田町裏(Tamachiura)
田町は、電車通りの100mぐらい東にある、幅の広い道沿いの町である。田町裏は、その裏道にある停留所である。
田町裏―1961-7-23
左:大門方向。この辺りは、小規模ながら、商店街になっている。
遠くの煙突は、九州電力の発電所で、黒煙がたなびいている。
右:金田方向。道幅が狭く、自動車は軌道敷内通行可である。安全地帯は無い。
金田(Kanada)
戦前は、近くに陸軍造兵廠があった。小倉が原爆投下の候補地になった理由の一つが、造兵廠の存在だったといわれている。
今は、その跡地が残っている。
©T.O.
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金田―1961-7-23
左:田町裏方向。電車は、左が砂津行きNo.103、右は中央町行きNo.629である。
ここも安全地帯は無い。遠くには、九州電力や住友金属の煙突と煙が見える。
右:下到津方向。左端に福岡地裁小倉支部がある。
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金田〜下到津間―1961-7-23
国鉄/日豊本線とは、専用軌道橋で立体交差している。
下の日豊本線は未だ電化されていない。(後の1966-10-1 小倉―新田原 電化)
後に、専用軌道は廃止され、路面軌道になった。
下到津(Shimoitoudzu)
「到津」は、"いとうづ"と読む。
この辺りから、八幡市の大蔵辺り迄は、板櫃川沿いの谷を遡る。低地と両側の台地は、共に住宅地や学校地区になっている。
道幅が少し広がり、安全地帯があるようになる。しかし、歩道は無い。
下到津―1961-7-23
左:金田方向。電車は折尾行No.129である。右手の方に行くと、県立小倉西高校(前身は小倉高女)や女子教育の名門東筑紫学園がある。
右:歯科大学前方向。折尾行き乗り場には、安全地帯が無い。
右の方に登って行くと、女子教育の名門西南学院がある。
遠くの山は、八幡市の皿倉山(622m)である。
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歯科大学前(Shikadaigakumaë)(Kyushu Dental College)
福岡県立九州歯科大学は、1949年に、県立歯科医学専門学校が大学に昇格したものである。
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歯科大学前―1961-7-23
左:下到津方向。三差路交差点になっている。右斜めに分岐している道は、国道3号線で、木町、三萩野を経て、砂津に至る。
道幅から十三間道路の名がある。(十三間=約24m)。
右:遊園前方向。左に上村紙業(印刷、段ボール製造)の工場がある。
その裏手の方に登って行くと、九州歯科大学がある。遠くの山は、八幡市の皿倉山(622m)である。
遊園前(Yuenmaë)(Itodzu Pleasure Ground)
歯科大学前からは、再び国道3号線を行くようになる。
到津遊園地は、北九州5市最大の遊園地で、動・植物園や各種の遊戯施設がある。春は桜とつつじが美しく咲く。
1932年開園、西鉄の経営である。(西鉄が閉園した後、北九州市に引き継がれ、2002年に到津の森公園として、再発足したという。)
遊園前―1962-5-6
左:歯科大学前方向。右に広告看板が並んでいるが、その外側は西鉄バスの駐車場である。
右:到津車庫前方向。右に到津遊園の入口がある。その右の、木立がある丘が、到津遊園である。
到津車庫前(Itodzushakomaë)(Itodzu Car Shed)
西鉄北九州営業局内には、砂津、到津、黒崎、北方、の4つの電車車庫がある。
到津車庫は、小倉市と八幡市との境の、小倉側にある。
到津車庫前―1962-5-6
左:遊園前方向。八幡市に入った所からの撮影で、左に「小倉市」の標識が見える。
右:昭和町(八幡市)方向。小倉と八幡とは完全な町続きで、市境という感じは無い。
電車が写っている場所の左手に、車庫がある。
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