KINGDAM

第3話



 戦局は長期化の様相を見せている。
 膠着状態、とでもいうのか。
 一進一退の攻防を繰り返しているらしい。
 
 先だって、一向に召還に応じない皇子に焦れて、野上が、そして王自らが塔まで出向いてきたが、そんなもの知ったことか、とばかりの態度を火村は崩さなかった。
考え様によっては、この戦いが一番冷たい戦争。深まるばかりの溝を埋める気なんて気にもならない。
 寧ろ、廃嫡でもしてくれたら全てのしがらみから開放されるだろうに…。
 口うるさい言葉を無視しつつ、思っていたのはそんなことばかりだった。


 とはいえ…無論、塔にばかり篭っているわけにはいかないので、足の向くまま外に出ることもある。
 今日も今日とて、ようやく根雪も溶け始めた森へと足を伸ばした。
 この森を越えれば国境線。英都帝国が独自の発展を遂げた大きな理由はこの森にあるといっても、過言ではない。北は海だが、東西南。そのいずれへ出るにもこの森を越えねばならない。とりわけ東に広がる樹海は「迷いの森」とも呼ばれ、昔は罪人をそこに放すことは即ち死を宣告することと言われていた。
 
 その東の森へと、火村は進んでいく。たった一人で奥へと何のためらいもなく進んでいく。その自信の源は、からくりをわかっているから。「迷いの森」は塔の力。ワードマスターには、その絡んだ糸を解く事はたやすい。だからこそ、戦いにおいても重要視されることになる。
 地図には書かれていないマスターだけが知る泉のほとりで、火村は足を止めた。
 白樺の木に凭れ、深い水の青を見つめていると心が静まっていくのがわかる。
 昔から、ここは火村の憩いの場所だった。
 幼い頃。一人、森に迷い込んだ時からずっと…変わらない風景。
「…どこかでは意味の無い殺戮が繰り返されているというのに…」
「全くだ…」
 思わず出た言葉に、返事があった。
「誰だ?」
 全く気配はなかったのにと、驚いきつつ素早く振り向く火村の手には護身用の短剣。
「おーおー、相変わらず見事な腕前だな」
 その隙のない構えに拍手を送る余裕そえみせて、その主は近づいてきた。
「…江神…」
 思わぬ人物をそこに見た。
「ひいてくれ。敵ではないから。少なくともここでは…」
 証拠だといわんばかりに諸手を上げて見せる。
 その様子に言われた通り剣をおさめ火村つつも、視線だけは珍客からそらさない。
 何年ぶりになるのだろう。といっても、以前から頻繁な交流があったわけではない。親しかったわけではないから。時には敵でさえあったのだ。
「どうした、こんなところまで…」
「お前に会いに…」
「…それはそれは…一体、どんな立場で?」
「単なる傍観者だ」
「ほぉ…」
 珍しい。
 流れ者・江神。請われるままに戦いの場に現れては巧みな戦術で負けない戦をする…そんな巧緻なマスター…いや、塔からの免許皆伝の前に突然姿を消したと聞いているから、正確にはマスターではないのだろうが。ただ、その名は何度も聞いていた。戦いの場で。
 この戦にも必ず絡んでいるはずだ。というより、この意外と粘着な戦い振りに江神の影を見ていたのだが。まさか策士自ら、戦いの最中に敵陣にその身一つで来ることはないだろう。ましてや、文書人の死はその国の負けを意味するのだから彼が書いたわけではなさそうだ。
 そんな火村の心のうちを読んだかのように、江神は首を振る。
「本当だって…。どちらにもついてない」
「そいつは賢明だ」
 心から、そう思う。こんな戦に好んで出てくる必要はない。
「何時まで続ける気だ? この馬鹿げた戦いを」
 どうやら江神も似たような思いらしい。
「俺がはじめたわけじゃない」
 火村は肩をすくめる。
「例えそうであっても…誰もそうは思うまい。英都と戦うということは火村を敵に回すことだ。だから、誰もが躊躇った。署名を」
「本当に、貴方ではなかったのか…」
「当たり前だ。火村が相手とわかっていて、身を売るような馬鹿はしないね。どれだけ高額を積まれても」
「そいつはどうも…」
 高い評価におざなりな礼を告げ、思うことはただ一つ。
 では一体、誰が?? まてよ、躊躇ったってことは…。
「知ってはいる…ということか」
「ん?」
「実際に話はあったわけだ…。夕陽国から」
「あぁ、金も地位も名誉も積まれたさ…。俺だけじゃない、国に属さないものには声がかかったはずさ。でも、誰一人、受け入れなかった……」
「じゃあ、誰が…」
「わかるだろう」
 行き着く答えは、やはりただ一つ。
 水鏡に浮かべたその面影が柔らかく微笑む。
(……アリス…)
 決して言葉に乗せない名前を心の中で繰り返す。
「今でもあいつを愛しているなら、お前のその手で終わらせてやれよ…」
 決して傍観者ではありえない江神の鋭い眼光。
 振り向いてしばし火花が散るようにぶつかりあっていた視線を先に逸らしたのは火村の方だ。
「…馬鹿野郎が…」
 手元に落ちていた小石を拾うと、水面に投げつける。
 転々と湖が揺れ濁る。
 まるで心の内と同じように、波紋が広がっていった…。
      
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