この際、更に小さい島に滞在して、ゆっくり見てみようと思いました。そこで選んだのが、ルート上に近いGigha島です。当初3泊を考えていましたが、フライトの関係で2泊になりました。しかも、丸1日使えるのが日曜日です。ただし、公共交通機関がないこの島ではバスが運休などはなく平日の滞在でも大して変わらないので、その点では心配していませんでした。宿もいくつかはありましたが、港に近いのでホテルに泊まることにしました。予約がネットで出来るためもありました。
Islay島Port Ellenからの移動は学校が夏休みに入った土曜日でした。そのためか、フェリーは船内には座る所が無く、結局風に吹かれながらデッキで過ごす羽目になりました。お天気が良かったので、雨にさらされることはなかったのが幸いでした。そのフェリーからはこれから向かうGigha島が間近に見えていました。直ぐ近くなのに一旦フェリーを下りてバスで移動、そしてもう1度フェリーに乗らなければならないのです。遠回りです。本土Kennacraigに到着すると、大勢の乗客がバスを待っていました。私は予約しているので良い…と思いつつ立っていました。やがてGlasgow行きが最初に着くと、私以外の人達が一斉にそちらへ。どうやら南のCampbeltown行きに乗るのは私だけのようでした。Glasgow行きは積み残しが出るような状態でしたが、何とか飛び込みの人達も乗ることが出来るようでした。2日後私もそのバスに乗りますが、予約も入れていて、何よりKennacraigより前に乗っているので積み残される心配はありません。暫くしてCampbeltown行きが到着しましたが、Glasgow行きがまだ出発できていないので、その向こう側に駐車しました。私はどう待てばいいのか分からずにいると、運転手がフェリー事務所に用事があるので通りがかり、気付いてくれました。予約も入れているので、乗る客がいるのも知っていたようです。間もなく私が乗ったバスも出発。こちらの車内はガラガラに近い状態でした。
Tayinloanでの下車に、運転手はGigha島に行くと気付いてくれたらしく、フェリー乗り場の行き方を教えてくれました。歩いて20分程です。下り坂と平坦な道でしたが、ガタガタの道でトランクを引いていたので疲れました。フェリーの乗り継ぎには1時間以上はあったので、逃すことはありません。こちらのフェリーは小さいので、車と同じ所で乗船して、チケットは船内で購入します。この形式には慣れています。チケットは勿論往復です。乗船を待っている時、1人の女性が近づいてきて、荷物がないので私の荷物を持ってくれるとの申し出がありました。フェリー乗り場はそれまでの道と違って道は滑りが良かったので余り苦労はしないはずでしたが、女性が是非ともみたいで断ることはしませんでした。Gigha島到着後、女性と一緒にタクシーを…と言ってはいたのですが、そんなものはありませんでした。ホテルは近いとはいえ、少し歩かなければなりません。結局、彼女が側のボートハウスに掛け合って、そこの人に送ってくれることになったのです。彼女はホテルの側にあるクラフト・ショップに興味があったので一緒に行くつもりだったようです。ボートハウスの人に事前にホテルに言っておけば、車を手配してくれたと言われました。それはTiree島で分かったのですが、出発した後ではどうしようもなかったのです。次回から、こんな所に滞在する時には車の手配をしておくように肝に銘じました。
ギア島/Isle of Gigha | ||
Gigha("geea"と発音)島は南北に7マイル(約11.3km)、東西の最も幅広い所で約半マイル(約0.8km)の大きさです。Kintyre半島の北の端の西海岸、2-3マイル(約3.6-4.8km)の幅のGigha湾にあります。Gigha島へはKintyre半島のTarbertとCampbeltownのおおよそ真ん中の位置にある海岸沿いにあるTayinloanから頻繁にカー・フェリーで渡ることが出来ます。Gigha島の西約10マイル(約18km)沖にはIslay島があります。人工は約150人で、多くの人がゲール語を話しています。 フェリーは島の東海岸のほぼ中央にあるArdminish湾の北海岸の船着き場に着きます。その周辺はArdminish村の北部で、回りには住居が点在しています。ここを跨る道路は北の端にあるPort Morから、Gigalumという小島があるGigalum海峡を見渡す南の端近くの船着き場までの島とほぼ同じ長さに走っています。Gigha島の南の端を離れるとCara島があり、そこには小さな教会があります。Gigha島で発展しているのは殆どが東側で、また、良い浜辺も多くは同じ側にあります。島の西側には行きづらく、人里離れていますが、北の端の島の狭い所では例外で、道路は両方の海岸と同じ距離にあります。 Gigha島は比較的平坦で、Creag Bhanで100mが最高地となっています。また、土地は比較的肥沃で、島の約4分の1は耕作地で、そこを6軒の農家で分け合っています。