「アリス…」
目が合った…と思う。
暗がりの中でも何故か不思議とわかった。
「いいのか?」
答えの代わりにきゅっと服を掴まれた反動で…ばさっと音を立て布団が落ちる。
でも、振り向けなかった。
きっと振り向けば歯止めが聞かなくなる。
ただ単に、ここに居ていいのかと尋ねただけなのだ…分かりきっているのに。
でも、何もかもが許されたように都合よく誤解してしまいたい。
全て元に戻っていいと言われているように、思い込んでしまいたい。
あの幸せだった日々のように。
でも。
あの男に迫られて脅えていたアリスの姿が脳裏を掠める。
自分とあいつとは違うと思ってみても今のアリスの中にかっての自分が存在していない以上、結局は同じ事になってしまう。
いや、もしかつての自分を思い出したとしても、アリスは自分を拒絶するのではないか。
だからこそ、あの事故で封印してしまったのではないのか…。
綺麗さっぱり…削ぎ落とされた記憶。
それは自分達が出会ってからの全ての時間と一致しているのだから。
一体、アリスは何を想い、どんな選択をしたのだろうか?
もう戻せない。
記憶の彼方に何があるのだろう……。
「…あの…」
それは一瞬だったのか、長い時間だったのかわからない。巡りめぐった火村の想いは小さな小さな呟きに遮られる。
「…わかった。ここに居るから…。休もう」
ようやく火村は返事を返した。
すーすーと寝息が聞こえ始めたのは、どれくらいしてからだったろう。
布団にもぐりこんでから…しばらく、二人とも眠れずにいた。
何度も何度も寝返りを打つアリスの視線が時折自分に止まった事も気づいていた。
でも、固く目を閉じたままやり過ごすうちに、また背を向けて…ようやくアリスは眠ったらしい。
そっと、その顔を覗き込む。
変わっていない。…あの頃と何一つ…変わらない。
愛しい愛しいアリス。
「…どうして…俺を忘れた?」
…万が一にも聞こえないように。声には出さずに呟く。
「愛してるよ…お前を」
あの日から、幾度堪えたかわからない涙が火村の頬を静かにぬらしていった。
翌朝。
くすぐったくて目が覚めた。
「…ん…何?」
ミャアーと小さな声が返ってくる。
「猫…」
呟くアリスをぺろぺろとくすぐるように茶トラの猫が擦り寄ってくる。
「わっ…ちょっ…くすぐったいって…」
寝返りを打ったアリスの隣には既に畳まれた布団。
「…火村。出かけたんや」
ふとそこに残されたメモが一枚。
『仕事に出る。帰る時は一階でばあちゃんに一声かけて行ってくれ』
…火村の字だとすぐにわかる癖のあるその字。
「ばあちゃん?」
口に出してみるとなんだか懐かしい響きがする。
とてとてとて…と音がして近づいてきたのはもう一匹の猫。
膝の上に飛び乗って来たその猫を抱きしめて、ふとアリスは呼びかける。
「どうしたん…こう」
……あれ?
耳鳴りがした。
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