、続いて中間の広間、謁見室の2つの窓、そして王の広間の2つの窓です。これらの部屋は遊園または庭、そして下の土の部分までも見渡すことが出来ます。女王の一揃いの部屋は上の階にありますが、設計時には王の部屋の写しで、殆どの窓は内庭に向いています。 この町での一番の観光スポットです。外側から見ると壁が結構シンプルな作りだったので、直ぐに見終わると思ったのですが、中が複雑で、見る部屋も多くて時間がかかりました。また、塔の1つは屋上まで上ることが出来、そこからの眺めが良かったのです。子供達が当時の衣装を着てガイドもつとめていました。頼めば説明をしてくれるとのことでしたが、私の英語力では申し訳ないので頼みませんでした。 |
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南西の塔の屋上からの眺め;目の前はLinlithgow湖 |
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Kirk Werk-St Michael's Parish Church | |
Robert II世からJames Ⅴ世までの全てのStewart家の王はSt.
Michaelsで”Kirk Werk(Scotland語、=Work、他にWark、Wirkと綴ることもあり)”貢献しています。1424年に、恐らくThomas
Frenschによって王の邸宅の直ぐ後に再建が計画されました。何百年以上に渡る建築計画にもかかわらず、元の計画が実行されました。教会は通路になった身廊、東の端に後陣がある聖歌隊席、南北の翼廊、そして、小さな西側の塔で構成されています。教会の建築作業は身廊で始まりました。それと西の塔は1490年までに完成し、日付が鐘の1つに記されています。 教会の壁は簡素ですが、型に入れて切り込む石細工、特に教会の壁龕(ヘキガン)や南の立派な扉の装飾は、Scotlandの典型的な中世の教会にあるものです。通路のそれぞれの翼には幾何学的な飾り窓があります。それぞれの翼は明らかに控え壁で、天蓋付きの壁龕で飾り付けられ、嘗ては華麗な像がありました。身廊と聖歌隊席の通路の上には高窓があります。 聖歌隊席は身廊の後で作られました。この2つの間の違いは微妙です。前者には控え壁が深くてより簡素な壁龕の上に彫刻があります。南の玄関には、司祭部屋から眺めるための素晴らしい出窓がある豪華な入口があります。南翼廊またはSt. Katherineの通路にはScotlandで最も美しい後期ゴシック調の窓がある教会の’主要作品’があり、教会の750周年を祝うために1992年にガラスを入れ替えました。 国内では教会が特別で重要でした。現在は石工の丸天井で、それは19世紀初期にがっしりした中世の木材の屋根に帰られました。この教会は1890年代の最後の大きな教会の改革の後設置された支柱がない樫の信徒席を備えています。 教会は継続したStewart家の君主に援助されていました。邸宅と教会は、教会の北側から直接行き来できていましたが、現在は遮断されています。2つの建物はいつもLinlithgowの町の風景となっていて、その豪華な過去を象徴し続けています。 最初の予定ではこの教会にも行くはずでしたが、日曜のために午前中はミサが行われていて、見学は午後2時からとなっていました。そこまで待つと、その後予定していた運河の方が時間が足りなくなるので、結局外から眺めるだけになりました。外から見ても豪華であることが分かるような建物でした。 |
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Union Canal | |
<Linlithgow Canal Centre> Linlithgow Union Canal Society (LUCS)はCanal Centreを運営し、午後2時から2艘のボートでイースターから10月の最初の週まで毎週末Manse Road Basinからボート・ツアーを行っています。Avon Aqueduct(Avon水道橋)までの静かで穏やかな運河の旅を味わうことが出来ます。船はビクトリア朝時代の小型の汽船の複製で、"St Magdalene"の船上でくつろぐか、"Victoria"で町の端から端までを旅するかです。 センターには運河に関するパネルや船に使われた小道具などの展示が行われています。ちょっとした記念品も販売しています。また、隣にはティ・ルームも併設されています。日曜日も開館しています。 Palaceとこのセンターは線路と運河を越えなければなりません。運河にはいくつか橋が架かっているので良いのですが、線路は何処で越えられるのか分からずにその沿いを歩きました。運河が見つかって越えたのは良いのですが、その脇を歩けば良かったのに、別の道を選んで遠回りしてしまいました。それでも開館時間には十分間に合っています。展示はここでないと見ることが出来ないようなものでした。隣のティ・ルームでスコーンを買って運河を眺めるベンチでお昼を取っていました。側には近辺の運河の地図があり、1時間程歩けばAvon水道橋に行くことが出来ることが分かりました。運河の地図は旅行には持って行っていたのですが、使うことを忘れて他の資料と一緒に送ってしまっていました。旅の始めにForth & Clyde Canalを歩いていて、それで終わりと思ってしまったのです。 水道橋へは地図がなくても迷うことはありません。ずっと歩いていると、殆どの人がチャリで追い越したりすれ違ったりしています。歩いていたのは犬の散歩をしていた人ぐらいでした。チャリはどこかで借りられるとは思いましたが、はっきりした場所が分からなかったので歩いたのです。 水道橋まではNo.43~48の6つの橋が架かっていました。それぞれちょっとずつ異なる作りなのですが、殆どが石橋のようでした。左写真は最後のNo.47で向こうから1艘のボートがやってきていました。この次のNo.48の橋の上では牛が大移動していました。 |
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<Avon Aquesduct> Scotlandの全ての水道橋の中で最も長く、最も高く、最も重要な水道橋です。12個のアーチの構造は優雅で、Avon峡谷を247mの長さで渡っています。水道橋には重いこねられた粘土より軽くて済む鉄を使用するTelfordとBairdの発案が26mの高さにあげるための細い中空のアーチを作ることために採用されました。 Canal Centreから約1時間程で着きました。そのちょっと手前にベンチがあったので休憩したのですが、その時点では直ぐ先に水道橋があるとは分かりませんでした。この時、この日は暑いだったので汗だくになっていました。橋の両側には歩道がありますが、恐らく北側しか歩けないようでした。ここではチャリも降りて進まなければなりません。下を見るとAvon(この単語自体が”川”なのでAvon川とは呼べません)がちょっとだけ澱んでいました。下には広場もあるようです。 下から見たかったので、橋を渡った所から下への階段があったので降りてみました。すると周りの木々が邪魔して橋が殆ど見えなくなってしまいました。川の上流に出て、先の広場には行き着けません。暫く歩くと、ますます橋を離れてしまい、私の望みがなくなりました。 仕方なく引き返して階段を上り、橋を再び渡りました。渡り終えた袂に下へ降りた跡が見つかりました。急な所で勝手に誰かが道を作ったような感じでした。何とか降りてみたもの柵があり橋の下へ降りることが出来るようではなかったので再び戻りました。そして、先ほどのベンチの側に下る階段があったので降りてみました。今度も川を離れてしまい、途中で引き返していた所、下りのパスを見つけました。そこを進むと、先ほど無理矢理下った所へ出ました。しかし、柵の下側だったのでそのまま下ってみました。そうやってやっと橋の下へ出ました。下から見る水道橋はアーチが美しい曲線を描いていて、実に荘厳でした。大きいので少し離れて見ようとすると今度は木が邪魔してしまいます。これだけ、見栄えがするので、下から見て満足して、再び運河沿いのパスをとことこ歩いて戻りました。 よくよく考えると、この夏の旅はCanal Walkで始まり、Canal Walkで終わったことになります。Canal Walkは楽しいのですが、2つのWalkの間に回った島巡りはもっと楽しかったのです。 |