旅の最後の滞在地はEdinburgh。Glasgow着/Edinburgh発のフライトが都合がよかったためと、Edinburghにも心残りがあっただからでした。宿は初めての所でしたが、その並びの所に泊まったこともあったので決めました。
Fort Williamはお昼の出発。一旦資料を郵送して、宿に戻り、(部屋の)鍵を置いて荷物をまとめて出発しました。鍵はキッチンに置いてくつもりでしたが、同居人(James君だったかな?)が丁度現れたので渡しました。家主のKeith君とは結局初日に顔を合わせただけでした。James君とは3回程、宿泊していたCalros君とは内外で数回顔を合わせました。不思議だ!
Fort WilliamからEdinburghまでの直通がなくなっていて、一旦Glasgowまで行って乗り換えることになりました。どちらも予約していて、Glasgowまでは順調でした。Edinburgh行きのバスを待っているといつの間にかバス・スタンスが変わっていて、気が付いた時はそのバスが出る所でした。英国って、結構こんなことあるのを忘れていました。近くにいた係に事情を説明したら、Edinburgh行きは本数があるので次に出発するシャトルバスに乗せてくれました。勿論追加料金はなし。今回の旅でバスでいろいろトラブっていましたが、最後にまたやってしまいました。幸いいずれも致命的ではなかったものでしたが。
宿は1階で助かりました。この並びの宿にはリフトがないのですよね。そして、部屋はベッドがある部屋とバスルームが廊下で分かれていました。以前にもこんな部屋に泊まったことがあるので、慣れたとはいえちょっと不便でした。おまけにバスルームのドアがよく閉まらないのでシャワーを浴びる時などには困りました。廊下の先は宿の裏庭(右写真)に出ることができます。宿泊した人のみが利用可能で、私もちょっとだけ見て回りました。
前回見逃したのはGreyfrairs KirkとUnion運河の東の端。近くに大学が運営するホステルに1泊した時に近場を歩いたにもかかわらず、全く気付かづ歩き回っていました。帰国後そのことに気づいて悔しかったのです。今回宿は離れていますが、1日かけてその辺りを歩き、また運河沿いの道も少し歩こうと思ったのです。地図もばっちり調べました。 | |||||
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Greyfriars Kirk | ||||
また、ここでは特別なサービス、コンサート、社会的な行事、展示会、団体訪問、他の教育的な活動をしていて、活発な活動をしていることが分かります。内陣の右へ向かうYester通路では、静かなる祈りと黙想のための場所と同じように、他から離れていて蝋燭を灯したりそうっと祈ることができます。 <Greyfrairs Bobby> 教会はボビーの像の道を隔てて、奥に入る道から入ることができます。スコットランドを1992年に最初に訪れた時、ボビーのことは知っていたので、その像だけ見てこの教会に寄ることしないで、その後、国立博物館へ急いだのです。その頃の情報はそんなものでした。前回(2011年)はこの教会のことは知っていましたが、場所を知らなくて、近くを歩いたのに逃していました。そんなわけで今回は見逃すことなく訪れました。中は無料で見ることができますが、写真は有料で撮ることはできます。中をさっと見て撮りたいのがステンドグラスだけだったので止めした。最初に訪れたDunblane Cathedralとはえらい違いと思ってしまいました。建物の回りも一回り。埋葬されている人物たちには詳しくないのでさっと見るだけに終わりました。 |
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Union Canal | ||||
スコットランドで唯一平坦な運河は、’Mathematical River(数学的な川)'という愛称があり、標高240フィート(73m)の平坦な高さにあり、その部分ではロックはありません。Forth-Clyde運河が開通した後に30年以上経った1822年に完成し、スコットランドの首都に石炭を安く運搬するために建設されました。建設にあたっては、3つの水道橋、690ヤード(631m)のトンネルの掘削、そして112フィート(34m)下のForth-Clyde運河へ降ろすために11のロック群を堀り抜きました。全盛期にはUnion運河にロックがないために、スコットランドの2つの主要な都市の間では、人の移動に7時間、荷物の運搬には13時間を要しました。1842年にEdinburghとGlasgowの間に鉄道が敷かれ、多くの運河の乗客が利用するようになりましたが、荷物の運搬はまだ続いていました。1840年代初期に船は改造され、鉄道と張り合っていました。輸送はWester
Hailes(Edinburghの都市圏の町)からの良質な大量の石炭とMuiravonside(Linlithgowの南西、Avon川沿いの場所)の土手の炉からの石灰をEdinburghに運搬するだけの一方通行でした。 1848年にはNorth British Railway Companyが運河を買収しました。1921年に3つのEdinburghのドックが埋められ、1965年についに運河は閉鎖されました。1990年までそのままで、新しいPreston Road Bridge(Linlithgowにある道)の建設と共に、Union運河はLinlithgowまで再開され、2002年5月にMillennium Link Projectで新しいロック、近道、マイル票、橋、そして素晴らしい回転式のボートリフトのFalkirk Wheelを運河に造りました。 <Edinburgh Quay> 2000年10月にBritish Waterwayは、Edinburgh運河の終点である古いLochrin Basinへウォーターフロントの店、バーやレストランを持ってくることで再び活気づけるための意欲的な計画を明かしました。 左写真はEdinburgh Quay、右写真はLemington Lift Bridge。 Greyfrairsからほぼ一本道みたいな道順で辿り着きました。ただ、運河の端っこは道から建物の奥に入るので、その建物だけ事前にストリート・ビューで確認していました。運河の端っことはいっても現在のもので、嘗てはもうちょっと北東の方向に続いていました。Hopetoun Basinというドックで、現在Odeon Cinemaがあります。その方に行っても迷うだけなので、現在の端っこEdinburgh Quayから西に向かって歩き始めました。 運河は歩き終える所まで、3つの水道橋を通りました。下の写真で、左からMyreside Aqueduct(下はEdinburgh Suburban and Southside Junction Railwayの線路)、Prince Charlie Aqueduct(下はA70の道路)、Slateford Aqueduct。3つ目のSlateford Aqueductは写真を見てもわかるとおりここは水路もその沿いの道も狭くなっています。そのため、道では自転車は降りて通るようにとの注意書きがありました。しかし、降りたのを見たのは女性1人、男性はみな乗ったままでした。橋の上では止まることができないので、下の写真は撮りませんでしたが、建物とその敷地があるだけだったので撮る気もしませんでした。渡り終える頃に下に道があるようです。 |
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Carlton Hill | ||||
以前はPrinces Streetから階段を登ったのですが、今回は別方向から坂道を上りました。これが結構きつくて長かったのです。この丘って、こんなだった?と思いつつ頂上へ。そこには結構な人がいました。お天気もまずまず良かったので遠くまで見渡すことができました。きつい坂を上ったご褒美です。(右写真はNational Monument、ギリシャのパルテノン神殿を模して造りかけで終わったとか。) |
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Carlton Hillからの北側の景色;左側の隅にForth Bridge(s)、海(Forth湾)右の方にInchkeith島(灯台がある)が見えています。 |
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Carlton Hillからの南側の景色;左側にHolyrood ParkとArthur's Seat(251m)、右の端にEdinburgh城が見えます。 |