Glasgow

2008/6/28(sat)~6/29(sun)

Scotlandへ行く時は基本的にGlasgowへのフライトを選びます。理由はEdinburghより地方への交通の便が多く、また宿代も安いからです。今回もそんな理由でした。宿も幸いに確保できたのでした。帰りはコンサートのためにEdinburgh泊になるので、前回(2005年)に引き続き、Scotlandのフライトは同一空港ではありません。料金はどちらでも変わりません。ただし、エアポート・バスが片道になって、ちょっとだけ交通費が余分にかかりました。
入国審査や荷物もちゃんと出てきて、すんなり。そこでバスに乗ろうとしたら、お釣りがないのでダメと断られました。今までそんなことあったっけ?と思っていると、運転手が、前にいるバスならOKだと。よく考えると、いつも乗っていたのが前のバス。慌てて止まっていたバスに確認もせずに飛び乗ったのでした。こちらのバスは空港経由の路線バスで、前のバスがエアポート・バス。路線バスの方が安いようですが、時間的にはエアポート・バスの方が早く着きます。それに、お釣りもくれるし…バス・ステーションに着いて宿までタクシーで。一方通行なので、回り道をしなければならないのは知っていました。2本隣の道ですが、珍しく間違えて1本隣の道を進んでいました。そして、行き止まり。Uターンする時に運転手はここまでの料金で良いと。間違えたことがちょっと恥ずかしかった様でした。日本ではそんなことざらにありますが。

Antonine WallとForth & Clyde Canal
Scotland到着後、翌日すぐにOuter Hebridesへ向かっても良かったのですが、前回の最後に訪れたAntonine Wallへまた行ってみようと思っていたのでした。そこで、日曜日出発の所を料金も変わらずに土曜日取ることができたら行こうと考え、聞いてみたらOKでした。日曜日は島への交通がないので丁度良いのです。
今回はAntonine Wallでもっとも保存状態が良いといわれるBar Hill Roman Fortです。その近くに割に保存状態が良いといわれているCroy Hillもあります。電車はCroyまで。大きな町を結ぶ路線なので日曜日もたっぷりあります。電車はひどい混み様で、入口側の折りたたみシートを確保して座りました。もっともGlasgowから2駅なので立っても大したことはなかったのですが。
The Antonine Wall Croy Hill
<Croy HillでのAntonine Wall>
城壁は現在わずかに見られますが、Antonine Wallの溝は玄武岩の露出があるために特にこの辺りでよく残されています。丘の頂上へ向かうと、ローマ軍でさえも打ち負したと思われる所では溝は堅い玄武岩が掘り返されていません。そこは丘が2組の発掘隊が出くわした1箇所のようです。北の方は溝から掘り起こされたものからなるよく保存された盛り土です。
Croy HillのRoman Fort跡<Croy HillのRoman Fort>
発掘は1930年代と1970年代に行われ、丘のローマ軍の軌跡が明らかになりました。丘の頂上付近では、小さな砦が狭い大地の上に塁壁を背中(南側)にして建てられました。現在そこには跡が見られませんが、小さな砦は南北に22m、東西に18.5mの広さがありました。そこは石の上に泥炭塊の塁壁と1本の溝に囲まれていました。
Antonine Wallの全体の計画は建設が完成する前に変更され、より多くの砦が追加されました。Croyでは、おそらく壁の建設者達に占められていた臨時の囲いで覆われ、小さな砦が東へ約80mに建てられた砦に置き換わりました。その砦の位置は少しの木々と低い石の城壁の跡(放棄された農家の跡)が目印です。砦は壁の背後に沿っていて0.6ヘクタール(1.5エーカー)の広さがあります。発掘はその防壁の概要と、本営と穀物貯蔵所を含む内部の建物の位置を確定しました。浴場は砦の北東の外側で見つかりました。
