今は無き西日本鉄道/北九州諸線の軌道風景(1959〜1962年)
(Past sceneries along Kitakyushu Lines of Nishi-Nippon Railroad Co.)
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西鉄/北九州線:八幡市内
(1963-2-1 八幡市は北九州市八幡区となった。1974-4-1 八幡区は八幡東区、八幡西区に分割された。
尚、昭和町〜桃園町は、後の八幡東区に属する事になる。)

昭和町(Showamachi)
小倉市の下到津辺りから、八幡市の大蔵辺り迄は、板櫃川沿いの谷を遡る。低地は住宅地になっている。
昭和町は、八幡市内で、最も小倉寄りの停留所である。道路は国道3号線である。

昭和町―1962-5-6
左:到津車庫前(小倉市)方向。あちらこちらに店がある。
  左の映画館の看板に「花のお江戸のやくざ姫 その場所に女ありて 夢がいっぱい」とある。
  電車は折尾行きNo.203である。右のバスは、20系統福岡行きである。
右:七条方向。あちらこちらに店がある。

©T.O.

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七条(Shichijo)
ここから先は、道路の北方に、八幡製鉄の社宅群があり、その中に、東から七条通り〜一条通りがある。

七条―1962-5-6
左:昭和町方向。頭上には、「S」(停止標)と「七条」の札がさがっている。
  右端の建物は映画館である。
右:荒生田方向。所々に店がある。尚、交差点から右に行くと、丘を越えて戸畑に至る。

荒生田(Arouda)

©T.O.

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荒生田―1962-5-6
左:七条方向。右に三輪貨物自動車が見える。
右:三条方向。

三条(Sanjo)

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三条―1962-5-6
左:荒生田方向。沿道の家は、古く、汚れた感じがする。
右:大蔵方向。前方の山は、皿倉山の裾野の一つである。

大蔵(Okura)
下到津(小倉市)から、板櫃川の谷を遡って来た。
板櫃川に架かる両国橋を渡ると、豊前国から筑前国に入る。
江戸時代、ここは、小倉/小笠原藩と福岡/黒田藩との境だった。
板櫃川は南の谷に別れる。上流に河内貯水池がある。
八幡市中心部へ行く場合は、この辺りが峠(標高約50m)になっている。

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大蔵―1962-5-6
左:三条方向。向こうへ下って行く。
右:上本町方向。こちら向こうへも下って行く。
  右の斜面に、八幡製鉄の施設がある。

上本町(Kamihommachi)
大阪では 「うえほんまち」 であるが、八幡では 「かみほんまち」 である。

©T.O.

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上本町―1962-5-6
左:大蔵方向。
右:中央町方向。向こうに下って行く。右に木立が見えるが、この丘の上には、高炉台公園がある。

中央町(Chuomachi)
以前は、停留所名が「中央区」だったが、1958年に、「中央町」と改称された。
西鉄/枝光線が北に分岐している。
中央町は、丸物百貨店、中央区商店街、八幡市役所などがあり、八幡市の中心部となっている。

中央町―1962-5-6
左:上本町方向。左に枝光線が分岐している。交差点を右に行くと、八幡市役所がある。
右:春ノ町方向。右に枝光線が分岐している。右の角のビル(5階建)は丸物百貨店である。
  その向う側には、中央区商店街がある。

中央町―1962-5-6
左:枝光線/山王町方向。手前に北九州線の線路が見える。枝光線は、左右双方に分岐可能である。
  左に丸物百貨店がある。(丸物は、後の1971年に、閉店した)
右:中央区商店街。南北に2本、東西に1本の銀天街がある。写真は東西の通りである。

©T.O.

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