気候は、Gigha島東側では西側の強風にさらされますが、比較的穏やかで温和です。 島の名前は恐らく”God's Isle(神の島)”で、Gud(古代のルマン語)は’God’、ey(古代のルマン語)は’island’の意味です。古代のルマン語のgjá、’gape(裂け目)’から派生したとも言われていて、島の特徴やKintyre半島から海峡で隔てられた所のどちらにも関連した言葉です。1263年にはGudey、1343年にはGeday、1400年にはGya、そして1516年にはGigaと呼ばれていた記録があります。 以前、KennacraigからCampbeltownへ向かう時、この島へ渡るためにTayinloanで下車した人を見ました。バック・パッカーだったので、かなり小さな島で、行くことはないと思っていたのですが、実際訪れてみると、普通に旅行が出来る所と分かりました。マリン・スポーツも出来たりするので、家族連れの週末旅行なども盛んなようです。島内には雑貨や+郵便局は1軒、ホテル+レストランが1軒、B&Bは2~3軒(不便な所になります)と数えることが出来る程しかありません。それでも訪れるには不足はないと思います。マリン・スポーツも楽しむことは出来ますし、ホテルの隣にはちょっとしたクラフト店もあります。日曜日にもいずれも開店しています。雑貨屋で昼食を手に入れようとしたのですが、ベジタリアン向けのものはなく、やたらお菓子だけが目立っていたことが残念でした。 |
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交通 | ||
<海路> Caledonian MacBrayneがTayinloan(タイインローン)からGigha島Ardminishまでの定期フェリー便を運行しています。平日・土曜日は1日片道10本程(曜日、時間によって制約・変更あり)、日曜日にも片道7本の運行があります。所要時間は20分です。Glasgow-Inveraray-Lochgilphead(Obanからはここで乗り換え)-Kennacraig-Campbeltown間のCitylinkコーチでTayinloan下車になります。バス停とフェリー乗り場が徒歩20分程離れていますが、乗り換え時間は十分時間を取るようにできています。 <陸路> 島へ渡る方法は海路しかありません。島内の移動は公共交通機関がないので、個人の車か徒歩です。また、フェリー乗り場近くのボート・ハウスではレンタ・サイクルも出来ます。大きな島ではないので、南北を徒歩でも1日で往復できます。 |
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Ardminish | ||
島内で最大の村です。と言っても、島の人口は少ないので、家もかなり疎らです。雑貨や+郵便局+ガソリン・スタンド、ホテル+レストラン+パブ、クラフト店など対観光客の主なものは全てこの村に集中しています。学校や教会もここにあります。集会場は村外れになります。また、ボートハウスは海辺の村外れになります。この南側には嘗てのフェリー乗り場があったそうで、今は個人用の船着き場に使われています。また、こんな小さな島でもさすがScotlandで、ゴルフ場は村の北側にあります。 右の写真はフェリーから見たArdminish村で、中央の白い建物がホテル、右の集落に雑貨店などがあります。 |
島巡りと言っても、小さい島でそんなにはないのですが、1日半を掛けて歩き回った所をご紹介しておきます。 | ||
Achamore Gardens | ||
1590年に、MacNeill氏族が、何世紀もの間続けられた’島々の領主’であるMcDonald氏族との勢力抗争後、Gigha島の大地主となりました。 1837年にはScarlett家族が島を購入し、1884年に家長のWilliam Scarlettが(恐らく以前のMcNeillの邸宅の横に)John Honeymanの設計によるAchamore Houseを建てました。この家は大火災の後1900年に再建されました。家の北と南に渡る森の主な所には、家を避難所として提供し競技を行うために、その時代の庭園にはセイヨウシャクナゲの台木に接ぎ木をした雑種のシャクナゲが生えていたにもかかわらず、多くの植林が行われました。 James Horlick卿が1944年に島を買った時には、全ての接ぎ木が枯れて森はセイヨウシャクナゲの茂みになっていました。James卿は、熱心に植林をして、異国情緒の灌木、特に更に傷みやすいシャクナゲを育てることが出来る庭園にしたかったのでした。Gigha島の気候が比較的穏やかで、霜は降りませんが、若い木々を風と潮飛沫から保護するためにセイヨウシャクナゲと木々を少しだけ切り払いました。また、植林は根を乾いた状態にするための排水用の水路を設けた盛り土に行われました。 1970年までに庭園はツバキやツツジ、そしてシャクナゲと同類の様々な亜熱帯の灌木の雄大なタペストリーでした。