Croy Hill駅を降りると方向は分かっていたのでそちらへ向かおうとしました。しかし最初に向かうCroy Hillの入口がどこにあるのか不明です。そこへ運良く犬と散歩をしていたおばさんに聞くことが出来ました。案内があると。その側には目印になる様な建物もありました。案内板には地図がでていました。その地図を見てWall沿いに歩きたかったので進んだのですが、はっきり分かりません。そこへまた歩いてきていた男性に聞くと”あっちがWall、Croy Hillはこっち”と言います。でも、よく分かりませんが、とりあえず丘の方へ。そこにWallらしきものが見え、側に溝を大きくした様なくぼみがありました。前回のFalkirkでの見学でWall跡がどんなものか分かっていたので、それがWall跡だと分かりました。そこへは降りることは無理なので、丘へと続く道を進みました。丘の頂上らしき所はピクニック・エリアになっています。回りを見渡しても遺跡の石積は見えません。この辺りにRoman Fort跡もあるはずなのに…草地の間に道が続いているので丘の向こうへ向かってみます。しかし、見えません。そして、引き返そうと思った目印を決めて進んでいたら、脇に説明板が見つかりました。そこがRoman Fort跡でした。草がぼうぼうに生えています。案内板もかなりかすれています。草を刈ることはあるのでしょうか?タイミングが悪かっただけ?と思いつつ、回りを見渡しました。わずかに石積らしきものがありました。その敷地の側にはWall跡がありました。こんな状態なので、どれほどの大きさだったのか不明ですが、ここで嘗てローマ軍が砦を気付いていたことは確かです。
Bar Hill Roman Fort
Bar Hill Roman Fort Headquaters<Bar Hill Roman Fort Headquaters>
Antonine Wall沿いで発見された17個の砦の1つです。そこはBritain人を含むローマ皇帝の様々な立場から徴集された兵隊の歩兵隊で、480人の居留地でした。この砦は大勢の兵隊がいて、兵隊生活のざわめきと騒音で溢れていました。1902-5年の発掘では、本営は発見されませんでした。そこは浴場の建物から50mの所にありました。
本営の建物は兵隊の日々の生活の中心でした。
中庭の向こうのホールでは日々の命令が招集された隊に発せられ、勤務表が記入され表示されていました。ホールの向こうの部屋では、事務官が日常の事務処理をやっていました。中央の部屋では隅に皇帝の像、一団の旗、そしてお金や価値のあるものの金庫がありました。
本営の建物の中庭の石で囲まれた井戸は1907年に発掘されました。それは13m(43フィート)の深さで、膨大な数の掘り出し物で満たされていました。砦が紀元2世紀後期に見捨てられた時、破壊の一団は計画的に価値のないものをそのままにして備品や家具を放火または破壊しました。そして、残りのものを井戸に捨てました。
Antonine Wallは紀元140年代にAntoninus Pius皇帝(アントニウス・ピウス、86-161、在位138-161)の依頼の元に建設されました。
20年間ローマ軍の北西の前線としてHadrian's Wall(TyneからSolwayまで横たわっている)に取って代わっていました。壁はClyde領域のOld Kilpatrick湾の現在のBo'nessから40ローママイル(60km)あり、砦(おおよそ3km毎)と小さな砦によって防衛され、全てが道路の様になっていました。壁は泥炭塊の塁壁で構成され、4.3mの幅の石をベースにした3-4mの高さで、木材の策が上にありました。全面には広くて深い溝が掘られていました。
Bar Hill Roman Fort Bath<Bar Hill Roman Fort Roman Bath>
浴場の建物はローマの生活、兵隊と市民の両方での標準的な部分でした。ここでも全兵士に使われていました。
そこでは義務から解放されてリラックスし、社交的になる暖かさと安らぎの部屋を提供していました。浴場の回りの発見物には珍しい硬貨の収集もありました。それはおそらくこの建物でギャンブルやゲームが行われていたことを示しているのでしょう。
浴場人は西の端で浴室に入り、最初に更衣室とトイレを使いました。そこから彼らは冷室に進み、その後に並んでいる3つのトルコ風呂の様に作られたスチーム部屋に通路を進んで入っていました。その部屋は異なる温度に暖められ、もっとも暖かいのは主となる炉に最も近い東の端にありました。
浴場人は、各暖室に移動して、ベンチに腰掛け、オイルで摩擦をし、それをストリギル(肌かき器、古代ローマの器具)と呼ばれる特殊なナイフで汚れと一緒に流していました。浴場の建物の回りにはここで使われていた特別なオイルを入れていた小さな壺の破片が沢山見つかっています。浴場は大きなタンクに続く木製の水管に通じていました。
ローマのがらくた?
