今は無き西日本鉄道/北九州諸線の軌道風景(1959〜1962年)
(Past sceneries along Kitakyushu Lines of Nishi-Nippon Railroad Co.)

西鉄/北九州線:小倉市内
(1963-2-1 小倉市は北九州市小倉区となった。1974-4-1 小倉区は小倉北区、小倉南区に分割された。)
(北九州線は、後の小倉北区内にある。)

延命寺トンネル
門司市と小倉市との境には、山が海岸にせり出している。それで、国道3号線は、その部分を、トンネルでくぐっている。
尚、国鉄/鹿児島本線は、山の先端を迂回している。
小倉市境からの国道3号線も、幅が狭く、富野まで、歩道や安全地帯は無い。

国道3号線/延命寺トンネル:小倉市側から―1960-2-28
右の山の中腹には、手向山(たむけやま)公園があり、そこには、佐々木小次郎の碑(1951年建之)がある。
これは、1612年、巌流島(関門海峡内の小島)での、佐々木小次郎ー宮本武蔵の決闘の際、
佐々木小次郎が、この近くの海岸から乗船した史実に基づくものである。
公園山麓には、江戸時代建之の宮本武蔵の碑や宮本家代々の墓もある。

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新町(門司)〜延命寺(小倉)間―1960-2-28
山裾の狭い所に、国道3号線と国鉄/鹿児島本線が並んでいる。線路の向うは海である。
鹿児島本線は、この部分は、方向別運転の複々線である。(1956-3-30 門司―東小倉 複々線化)
撮影当時は、未だ、電化されていない。(1961-6-1 門司港―久留米 電化完成)
列車は、706列車・天ヶ瀬発日田線経由門司行き準急「あさぎり」(門司着12:28)である。

延命寺(Emmeiji)
新町(門司市)から延命寺までは、1.6kmある。
延命寺には亘り線があり、(八幡・戸畑側からの)折り返し電車が運転されている。
停留所名は、近くの東北山延命寺(黄檗宗)に由来する。後に、停留所名が、町名に合わせて、「赤坂」と改称された。

延命寺―1960-2-28
左:新町(門司)方向。左にダイヤ塗料店がある。
右:上富野方向。富野まで、台地上を行く。 門司行きの連接車No.1019が見える。

上富野(Kamitomino)
1961-3-27〜1964-4-20の間、通勤でこの停留所を利用した。
後に、停留所名が「上富野三丁目」と改称された。

上富野(小倉市)―1960-2-28
延命寺方向:沿道は住宅地である。

上富野三丁目(小倉北区):赤坂方向―1985-6-21(廃止の約3ヶ月前。)
「ナリス」の広告があるビルは、高浜マンションである。
左に東小倉荷物センターへの道が分岐している。
(1963-10-1 東小倉荷物センター開業)

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上富野―1960-2-28
富野方向:電車は門司行きNo.117である。

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富野(Tomino)
1959-4-13〜1961-3-25の間、通勤でこの停留所を利用した。

後に、停留所名が「上富野一丁目」と改称された。

富野:上富野方向―1960-2-28
右は住宅地である。
左は斜面で、下に国鉄/鹿児島本線がある。

富野:砂津方向―1960-1-24
国道3号線とはいえ、左側は車道が特に狭く、自動車は軌道敷内を通る。
右前方の斜面下には、 かつては国鉄/日田線/東小倉駅があった。
西鉄北九州線は、前方で左に曲って専用軌道となり、国鉄日田線を渡る。
(1960-3-14 国鉄/日田線/東小倉―水町信号場の貨物運輸も廃止)
尚、国道3号線の方は、踏切になっている。

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国鉄/日田線/東小倉駅
1915- 4- 1 小倉鉄道/東小倉―香春開業
1943- 5- 1 小倉鉄道は国有化され、国鉄/添田線となる
1956- 3-15 添田線が日田線となる
1956-11-11 日豊本線/城野から日田線への短絡線が開通し、日田線/東小倉駅の旅客営業廃止
        (東小倉―水町信号場は、貨物運輸だけになる)

富野〜砂津間:富野方向―1959-8-20
前方、電車が走行している所から先は専用軌道になっている。
線路は坂を登り、国鉄/日田線(貨物運輸)を渡る。
左手前には、砂津車庫の出入庫線が見える。
右のビル(4階建)は朝日新聞社西部本社である。
国道3号線は、朝日新聞社の向う側を通る。
国道3号線はここからは道幅が広くなる。十三間道路と呼ばれている。(13間=約24m)

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上富野三丁目(小倉北区):上富野一丁目方向―1985-6-21(廃止の約3ヶ月前。)
門司方面行きの安全地帯が設けられている。西鉄バスの色も、昔とは、変わった。

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上富野三丁目(小倉北区):上富野一丁目―1996-9-27
左:上富野一丁目方向。左に「NTT北九州」(青色)の看板があるのは、NTT北九州病院の事である。
  1961年には、ここに、小倉逓信病院があった。右には、光陽ベアリングの販売店がある。
右:赤坂方向。手前に、「もち吉東小倉店」(菓子)、その向こうに高浜マンションがある。
  右には松柏園ホテルがある。1961年には、ここに松柏園旅館があった。

軌道廃止後の風景

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軌道廃止後

上富野一丁目:上富野三丁目方向―1996-9-27
中央のビルは、サンレー紫雲閣(葬祭)である。

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軌道廃止後

上富野一丁目:砂津方向―1996-9-27
左に小原運輸がある。その右はコープ野村上富野である。

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1959年の運賃は、1区10円、1区増す毎に5円増しである。
左は4区回数券。右は4区乗車券である。実寸は25mm×59mmである。
定期乗車券の一例。実際に乗車するのは、富野―室町だが、運賃計算1区間の両端まで使用可となっている。
料金は6ヶ月で2,110円。

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