彼の死後、James卿は収集したもののいくつかを、希少な種の繁殖を他の大庭園と共有出来るよう僅かな寄贈でしたが、共にNational Trust for Scotlandに残しました。 その後、島はLangdale、PotierとHoltの3家族の手に渡っていきました。彼等全員が庭園を維持し続けました。 2002年3月にGigha島は英国歴史上最も大きい共同体の買い取りが議題となりました。現在、National Trust for Scotlandの指導と庭師の長Malcolm McNeillの長年の貢献の下で、 Isle of Gigha Heritage Trustは冬眠と観光客が望む利益のために庭園を維持改良する作業を続けています。 島で唯一観光案内があった場所です。島の南に向かう時に案内があったので直ぐに分かります。入口には黄色と赤の矢印が鉢に挿されています(右写真)。これがお薦めコースの案内で黄色が1時間コース、赤が2時間コースの目印です。私は赤の2時間コースで歩きました。園内を隈無く、なるだけ完結に見学できるように設定されていますので、この案内に従って歩くと良いでしょう。入場料は要りますが、人はいないので、入口の料金箱に入れてから入りましょう(小銭を用意しておいて下さい)。開演時間は日の出から日没までです。この側には休憩所が設けてあります。中には園芸に使う道具も展示されています。また、Scotland各地のGardensの簡単な紹介もしています。 車での来場者は円の外の入口(右写真の左手)に車を止め、自転車は料金所の側に置くように出来ていました。 歩き始めて暫くする立派な屋敷が現れます。Achamore Houseで、B&Bになっていました。車なら宿泊はここが良いと思われます。中も元屋敷なので立派なようです。建物の回りは宿泊者と関係者以外は入場禁止です。その先にあるのがWalled Gardens(箱庭、左写真)です。勿論見学自由です。中央に小さい温室があり、また脇にも成育中の苗が並んだ温室があります。庭には季節柄バラの花が沢山咲いていました。花壇があるのはここくらいで、他は森とシャクナゲやツツジの低木があるばかりです。Walled Gardensを出ると、島の西側を眺めることが出来るView Pointに出ます。ここは2時間コースのみの設定です。少々の登りがあり、着いたた所には休憩できるようにピクニックベンチが置かれていました。島は割に平坦なので、ちょっとでも高い所に行くと見晴らしが良くなります(下右写真)。ここもそんな所です。西側しか見えないのは南北両側に森があるためです。 再び下に降りた後は森の中をグルグル回ります。要所に庭園内の地図があり、赤と黄色の矢印も示してあるので迷うことはありません。パスの両側にはシャクナゲとツツジが咲いていました。時期的には盛りを過ぎた頃でした。その後、小さな池に出ます。その側には小川も流れています。 この庭園がこんなに大きく、あちこち見て回ることが出来るとは思っていなかったので、予定より時間がかかった気がしました。午前中お天気が芳しくなかったのですが、ここに着いた頃は雨も殆ど止んでいたので、助かりました。季節が良い夏には十分に楽しめることが出来る所です。時間は十分にとって下さい。 |
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遺跡 | ||
<Ogham Stone> Gigha Hotelと廃墟になったKilchattan教会の丁度裏、Cnoc A'Charraidh(Hill of the Pillar、柱石の丘)にあり、Ogham Stoneとして知られています。 柱石は四角柱で、高さは元はは5フィート9インチ(約175cm)、今はは3フィート9インチ(約114cm)あります。高さの2フィート(約61cm)が無くなっているのは倒れて壊れましたが、幸いにも碑文は被害を受けませんでした。数年を通してかなりの回数の打撃を受け、吹きさらされた側の風化は元の彫刻の完全な修復は難しくなっています。しかし、R A S Macalister教授は'VICULA MAQ COMGINI' - FIACAL SON OF COEMGEN(COEMGENの大切な息子?)と読み、それがPict人の影響下にあるScotland人の碑文であるという説を採ることとなりました。他の意味を持つという説もありますが、それが亡くなった人とその父である名前に与えられた碑文の典型的な墓石で、恐らくDalriadのScot人の初期の居住にまで遡るとされています。 幹線道路のAchamore Gardensの案内と同じ位置に”Ogham Stone”との案内がありました。地図を見ると単にStanding Stoneとなっていますが、同一のものです。”Ogham”となっていると言うことは、表面にオガム文字が刻まれていると期待していったのですが、表面はコケに覆われてよく分かりませんでした。更に、その周りに囲いがあって近づくことも出来ません。庭園の前を通り過ぎ、廃墟の教会(修復中)を過ぎると、小高い所にこの石が立っていました。島の道は複雑でなく、案内もあるので直ぐに分かります。 |