発掘は深度約3m、幅5mの浴場の建物に近い所で大きながらくたの穴を見つけました。古いブーツ、磁器の破片や他のがらくたと一緒に11人の手と足の骨が見つかりました。これらはローマの外科切断手術か戦争の邪悪な戦利品の名残なのでしょうか?
Antonine Wall at Bar HillCroy Hillから西へ向かいました。例の案内板の地図を見直して、もう一度壁が通っている辺りに近づくと、細いパスが見つかりました。それが西へ向かっています。この道だ!と進むと、大きな道路にぶつかりました。駅から歩いてきた道の続きです。それを忘れていました。しかし、Bar Hillへ向かう道の案内が道路を渡ってその先であることを告げていました。元気よく歩き出すと今度は2手に道が分かれています。案内はありません(どうしてこうなの?)。右へ進んで様子を見て地図を確かめようとしましたが、ここで大雨が降り出し、とても地図を取り出す余裕がありません。仕方なくその先に進みました。放牧地や整備された道がゲートを開け閉めをして続いていました。それらしき遺跡が見つからないまま広い所に出て、更に進むと何と木材の切り出し場。道が整備されていたのはこのためでした。そして、何とこの切り出し場で行き止まり。ここで暫くウロウロしましたが、それらしき雰囲気でもないので先ほどの左側だったのか、と引き返しました。そして、途中で見た刈り込まれた草地がある所に辿り着き、ここでやっと地図を確認することに。地図を広げると共に、その周りを見回したら看板が…その看板を見に行く前に地図をよく見たら、何とそこが目的の場所でした。行きは刈り込まれた草地を見てゴルフ場だと思ってしまっていたのでした。行きのその頃には既に雨もほぼ止んでいたので地図を見たら良かったのに…ロスした時間はさほどでもなかったのですが、自分の不甲斐なさを感じます。
さて、かの看板に近づくとその前にはWallの溝が横たわっていました。そして西側を見るとずっと続いていました(写真左)。結構急な丘を登り、頂上へ。側にもうちょっと高い所があり、ここがBar Hillです。この頂上で昼食と休憩。東側を見るとCroy Hillも見えました。
再びWall沿いに西へ歩き始めました。平らになった頃に左手になんか広い所がある…と。ちょっとした石積も見つけました。ここがRoman Fort跡なのでした。本営とローマ風呂跡がわずかに残るだけの遺跡ですが、これだけでも嬉しくなりました。Croy Hillと違ってここは草も刈り込まれ、わかりやすくなっていました。あちこち見回った後、入った所とは反対側の位置にゲートがあることに気付きました。そのゲートを1人の男性と1匹の犬が入ってきていました。Croy Hillの遺跡からここまでで会った唯一の人達でした。
Forth & Clyde Canal
Antonine Wallを歩いた後はやはり、運河沿いを歩きたくなります。前回、ここの運河を歩いて何となく運が沿いの遊歩が気に入ってしまったのです。
Forth & Clyde Canal from Twechar Swing BridgeBar Hill Roman Fortからゲートを出ると整備された道路が続いていました。どんどん下り、Twecharという村に出ました。全く迷う様な道ではありません。そして、運河も側に見ることが出来ます。TwecharからCroyまでこの運河沿いを歩いて帰ることにしました。


<Twechar>
採鉱の共同体の村で、実働の鉱山があるわけではありませんが、立派な新しい橋があります。小さくて楽しい手工芸が石炭を積んだ艀に置き換わり、Barhill宿屋が過去の産業の名残を見せてくれます。
ここにはTwechar Swing Bridgeが運河に架かっているとありました。確かに橋はあったのですが、動き(回り)そうにもない様に見えました。はて?説明書きにある様に、立派とも思えない様でしたが…西のKirkintillochまで5.5Km、東のKilsyth(Croyの運河の対岸にある町)まで3.5kmという案内が橋の側にありました。

Auchinstary Bridge<Auchinstary>
Kilsythの運河の”港”です。Kilsythまでの石炭は、ここで運河の船に積み込まれ、Glasgowのアパートを暖め、地元では切り出された’角岩’玄武岩で通りを舗装しました。切り出し場の切り立った壁は現在クライマー達の技術をテストするために使われています。一方では歩行者達がCroy Hill近くに引きつけられています。ローマ砦の僅かな名残がありますが、吹きさらしの頂上からAntonine Wallの堀が綺麗に見えます。
この橋のすぐ側にマリーナがありました。Croy Hillから見えていた所で、利用者も結構いるのか結構整備されていた様に思えました。残念ながら、船着き場には近づけない様になっていました。
そして、運河の遊歩の終わり近くにこんな説明書きがありました。
Homes for Swans
この運河は白鳥達に良い餌場を供給する僅かに残された生息地の1つです。最良の場所の1つがここAuchinstaryです。豊富な水生植物は餌や、避難場所、巣を作る材料を供給し、一方では広々とした水が飛び立ちしたり降りたりするための広い場所が沢山あります。鳥達はここで年中対岸の水たまりで巣にとどまっています。春には白鳥の雛が見られます。鳴かない白鳥が運河の唯一の種としています。それは頭の上に黒い球があるオレンジ色の嘴をしているので分かります。
野生生物の回廊
この運河は重要な野生生物の回廊で、白鳥と同じように他の野生生物がそのルートに沿って簡単に移動してきました。鵜や、海岸にいる普通の鳥達、鷺は無脊椎動物のごちそうを順番に楽しんでいる多くの魚に引きつけられています。小さな哺乳動物もまたこの運河の回廊を使っています。この辺りでは、引き船道の縁がたびたび草地と低木が覆われ、他の場所で早々に消えてしまった環境を彼らに提供しています。狐や、ノロジカ、ミンク、ハタネズミ(しばしばネズミと間違われる)、そしてアナグマさえ、全てがこの引き船道を利用します。冬には雪の上に彼らの足跡を見ることが出来ます。
Auchinstaryに着いた時は夕方の6時くらいで、18時07分発の電車に間に合うと思ったのですが、もっと時間がかかりました。駅に着いたのは15分くらい次の列車は1時間後。でも疲れていたのでそのまま駅で待つことに。座るベンチはなかったのですが、バー(横木)がありちょっとだけ足を浮かせることが出来ました。そこへ18時20分くらいに列車が入ってきました。Glasgow行きです。おや?と思いましたが乗り込みました。私が調べていたのがGlasgow-Edinburgh間のみで、Stirlingなどからやってくる列車を見過ごしていました。しかも座席はがらがら。ゆっくり座って戻ることが出来ました。

  1. See Glasgow(英語):Greater Glasgow and Clyde Valley Tourist Boardのページです。
  2. Glasgow Guide(英語):Glasgowの情報ページです。
  3. British Waterways Scotland(英語):British Waterways Scotlandのオフィシャル・ページです。
  4. Antonine Way(英語):Antonine Wallの解説ページです。
  5. The Antonine Wall(英語):Roman BritainのThe Antonine Wallに関する記述のページです。