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<Giant's Tooth> 現在ではGigha島で最も古い石柱は島の北のKinererachの農家近くで忘れられたように立っています。それは元の道の端で聳えていて、農家が立っている原っぱで殆ど見えなくなっています。少しだけ基部が残っています。5フィート(約152cm)の高さに縮んで、幅は3フィート(約91cm)である部分では多少楕円になっています;その基部は壊れていて、先は現在低い部分より尖っています。石の頭はミトンの様に分かれています。このスタンディング・ストーンが元々立てられた確かな理由は分かっていませんが、沢山の憶測がされてきました。 Tarbert農場の約200ヤード(約183m)北東の道路の西側に立っています。The Stone of Tarbert - Carragh an Tairbeirtは2つの湾に挟まれた狭い地峡で見ることが出来ます。 地図にも載っていたので、島の北の端に向かう時に見ることが出来ると思っていました。その前に、雑貨屋でこの絵葉書を見つけました。おかげで形もわかり、地図に載っていても見つけられないのではないか?という不安も殆ど無くなりました。農家を過ぎて、狭い地峡に差し掛かって両側の海が見え始めた頃に道路脇にあったこのスタンディング・ストーンがありました。道路側はよく見えるのですが、裏を見るには側の茂みが邪魔になりました。こちらは囲いがないので、実際石にも触ることが出来ます。 また、北へかなり進んだ所にもスタンディング・ストーンらしき石が道路脇に立っていました。地図にはなく、また情報も全くないのですが、ネットで検索してみると、この石もスタンディング・ストーンとして挙げているサイトもありました。取り敢えず写真を1枚残しています。 |
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<Old Mill> このOld Millの水車は今は少し錆び付いていますが、嘗ては島の農家に生産されていた小麦を挽くために使われていました。 地図にはなく、また絵地図も簡単にしか載っていなかったので、全く気付いていませんでした。しかし、雑貨屋でこの絵葉書を見つけ、どこかにあることは分かりました。そして北への道を進んでいる時に、案内が見つかりました。島の西側に向かう道です。その道は農道で、かなりのガタガタ道でした。車が用心してゆっくり通らなければならない程です。おまけに午前中の大雨で泥濘もあちこちにありました。やがて峠に出るのですが、この水車小屋は見あたりません。先へ進むと民家が2軒、更にその先にも道は続いていましたが、水車小屋はありません。そこから西海岸を見ると、海辺に古風な建物は見えました。絵葉書と同じかよく分かりませんが、雰囲気は似ていました。念のため進んで近づいた時に、それが水車小屋と分かりました。その前に普通の家があり、家族が住んでいました。その親子が庭に出ていて、顔を合わせました。水車小屋を見に来たのは分かって貰えたようです。小屋も彼等の所有のようで、ちょっとだけ中を覗くと、ポリタンクが転がっていました。外だけ見た方が良さそうです。彼等には迷惑だったかな?と思っていたところ、道を引き返す時に車で追い越され、その時に一家全員私に手を振ってくれました。その様子にホッとしました。 |
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自然 | ||
<Creag Bhàn> Gigha島のほぼ中央にある、島で一番高い所です。標高は100mですが、回りはそれより低いので、頂上からは360°のパノラマを楽しむことが出来ます。名前のCreagの通り岩山で、頂上には測量点のケルン、そして、四方向の案内板までありました。これによると、西はIslay島やJura島、東はKintyre半島は勿論、その向こうのArran島の最高峰Goar Fell(874m)も見えるとありました。Arran島には行ったことがありますし、この山も見ていますので、確かにその方向にそんな形の山が見えていました。北は本土のKnapdale地域からKennacraig付近まで、南はKintyre半島南と海を見渡すことが出来ました。午前中は大雨だったのに、この時間は晴れていました。コロコロ変わるScotlandのお天気のおかげです。 この頂上へは、Old Millへの道の手前の峠から北側へのパスを登ります。100mとはいえ、ちょっとした登りなので、息が荒くなっていきました。頂上で休憩を取っている時、パスの方から若者が叫びながら走った様に登ってきました(若い!)。やはり来る人はいるのですね。彼等が頂上へ着いた時、私を見て静かにはなりました。誰もいないと思って叫んだようです。女性も着いてきていましたが、途中の岩場に座って下を眺めていました。彼等もここからの眺めを楽しんだと思います。 農道に出た後、近くに見えた湖に行ってみました。島最大のMill Lochです。湖岸にはBritish Watersの管理小屋もありました。そこまでの(舗装)道があったので、寄り道をしたのです。 |
南側の眺め;左はKintyre半島、Gigalum島、Cara島が見えています 北側の眺め;左にGarbh島、右に本土(Knapdale地域)が見えています |
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<島の南端(近く)> 到着した日の夕方に先ずホテルから近い方の南の端まで行くことにしました。道路の南端は島の南端までは通っていませんが、南側を見るには十分な場所でした。この途中かなり手前にはなりますが、Achamore GardensやOgham Stoneの案内を見つけました。帰りにでも寄ってみようと思っていたのですが、帰りは雨に降られたので翌日に持ち越しました。暫く歩くと、右手(西)に風力発電の風車が見えてきます。ここには3基ありました。 そして、南端へ。ここには割にちゃんとした船着き場がありました。CalMacのロゴも見えました。ここから南側のGigalum島やCara島に渡るのでしょうか?どちらも無人島なので、定期船がある訳でもありません。車が3台くらい止まっていたので、現役の船着き場のようでした。 写真は南側にあるCara島です。ここにはチャペルがあって、見学ツアーがあるかも知れません。ボート・ツアーがあるようなので、近くで見ることが出来るのではないかと思われます。島は横から見ると南側に岩が突き出た形をしていますので、Islay島行きのフェリーからもよく分かります。 |
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<島の北端> 北の端は、道路が殆ど側まであります。1日のんびりと行くはずでしたが、午前中の雨のためで遅れ、更に南のAchamore GardensやOgham Stoneを先に訪れ、ホテルに一旦寄った後に北へ向かいました。それでもまだ時間はあったはずでしたが、更にOld MillやCreag Bhànにまで寄ったため、北の端に着いたのは午後6時半でした。この時期は日没が10時頃なので、時間的には十分でしたが、いささか疲れました。 ここには駐車場があり、1台の車と2台の自転車が置いてありました。近くから親子らしいグループの声が聞こえていました。西側には頂上に塚がある丘もありますが、疲れていたので、下から眺めるだけでした。端には嘗て埠頭があったようでしたが、そのコンクリートは今は危険なので登らないようにとの注意書きがありました。その岸壁に座って休憩していました。丁度目の前をCalMacフェリーがIslay島に向かっていました。その向こうに見えるのはJura島の山々です。勿論Knapdale地域やKintyre半島北部も見えます。フェリーから見た景色と同じ所です。 帰りは寄り道をせずにホテルまで直行です。所要時間は1時間半程でした。予定していたより早く着いたので、ついでにホテルの前から東側の海岸に出るパスに入ってみました。着いたのは小さい浜辺で、フェリー乗り場が見える所でした。 |
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<Twin Beach> 北の西海岸にあるEilean Garbhという小島と繋がっている幅広い砂州です。満潮時でもこの砂州は残っています。きたと南側にそれぞれ砂浜があるのでTwin Beachと呼ばれています。 ここへは北の端まで後600mくらいと言う所で案内が立っていました。側には駐車場があり、車の人もそこからは歩きです。2組の夫婦が歩いていたので気付きました。時間は十分にあったという訳ではありませんでしたが、この先時間制限がある所を訪れる訳でもないので、寄ってみました。 先ず、北の砂浜Bàgh na Dòirlinneに降り、その後南の砂浜Bàgh Rubha Ruaidhに立ちました。両方の浜辺を見た後、先に着いていた2組の夫婦の後を追うように去りました。しかし、途中泥濘が道幅いっぱいに広がっていたので彼等は諦めて別の道を進みました。私は行きもそこを通っていたので、足を置く場所が分かっていました。他の乾いた道は草むらの中で、私は見つけることが出来なかったのですが、彼等は行きに通っていたので分かっていたらしいです。結局、元の道に戻ったのは私が早くなったのでした。その後彼等とは北の端と、ホテルの前でも再会しました。”Long Walkだね”と言われつつ、東の浜辺に向かったのでした。 |
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Bàgh na Dòirlinne(北) |
Bàgh Rubha Ruaidh(南) |